#19 趣味まで、頑張らなきゃダメですか?|ポケモンと承認欲求
2026-09-15 17:15

#19 趣味まで、頑張らなきゃダメですか?|ポケモンと承認欲求

好きで始めた趣味なのに、上達や効率、誰かの評価が気になってしまう。
「楽しかった」だけでは、足りなくなったのはいつからだろう。


今回は、ポケモンの冒険や対戦の面白さ、友達や姉と通信ケーブルをつないだ思い出から、趣味と承認欲求について考えます。


勝ちたい。すごいと言われたい。それも、遊びの楽しさ。
でも、楽しみ方を覚えるたびに、楽しむための条件まで増やさなくてもいいのかもしれません。


ポケモンを知らない方も、自分の好きなことを思い浮かべながら聴いてみてください。


最近、何も残らなかったけれど「ただ楽しかった」と思えたのは、どんな時間でしたか?

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サマリー

本エピソードでは、趣味や遊びにおいて「楽しかった」という感情だけでは不十分になってしまう現代人の傾向に焦点を当てる。ポケモンを例に、成長の実感や他者からの承認欲求が遊びにどう影響するかを考察。手段と目的が入れ替わり、結果や評価に囚われて純粋な楽しさを見失いがちな現状を指摘しつつ、効率や成果に縛られず、ただ楽しかったと思える時間を大切にすることの意義を説く。最終的には、効率や知識に頼らず、回り道や無駄を楽しめる大人でありたいというメッセージで締めくくられる。

