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熊谷拓明さんと「骨で踊る」
2026-05-21 22:23

熊谷拓明さんと「骨で踊る」

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今回は、ダンス劇作家の熊谷拓明さんをゲストにお迎えしています。現在、人類学実践者であるホストの水上さんがご自身のダンスの振り付けを熊谷さんに依頼しており、その制作過程で交わされた対話を収録しました。人類学の実践における「言葉」と「身体性」の葛藤や、ダンスにおける身体のあり方について深く掘り下げたエピソードです。


ゲストはダンス劇作家の熊谷拓明さん / 水上が人類学の実践からダンスに挑戦する理由 / 言葉を覚えることで「ダンスが奪われた」時期/ 言葉の続きや言葉になる前を受け持つ「ダンス劇」とは / 筋肉ではなく自分の骨格に向き合う「骨で踊る」コンセプト/ 記憶を体で再現するための言葉と、イッセー尾形さんへの憧れ/ 文章表現の限界を感じ、「肋骨を開いて」身体性を拡張する / 文章の振り幅から読み取れる、書き手の身体性と視点の角度/ 三島由紀夫の戯曲で膨大な言葉を発し、逆に「黙って踊ろう」と決意したエピソード / 次回予告:熊谷さんはなぜ踊るようになったのか


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はい、こんにちは。今日は熊谷さんについに頂いたんですけれども。 ありがとうございます。
じゃあちょっとあれですかね、自己紹介というかしてもらおうと思うんですけれども、なんで来てもらったかというのを説明すると、今私がダンスをしていまして、
その振り付けをお願いしているんですけれども、その経緯で熊谷さんが最近、いつも踊るときに話してくださることとか、
やりながら考えていることって結構面白いなと思って、毎回ちょっとお話ししておきたいなと思って収録を回してみました。
ありがとうございます。そういう熊谷博明です。
ダンス劇作家と自分らは呼んでますけど、結構ね、二人で色々ダンスの作業をしているときはよくそういう話をしているけど、
もともと、今僕47になろうとしているけど、15歳で踊り始めた頃って、やっぱり今より言葉のボキャブラリーが少なかったので、
たくさん言葉にできないことがあって踊っていた感じがしたんだけど、
だいぶ大人になるにつれて、都合の良い言葉をたくさん覚えてくるから、そうなると、あれ?踊らなくてもいいんじゃない?これ喋れば、みたいなことが増えてきちゃって、
僕の中で一時、ダンスがすごい奪われた時期があったんですよね。
あ、言葉によって?
そう。これも踊る必要ない、これも踊る必要ないってなった時に、
でもやっぱりダンスが好きだからと思って、言葉になったけどもなっていかないその先を踊ろうみたいな意味も含めてダンス劇と呼んでいて、
決してセリフも喋るけどセリフがあるからダンス劇っていうよりは、言葉の続きにある踊りみたいなことが、
あと言葉になる前の踊りみたいなっていうところを受け持つことを作ろうと思って、ダンス劇作家と自分を呼んでいたところ、
まんまと、津波さんが現れて、
まんまと。
見つけをしてくれないかという、面白い依頼をいただいたっていうことですね。
そうなんです。今お話ししてくださいましたけど、ダンス劇っていうのは熊谷さんがずっとやってらっしゃってて、
私が見に行ったのは何年前くらいかな、そしがや。
あれはだからね、結構7年前くらいにもなっちゃうのかな。
スノーツライ?6年くらいかな。
6年くらいですかね。
に一度見に行かせてもらったことがあって、そのときのことはなんとなく頭の中にあって、
最近私が、なんだろうな、僕は人類学っていうものをずっとやってきて、
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何かフィールドワークっていう、外に出たり人に出会ったりする中で、
そこで得たものを言葉にするとか、論文にするとか、そういうことをやってきたんですけど、
最近やってる仕事の感じがどんどん、それこそ今のお話と近いかもだけど、
言葉寄りになっている。言葉が先にあって、その言葉のためにフィールドワークをして、
で、ちょっと違う言葉を出すみたいなことをやっていて、
体で得たこととか、体で知覚していることが、どうも置き去りになっている感じがずっとあるなと思っていて、
で、そこで熊谷さんが、ソロのダンスを作りますっていう広告を出されていて、
