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2026-02-16 35:38

耳毒酔いどれ帰宅Live〜愛のカタチ〜


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サマリー

この放送は、鹿児島から東京へ帰る友人を見送る送別会からの帰り道、ライブ配信をしながら歩く配信者の様子を記録したものです。配信者は、夜の天文館の通りを歩きながら、キャッチに声をかけられないように注意しつつ、リスナーとの交流を図ります。その後、自身の「愛の形」についての考察を深めます。幼少期に母親からの愛情が不足していたと感じ、それが自己肯定感の低さや人間関係での否定的な経験につながったと分析します。しかし、母親の行動は愛情ゆえの心配であり、自身の受け取り方の問題であったと結論づけます。また、自身が「人に心配されやすい性質」を持っていることに気づき、それが他者からの「愛の形」として現れていると考察します。後半では、国家公務員の副業一部解禁に関する情報に触れ、自身の活動が認められる可能性について言及し、行政機関への応募についても語ります。最終的に、自身の特性と他者からの愛情表現のズレについて考察し、家に到着したところで配信を終えます。

天文館からの帰り道、ライブ配信開始
はい、こんばんは。耳毒ラジオです。
今日はですね、15年ほど前に盛り上がっていた界隈の人が鹿児島から東京に
この人もともと東京の人なんで、東京に帰るということで送別会をやりました。
場所は鹿児島の繁華街天文館でございまして。
今ちょうど天文館の一番怪しい危険な通りを通っておりますので、
ちょうどライブしながらもしもしスタイルで歩かないとキャッチに声をかけられるからめんどくさいなと思って
ちょうどいいや、ライブしようということで立ち上げております。
ちょっと双剣の声が聞こえているかと思いますが、
でもさすがに日曜日のこの時間なんで人は全然いないですね。
スーツの兄さんとかが立ってキョロキョロしておりますね。
あと50メートル、この通りを抜ければ
ここからかなり無料案内所がひしめく地帯を通ってまいりますが
もしもしスタイルでいればこれはかけられないレッスンじゃないかなと思ってますが
やっぱり声かけられないですね。
多分手ぶらで歩いてたら
お兄さんこんなんどうですか?女の子いますけどどうですか?って
ガンガン声かけられると思うんですけど
うまいことスルーできております。ご協力ありがとうございます。
ということで、今耳に当ててるんでね
ちょっと画面を見てみたら地図アプリが開いてました。
全く画面は見えておりませんでした。
今一人背の高い怖いお兄さんが近づいてきました。
スッと通り過ぎてきました。
電話をしてる感じだと安全ですね。
ちょっと落としました。
ということで、一番キャッチのお兄さんたちがひしめく通りをなんとか進みましたので
今からゆっくり気をつく歩きで行きたいと思います。
今ね中央公園というところですが
ここは天文館公園だった。
天文館公園は若い子がいますね。
そりゃそれで怖いな。
オーバーエースを頑張っている人もいますね。
こんなこんなで、ぼちぼち実況をしながらですけど
耳に当ててるんで、どうしても地図アプリが勝手に開いちゃうな。
ちょっと耳から話していきましょうか。
さて、今日せっかくなんで何の喋りしようかな。
こんな時間にさすがにライブに来る人もいないんでしょうけどね。
アーカイブ用に喋りたい話がいっぱいあるのにいざ喋ろうと思うと出てこないな。
前からしたかった話しようかな。
愛の形っていう話しましょうか。
自分自身のことなんですけど
何だろうな。
「愛の形」についての考察:幼少期の経験と自己分析
自分って常に人からの愛を求めてるなっていうのを感じた時が
気づいたことがあって、気づいた時期があって
30代40代くらいかな。
何で自分はこういうことをしたいんだろうとか
こういうことは嫌だ、こういうことはしたい、こういうのが嬉しいなとか
この先どういう人生が自分は楽しいと思えるんだろうっていうのを
その頃に考えたりすることが多くて
その時に自分の生きるモチベーションのメインは
自分のひねくれた部分とかが何でこうなるのかなって思ったときに
結局、愛に対する枯渇みたいなものがあるなって感じたんですよね。
その頃に過去を改めて振り返って子どもの頃のことを振り返ったりして
母親からの愛が足りてなかったんじゃないかなっていうことを思ったんですよ。
うちの母親は結構ダメダメを言う母親で
あれをしたい、これをしたいとか言ったら無理、無理だから無理なんだ、無理じゃないとか
今はまだ早いとかどうせできないでしょとかいう感じのタイプの母親だったんですよね。
愛の枯渇というか認めてもらえないみたいな
自分がやりたいことを認めてもらえない
自分がいいと思うことを認めてもらえないという思いをずっと抱えてたんじゃないかなって思うんですよ。
なんかやっぱり常に否定されるなっていうね
自分の考え否定されるっていう思いをずっと抱えてたような気がします。
その原因は、母親に何かやろうと思えば咎められる。
母親からすれば、長男はすごく奔放で、暴れん坊で、
時期が時期になればちょっともうぐれちゃったりして、
中学校の時は悪グループの5人のうちの一人みたいな感じで、
うちの兄貴は有名だったんですけど、
お前その弟かっていうのでちょっとこう因縁つけられるということもあったりするぐらい
そういう兄貴だったんですけど
それに比べて僕自身は体が弱くて、体が小さくて体が弱くて
生まれたときから未熟児、いわゆる未熟児みたいなやつ
こういう危機に入れられてしばらく過ごさないといけないみたいな
そういう生まれから始まって、前足もちだったり、鼻が悪かったり
先生、骨海はどこですか?
