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はい、みなさんこんにちは、もこです。 もこの声時間、ちょっと私の心の中にある一つのことを、なんとなく分からないように、分かるように、こんな感じで今思っているよということを話してみます。
人は時々、私は時々、誰、誰かにもあるかもしれない。人は時々、答えの分かっている問題を何度も解こうとする。数学で考えれば、少し不思議なことです。条件が決まっていて、答えもほぼ見えている。
この答えは変えられないという問題があります。それなのになぜか計算をやめられない。
例えば、欲求大なり可能性という式があったとします。欲しいという気持ちは、手に入る可能性を簡単に追い越してしまう。理性なら可能性右矢印0と分かった時点で計算を終了するでしょう。
でも、心はそう簡単にはいかない。なぜなら、思いの大きさと実現する可能性は同じ変数ではないんです。
ここが、私という人間というものの面白いところ。可能性がゼロに近づいても、思い右矢印0になるとは限らない。むしろ、限りなくゼロに近づいていく現実の中で、心の中に残るものがある。
数学では、極限という考え方があります。リミット。可能性がゼロに近づくその時、思いはノットイコールゼロ。可能性がゼロへ近づいていっても、思いまでゼロになるとは限らない。
だったら、手に入らないという事実と、大切に思っていますという事実は別々に存在してもいいのかもしれません。
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そして、幸福も一つの式では表せないのかもしれない。幸福ノットイコール所有。持っている事だけが幸福の条件ではない。心の中に確かに存在している。
それだけで、静かに満たされる事もある。満たされない事もあるんですけどね。
だから、私は思うんです。人生には解くべき問題だけじゃなくて、解けなくてもそのまま持っていていい問題があるんじゃないかなって。
答えが出ないから間違いなのではなく、答えを出さないからこそ、答えが出せないからこそ、大切にできるものもある。
もしかしたら、心というものは、そして愛情というものは、数学では解けないからこそ美しいのかもしれません。
かっこよく言えば、でも疲れるよね。
で、時もあれ。ちょっとなんかごちゃごちゃ言ってるので、さらっと流してもらえればと。
興味のある方はちょっと考えてみてもらえると、なんだかぼやーんと分かってもらえるような気もしてます。
ということで、今日も素敵な一日を。まだまだ夜までありますよね。
そんなことでした。
こないだの配信もたくさん聞いていただきましてありがとうございます。
たくさんコメントもいつも本当にありがとうございます。
返信が遅くなっちゃってるかなと思うんですけど、気長にお待ちくださいね。
それでは素敵な一日を。まこでした。