ダンスしてみたら、もしかしたら体で何か知覚するとか、表現するってことを、
自分の中に取り戻せるんじゃないかなっていうふうに思って、今一緒にダンスを作ってもらっているという感じですね。
ね、面白い作業をしてますよね。
ダンスも、やっぱり気を抜くと、どんどん自分の体で得た情報みたいなことじゃないダンスを踊らざるを得ない社会になってしまっているから、
さっき言った、ある程度言葉があって、その言葉を正解にするためにフィールドワークに出るじゃないけども、
ある程度こういうことが喜ばれるダンスっていうのがあって、それを踊るためのトレーニングを始めると、
もう自分の本来の身体性みたいなのは、無視してたら追えなくなってくるし、
あと無視しちゃってるなっていう自覚すらなくなるときがあるのが危ないなと思って、
僕は極力したことはないようにしているけども、そういう意味では結構ダンスって身体性なんだけども、
本当に今求められているというか、身体性を取り戻してどうしましょうかみたいなところには、
実はダンスの人、ダンサーも意識しないといけないっていう気がすごくしていて。
意外ですよね。
そう、そうなの。
そうそう、だから一番最初に小林さんとやったときに、骨で踊るっていうコンセプトを教えてくださったときがやっぱり面白いなと思って、
僕の記憶というか認識では、筋肉っていうものがすごく恣意的な動きを作るから、
そうではなくて、骨で踊ることができると、その人のすごくオリジナルなムーブメントが生まれるみたいなお話をされていたことがすごく印象的だったんですけど、
じゃあ今おっしゃったことだと、ある種筋肉を使っていかにダンス的な動きをするかみたいなのが目指されていることが多いってことですか?
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目指されていることが多くて、それが本当に自分のエゴでやってるんだったら、それはそれでいいオリジナリティなんだけどね。
どこかの一定層からの評価に向けた体の作り方だと、もうその時点で、本当は自分のエゴじゃないじゃないですか。
誰かにコントロールされたエゴでその体とか筋肉を作ってしまってるってことになるから、
まあ僕は、うまくできる人もいるけど、僕の中ではそれはすごく不健康だなっていうのがあって、
それが骨で踊るって言い出したというか、骨は骨格なので肘が反対に曲がる人はそんなにいないし、
あと自分が持って生まれた幅とか、可動域とか、そういうことに向き合っていくこと、
その様がもうすでにダンスとして取り入れられるというか、
あとそれがダンスだっていうことを周りの人が可能性を感じるというか、
それダンスなんじゃないかなみたいなことを感じるシチュエーションを作ることと、
骨で踊るっていうことを両方なんか自分ではやっているつもり。
踊りなんだ、これもっていうか。
そっか、じゃあそれは熊谷さんの中で最初からあったわけではなくて、結構途中で気づいたというか。
そう、僕、何年か前に僕のダンス劇見てもらった時もまさしくそうだったと思うけども、
結構昔の幼少期のことを思い出すというか、ことが得意だし好きで。
なのである程度ダンスで頑張ってた時期にやっぱり落ち入ってしまった周りに評価されるためにはどう踊ろうかとか、
どういうのがダンスだったっけみたいなことの答えを、
僕は結構人に求めるより自分に求めたみたいで。
その時に幼少期のおばあちゃんとの対話というか、
おばあちゃんのああいう仕草すごく安心したなとか、
母親のああいう感じすごい怖かったなとか。
って言ったら母親ばっかり怖いみたいになっちゃうけども、母親の安心する仕草もあるけども。
人間の体が他者にどういう影響を与えているかっていうところ。
でも結局ダンスってそうじゃないですか。
その人が体を使ってそこに存在することが観客が見て、
ダンスだと思う、演劇だと思うとか、音楽だと思うとかっていうことが、
僕は感傷ってそういうことじゃないかなと思っていたので。
そこに立ち戻った時に、
その骨格とかその人との関係性とかっていうことがどんどん自分の中に出てきて。
見てもらった時は、もうそういうのがものすごく頭の中にあふれ返ってるけども、
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整理しきれてない時期だと思う。
そうだったんだ。
作品中にもたくさん喋んなきゃいけなかったのは。
確かにセリフいっぱいあった記憶があります。
それはやっぱりそういう雰囲気を作ることは言葉にすごく頼ってた時期があったから、
たくさん喋ってたなと思う。
じゃあ今だんだん言葉が減ってきてるんですか?
