1. 港町れいでぃお
  2. #100 祝100回!つるぽんと村田..
#100 祝100回!つるぽんと村田くんの横浜史
2024-03-23 1:03:13

#100 祝100回!つるぽんと村田くんの横浜史

「人生初のファーストフードは並木のジャスコにあったサンテオレ」「なぜ東京にいた僕らが横浜に帰ってきたのか?」

祝100回記念!今回は約3年近く港町れいでぃおを続けてきた我々自身の横浜史を話しました。平成初期から横浜で過ごしてきた思い出をゆるく聴き流してください。

いつも聴いていただいてありがとうございます!これからもよろしくお願いします。


◆今回のお酒◆ 鶴田:横浜ビール 横浜ラガー 村田:グレンファークラス12年

◆今回のキーワード◆ 100回おめでとう!聴いてくれてありがとうございます / 並木で育った村田くん / 能見台で育ったわりにあまり横浜にいなかったつるぽん / サンテオレ / 梁山泊 / 上大岡の日能研と四谷大塚 / 聖光学院 攻玉社 / 青山大学 / 長津田のファミマ -- ▼リクエスト・感想お待ちしています

⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/Uzbzx44qhNv2agBfA⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼番組Twitter

⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/minato_podcast⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼ハッシュタグ #港町れいでぃお -- music by ⁠⁠⁠⁠⁠⁠audionautix.com⁠

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:06
こんばんは、港町れいでぃおへようこそ。つるとーです。 村田です。
この番組は、荒沢になって生まれ故郷の床面に帰ってきた二人が、アルコールをたてに、浜田んぎは趣味に話し、花を咲かせる、れいでぃおです。
はい、今回は100回記念ということで、いろいろと話していこうと思います。
ということで、今日のお酒は何ですか?
今日は、100回記念、横浜ラーガーです。
おー、いいね。
はい、村田くんは?
100回記念、100回記念関係ないな。
クレーンファークラス、12年。
クレーンファークラス。
ただ、ついにボトルで買ったっていうのがあって、開けたてになったからね、どんな味かなっていうのも楽しみですが。
じゃあ、100回、おめでとうございます。
はい、おめでとうございます。
うーん、美味しいわ。変わらず美味かった。
いやいやいや、おめでたいですよ。
おめでたいね。
2年半くらい、3年近くくらいですかね。もう、港町れいでぃお始まって。
毎回それ分かんなくなっちゃうんだよね。我々、話してどれくらいやってるのか。
3年近くくらいですよ。そう、もうちょっとで3年ですよ、たぶん。
ついに無事、100回を迎えることができました。
おめでたい。
おめでたい。ありがとうございます。
いやいやいや、もうね、皆さんのおかげだね。
いや、皆さんのおかげ。
皆さんのおかげですね。
ちょっとずつおかげで、リスナー数も増えつつあるので、やる気というか、モチベーションにもなるし、楽しんでやってますよ。
ほんと、よう続いてるよねって思う。
ほんとですね。
うん。
ほんとですね。
100回記念ね。
はい、今日は何を話しましょう。
カット。
100回記念は、今まではさ、今まではっていうか別に回によってもあるんだろうけど、基本的には横浜の話をしようっていうので、
なんか時事ネタを持ってきたりだとか、歴史ネタを持ってきたりだとか、何か一個のトピックを深掘っていくっていうので、
そういうところにスポットを当てていたけれども、今回はうちら。
我々ね。
そう、我々。
もう100回もやってるんで。
やってるんでって、なんかそんなちょっと偉そうじゃん今の。
ちょっと今の偉そうな気がするけど。
これね、鶴本とちょこちょこ喋ってたけども、うちらの話そんなしてもねえみたいな。
そうだね、自分はすごい思ってたよね。
うん、とも思いつつも、まあいい機会だから。
100回だしね。
そう、喋ってもいいんじゃないっていうことで、
今回は我々喋っている鶴本と村田が、
なんだ、老いたちから今に至るまでっていうので、
基本ね、結構横浜にいることが多いと思う。
そうだね、幼少期ね、幼少期?違う、幼い頃?
生まれ育った横浜の思い出とかを別に老いたちを話していければと思いますので。
これね。
ちなみに。
うん、なになに、ちなみに?
2回目ですか?これ。
いや、そうなの、今同じことを言おうとした。
どこで言うかなって思ったけど。
03:00
2回目ですか?
いや、そうなんだよね、喋ったんだよね、1回ね。
ちょっと、長すぎちゃって。
長すぎたんだよな。
長すぎてこれ、どうしよう、しかも終わんなかったから。
いや、そう、終わんなくて。
ちょっとこれだみたいな。
過去から遡っていったのに、人生のたぶん3分の1くらい喋って、
なんか収録時間1時間みたいな。
もう全然オーバーしてたね。
そう、まずその日。
終わる気がしなかった。
予定あったから収録もこれ以上できないよってなったし。
もう1回話すの難しいってなったんで。
改めてね。
ね、改めて。
反省してるから。
まとめたものを話していければと思いますよ。
じゃあちょっと、子供の頃から順々にやっていきますか。
じゃあ僕から。
初め、あれね、初め、生まれからだいたい小学校ぐらいの時までぐらいの先生。
先生。
生まれは1989年4月13日南国家の大きな病院で生まれ、
グラフィネチュンアルヴィンですかね。
ゼロ歳ぐらいまで並木に住んで、1歳ぐらいから農研大に住んでおります。
敬久戦ですね。
それが僕の。
まあね、それぐらいの感じでまずはちょっと触りから入っていこうか。
触りからね。
並木の覚えはほぼないね。
ゼロ歳。
まあでももったいないね。
まじでない。
並木で思い出ないは本当にもったいない。
そうね。
村君は生まれた病院は?
生まれた病院ね、覚えてない。
どこか。
そう、どこか。
生まれは91年の11月8日で、横浜市のとある病院だったはず。
病院名の聞いた記憶はね、なくはない。
何度か聞いてる気がするけど毎度忘れちゃう。
うん、行かないもんだってもう。
分かんない、行ってるのかもしれない。
何だろう覚えてないだけで。
で、生まれて最初は並木の1丁目に住んでて、
で、小学校に入る前にはもう行ってるはずだよね。
並木2丁目の方に引っ越しをして。
幼稚園とか保育園ぐらいの時ですか?