骨海、ちょっとピンとこないなぁ
通りで言うと、お海ね
船、船
船、シップ
はい、シップ
港、何、どこに行く、港
どこ、骨ファミリーマートどこにですか
ファミリーマートはコンビニエンス
船、フェリーのところのコンビニに行きたいの
フェリーね、ちょっと待って地図見えるかな
地図ちょっと待ってね
わかるかどうかわかんないけど
桜島フェリーなの
桜島フェリーね、今これがこれね
これ大きい通りね
で、Cこっちね、方向はこっちね
で、こっちに出たらこっち
の方が、ちょっとまだ距離あるけどね
行けばフェリーとかはある
まあ海に出てスマイルすれば
あとはこっちに行けば間違いない
OK、それでいい?
気をつけてくださいね
こんばんは
どうなったかな
修正さんって方ですか
あーやばい信号がある
今歩きながら行ったら
外人さんに道を聞かれました
骨骨言ってたけど船だったみたいですね
あ、ちなみに自分の道は合ってんのかこれ
あれ、どこだ
人に教えてる場合じゃない
自分の帰り道は合ってた
えーと、どこまで喋ったっけ
母親、そうそうそう
自分が体が弱くて
病院にすごいかかってて
母親は病院で働いてたもんだから
しょっちゅう
母親の働いてる病院に行って
鼻の治療したりとか
小学校日記を見ても
自分はあんま記憶がないんだけど
記憶はないことはないけど
すごい待合とかで
待たされたとか
一人ぼっちで
待合所で過ごすとか
待合所じゃ飽きたらず
外に出て
花壇の土を掘ったり
一人で過ごしていたみたいなね
そういう記憶があるんですけど
病院に行って待たされる
病院は待つところ大嫌いっていうのが
僕の病院の
もともと病院嫌いの原因でもあるんですけど
でも小学校の日記を見る限り
本当に3日に1回ぐらい
病院に行ってたみたいなんですよね
っていう感じで
体が弱い体が悪いっていうので
母親としては
多分すごく心配だったんですよね
特に兄貴に
上の子に比べて
次男はすごく心配
っていうのが
多分物心
僕は物心を作る前の母親にはあって
だんだん心配心配心配を言ってるうちに
自分が
僕自身が物心をついて
自分のやりたいを言い始めたときに
心配が転じて
全部否定になるっていう
多分そういう構造だったと思うんですよね
今思えば
今でも母親は心配症だなって思うことが多いので
という感じで
やっぱりこの幼少期の
母親に十分な愛を
もらえなかったんじゃないかという
自分が認めてもらえないことによって
それがイコール愛が足りない
みたいな風に
一旦理解したんですよね
どれぐらい自分を認めてもらいたい
認めてもらいたいっていうのは
否定をされたくないっていうのが強くて
なんだろうな
その後も会社とか
自分が思いついたアイディアとか
否定されるのがすごく悔しくて
そんな感じですね
で、いたんだが
愛が足りない愛が足りないって
もっと僕を認めてほしいと
理解してほしいと
いうのがずっとあったなと思ったんだけど
これはもう最初にね
言ったようにですね
母親は僕に対して
愛を与えてなかったわけではないんですよね
愛が強いがゆえに
心配性
それが転じて否定につながるっていう
僕自身は
否定されているイコール愛がない
っていう風に受け取ってたけど
妻じゃない
母親は常に僕に愛を与え続けていた
わけですよね
その強さイコール否定だったんであって
結局的には
自分の受け取り方の問題だったんですよ
愛が足りない
愛に対する枯渇がずっと
僕はあるって思ってたのは
勝手に自分がそう受け取ってただけ
周りはむしろ
僕のことをすごく気にかけていた
気にかけていたからこそ
結構スルーされることも多かったけど
スルーされる
スルーされてるっていうのは
興味がそもそも持たない人たち
だからあんま関係ないっちゃ関係ないわけですよ
で興味をね
やっぱ持つ人間関係
友達
もっと強い人間関係として恋人っていうのが
今まで付き合った女性とかも最終的に
僕は嫌になるんですよ
全部否定されるんで
いつの間にか自分のことを
全部否定してくるなっていうことになっちゃって
やっぱりここでも愛が足りない
愛がないんだなっていう風に
受け取る風で
もう耐えられないっていうんで
耐えられないっていうか意味ないみたいに思って
別れるみたいなね
感じが
数人の話なんですけど
そんなたくさんの女性と付き合いしたわけじゃないので
数人なんですが振り返るとそうだなと思って
でもそういった彼女たちも
僕のことはきっと心配だったから
それやめた方がいいんじゃないって