あと言葉を使うパートが変わってきたかなと思って。
昔だったら前菜とデザートは必ず言葉みたいな感じで自分の作品を構成してたんだけども、
そんなことはないんだと思う。
ちょっとした初休めの言葉でも良いし。
この前も作業中に話してたけど、小説か詩かみたいな詩的なものか。
どっちかというと詩的なこと。
詩を書くっていうことじゃないけども、
言葉の運命が持つ意味みたいなのは、どっちかというと小説よりよりも詩の方に寄ってきたのかな。
昔は小説ぐらい説明したかったから、いろんな言葉で。
それがちょっと変わってきたかなと思って。
そこが熊谷さん面白いところで、最初の方にも言っていたけど、
私のイメージだとダンスをする人とか踊る人って、
もっと身体のところで生きてるのかなって思ってたんですけど、
特に熊谷さんはそうなんだと思うんですけど、
言葉で説明することを重視している。
最初の話だと何が言葉である必然性があって、
何が踊りである必然性があるかって話だと思うんですけど、
そこをすごく意図的に考えているなと思ったんですよね。
自分の記憶とか体験を体を使って再現することがすごく好きなのね。
偶然起こることは自分の生活の中にたくさんあるけど、
偶然起こったことがなぜ自分がダンスに感じたのかっていうのは、
文章には書けなくても自分の中ではある程度整理できないと
再現性がないことになってしまうので。
そうか。なるほど。再現っていうことを考えると、文字とか文章とか言葉が便利な。
結局その作品の中では文章とか言葉は使われない作品だったとしても、
それを再現することを自分なり、あとキャストに伝えるときには結構膨大な量の言葉を投げかけて、
そこで踊ってもらっているから、そういう意味では僕のスタイルでは必要なんだと思う。
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あとそれが好きだからそういうスタイルになったっていうのもきっとあると思う。
言葉も嫌いじゃないので。
使いますね、言葉。
もともとは一世尾形さんとか、一世尾形さんは一人芝居のパイオニアだけども、
一世尾形さんとかがすごいかっこいいなと思う小学生だったんだよね。
だから踊りで悩んだときも、一世尾形さんが踊ったらみたいな人になろうかなと思って、
最初一人で言葉を書いて、踊ってみたいなのをやり始めて。
でもしばらくして気づいたのは、一世尾形はすでに踊っていたってことに気づいて。
そうですよね。
あの人も踊っていた。だからあの人が踊ったバージョンなんてないんだと思って。
知らなかったからできたけど。
踊っているじゃん、と思った瞬間にまたちょっとその夢も違う方向になっちゃって。
違う方向になったんですね。
それはあの人もすでに踊っているってことを認めた中で、
でもこんなに膨大に言葉を発するようになってしまった自分が、
どうしたらまた黙って踊りを始めるのかっていうことにだいぶ向き合った気がする。
そういえば。
それはいくつぐらいの時ですか?
でも本当にこの3、4年とかだと思う。
もう自分で作品を発表するようになってからもう言葉がすごく多かったし、
からだいぶ意識的に言葉を減らした時期もあったし、
今はなんか自分の中ではそんなに無理のないバランスにはなってきたけども、
やっとまた踊りを再開している感じがしますよ、僕の中では。
面白いタイミングですね。
そう、そうなタイミングですね。
でもね、もともと僕にこの話をしてくれた時も言ってましたよね、
自分が文章でアウトプットする、仕事上そうだと思うんだけど、
それを体でアウトプットしてみようと思ったというのは。
そうなんですよ。
文章もまだまだ自分ももっと専念させていけるというか、
ちゃんと遠くにまで届く文章を書けるようになりたいなと思っているし、
そういうトライはしているんですけど、
これは文章を読んだり書いたりするだけだと、
もうちょっと次に行けないなって感じだったんですよ。
それだけこそすごいいろんな素晴らしい文章があったりとかするんですけど、
書く機会もあるんですけど、
なんかこれ以上自分の文体が変化していくような感覚がなくて、
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それって何だろうって思った時に、
自分が身体で視覚していることがあまりに小さいというか狭いというか、
限られてしまっているから、
それをもっとストレッチすることができると、
書けることとか感じられることが変わってくるだろうなっていう何となく予感があって、
始めたところがあった。
それで2回目ぐらいの一緒にやってるときに、
肋骨を開くと外のことがわかるようになるということを教えてくださって、
まさにそういうことをやりたかったというか、
世界に対して肋骨を開いていくことをどうやってやればいいのかっていうのを
身体を通してやったらいいんだなっていうことがちょっとわかってきましたね。
でもなんか僕、たくさんではなく、
この前ちょっと本の中での文章を読んだじゃないですか、
文章ってやっぱりその人の身体性がしっかり現れるなって思っていて、
なんか深呼吸したときにどこまで手が伸びる人なのかとか、
ふって振り向いたときにどれぐらいの角度で振り向く人なのかみたいなのが、
狭いのがいいとか悪いとかそんなことじゃなくて、
ただ文章にそれが出るんだなってすごく感じたの。
僕、先に一緒に踊りのことを取り組んでから文章を読んだから余計かもしれないけども、
文章を読んでるのにすごい水上さんの体が思い出されたというか、身体性が。
そういうのが面白いなと思って。
ちなみにどんな感じを得たんですか?