幼稚園の時にはもう2丁目にいたね。
そういう意味だと1丁目の思い出はないね。
さすがにちっちゃすぎて本当に記憶がないけれども。
並木の思い出はもう100%並木2丁目の思い出かな。
並木でもう暴れまった記憶が強く残っていらっしゃいますか?
暴れまわってたかもしれないね。
だって幼稚園がフレンド幼稚園ってところなの。
なんかお友達いっぱいできそうになるでしょ。
フレンド幼稚園。
で、そこが郵便局のすぐ近くにあって、
で、前にさ、並木の話したことあると思うんだけれども、
6大授業の時に、並木って本当に横断歩道とか少なくて、
全然道路に出なくてもいろんなとこに行けるんだけど、
うちからフレンド幼稚園まで横断歩道ゼロ。
06:03
だから、
もうね、脱走して帰るとかね。
やったね、幼稚園から家の方まで。
でも危なくないの?
すごいよね、ゼロも。
県内って坂が結構険しい、難所なんですけど、
坂の上の上の上の方に住んでたんで、
坂好きだもんね。
そうっすね、やっぱその時から影響は、
電車とか乗った記憶もほぼなく、
一体車だったし、
あと一体家とか、家の周りでこう、
遊んでたんで。
なるほどね、でもこの頃で、
まあ並木拠点としながらっていうのでの思い出。
横断歩道。
思い出だとね、
まあなんかその、基本的にはご飯食べに行った記憶しか、
それが多いかな、大体。
まあ今でこそあんまり呼ばないけど、
ジャスコ、イオンか?
ジャスコ。
ジャスコね。
並木にジャスコっていうものがあったのはすごい覚えてる。
ある。
今もあるの?
今でもジャスコと呼ばれてる。
いやでも今でもジャスコって呼んでるけど、
呼んでんの?
でもあれイオンなんだよね。
今イオンになったよね。
でもジャスコだよあれは。
はいはい。
ジャスコの中にさ、
めちゃめちゃ覚えてるんだけど、
あれね、あの場所以外で見たことないんだけど、
サンテオレって知ってる?
わかんないね。
サンテオレ?
サンテオレっていう名前のフード店が、
並木のジャスコ以外で見たことがないんだけど、
ローカルなの?
ロー、え、でもローカルなの?
なんか、でも確かにチェーンで見た。
サンテオレ?
サンテオレっていう名前のお店があって、
ここが、マックがさ、
これ多分小学校ぐらいまで突入したんだけど、
シャカシャカポテトなんて出してたの多分。
うちら多分ね、小学校ぐらいの頃だと思うんだよ。
でもあそこがやる前に、
もう先になんかピザ味のシャカシャカポテトみたいなやつとかを、
サンテオレやってたの。
うーん。
そう。
でもね、人生における最初のファーストフードは、
多分サンテオレだと思うんだよね。
でもこれ多分ローカル。
ハッピーセットでもなく?
ハッピーセットでもなく。
あ、そう。
そう。
ピザ味とかだったからね。
あ、そういうの出してたんだ。
ピザの。
へぇー。
細ながらのスティックの中に入っているやつ。
これね、ポテトの袋にシャーって入れて振るっていう。
やってたんよ。
へぇー、あ、そう。
これ多分ローカルだろうね。
そうだね。
いや、ジャスコ全然記憶ない。
僕、基本多分金沢空エリアの記憶がほぼあって、
あんま多分出てないんだよね。
金沢文庫とか、金沢八景とか、シリパラとか。
うん。
にまぁ、あたりに思い出があるかなと振り返って見てみると。
うん。
思ってあの、金沢文庫のキッツっていう。
キッツねー。
体操とか。
体操行ってたよ。
今、今なんだっけ?
ジムなのかな?もうキッツじゃなくなってるって思われてるんだけど。
名前変わっちゃったんだっけ?
うん。
そこのプールめちゃくちゃ通ってたんだよ。
被ってたのかな?時期。
被ってたかもね。
09:01
小学校5年生ぐらいまでは行ってた。
低学年の頃から多分。
小っちゃい時の習い事、苦悶と体操だったから。
それ体操でよく金沢文庫行ってたから。
なるほどね。
それで帰りに金沢文庫のユニっていう。
あ、ユニね。
知ってる。
あれもう今ユニじゃない?
大英系のさ、何かしらの。
えっとね、いや。
違うんだっけ?
ピタかなんか。
そんな感じだったっけ?
ピタかタパコかわからない。
パタコニじゃない。
パタコニは違うでしょ。
違うか。
あ、そうだ見た今。
そこの水泳終わった後に母さんが買い物をとかしてる間にユニの中のゲーセンコーナーがあって、ガチャガチャとかちょっと遊んだりとか。
おもちゃ屋さんあったよね?
あったあったあった。
なんかあのユニさ、あのキッズの方から行った時にさ、入ってすぐ右側。
そうそうそうそう。
入って右。
そうそうそうそう。
入って右。
入って右ある。
そう。
そうね。
あとあの金沢八景の方とかの海の公園とか。
あ。
潮干狩りとか。
幼稚園の行事かもしれないし普通に家族で行ったかもしれないけど。
行った?
潮干狩りねーと行ってるんだけど。
結構行った気がするね。
どっちかっていうと海の公園の思い出は、あの金沢の花火大会の方。
あ!花火大会も連れてってもらってたかな。
なんか両親の知り合いの人がそれこそ海の公園の近くに住んでて。
で、だから家からなんかそのシートとかちょっとなんかその、まあ屋台も確か出てたんだっけな。でもなんかご飯とか持ってきてて。
なんかそこで寝っ転がって花火を見てた記憶があるよ。海の公園は。
あ、そうなんだ。
なんか幼稚園の行事食べたべ行ってたんだよね。
で、わかめとりかなんかをしてたときに、クラゲに追いかけられて。
クラゲは追いかけられて僕のこと思ってないけど、僕は追いかけられてたと思ってて。
そうね。
すんげービビってもうそれ以降本当にもうクラゲがもう僕無理なんですよ。人生で。
クラゲまず美味しいし見るのも綺麗じゃん。
美味しい。
ほんとなんか水族館のクラゲコーナーとかもうほんともう。
行っちゃいきたいそこ。
素通りだから。
行っちゃいきたい。
全然興味ないし。
いやそこ一番時間かけるとこだよ。
一番刺されてないってところやっぱ恐怖を倍増させるんですよね。
次こそは刺されちゃうかもみたいな。
あ、そうそうそうもう死ぬんじゃないかみたいな。
死なないよ。
あ、でもまあわかんないね。
そうなんですよ。
種類によるかもね。
ショックね。
ですかね。
だからもう金沢くんのやっぱ思い出多かった。
あの、シーパラとかも行ってた?
