#18 人が離れると、自分が悪いと思ってしまう
2026-09-08 13:55

#18 人が離れると、自分が悪いと思ってしまう

人が離れるたび、「私の何が悪かったんだろう」と自分を責めてしまうあなたへ。


「枠が変わった」と言われた夜。

みんなと話そうと始めた配信に、その言葉を伝えた本人は来てくれませんでした。


事情があったのかもしれない。

それでも、頭で理解することと、傷つかないことは別でした。


恋愛、友人関係、かつての居場所。

大切な人との距離が変わると、なぜ自分の価値まで下がったように感じるのか。

配信での実体験と心理学を手がかりに、

人間関係の変化、自己否定、

そして「続かなかった関係は失敗なのか」を考えます。


今はもう会わない誰かとの、あってよかった時間。
聴き終えて一つ浮かんだら、よければコメントで教えてください。

名前を伏せて、短い一場面だけでも。


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サマリー

このエピソードでは、人間関係で人が離れていくたびに「自分が悪かったのでは」と自己否定してしまう心理に焦点を当てています。ライブ配信での実体験を交えながら、関係が終わることは必ずしも失敗ではなく、その時間や経験が自分を成長させ、救ってくれた側面もあることを心理学的な視点も交えて解説します。過去の関係を失敗と捉えず、現在いる人々との関係を大切にしながら、未来へ進むことの重要性を説いています。