それはうまくいかないと思うよとか
言ってたんだと思うんですよ
まあ言えば今も
いろいろね
付き合いの中で
否定されることが
否定を感じることはありますが
でもそれもほとんどの場合
心配から来てるんですよね
やっぱりよく考えると
っていうことを考えると
僕の特性としては
人に心配される特性っていうのがあるんだなっていうのを
気づいたんですよね
僕は気づきました
僕は人から心配されやすい性質を持っている人間なんだなと
いうことに気づきました
なんでかなって思うと
「心配されやすい性質」と他者からの愛情表現
自分なりにこれかなって思う原因は
とにかくちょっとポジティブ
自分の都合のいいように
物音を捉えすぎる傾向があって
今はそれなりに大人なので
ちょうどバランスのいいところで
コントロールの範疇として
ポジティブシンキングという形で
希望的観測に対して
これいいんじゃない
これうまくいったら完璧じゃないこれ
っていう風にものを言いますけど
多分昔からそうなんでしょうね
これいいんじゃないと思ったことに対して
多分キラキラを出しすぎるんでしょうね
キラキラを出しすぎるから
僕に対して愛を持って接する人は
そんなにキラキラして
100%信じ切ってそんな行動して
失敗したらきっと傷つくよなこの子っていうね
それはちょっとかわいそうだから
ここらで止めといたほうがいいかな
っていうことが多くて
ちょっと待って待って
こういう風に考えたほうがいいんじゃないとか
それはやめたほうがいいんじゃないっていう
いう風に言ってきてたんじゃないかなと
あとはだから受け取り方として
僕自身はその時にまた否定されたって
受け取っていたみたいな
もしかしたらそういうことだったのかもしれない
人ってなんか
持って生まれたものって
すごく強いんじゃないかなと最近思ってて
持って生まれた人を
引きつける魅力っていうのがあったり
カリスマ性があったり
あるいはマイナスな部分ももちろんあって
例えば目が悪い人が
どうしても目つきが悪く見られて
すごいすぐ
何になんでんだと言われて喧嘩売られるとか
そういう特性というか
持って生まれた運命みたいなものが
やっぱあるんだろうなと思うんですよね
最近特にね
僕が背負ってる運命は
人に心配されやすいっていう
運命だったのかもしれないと思って
振り返ってみると愛が足りない
誰も僕のことを理解してくれない
思ってたのは僕が勝手にそう思ってるだけだって
周りにとってみれば
どうしてもこの人心配だなって
また傷つきそうなことを言ってるぞと
失敗したらめちゃ傷つきそうなことをやろうとしてるぞと
ちょっとかわいそうだから止めておかないと
っていうのが生まれた時母親からスタートして
深く親密になればなるほど
そういうふうに言われるようになってきたんじゃないかなと
ということだったんじゃないかなというふうに
今はちょっとそれも一つの説として
十分あり得るなというふうに思っております
つまり愛の形として
愛の形として心配される
心配がするからこそ
止めたくなると
僕が止められることによって自分が否定されると感じて
愛がもらえてないというふうに感じている
同じ動きが
同じ愛が形を変えて
見たり見られたり向かってきたり
自分が受け取ったり
そういうことだったのではないかなと
今思うわけですよ
でもね
じゃあ結局あなたは愛されていたんじゃない
よかったじゃないではならないわけですよ
贅沢じゃないって言われたら贅沢かもしれません
それはそうかもしれませんが
よかったじゃないかどうかって言われると
良くはないんですよ
だって僕は結局ずっと傷ついてきたんで
愛の形を正しく受け取ることができなくて
簡易に正しく受け取ったとしても
自分のやりたいことは全部止められているわけだから
自由じゃないですよ
だから自由にいたいっていう思いが
僕が強いのも多分それなんですよね
自由にやらせてよと
自分自身が
きらきらすげえ100%
明るい未来しか信じていない顔をしているかもしれないけど
失敗したかって思うだけの精神力を
本当は持っているんですけど
でもそういうふうに見られないんだろうなって
この人これで裏切られたらめっちゃへこむんじゃないか
そんな姿は見てられないっていう
心配を与えてしまうような
定めを持っているみたいな話ですね
同じこと言ってるかな
ツバがずっと機関紙に引っかかってるな
渡れないのこれ?渡っちゃおうか
ミエキサックさんこんばんは
ギターは?