シーパラもね、しょっちゅう行ってたよ。
あ、そうだね。
幼稚園も、いわゆるその幼稚園でいうお散歩というか遠足か。
うん。
とかでさ、行ったりとかね。
行ったかも、僕も。
うん。
夏にさ、あのシーパラも花火やってたよね。今もやってると思うけど。
今もやってると思う。
うんうんうん。
いやね、シーパラとかもうないんだけどね。
12:02
ウルトラマンショップって確かあったはずないよ。
シーパラの中に。
全然全然記憶ない。
なんか、いやほんとに全然覚えてないけど
ウルトラマンショップって今、今まさに思い出したんだけど、行ってた。
あったよ。
うん。
なんかそのいわゆるコンセプトショップじゃないけれどもが、ちょこちょこ多分入ってたと思うんだよね。
で、ウルトラマン大好きだったから行ってたよ。
へー。
あとはね、ちっちゃい頃、さっき花火大会の話出たけど、
えっと、船だまり?
まあだから場所的には1丁目?並木1丁目のところにさ、船だまりわかる?
東急ストアの前のさ、あそっかあんま記憶がないか。
東急ストア?
うん。
わかんない。
あれは東急ストアじゃなかったっけな。
まあでもその、富岡八幡宮よりも並木2丁目側というか、船だまりがあって、
そこで、あの、金沢祭りみたいな名前だったかな。金沢フェスタみたいな感じだったかな。
なんかね、夏祭りやってんのよ。
うーん。
最近はちょっとやってるかわかんないけど、
そもそもコロナでたぶん一旦止まったはずではあるんだけど、
ちっちゃい頃とかはね、しょっちゅう行ってたよ。
ああ、夏祭りね。
そうだ、そこが船だまりで、なんかステージがあって、最後には花火やって、
で、富岡八幡宮が横断歩道を渡ってすぐのところにあるから、
なんていうか、そこの沿道のところで出店みたいな、ずらーって並んでて、
これね、よく行ってたよ。
子供の頃の地元のお祭りっていうとそれと、
たまにでその海の公園の花火大会が、なんかお祭りっていう、夏祭りっていうので言ってたやつかな。
はいはいはいはい。
そうなんだ。
僕、幼少期のちょっと金沢から外れるけど、結構思い出で、
水泳キッズ行ってたから、ああいうプール、めちゃくちゃプール好きで。
うんうんうん。
本目はネギ市のプール、市民プールに。
うん。
よく連れてってもらってたんだよ、うちのお父さんに。
ネギプー?
ネギプー。
ネギプーも、
あのマンモスのやつ?
しまっちゃったやつ。
あ、そうそう。
本目は再開したよね。
うん。
確か、去年。
で、多分ネギ市の方だと思うんだけど、
うん。
人生初めて救急車乗ったの。そのプールのところで。
え、なんで?
行って、着替えさん。
うん。
はしゃいでたら、ロッカーに頭ゴンってぶつけて。
うん。
血がビューって。
やばいやばいって。
笑い事じゃないけどね。
救急車。
僕ね、おでこのこの辺にハリポッターのような。
白いね。
あー。
傷があるんだ。
はいはいはい。
こういう人も。
ハリポッターではないけどね。
ハリポッターのような子。
ハリポッターではないけどね。
雷の子。
それだったらもうちょっと色塗らないとダメだよ。
傷があって。
その時のやっぱり傷ですね。
じゃあ、ハリーってこと?
僕もやっぱりハリー読んだ時にちょっと共感。
15:02
共感してた。
共感を覚えた。
頭に傷ついてる。
そうか。救急車乗った記憶ないな。人生で。
その時の。
微妙に記憶あんだね。救急車。
あ、そう?
そうそうそう。
中に担い込まれた時の。
っていう思い出がありますね。やっぱ。
強烈な思い出だしてる。
そういう系の。だからそう。救急車に乗った記憶もないからさ。
そんな強烈なのないけど。
これは幼少期だね。
そうだね。幼少期こんなもんすかね。
こっから小学校に上がるよ。
小学校に。
小学校は僕はそのまま農研大に住み、農研大小学校っていう学校に行きましたですね。
たんですけど。
僕小2から小5までイギリスに行ったんで。
あんま記憶ないですね。
あんまないか。
あんま思えてないですね。
小1はあんまり思えてないな。
小6で。
そう。入学と卒業、農研大小学校だったんで僕。
あ、そうなんだ。卒業の時は帰ってきてんだ。
小6で中学受験をしたから。
その時に神岡の越谷大須館に通ってたぐらいの記憶ですかね。
そこまで飛ばないように。
ちゃんと小1からね。
小1からね。
ずっと日本にいるし。
並木田市って感じだけど。
並木第三小学校に入学して。
並木第三。
その歌ね。
今はもう確か第四と統合したはずだから。
中央小学校みたいな名前になったのかな。
少子化の波ですね。
でもそれでいくと並木には四つ小学校あったからね。
すごいよね。
めっちゃ多かったよ。
子供が多かったんだよね。
多分多すぎたんだったもん小学校が。
だってクラスの数少なかったもん。
途中から一クラスとか二クラスとか。
小学校で?
うん。
うちの学年は二クラスあったけど、
下の学年で一クラスっていう学年登場しなかったから。
ほんと?