関係の変化と離れていく人
昔のあなたが好きでした。 少し前、僕のライブ配信を長く見てくれていた人から、そう言われました。
以前はひたむきに頑張っている姿が見られるライブだった。 それが、今は男とイチャイチャしているライブになった。
正直その言葉を全部違うとは言えませんでした。 もっと新しい人に来てほしい。もっと応援してもらいたい。
バトルにも勝ちたいし、配信者として上へ上がりたい。 そのために自分なりに考えて変えたことが、ずっと見てくれていた人には、好きだった場所を壊されたというふうに見えていたのかもしれない。
その人に自分の考えや思いを伝えた結果、彼はさりぎわに少し言い過ぎたかもしれないと言ってくれました。
でも、言葉って撤回されたら元あった場所へ戻っていくわけじゃないんですよね。 配信が変わった、ではなく、私が好きだったあなたはもういない。ここにもう来たいと思えない。
そんなふうに聞こえていました。 僕はその翌日の配信で、オープンチャットに色々話したいことがありますと書いてから配信をつけました。
言われたことから逃げずに、みんなと話そうと思ったんです。 でも、その言葉を投げかけてくれた人は現れませんでした。
もしかしたら事情があったのかもしれない。都合が悪かっただけかもしれない。 もちろん来ない自由だってある。
それでも、その時の僕は一瞬だけ思ってしまいました。 この言葉を受け止めて、悩んで、説明をして、枠を立て直すのは僕一人でやらなあかんね。
話し合うための椅子を二つ用意したつもりなのに、そこに座っていたのは僕だけでした。 その夜、画面に並ぶ名前を見ながら、僕はやっぱり一つの空席ばかりを探していました。
僕はもう選ばれなくなったんや。
失われた関係と自己価値
毎日のように会う。仕事が終わったら来てくれる。 眠る前に顔を出してくれる。
昨日あったことを話して、くだらないことで笑って、時にはこちらが落ちている時には励ましてくれる。
画面越しではあるけれど、一緒に過ごした時間まで偽物だったという風には僕は思っていません。 だからこそ、来なくなる人がいると寂しい。
視聴者が一人減ったっていう数字の上での話ではないんです。 昨日までそこにおった人が突然いなくなる。
昨日まですぐそこにあったはずの関係の温度が少しずつ消えていく。
もちろん見る場所を選ぶのはその人の自由です。 ただそれを頭ではわかっていても、わかることと痛くないことっていうのは別なんですよね。
人にはどこかに属していたい、誰かと安定した関係を持ちたいという欲求があると言われています。
心理学には自尊心を自分の価値を測る通知表ではなく、周囲から受け入れられているかを知らせるメーターのようなものとして考える説があります。
誰かが笑ってくれた。 今日も会いに来てくれた。 誰かが必要としてくれた。
そんな時メーターは上がるそうです。 逆に返事が来なくなった。
自分ではない誰かを選んだ。 いつもいた人が来なくなった。
人が離れた時自分の価値まで下がったように感じるのは、心が絶の気配に敏感やからなんかもしれません。
しかも配信にはちょっとだけ残酷なところがあります。
人がいるかいないか。 来たか来なかったか。 数字が伸びたか落ちたか。
普通の人間関係なら合間なまましておける変化が配信では目に見えてしまう。
空石に毎日スポットライトが当たっているようなものです。
だから僕はその空石を見るたびに理由を探します。
僕の何があかんかったんやろ。 どうすれば引き止められたんやろ。
中には本当に反省せなあかんようなこともあります。
例えば上を目指すあまり目の前にいる人の気持ちは置き去りにしていなかったか。
結果や数字に夢中になって一緒に楽しむ場所じゃなく一緒に頑張らなければいけない場所にしていなかったか。
新しい人に来てほしくてずっとすぐそばにいてくれた人を安心させる努力を怠っていなかったか。
変わることには責任がある。
夢を追うことを免罪符にして誰かを雑に扱っていいわけではない。
ただ、反省することと自分の存在すべてに不合格を出すことっていうのはちょっと違います。
自己否定の罠と希望
しかしですね、僕はこれをよく混同してしまいます。
一人が来なくなった。だから僕は人に飽きられる人間なんや。
僕は大切にされへん人間なんや。
僕には人をつなぎ止めておく魅力がないんや。
そこまで話を大きくしてしまう。
一人で反省会をしてたはずやのに、いつの間にか自己否定の判決を出している。
でも一人の不在に自分の人生全部を証言させるのはさすがに荷が重すぎます。
それでも自分が悪かったと考えてしまうのは、もしかするとその方がまだ希望を見出すことができるからかもしれません。
なぜって言うと、自分のせいやったら自分が変われば取り戻せる。
あの時違う言葉を選んでいたら、もっと面白い配信ができていたら、もっと優しくできていたら、
そう考えている間だけ、過去にはまだ別の結末があったような気がします。
きとめられなかった自分を責めることは、時にもう変えられへん現実と向き合わないための最後の抵抗なのかもしれません。
だって、ほんまは怖いんです。
どれだけ大切にしたって離れる人はいる。
どれだけ楽しい時間を過ごしたって関係の温度は変わる。
こちらに落ち度がなくても、人には人の生活があって、人生の季節が変われば居場所も変わる。
それを認めるっていうことは、全部はコントロールできませんと認めることやから。