「楽しかった」だけではダメなのか?
友達と何時間もくだらない話をした帰り道。 何を話してたんか聞かれると、もうほとんど何も覚えてない。
何か解決したわけでも、何か役に立つ情報を得られたわけでもない。 でも楽しかった。また会いたいなって思う。
子供の頃の遊びも、そんな感じやった気がします。 同じことを何回もやって、同じところで笑って、
昨日より上手にできるようになったかなんて確かめへんまま変える。 それやのに大人になると時々自分の時間に効いてしまう。
で、何か残ったん? 何か覚えた?上達した?誰かに見せられるようなものは作れた?
楽しかっただけやったらあかんのですかね。
あなただけのゲートも東風亭ウルフです。 この番組未定で結構は恋愛家族孤独将来のこと
生きていく中でまだ答えの出ていないことや名前のないモヤモヤを少しずつ言葉にして いくポッドキャストです。
うまくまとまってなくて大丈夫。 結論が出てなくても大丈夫。 未定のままで結構です。
例えば旅行の予定を立てる時に、せっかく行くんやったら有名なところは抑えておきたい。 ご飯だって失敗したくない。移動に無駄がないように調べて評判の良いお店を保存しておく。
ところが当日道端の猫が気になってしばらく見てた。 予定になかった喫茶店に入って友達とずっと喋ってた。
そのせいで行こうと思っていたお店を一つ回れなかった。 そういう旅を失敗やったというふうに思うでしょうか。
予定表だけ見れば行きたかった場所のリストだけ見れば未達成。 でも帰ってから何度も思い出すのはその猫やったり喫茶店やったりする。
ちゃんと楽しんだはずやのに予定や結果から考えると未達成項目が残る。 今日はそういう不思議な現象感情について考えてみたいんです。
僕らは一体遊びの中で何を得たいんでしょうか。 それは楽しい時間なんでしょうか。何かを成し遂げたという実感なんでしょうか。
それともすごいねって言ってもらえる自分なんでしょうか。
ポケモンの魅力と遊び方の多様性
こういうことを考えると僕はポケットモンスターというゲームを思い出します。
ポケモンは不思議な生き物たちを仲間にして一緒に旅をするゲームです。
主人公は小さな町を出て草むらに入る。すると野生のポケモンが現れる。 鳥のような子や亀のような子もいる。
電気を出したり炎を吐いたり見つけた子を仲間にして一緒に冒険をする。
仲間が育っていくと新しい技を覚える。進化をして姿が変わる子もいる。
最初は頼りなかった仲間が強い相手にも勝てるようになっていく。
その嬉しさってレベルという筋や強さのパラメーターが上がっただけでは説明しきれないんですよね。
一緒に旅をしてきた子が頼もしくなった嬉しさというのがあるんです。
そしてどの子と一緒に旅をするかっていうのは人によって違う。
単純に強そうだから、かわいいから、なんとなく気になるから。
友達と同じゲームをしているのに隣の画面には自分とは違う仲間がいる。
同じ世界を歩いているのにそれぞれの冒険、物語になるんです。
しかもポケモンの面白さっていうのは旅というゲームだけではありません。
仲間を育てて他の人と対戦をする。
相手の動きを予想してどの技を使うか、どの子を戦わせるかを考える。
単純に強いポケモンや強い技を出し続けていれば勝てるというわけでもなくて、
相性があったり相手が仲間を入れ替えることを呼んだり、
ポケモンっていうのはかわいい生き物、かっこいい生き物たちを連れた頭脳戦という側面もあるんですよね。
さらに細かく見ていくと同じ種類でも能力に違いがあります。
生まれつきの能力差である個体値。
どの能力を鍛えたかに関わるものを努力値。
同じポケモンでも性格が違えば能力の得意不得意にも関係してくる。
つまり同じ種類の子を連れていても、
どんな役割を任せるかどう育てるかで戦い方が変わるんです。
料理なら同じ食材でも何を作るかどう仕上げるかが違うようなもんやと思いますね。
さらに珍しい色の色違いというのを探す楽しみもある。
色が違うだけで強くなるわけじゃないんですけど、
なかなか出会われへん姿に出会う嬉しさがある。
そういうのを集めるのが好きな人、ポケモンを育てるのが好きな人、
作戦を考えるのが好きな人、ランクマッチで勝つのが好きな人、
同じゲームの中でもそれぞれ違うものに夢中になれる、熱くなれる。
そこがポケモンのすごいところだと僕は考えています。
だから僕は勝負に勝ちたいっていう気持ちも、
珍しい子を仲間にしてすごいって認められたい気持ちも、
遊び方の中から追い出す必要はないと思ってます。
承認欲求と楽しみ方のすれ違い
僕強いやんって思ってもらえたら嬉しい。
友達にそれすごいねって言われたらもっと嬉しい。
でもそういった楽しみ方を承認欲求と呼んだ途端に、