すごい。
だから多分多すぎたんだと思う。
学校が。
ほんとに並木の近いエリアに四つあったからね。
確かにね。
そこ入学して。
でも低学年の時の思い出は正直あんまりないかな。
高学年になってきたら、
さっき言ってたキッズとかをそろそろやめようみたいなのが、
中学受験の時期に突入したからね。
受験モードじゃないですか。
そうそうそうそう。
村田君と言ったら、中学受験。
それが筆頭に来るのもちょっとあれだけどさ。
確かに受験はしてます。
全ての思い出はそこにこうやっぱり集約されてるから。
結構先頭はそこだよな。
ほんとに今、
小学校の時の思い出考えてみようってなっても、
1から3年の思い出そんなにパッと出てこないから、
18:00
割と小学校の時の思い出何ですかって言って結構中学受験。
確かに筆頭かも。
人生で一番頭が良かった時期と。
そうそう。間違いない。
間違いないよ。
そうだよ。
おじゃんにした前回の収録の時にね。
すごい知識量と回転力が。
回転はもしかしたらちょっとね、今のほうがね。
でも知識量に関してはね。
で、これが通ってたのが、
日農研神岡校。
やっぱ金沢君にされてる人は行くのかな。
日農研の人たち優秀なイメージあるよ。
Nバック?
Nバックでも結構バカにされたけどね、当時。
すごいバカにされてた。
めっちゃバカにしてたよ、洋次郎さんの人も。
でしょ?
でも、あれはあれだね。
どっちかってその、羨ましいというか、
悲願でるというか。
そんな感じの目線だったもんね、あれは。
上にいる人たちを、
くそ、あいつら勝ってねえから、
あのバックで嫌味でも言ってやろうみたいな。
分かるからね。
あれ背負ってる時点で日農研生だってさ、
そこ分かるからさ。
村田君あれ背負ってた?
日農研のトップオブトップクラスで。
神岡校の一番上のクラスだったね。
すごいね。
7クラス、A間クラスっていうのがあって、
でもA間クラスの中では下の方だったからね。
あ、そうなの?
下の方だよ。
だって村田君さ、この中学も出てくるけど、
トップオブ、横浜というか、
学校行ってるのに。
でもA間クラスの中の下の方?
まあ成績でいくと、
そうだね、まあ小学校の思いで、
もうこれで基本おしまいだからさ。
神岡の日農研のレベルはヤバかったんだな。
神岡がっていうことではないと思うんだよね。
中学はさ、生光学院なんだけど。
入学されまして。
そうそうそうそう。
織田一馬さんの後追い。
お父様の後追い。
織田一馬さんの後追ったつもりはないんだけど。
これね、日農研の話に戻るんだけど、
日農研当時通ってる時に、
日農研でやってるテキストの問題、
標準的に解ければ成功に受かるみたいなレベルだった記憶があるんだよね。
標準的に解ければ?
うん。
相当難しいかったね。
これがA間クラスの中盤から後ろぐらいが、
たぶん成功に受かる偏差値?
はいはいはい。
当時だとね。
今はたぶん偏差値変わって、
昔だとA高、成功の順番だったと思うんだけども、
どっかの時期で成功がたぶん改正クラスに偏差値が並んでるんだよ。
さらに上がったんだ。
そう。
だから昔だとアザブとか改正とかは、
もうはるか上?
はるか上っていうか、
ちょっと差があるなみたいな。成功から見るとね。
っていう感じだったからA間の上位の人たちって、
アザブとか改正に行ったりツッコマに行ったりだとかっていう人がいて、
そこのレンジ届かない人がA高なり成功を受けて、
21:04
優秀だな。
で、男子高で行くとその時点で朝野が待ってるって感じかな。
朝野。はいはいはい。
だいたい2月の2日、1日にアザブ改正受けて、
2日にA高受けて、3日に朝野受けて、
4日に成功2次みたいなプラン組んでる人結構多かった気がする。
この成功2次はめっちゃレベルが高くて。
ほんとに覚えてるよ。
めちゃめちゃ覚えてるよ。
アザブ改正とかA高とかを2日に選んでくる偏差値の高い人たちが、
滑り止めで出してくる成功の2次っていう日程だったから。
だから俺は当時の学力的に成功の2次で受かる学力はなかったから、
第一望高として2日に受けに行ってる。
そこじゃないと多分受かってないと思う。
なるほど。
みたいなことはね、当時のやつだよ。
何にも記憶ないっす。
何にも記憶ないっす。
っていうのが、小学校の時は日農研に通ってたっていう流れで神岡にめちゃめちゃいたのよ。
そうだね。僕もいたね。
神岡の塾で弁当食ってた。
食べてたよ。
夜にもやるから。親が作ってくれた。母さんが。
そういう時間まで頑張ってたね。
それもやってたし。
あとは土日も普通にレッスンじゃねえな。
普通に授業をやってたりとかしたからさ。
非講習と非講習。
そこの講習終わりで、両親とかが神岡に来て、
うちの父親が結構外食が好きだからさ。
確かに。さっき外食話しちゃうけど、よく行く店とかあったの?
神岡だとウィング神岡の地下の方に塩花っていうお店があるの知ってる?
分かんない。
分かんないか。
何のお店ですか?
塩花は和食系の創作居酒屋でいいのかな。
タイの薄作りとか中トロ炙り焼きとかあん肝ポン酢とかだと串揚げとかで
今だったら多分日本酒を頼みたくなるようなご飯が出てくるお店だったけど、
小学校だったから当時はコーラひたすらに飲み続けた記憶があるかな。
今も塩花はね、あったかな。
ここね、めっちゃ好きで行ってた。
今言ったラインナップをね、毎度頼んでた。
そんな、何歳ぐらいから外食をよくしてたの?
幼稚園ぐらいの時からみんなで行ったりとか。
幼稚園の時も行ってないことはないと思うけど、
小学校の中学年ぐらいからかな。
だっけマジで外食しなかったから。
そうなんだ。
24:01
僕がうちのお母さんの料理が美味しすぎたっていうかもしれないし、
それも美味しいんだけど、
本当に興味なかったんだよ、食べることに。
それ鶴本自身がってこと?
僕自身がかな。
なるほどね。
外行きたくなかったんだよ、基本。
外食に対してのさ、なんか寿司だわーみたいな会話みたいな。
本当に夜食べに行くとかもマジ無理みたいな。
マジ嫌だみたいな感じで、
ここ寝てたからか知らないけど、
うち本当外食しなかったね。
外食した記憶ほぼないね。
よく言ってたし、
しょっちゅう言ってたよ。
小学校の時なのかどれくらい小さい時か分かんないけれども、
並木住んでたから、
京急富岡歩いて行けます。
富岡に焼き鳥屋さんがあって、
今もあるかな?