だったら自分が悪かったことにした方が、また世界には法則があるように思える。
努力すれば誰も離れへん。正しく振る舞えばずっと選ばれる。
しかしですね、たぶんそんな約束はどこにもないんですよね。
関係の終わりは失敗ではない
始めたばかりの頃と少し先へ進んだ今では、見ている景色も、欲しいものも、守りたいものも変わる。
その変化を成長と呼ぶ人もいれば、前の方が良かったと感じる人もいる。
そのどちらもが間違いとは言い切れません。
昔の僕を好きでいてくれた人が、今の僕のことを合わないと感じることもある。
逆に今の僕やから出会って上手くいってる人もいる。
たぶん前へ進むというのは、全員を同じ場所へ同じ歩幅で連れていくことではないんです。
一緒に歩いていける道の長さが、距離が、人によって違うと知ることなのかもしれません。
ここでずっと引っかかっていた問いがあります。
関係を続けられなかった。繋ぎ止めておけなかった。果たしてそれは失敗になるんでしょうか。
毎日話していた友達といつからか連絡を取らなくなった。将来を考えた恋人と別々の道を歩くことになった。
大好きだった仕事を辞めた。居心地の良かった場所にもう自分の席がない。
終わってしまった後、僕らはその関係の価値まで遡って消そうとします。
彼氏と別れた時に写真や思い出まで全て消すのとちょっと似てますよね。
どうせ離れるなら出会わなければよかった。ほんまに大切なら今も続いてるはずや。
終わったということはどこかで選択を間違えたんや。
でも続いた長さだけで成功かどうかが決まってしまうのであれば、人生で成功と呼べるものは最後に残った一つしかなくなってしまいます。
3ヶ月しか続かなかった恋が自分を救うことだってあったでしょう。
1年だけ働いた場所で一生ものの言葉をかけてもらったことももしかしたらあるかもしれません。
もう会わへんくなった友達と笑った夜が嘘になるわけでもない。
花火は街灯より早く消えます。
だからといって花火が街灯になられへんかった失敗作やっていうふうには誰も言わないでしょう。役割が違うんです。
ずっとそばにおって毎日を照らしてくれる関係もある。
ほんの短い時間だけ真っ暗だった自分の空を照らしてくれるような関係もある。
どちらもその瞬間に光っていたという事実は同じです。
だから離れていった人に対してありがとうって言われへんでもいい。きれいに手放せなくてもいい。
まだ寂しいなら寂しいままでいい。
大切だったものがなくなったんやから痛いのは当然なんです。
ただその人が離れたことを自分には価値がないという証拠にはしたくない。
相手が今の自分を選べへんかったことと自分が誰からも選ばれない人間であることは同義ではありません。
引き止められへんかったことと一緒にいた時間に意味がなかったことももちろん同じではありません。
そして誰かに選ばれなくなったからといって自分まで自分を選ばなくなる必要やってたぶんない。
今いる人々との関係を大切にする
あの夜僕は配信に来てくれた人たちに自分の何が変わってしまったのかどうすればいいと思うかを聞いてみました。
そこで帰ってきたのは今ここに集まっている人たちは今の僕を見て今の僕を好きできているという言葉でした。
これ当たり前のようで僕は全然わかってなかったんです。
来なかった一人のことが気になりすぎて来てくれている人たちを背景にしてしまっていた。
去った人の空席ばかり数えて隣に座ってくれている人の顔をちゃんと見ていなかった。
今いてくれる人は離れた人の代わりではありません。
だからといって誰かが戻ってくるまでのつなぎでもありません。
今の僕を選んでくれた人たちです。
だから僕は昔の配信のメンバーや空気をそのまま取り戻したいわけではないんやと思います。
取り戻したいのはあの頃のメンバーではなく、あの頃にあったみんなで作っているという感覚です。
文化祭や体育祭みたいに僕が旗振りをする、行き先を示す、でも僕一人のステージにはしない。
今ここに来てくれている人たちと今の僕たちなりの場所をもう一度作っていく。
直すべきところは直す。謝るべきことがあるなら謝る。
それでも戻らへん人の背中まで自分の価値を、存在価値を証明するために追い続ける必要はない。
離れた人を無かったことにはせえへん。一緒にいた時間を失敗やったともせえへん。
いつか今いる人たちも離れてしまう日が来るかもしれへん。
あるいは僕の方が先に変わってしまう可能性だってある。
それでも今日一緒に笑えたことまで未来の別れに奪わせる必要はないはずです。
続かなかった関係というのは失敗ではありません。
少なくともその時間に救われた自分がいるなら、
その人と一緒におったから成長できた自分がおるなら、
終わった後もまだこんなに寂しいと思えるほど大切にできたなら、
終わりは僕らの関係に対する判決ではないはずです。
ただ二人で紡いでいた物語がそこでピリオドを打っただけです。
その先に何を書くのかはまだ決まってません。
誰かに選ばれへんかった僕が次に誰と出会うのか、
何を守り何を手放しどんな自分になっていくのかわからへんままでいいんやと思います。
だってこの番組は見ていで結構ですから。
終わった関係への向き合い方
最後にここまで聞いてくれた皆さんにも一つだけ。
今はもう会わへんくなった誰かと過ごした時間で、
それでもあの時間があってよかったと思えるのはどんな場面でしたか?
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