1. 朝焼けラプソディー
  2. 5月3日 AI podcastで取り上げ..
2025-05-03 06:27

5月3日 AI podcastで取り上げてもらえました。(前回の振り返りについて)

Googleすご Listenのタイトルとか概要欄も何も記入したくても自動もらえないかな?

サマリー

今回のエピソードでは、視覚障害を持つリスナーが体験した交通事故に関する記録が取り上げられ、その状況から見える社会的な問題について考察されます。特に、他者の見えない困難を理解し、配慮する想像力の重要性が強調されています。

視覚障害者の体験
はい。今回はですね、あるリスナーの方からいただいた音声記録、朝焼けラプソディーの4月27日の出来事について、ちょっと一緒に考えていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
この記録、misonoさんという方が、日々の体調のこと、特に足首のリハビリについても話されているんですが、
その中で帰宅途中に経験したあるドライバーとの、ちょっとした、いやかなり怖い遭遇について語られていますね。
はい。視覚に障害を持つ方が日常で直面し得る困難の一端が垣間見える記録ですね。
そうなんです。で、まずその時の状況なんですが、火曜日の夕方、足首のリハビリ中で、いつも以上に歩行には気を使っていたと。
うーん。
さらにその日は雨上がりだったそうなんです。道からの音の反響が普段とは違っていたんじゃないかと。この雨上がりっていう環境、これはやっぱり大きいんでしょうか。
ええ、それは非常に大きいですね。視覚からの情報が限られる方にとって、聴覚って周りの状況を知るための生命線とも言えるわけです。
はい。
雨上がりだと音が妙に響いたり、逆に水たまりに吸収されたりして不規則になるんですね。だから普段頼りにしている音の距離感とか、物の位置とか、そういうのが掴みにくくなる。
なるほど、なるほど。
ええ。ですから、スピーカーの方がより慎重にならざるを得ない、そういう状況だったと言えますね。
よりによってそんな状況下で起きたわけですね。店舗の駐車場から出てくる車がいるのは認識していたと。
はい。
それで尺素を前に出しながら確認しつつ進んでいたら、軽くコツンと車体に触れてしまったと。
うーん。そこまでは起こりうる接触かもしれません。
ええ。問題はその後のドライバーの対応ですよね。
そうですね。記録を聞くとスピーカーの方が通り過ぎた後、車が追いかけてきてすぐ真横にピタッと止まったと。
わあ。
そして窓が開いて、テメェさっき車なんかぶつけただろうと。こういう言葉遣いだったそうですね。
テメェですか。それはもう注意とかいうレベルじゃないですね。完全に威嚇ですよね。
ええ。明らかにこれはもう言葉の暴力と言っていいレベルだと思います。
スピーカーの方はもちろん意図的ではないと説明したそうですが、相手は全然納得する様子もなくて。
うーん。
一度車が前に進んだかと思ったら、またすぐスピーカーの前。行く手を押さえるみたいに止まって車体をじろじろ見るような素振りを見せたと。この行動どう見ますか。
うーん。これはかなり疾走というか威圧的ですね。単に接触があったかどうかを確認したいだけなら、最初の停車で話を聞けば済むはずです。
ですよね。
わざわざ追いかけてきて、さらに再度進路を塞ぐように止まるっていうのは、相手を精神的に追い詰めてコントロールしようという意図すら感じてしまいますね。
確かに。
スピーカーの方が刺されるか殴られるかするかもってそこまでの恐怖を感じたというのは、この一連の威圧的な状況全体から来るものだと思います。
実際に手を出されなくても、これはもう深刻な心理的暴力ですよ。
いや、本当にそう思います。スピーカー後自身も後で振り返って、言葉の暴力だった、恐怖だったってはっきり言ってますもんね。
ええ。それでこの出来事と関連して、確かNHKで報道された別の事件についても触れていましたね。
社会的課題への気づき
あ、はい、ありましたね。視覚障害の方が、確かトイレのドアをノックしたら、それを誤解されてしまって暴行を受けたという痛ましい事件でした。
その事件も、今回の件も、根っこには何か共通するものがあるような気がするんですが。
そうですね。あの、NHKの事例だと、確かノックした意図が伝わらなくて、ドアを壊そうとしているんじゃないかみたいに一方的に誤解されてしまったんですよね。
はい。
今回のケースも、その事例も根本にあるのは、やはり見えないこと、あるいは見えにくいことに対する周りの想像力の欠如と言えるんじゃないでしょうか。
想像力の欠如ですか?
ええ。雨上がりで歩きにくい状況とか、尺帳を使って周囲を確認しながら歩くその意味とか、そういう相手の状況を理解しようとしないで、すぐにぶつけられたっていう被害者意識と怒りに直結してしまった。
うーん。
ちょっとした接触が、相手への想像力が少し足りないだけで、こんなに恐ろしいというか、威圧的な状況になりかねないっていうのは、本当に考えさせられますね。
本当ですね。日常で起こるほんの些細なすれ違いが、そんな事態に発展し得るというのは。
まさに。このドライバーのちょっと過剰とも言える反応は、もちろんその人個人の寄贈もあるんでしょうけど、もしかしたら社会全体の何かこう、予期せぬ出来事に対する余裕のなさとか、あるいは見えない困難を抱えている他者への共感する力がちょっと低下しているとか、そういうもっと広い問題の現れという見方もできるかもしれないですね。
なるほど。一個人の体験談ではあるけれども、そこから社会的な課題のようなものまで少し見えてくるということですね。
ええ、そう思います。視覚に障害のある方が日々当たり前に直面している移動の難しさ、そしてちょっとした誤解からこういう過剰な反応や、場合によっては暴力にまでつながってしまうリスク。
はい。
これらは決して他人事ではなくて、私たちがこう共に生きているこの社会の在り方そのものを問い直すきっかけを与えてくれているように思うんです。
公共の空間でお互いをどう理解し配慮していくか、特に目に見えない困難を抱えている人たちに対して私たちはどんな想像力を持つべきなのかと。
そうですね。では最後に、これを聞いてくださっているあなたに問いかけたいと思います。
はい。
このスピーカーの方の経験を知って、ご自身の日常をちょっとだけ振り返ってみてほしいんです。
私たちは日々どれだけ周りの人の見えない状況に思いを馳せることができているでしょうか。
うん。
すれ違うほんの一瞬に、もし相手が何らかの困難を抱えていたら、とほんの少し想像してみること。
その小さな想像力が、もしかしたら誰かが感じるかもしれない恐怖を未然に防ぐための一歩になるのかもしれません。
少しだけ立ち止まって考えてみる。そんな時間を持ってみるのもいいのではないでしょうか。
06:27

コメント

スクロール