たるやっていうお店の焼き鳥屋さんがあるんだけど、
店主がね、年を取るにつれてサービスが悪くなったのか相性が悪くなって、
もう行かなくなっちゃうんだけど、うちの一家は。
昔好き好んで行ってたお店があって、
そことか、でもだから、
小学校のちっちゃい時くらいから、
結構行ってたんじゃないかな。
そこでポパイ炒めとチーズ揚げがうまい。
ポパイ炒め、ほうれん草とか。
焼き鳥のお店だから焼き鳥もうまいんだけど、
いいね、そういう行きつけお店みたいな。
行かなくなっちゃったから。
生まれしょう、金沢文庫どっかの焼き鳥屋好きじゃない?
天火鳥?
天火鳥だ。
天火鳥文庫店は閉店してるのよ。
そっか、寂しいもんですな。
川崎にあるよ。
川崎と大船だったかな。
まだ天火鳥ある。
横浜天火鳥って名前だから横浜市内の、
横浜じゃない、川崎だから。
まあでも神奈川県なのかな、多分。
よかもね、きっと。
外食のお店まだないんだよな。
幼稚園の時に吉村に連れてかれたっていうことは聞いたんだけど、
食べられないじゃん。
まだ新杉田にあった頃ね、昔のね。
頑張って喰っされしよう。
ほんと?
でも記憶はないですね。
そうだよね。
それぐらいですかね。
外食はしょっちゅう行ってたかな、当時からね。
中高生ぐらいでいますよ。
僕も中学受験をして、
男子校で目黒にある攻撃者っていう、
いい学校じゃん。
弾を攻める学校なんですけど、
とにかく弾を磨いて攻める学校に入学しまして。
そこで、農研内からずっと片道、
時間半ぐらいかな。
もうちょっとかかけて通ってて。
だからあんまり目黒だからね、
実はないんですよ、ほんまに。
27:00
横浜は。
そうなんですよね。
強いて言うなら、
強いて言うなら。
毎朝、朝5時半ぐらいに起きて、
6時ぐらいに出て、
チャリで農研内、
下って下って上がり、
駆け上がってた。
坂戸のチャリで駆け上がる。
農研内はもうその往復の思い出。
あとは、
グミおうちとか、
日の出町とかに住んでる同級生がいたのよ。
だからそれらの子と途中で、
一緒に向かう途中、合流して、
軽級生の中とかで。
向かったり、帰り、
たまに寄ったりとかしてたから、
帰りに神岡の方へ行ったりとかさ。
あとは日の出町の図書館とか、
テスト勉強したりとか。
カラオケ一切飽きもる所行ってみたりとか。
あそこは行ってるわ。
そんな感じですかね。
あとあれだね、
高校ぐらいの時に、
自分とか友達たちと、
港未来の方へ行って、
高1ぐらいの時に初めて、
存在を認識したと思う。
港未来のこと。
ワールドポータースとかあって、
開放的だし、
大きな商業施設だし、
面白い。
めちゃくちゃ楽しい場所なんだな、
ワクワクした記憶がありますね。
それまで知らなかったね。
港未来知らなかったんだ。
知らなかった。
連れてきてもらったことあったと思うけど、
全然もう何も、
記憶ないね。
赤レンガとか。
赤レンガとかはいかなかったけど、
ランドマークタワーとか認識したな。
どっかで喋った、
6大授業の時に喋った記憶だけど、
父親があの辺関わってたから。
そうだよね。
そうですよね。
知ってたっていうのはあるけど、
中高か、
中高ゴリゴリ横浜市よ。
ですよね。
そう。
大和駅から駅出て、
今多分改札変わっちゃったと思うんだけど、
まずめっちゃ改札は混むの。
うちと、
成高と、
あと、
緑川岡高校が大和にはあって、
駅出て、
ちょっと行ったところで、
左に曲がって、
登っていくと、
緑川川高校で、
まっすぐ、
ちょっと右斜め前の方に行って、
登っていくと、
成高学院みたいな感じで、
そこに至るまではね、
全員一緒なの。
すんごい人だからもう。
大和でみんな降りるの。
通学時間で。
そう。
あのちょっと小さめの大和駅で、
ぎゅうぎゅうだね。
そんな。
でもね、改札がうまく分かれて、
大和は前だったのかな。
何を言ってるかっていうと、
隣って石川町で、
石川町には、
各種女子校があるの。
教律。
そうそうそう。
横札とかね。
うん。
あるんだけど、
電車的に、
なんかね、
ちょうどちゃんと車両がね、
別々になってた。
なんか乗る場所的に。
あー。
ホームというか。
そう。
お互い、
お互いが降りる階段の位置を考えると、
うーん。
30:00
なんか一緒側に乗らなくて、
大丈夫なように、
なんかなってた。
へー。
うん。
なんか寂しいような、
嬉しいような。
まあ、
いい、
いいよ、
それでっていうか。
まあまあ。
いいよ、
そういう感じだけど。
それで成功に行って、
うん。
で、
大和駅、
なんか並木から行こうとすると、
シーサイドラインで、
新杉田に出て、
うん。
登ってくっていう、
京浜東区で登ってくっていうルートもあるんだけども、
うん。
最初の頃それにしてたんだけども、
どうしても横浜駅側の定期が欲しい。
そうだね。
思って、
うん。
京急富岡から、
うん。
横浜に出て、
で、
えー、
桜木町、
関内、
石川町、
山手って下ってくるっていうルートに、
え、
京急富岡から横浜行くの?
うん。
で、下るの?
そうだよ。
めっちゃ遠くない?それ。
え、でも時間的には、
うん。
そこまで大きく変わんなかったかなーって、
え、どうだったかなー。
京急富岡から横浜ってさ、
そこそこあるよね。
でも、神岡までが、
10分かかんないぐらいで、
海徳に乗って、
海徳に乗ったから?
さらに10分ぐらいで行けたよなーと思って。
あー、そりゃすごいわ。
だから20分弱?