もう字がまじで見えない
弾きますかかな
今外なんですよ
歩いてます
天文館から家まで歩いております
普通は天文館で飲み会あったら
帰りはタクシーに乗るんですけどね
最近子供のお送り迎えで歩いてるし
Googleマップで開いたら
投稿35分あったので
35分だったらちょうどライブして
喋ってたら着くじゃんって思って
ライブを立ち上げている次第なので
お外でございます
ギターはないですね
外か
来てくれてありがとうございます
さすがに
今大通りを行ってるんで
さすがに人が来ないから
前から喋ろうと思っていた
愛の形という話をしております
ちょっとダラダラ耳になってますけど
自分の特性が
自分の持っている差が
人に心配させるキャラ
っていう差があって
あるんじゃないかということで
自分に対して愛を向けてくれれば
向けてくれる人であればあるほど
僕のことを止めにかかる
あれやりたいこれやりたいって言うと
そんなうまくいったらかわいそうだから
止めといてあげたほうがいいかなって
それは違うんじゃないかとか
それはやめたほうがいいんじゃないかなとか
そういう風に言われがちの人生を
今まで歩んできたなという風に感じて
それ自体は僕にとっては
やっぱり窮屈なことで
言えば嫌なことで
誰も自分を理解してくれない
誰も自分を愛してくれないと思っていたんだけど
実はその根底には
あゆえの心配あゆえのストップ
あゆえの否定だったのではないかなと
いう話をしました
同じことを今多分3回言って申し訳ないです
アーカイブに聞いてる方がいたら申し訳ないです
でもちょっと伝わりにくい話だなと思うんで
どうなのかな伝わるかな
はい今ね
大月川という橋の上です
めちゃくちゃ引き潮じゃん
川の水が全然ないわ
ここからはですね
桜島がどーんと正面に見える
非常に景観のいいところなんですが
残念ながらここからね
スマホで写真を撮ってお見せしたいところですが
今夜なので何も見えません
真っ暗です
星は出てるなぁ
でも僕は生まれ育った
実家のある大月川の街に比べると
やっぱこの辺は明るいですね
この時間点で
ということで愛の形という話
大体終わりましたが
まだつかない
あーつかないはずだ
25分だもん
あと10分はかかる
見るからに8分くらいつきそうだけど
続きましてのお話
国家公務員の副業解禁と自身の活動への影響
現状を話しましょうか
就職活動の話しましょうか
いつだったかな
11日
そうだ12日
面接の話したな
面接の話したな
ここから先の話をしようとすると
ちょっとよろしくないかなと思って
喋らないでおこうと思ったんです
そうだ
タンさんがコメントを
くれてたんですけど
副業禁止について
2026年の4月から
国家公務員に対する副業の一部解禁
国家公務員に対する副業の一部解禁
っていうことらしいですよって
パンさんがコメント欄で教えてくれたんですけど
パンさんがコメント欄で教えてくれたんですけど
そうなんだと思って
これについて調べてみました
この内容が
一部解禁ってどういうことかっていうと
こういう活動は
こういう活動で
就業を得ても
その副業はOKですよっていう
項目がいくつか設定されたよみたいな話ですね
それは何かっていうと
文化芸術に関する活動
文化芸術に関する活動
ごめんなさい
ちゃんと見れば正しい言葉あると思うんですけど
僕がバーっと読んで
今頭の中に記憶の中に
こう理解したっていう話でしゃべっちゃってるんですけど
文化芸術に関する活動みたいなので
僕としては単純に
アート活動で収入を得た場合は
それに対しての
それはOKだよっていう
ことらしいですね
もう一つは
地域の貢献
社会貢献につながる活動
これはどっちだったかな
芸術文化に対する
社会貢献につながる活動だったかな
そこにくくり合わなかったかな
ちょっとそこは忘れちゃったんですけど
だからそういう
講演会でしゃべるとかね
そういうのは
OKになるんですよっていう話ですね
ということは
これはもしかして
僕の活動はいけんじゃないかなと
いう話なんですよ