言葉にするのは難しいんだけど。
でもすごく距離というか、
さっき振り向くったけど首が動くとか、上を見るとかっていうことの
可動域をすごく文章に感じて。
もっと可動域がある場合は、
今起こっていることのスポットのあてる場所みたいなのが変わってくるんじゃないかなと思っていて。
割とゆっくり振り幅が小さく動くでしょ。
だからこそ発見してピックアップして書いてる文章とか、
このことに対してはそこまで行くんだとか、
ここはサラッとしてるなとかっていうのが全て身体性と合っていたというか。
角度かな。身体が動いていく角度みたいなところに。
なるほど。
文章を書くにもそこに物事が落ちてるからそのことについて書くわけだと思う。
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だから一つのシークレンスでそこから次に移るっていうところの振り幅が
少ない分細やかだったっていうか。
大きくなると広くなるかもしれないけど、
もしかしたら今までピックアップしてたところじゃないところだし、
ピックアップしてたところはもしかしたら通り過ぎるポイントになってしまうのかもしれないけども。
それはすごい面白い体験だったなと。
その人の踊りを見てから文章を読むっていうのを。
確かに。
あんまり意識してなかったけどそういうことになってたんだなと思って。
そうですよね。踊りを見てもまとまった文章をその人のものを見ることってあんまりないでしょうからね。
僕は、よく映画とかだったらね、小説を先に書いてから脚本を書いて監督をする監督もいらっしゃるからあれだけども。
映画と文章も別物ではあるけども近しいものはあるから。
ちょっと踊ってもらった人の文を読むって面白いですよね。
なるほどね。
確かにそういう意味では今度、一応日付が今度6月に決まったんですけど、
今日の私のダンスの講演を見に来る人にとっては同じことができるってことですね。
そうそうそう、そうですよ。その体現ができる。
踊りを体を使ってパワーモーションをするようになった人がどういう風に文章が変わっていくのかっていうのは、長いスパンで見れるっていうことになるでしょうね。
確かに確かに。
そうですね。
でも絶対変わるだろうな。
変わりますかね。
今年の1月に僕は三島由紀夫の近代能楽集を舞台にしたバレエの舞台に出て、
僕は踊りはバレエではないから踊りはするんだけども三島由紀夫が書いた戯曲を永遠とそのシーンで2人で会話してたとしても僕1人がずっと喋り続けるっていう舞台に出て、
必死で覚えたんですけど三島由紀夫の言葉を必死で喋ったおかげで本当にちゃんと踊ろうと思ったっていうか、
言葉もまだ好きだから使っていくだろうけども三島由紀夫の言葉は強かったですね。
強かったからそれを言葉で発して舞台上に立ってみて、なんか不思議と思う。黙って踊ろうと思った。
黙って踊ろうと思った。
あまりにもすごい言葉の力を見たから。
そうそうそうそれはありますね。
あとやっぱり演劇の舞台とか出させてもらうことがちょいちょいあるけどその時やっぱり俳優さんと言葉でやりとりした時の俳優さんの言葉の強さみたいなのもまた一つ感じて、
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それはそれでまた喋るのやめようと思わないけど踊り頑張ろうと思う一つの要因になるし面白いなと思った。
さっき言ってたけど文章じゃないところに行ってまた文章に戻ろうみたいなことと似てるのかもしれないなと。
そうですね。
そうですよね。結局自分がそれで長いことやってきたっていうところは変わらないわけですから。
なるほどね。面白いな。
そういうたまたまというか面白い時期ですね。
いいですね。
なんかでもちょっとこのポッドキャストもしシリーズ化するとしたら、
次は熊谷さんがなんで踊るようになったのかって話をちょっと聞きたいですね。
嬉しいですね。
今の話を多分聞くとなんでこの人はじゃあ踊りに戻っていくんだろうって気になってるのも。
そもそもなんでダンス始めちゃったんだろう。そんな人がみたいになるでしょ。
本当だよ。
気になってる気がするので聞いてる人は次回はそういう話をちょっと聞けたらいいかなと思いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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