うんうんうん。
とかで行くはずだから、
あー、そうかー。
うん。
あと当時学生だからさ、
うん。
早起きなんて別にもう、
全然。
なんでもないわけ。
いや、そうだね。
うん。
そう、だからその、
ね、
で、
なんの問題もなくそっちルートで、
うん。
通学?
はぁー。
してたよ。
日本から。
うん。
それはそれは。
で、その定期のおかげで、
うん。
うろちょろしてたのが、
基本的に館内とか、
うん。
横浜駅とか、
うん。
桜木町で降りたこともあったかなー。
うーん。
だねー。
だから館内だとやっぱ伊勢崎町の、
モールの、
そう、
モールの入り口のところにある、
ケンタッキンにこもって、
うーん。
発売されたばっかりの、
うん。
モンハンを、
うんうんうん。
PSPとかさ、
はいはいはいはい。
出たのよ。
ゲームをね。
そう。
それやったりとか、
うーん。
あとは、
横浜駅だと、
西口5番街。
うん。
で、
うん。
あそこにね、
マックがあって、
めちゃめちゃ、
入り浸っていた記憶。
え、今もある?
今もあるよ。
あ、あのあれでしょ、
結構柄の悪い、
デリアンの、
あ、そうそうそうそう。
あれ越えると、
立ち上り丼屋があって、
あ、そうそうそうそう。
その先にマック。
うん。
マックがあって、
橋があって渡ったら、
今はもうない、
あ、そうてつムービルって
まだあるんだっけ?
ちょ、わかんないけど、
昔あったよね、
あそこやっぱあったよね。
今もある、今もある。
で、ボーリングとかも入ってるやつと、
あとビブレとかさ、
ビブレね。
あっち側のエリアに、
はいはいはい。
行く手前のところの、
うん。
マックあれよく行ってたね。
そうだね。
伊勢崎モールはさ、
うん。
練り歩いてたの?
なんか。
練り歩くっていうことでも
なかったかな。
伊勢崎モールか。
うん。
モールは、
だから入り口のところの
ケンタッキーに行くか、
そうじゃないと、
中入ったら、
あ、本屋で遊輪堂入ったり、
33:00
遊輪堂入ったね。
とか、
うん。
で、さらにその先行くと、
結局あれよ、
歌広。
歌広ね。
カラオケで歌広。
はいはいはい。
今ドンキーの向かい側ぐらいにある。
うん。
昔ドンキー行きたかったね。
うん。
うん。
そこぐらいかな。
他の店行ってないし、
そうなんだよ。
何も。
あとだから当時、
別になんかラーメンとかを食べた記憶もなくて、
そうだね。
ラーメン食べる文化なかったね。
から、
今でもさ、
ちょっと歩いてる時に、
あの家系ラーメンはさ、
横に入ったらとか、
ね。
あったりするけど、
別にそれは、
うん。
最近行ったぐらいだから、
うんうんうん。
その中学高校の当時は
全然行かなかったね。
はいはいはいはい。
ケンタの向かい、
向かい中かさ、
うん。
うん。
ケンタのすぐ近くの
伊勢崎モール入って、
右手ぐらいにももうないけど、
うん。
富士蕎麦。
富士蕎麦。
があったんだよね。
カツ丼が500円ぐらい
食える。
へー。
食えたね。
はいはいはい。
結構感動して、
うん。
こんな上もあんのかみたいな、
よく食ってた曲が今、
ふっと浮かびましたね。
カツ丼、
カツ丼いいな。
ちょっと夜ご飯カツ丼にしよっかな。
うん。
いいじゃないですか。
いいじゃないですか。
その辺かなー。
これが中学高校の頃。
うんうんうん。
あー。
この頃に僕はあれだね。
5、2、3ぐらいでラーメンのうまさを知ってた。
自分の位置で行ったのがほぼ初めてぐらいだった。
その辺が。
え、何ラーメンを食べたのそれは。
なんかすごい記憶に残ってんのは、
港未来に、
うん。
あの、一風堂が今も多分あるんすよ。
あれよね。
ピオシティ側?
いや、港未来駅のさ、
クイーンズスクエアとか。
あ、ごめん。
それ一覧だったわ。
あー。
一風堂ね。
桜井町ね、桜井町。
一風堂があるんすよ。
うん。
クイーンズスクエアのなんか、
クイーンズモールってんだっけな。
そこで食った時に、
ビビったね。
なんか、
ラーメンってこんな、
うまいの?みたいな。
一風堂。
ラーメンだけ、
ラーメンだけに関しては、
うん。
なんていうの。
家でさ、
作る、
食べるラーメン、
うん。
とやっぱ、
外のラーメンと違うじゃないですか。
うん。
歴然の差が、
どうしたのって言ってて、
うん。
僕家で食うラーメンしかほぼ知らなかったから、
たまに家族でどっか行ってた、
うん。
記憶はちょっとあるんだけど、
うん。
その時やっぱ、
ビビったね。
このぐらい値段で、
うん。
めっちゃうめえじゃん、みたいな。
でも、
すごい同級生に、
うん。
すめまくってたね。
なんか、
めちゃくちゃうまい、
ブドウってラーメン屋があるんだけど、
うん。
行こう、みたいな。
これがやばい、みたいな。
いやー、
その頃ラーメンはあんまり認識してなかったなー。
ははは。
若干時系列戻るけど、
うん。
なんか、
外で食べるラーメンって、
うん。
で、
今でこそ多分外で食べるってなったら、
うん。
博多豚骨系か、
うん。
家系か、
うんうん。
っていうのが先に出てくるけど、
昔食べてたのが、
うん。
これは当時JASCOね、
JASCOの中に、
うんうん。
涼山博っていうお店があったの。
ははは。
多分もう今ないはずなんだけど、
いや、知ってるわ、多分。
知ってる?それ。
え、涼山博ってさ、
うん。
いっそはチェーン?
チェーンなの?
え、
野本県内にもあったんだよね、
涼山博っていう。
えー、
えー、
え?
36:00
中、中華。
中華。
中華。
多分チェーンなの、それ。
これチェーンなの?
いや、あれチェーンなの?
え、うそ?
俺あれ単体だと思ってたわ。
いや、ほんとにあそこにしかないと思ってた。
え、え?