GPDにこの辺
じゃあ私の活動は認められるものになりますかね
当たりますかねって聞いたところ
いくつか可能性と答えますみたいな感じで
まずイラストの教室
これは多分ダメでしょと
っていうのはアート活動による収入
みたいなんですけどどっちかというと
塾とかそういう部類に入るので
っていうのは定期収入につながる
活動になりますよね
塾を集めて毎月
教室開いてという風に
毎月毎月の言えば月給みたいな感じで
定期収入に当たるとこれは
副業というより事業とみなされる
職業って活動かな
芸術文化に関する活動というよりは
これはもう事業でしょうってみなされるので
これはできないと思いますよと
講師その代わり
単発のイベントで
イラストを教えるとか
依頼された講師の業務とかで
お金をもらうとかは大丈夫ですと
僕具体的に言うと小学校の
PDAとか関係の
障害学習みたいなのの関係で
イラストの講座を
夏休みの講座とかやったんですけど
あれで報酬をもらう分には
全然OKってことですよね
小学校でしかもしゃべってるんで
社会的な域もあるんで
そうなんですよ
今僕が言ってるB型支援施設に
月2回の講座っていうのを
技能指導員としてやってるんですけど
これも
社会福祉の施設に対しての
活動であれば
定期就任になったとしても
十分社会貢献活動と認められそうだな
福祉に関して何かやってるっていうのは
それだけでそう取られそうだな
これはもういけそうですと
ちょっと待って
僕は国家公務員になれるんですか
国家公務員法の改正の話ですよね
福祉はOKでいいや
その前に国家公務員になるんかいって話なんですけど
ならないですね
ならないんですが
国家公務員が働いている
行政の
ところで
働く場合は
大体こういうのって
そこの職員の
法律に準ずるってなるんですよ
実際僕前に市営バスで働いてた時は
契約社員で正職員ではなかったんだけども
市の正職員のルールに準ずる
地方
話途中だけど回転しちゃった
地方公務員法か
地方公務員法に
定められる地方公務員
そのルールに準ずるっていうのが
そこで働く正職員以外の人のルールっていう
基本になるんですよね
基本だから結構その場その場
その組織組織で変わることがあるんですけど
だから
国の運営する行政機関で
契約社員なりアルバイトなりで入ると
それは正職員のルールに準ずる
もちろん正職員よりも
緩い可能性の方が高いって考えると
もしそういう施設に
行政機関に
契約社員でもいいんで派遣社員でもいいんで
携わるようになるとこれは
行政関係のそれなりの
地方で言えばやっぱり給料高いんでね
地方で言えばですよ
都会は多分民間の方が高いんでしょうけど
地方では高いと言われる地方公務員
公務員並の待遇になりながら
並にはならないけど
一回待遇でありながら
国の行政関係だったら
この副業規定の中で
僕が今やってる活動は結構認められる可能性があると
そういうふうに思って
これは良い情報だったなと感じました
実は正直言うと一つは
そういうところに応募しているんですね
私は
もしかしたら
ここを受かったら一番いいんじゃないかなと思ってますね
国の管轄する行政機関の
補助委員という感じで
補助委員としての募集に応募しております
ここだったら
この副業新しい規定が変わるのに
ちょうど合致すると
素晴らしいじゃないですか
ということで
配信終了、帰宅
自分にとって都合のいい希望的観測ばっかりを
嬉しそうに僕が喋るもんだから
周りがそんな期待して大丈夫か
っていうことで
心配のあまり否定的な意見を言われやすい
そういう感じの
愛の形を受ける
そういう宿命なのかなと思ったという
お話でございました
では家に帰りついたので終わりたいと思います
久久さんありがとうございました
ということで終わります
アーカイブお聞きの方いらっしゃいましたら
こちらもありがとうございました
おやすみなさい
35:38

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