なんか急に良くないものみたいになっちゃうのは何でなんでしょうね。
これってね、ゲームに限った話ではないんじゃないでしょうか。
例えば好きな人に料理を褒めてもらいたい。
練習した歌を聴いてもらいたい。
頑張って走った距離を誰かに報告したい。
そういう喜びや楽しみ方もありますよね。
誰かが喜んでくれるっていう結果まで含めて、
自分の楽しみになっている。
それは別に正しくない楽しみ方ではないと、
僕個人は思うところなんです。
僕だって自分の好きなものを他人に見てもらいたい。
これ見てって言いたい瞬間はたくさんあります。
ただ、難しいな。
それがね、どこかで順番が変わることがある気がするんですね。
手段と目的が入れ替わってしまうということがあるんです。
楽しかったから誰かに見せたかった。
誰かに聞いてほしかった。
それがいつの間にか誰かに褒めたたえてもらえないと、
楽しいものやという風に認められなくなる。
例えば、美味しいものを食べに行く。
でも写真が上手に撮られへんかったから、
ちょっとだけ気分が下がる。
料理は美味しかった。
一緒にいた人ともたくさん笑った。
やのにいい写真が残らへんかったから、
その日の評価を一段階下げてしまうみたいな。
SNSでいいねがあんまりつかへんかったから、
楽しかったけどちょっともやもやしちゃうみたいな。
ゲームでも途中までは友達とワイワイ笑いながら遊んでたのに、
最後の方に負けが続くと、
全然おもろくなかったって思うみたいな感じですかね。
さっきまで笑ってた時間はどこへ行ってしまったんでしょうか。
もちろんね、勝つために真剣にやってたなら、
それは悔しくて当然です。
悔しいから練習して、次に勝てた時はもっと嬉しい。
その長い流れごと楽しんでる人だっている。
だから、やっぱり負けて落ち込んだら間違い、
ということでもないと僕は思います。
原点回帰:ケーブルで繋いだ思い出
だからね、僕はたまに自分に聞いてみるんです。
今日は何をしたくてこの遊びを始めたんやっけ。
勝負がしたかったのか。
誰かと遊びたかったのか。
知らないものを見つけたかったのか。
その答えによって、
今日の遊びの時間の見え方は変わる気がします。
僕には忘れたくない遊びの記憶というのがあります。
それは友達や姉とゲームボーイの通信ケーブルを
繋いだ日のことです。
昔はゲーム機動章を一本のケーブルで繋いでいました。
そうすると自分が捕まえたポケモンと
相手のポケモンを交換することができる。
それぞれの仲間で対戦することもできる。
一人で歩いてきた冒険の道のりが
隣にいる人の冒険の道のりと繋がることができる。
あの感じが好きだったんです。
自分の知らへん時間の中で
相手も僕と違う旅をしていた。
違うポケモンを捕まえて
違う仲間を育てていた。
画面を見せ合うだけで
話すことが自然と生まれてくる。
ただのデータのやり取りなのに、
その裏には確かに相手が遊んできた
時間が存在しているんです。
当時の僕だってきっと勝負したら
勝ちたいという気持ちはあったと思います。
強いポケモンやかわいいポケモンを
相手に見てもらいたいという気持ちもあったと思います。
でも、今当時のことを思い出す時に
僕の中に残っているのは
負けて悔しかった、勝って嬉しかった
みたいな記憶じゃなくて
友達とか姉とケーブルを繋いで
これから何が起きるのかを楽しみにしていた
そのワクワクなんですよね。
誰が一番強いかを決めることと同じくらい
一緒に遊ぶということ自体が嬉しかったんです。
知らないポケモンに出会ったら
それだけで話したくなる。
何かが起きそうな場所へ行くだけで楽しみになる。
僕はそういう感覚を今でも大切にしたいんです。
子供の頃は良かった、大人になるとダメだ
みたいな話じゃないんです。
今やから分かる戦略もある。
知識が増えたから味わえる面白さもある。
でも、新しい楽しみ方を覚えるたびに
昔の楽しみ方とお別れをする必要もないと思うんですね。
楽しみ方の条件が増えることへの疑問
インターネットではどのポケモンが強いかを
簡単に調べれるようになっても
この子好きやなーで選ぶ余裕みたいなものを
自分の中に残しておいてもいいと思うんです。
それと同じように写真の撮り方を覚えても
写真撮らずに眺めてるだけの日があったっていいやん。
上手い人の演奏が分かるようになったとしても
自分の鼻歌で機嫌が良くなる時間だってあっていいやん。
楽しみが増えるはずやったのに
楽しむ条件ばかりが増えてしまったら
それってちょっと寂しいと思いませんか?
僕は寂しいです。
ここにレイトしてあげたゲームや写真、
音楽が好きになったばかりの頃の自分が
今いろんなことが分かるようになって