めっちゃ安いラーメンなかった?
ラーメン。
値段は分かんないんだけど、
値段は分かんないけど、
え、
なんかさ、
結構普通に中華系のさ、
中華そばとかがベースでさ、
うん。
コーンラーメンとかさ、
うんうんうん。
なかった?
うんうん。
え、なんかレンゲさ、銀のやつだよね、確か。
違った?
レンゲまで覚えてない。
ラーメンがすごい安くて、
2、300円くらいのレベルなんだよ。
そんな安かったっけ?
でも学生にめっちゃ優しいっつって、
そのラーメンお食いに、
うん。
あのよく、
農県で駅前やったんだけど、
うん。
行ってた記憶あったんだけど、
うん。
いや、話してんかな?
いや、チェーン。
餃子んぼかんって名前そんなつけないよね。
つけない気がするけど、
家族3人でとかで行ってたよ?
あ、でもファミリーで行ってた人もいたりと。
だからなんか、
うん。
いわゆる中華屋さんっていう感じ?
でも基本ラーメンがベースだったんじゃないかな?
と思うんだけど、
そうな気がする。
え、でもね、
中華感は近しい。
そうかもしれないな。
気になってきたわ。
確率的に独立してた団体のお店だと思ってたけど。
っていうそういう、
あんまチェーンだとも思わなかったけど、
はいはい。
チェーンかもしれないな。
そういうのがラーメンっていうイメージだったから、
うん。
そうだね。
大学以降に、
深い感動もなかったね。
ラーメンに対しての。
食事みたいな?
うん。
お蕎麦、うどん、ラーメンみたいな感じ?
あ、そうそうそうそう。
なんかまあ別に、
好きでもないし、
嫌いでもなく、
まあ悪くないからみたいな。
なんかあの、
感じで。
パスタの方がなんかティア的には上だったよ。
全然上だった。
ラーメンをしっかり食べるまで。
パスタ、
パスタ、ミートソースとかの方がもう、
テンション爆上がりする。
そうそう。
ペペロンチーノだけど、
うんうんうん。
こっちの方がうまいじゃんみたいな。
でも今でもペペロンチーノの方が上だけど、
あ、上なんだ。
まあまあそれを置いといてね。
中古はそんなもんかな。
そうですか。
じゃあまあそのまま、
卒業を無事しまして、
大学は、
どんな感じでした?
僕最近話すと、僕、
卒業してそのまま、
またイギリスに、
行ったんで、
もっと記憶ないですね。
そもそも日本に、
あんまりいなかったし。
日本帰ってきても、
当時ね、
父も海外だし、
うちの母と僕の妹も、
一緒にちょっと行ったんだけど、
すぐ日本帰ってきて、
農研団の家保管支援貸してたんだよ。
うーん。
だから帰る場所もないから、
あ、なるほど。
母さんと、
妹は鶴見に住んじゃうの。
はいはいはいはい。
鶴見鎮体まず借りて。
横浜市川崎?
鶴見区なんだよ。
横浜市ですよ。
横浜市か。
うん。
京急鶴見とか、
鶴見駅の近くに住んでて、
うん。
日本にたまーに帰ってきたときに、
そこにちょっと泊まった記憶があるぐらいで、
全然それ以外は、
農研団とかほんと帰んなかったっすね。
帰んなかったって帰る場所もなかった。
ま、そうか。
うん。
じゃあ、
ちょっとだけ小話していい?
39:01
何?農研団の?
何?
農研団でね、
うん。
住んでたマンションを貸してたの、人に。
うん。
誰に貸しちゃう?
って言うと、
うん。
あのー、
太宰治さんの、
うん。
娘さんが何かいるんですよ。
うん。
作家の人を、
作家がいるのね。
一人。
あ、一人では。
何がいいんだけど、
今も活躍されてる方やね。
うん。
その人が仕事場としてね、
うちの家借りてたんだよ。
えー、じゃあその人は、
すごくない?
普通に、
すごくない?
家を持ちながら、
仕事場として、
そこの家、
別で?
その県内の、
釣りたい一家が住んでたところを、
だってめっちゃ坂の上なんでしょ?
めっちゃ坂の上だった。
大変じゃん。
いやー、くそです。
大変だったと思うよ。
あれ。
あれかな?
あのー、
編集さんが来づらいように言うようになった。
この坂、
この坂登ってこないと、
この締め切り近いよって言えないよみたいな。
アクセサリーとか。
そんなことないか。
だからなんか、
書かれた本とか、
たまに頂いたり、
あ、そうなんだ。
してたみたい。
僕は全然、
あんまり、
そういう思いはないんですけど。
いい関係。
そんなです。
そもそもちょっと、
それだけの、
ネタ話で一つ、
させて頂きましたけど。
面白いわ。
はい。
どうですか?大学の。
大学時代ね。
村田高校は。
大学は、
あ、今年は駅年優勝してたけど。
おめでとうございます。
うん。
圧巻の。
なんとか。
はい。
うん。勝ってたけど。
なんとかって感じじゃない。
なんか、
偉そうでしょ。
いやいやいや、偉くない偉くない。
新賞ですね。
卒業してから優勝し始まるからさ、
そういうのそうです。
在学中になったらさ、
めっちゃ応援行くとかさ、
頑張って箱根年史で取るとかさ、
したけどさ、
まあまあね、
そういう感じもないかなと思って。
大学の時も、
結構、
大学は東京だったけれども、
住んでいたのは変わらず横浜市で。
そうだよね。
うん。
そういえば。
うん。
一人暮らしデビューの村田君の。
そう、初めて一人暮らしをね、
し始めたのが、
横浜市緑区、長津田。
長津田。
うん。
ねえ、交渉したわ。
これもね、
家族外食が好きだから、
この当時もよく分かってた、
この大学生になった、
この息子は、
親に頼み事をする時は、
親が酒を飲み始めた後がいいっていうのを、
じゅじゅう理解していたのよ。
すごいじゃん。
うん。
分かってたんだ。
そう、だから、
どっかの親戚たちの居酒屋に来た時だと思うんだけど、
一人暮らしがしたいって言って、
いいよみたいな感じになって、
大学の2年生から、
すごいね。
一人暮らし。
さらっと言ったけど、
その作戦が成功したんだ。
成功した。
でも即答イエスではあった気がするな。
ただお金をどうするかは、
ちゃんと相談しなさいみたいな。
確かにね。
うん。
長津田はさ、
あれだっけ、
青学の1,2年生のキャンパスを通いやすいんだっけ?