自分と出会うことができたら
すごいね、そんなことも分かるようになったんやって
喜んでくれるんでしょうか。
それとも、なんか効率とか色々意識しないと
楽しめなくなっちゃったんだねっていう風に
遠慮してしまうでしょうか。
僕は何も意識してない、何の知識もない頃の自分にも
とりあえず一緒にやってみようよと
言ってあげられるような大人でいたいなと思うんです。
効率が悪くても、知識がなくても、どんくさくても
そんな相手や自分とも一緒に回り道を楽しめる大人でありたいんです。
しかしですね、ここで僕の仕事への取り組み方を考えると
仕事と遊びの効率性の矛盾
ちょっとだけ違和感が残るんですよね。
というのは、僕は仕事や家事に対しては
ものすごく効率を求めます。
基本的に合理的でありたいです。
作業を早く終わらせたいし、余計な手間を減らしたいです。
でも、遊びでは寄り道をしたい。
これって矛盾してる感じしません?
仕事も家事もちょっとした回り道を見つけることで
ちょっとしたゲーム感覚で取り組んだ方が
僕みたいな人の場合楽しめそうな気がするんですよね。
でも、実際の僕はそんな風には思えないんですよ。
それは何でかというと、早く終わらせた先に
僕にとっての本当に価値のある楽しみがあると思ってるから
早く終わらせたいんです。
当たり前ですけど、世の中には僕の知らへん
面白いものがまだまだ大量にあると思ってます。
やりたいことかてある。会いに行きたい人もおる。
だから、作業を手早く済ませてそっちに時間を注ぎたい。
やらなあかんことを楽しみながら進める余裕っていうのは
僕の中にはないんですよね。
効率よく仕事をさばけたらもう一つ仕事を入れられる。
もちろんそういうのも大事です。
でも、効率よく動けたから今日は少し長く遊べる。
そういう使い方だってあるはずなんですよね。
せっかく空いた時間まで何か役に立つものをしなきゃ
何か残さなきゃと埋めなくてもいい。
夕飯の後に少しだけ時間ができた。
そこで好きなゲームを始める。
読みかけの本を開く。
誰かに電話をしてどうでもいい話をする。
そういった時間の後に何かが残っていなくても
完成してなくてもいい。
なんにも残ってなくていい。覚えてなくていい。
だって僕はその何も残らへん時間のために
作業を早く片付けたんかもしれへんから。
子供の頃は遊ぶために宿題を急いでやった人
っていうのがいると思います。
あの時は宿題を早く終わらせたからといって
自分でもう一冊ドリルを追加したりはしなかったと思うんですよ。
でも大人になるとなぜかそういうことをしてしまう。
早く終わったな。じゃあもう一件だけ進めておこうか。
余裕ができたな。じゃあもうちょっとだけ頑張ろう。
もちろんそういうことをしなきゃいけない日だってあります。
毎日好きなだけ遊べるほど生活っていうのは簡単でもないです。
だからこそたまにできた余白くらい
楽しみがある自分に手を足してあげたい。
その余白は自由に使っていいんです。
勝つために使ったっていいし、
誰かに認めてもらうために使ってもいいし、
何の記録も残らへん時間のために使ってもいい。
僕は知らないものに出会って
「楽しかった」という感情を未来へ
何じゃこれって言ってる時間をもう少し大切にしたい。
誰かと一緒に面白いねって笑ってる時間も残しておきたい。
通信ケーブルはもう使わへんくなったとしても、
当時楽しみにしてた言葉にできへん感情までは
なくなったわけじゃないと思うから。
最後まで聞いてくださった皆さんに一つだけ質問です。
最近純粋にただ楽しかった。
何も残ってないけど楽しかったと思えたのはどんな時間でしたか?
何を話したかは全然覚えてないおしゃべりでも、
予定通りに進まへんかった散歩でも、
負けたけどよく笑ったゲームでも、
何でもいいと思います。
そういったものがもし一つでも思い浮かべられたら、
次に少し時間が空いたときに
またそういう時間を作ってみてもいいのかもしれません。
その時間はあなたの人生において
この先何の役にも立たへんかもしれへん。
でもその日の夜、寝る前に
今日はいい一日やったっていう風に思いながら眠れたら、
きっと明日も何か面白いことがあるはずっていう風に思えるんやったら、
そういう時間があってもいいんじゃないでしょうか。
僕は楽しかった。
その感情だけ持って未来へ進んでいこうと思います。
実際問題、その楽しかったという感情、思い出が
もっと遠い未来で何かを残してくれるかもしれへんし、
相変わらず何も残らへんかもしれへん。
それは未定のままでいいんです。
だってこの番組は未定で結構ですから。
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