そう。
えっとね、
今は、
理工学部とか、
情報系の学科は、
4年間、
相模原キャンパスなんだけれども、
なんかそれこそ文学部とかその他、
42:01
文系学部って一旦くくっちゃって気がするんだけども、
まあ、
昔は、
1,2年が相模原キャンパスで、
3,4年から青山キャンパスに行きます。
で、1個下の台が、
地震で遅れちゃったから、
2個下の台からだったかな?が、
文系学部が、
4年間まるっと青キャンですっていう、
時代になったんだけれども、
で、2年生から住み始めるってなったから、
しばらくは、
相模原、
もういわば淵の部ね。
横浜線っていうところの。
で、
行きやすく、
かつ、
3,4年の渋谷にも出やすいところ。
なんか陣内さ、
初めてなりにも調べてさ、
2年契約みたいな感じの認識してたから、
2年生と3年生の拠点として
ふさわしいところじゃないとダメだって思って、
なるほど。
で、選んだのが、
長須田だったんだよね。
長須田。はいはい。
うん。
いやーなんか、
一人暮らし自体はね、
まあ初めてやってみましたっていう、
感じだったけど、
でも長須田がね、
めちゃめちゃ良かったね。
ああそうなんだ。
町としては。
住みやすかった?
うん。
どんな魅力があった?
結構だよ、
学校があったりとかもする。
小学校だった?
小学校、中学校とかが。
棚中とかあったから、
棚中学校だったから。
あ、棚って地名あるね。
うん。
あの辺は住宅街なの?
長須田は。
うーん、
あ、住宅街って言っていいんじゃないかな。
あんまりその、
オフィスビルとかってイメージもそこまでないし。
はいはい。
駅前になんかさ、商業施設があったりするの?大きめな。
大きめなのはね、
長須田離れてからなんか一個できた気がする。
うーん。
当時は?
なかったかな。
ファミマしか。
ファミマはあったね。
ファミマとか、なんか個々の居酒屋とか、
ちょっと駅から離れたところでアピターとか、
あれ、丸越だったっけな。
なんかスーパーがあってとか、
なんかそういう感じだった気がするけど。
なるほどね。
長須田の思い出はね、ほんとにファミマ。
ファミマですか。
うん。
ファミマ、長須田駅前店。
長須田駅前店って名前じゃなかった。
駅前店って名前じゃなかった気がするけれども、
なんかバイトしようと思って。
で、駅的にはね、逆側なのよ。
住んでたとこ、長須田駅出ると、
まぁ大体改札出るとさ、右に行くか左に行くかみたいな話はよく出るじゃん。
どこの駅でも。
で、
当時長須田駅から出て、右側だったはずだよね、住んでたのが。
だが線路挟んで反対側のファミリーマートにしたもん。
だから別にファミマである必要はなかったんだけども、
どっかコンビニとかで、
まぁ働きやすいところでバイトがしたいなと思って。
もっと近いコンビニもあったんだけども、
普段使いのコンビニがバイト先ってのも嫌だなと思って。
で、線路越えたところにしようって思ったら、
ファミマが一個あって。
そこも決め打ちで行ったかな、ピンポイントで面接しに行って、
普通に採用されて。
で、働き始めた。
その時代は本当にバイト仲間の人と飲みに行ったりだとか、
45:00
よくやったね。
あとファミマの店長さん、
オーナーさんがそもそも建物というかマンション自体を持ってて、
っていう形式だったから、
ファミマの店長さんは上に住んでるの。
みたいな、このファミマの上に住んでて、
とかって感じだったから、
バイト終わりの人たちが今から店長の家行くわ、みたいな。
だから有金の人が終わって、
巡夜勤で入って、とかってなったら、
巡夜終わったら上行きますわ、みたいな感じで。
へー、懐かしい。
みたいな感じでね、楽しく過ごしてた。
結構バイトの思い出も結構大きいかな。
もちろん大学もね、いろいろやってたけど、
大学の思い出は結構やっぱり、
東京都内で発生するイベントが多かったし、
ふちのびか、さかみはるキャンパスか、
行った時の思い出も、実は町田だから、
あれも東京都だっていうね。
だったりが多くてね、
そんな感じかな、大学時代は。
長津田ファミマ。
緑区はさ、他の駅、長津田の手前…
中山とかなんかいろいろあるよね。
多摩プラザとか、あざみ野とか、
もうちょっとあれ、遠い?
全然そっちに行かなかった。
渋谷に登る時に通過するかなぐらい。
デントだから…
デントだよね。
うん。
多摩プラとか通って、
二子玉行って…
あー、二子玉とかは通ってるか。
うん。
あー。
まあでも、そのレベルぐらいの。
本当に。
行ったことないぐらいの感じだった。
当時だと、長津田駅で乗ったら、
本当にいつも渋谷まで直行。
途中で降りる理由がなかったね。
あー、まあそうか。
そう、あのね、渋谷の方に住んでた人は、
結構小田急線沿いとかが多かったんだよね。
あー、そうなの。
なんか、あっちの近くで一人暮らしをしてる人って、
同じくその、
フチノベと渋谷両方行きやすいっていう理由から、
長津田近くに住んでる人っていうのはちょこちょこいたんだけども、
まああるいはフチノベで一人暮らしして、
居心地良すぎてさ、
まあそこから渋谷に行ってる人とかもいたりとかしたんだけれども、
それを除いて渋谷近くに住むって言うと、
やっぱり渋谷近辺高いし、
電灯沿いかって言うとちょっと違くて、
小田急でずらす人が多かったから、
いかんせん電灯の途中下車ってなかったね。
へー。
あー。
なるほど。
そんな感じかな、大学時代。
大学、じゃあそのまま卒業して、
うん。
卒業同時に行業引き払ったんですか?
あ、でも村田くんしばらく実家帰ってたよね?
あ、そうだよ。
えっとね、えっと大学の4年生で就活が終わりましたのタイミングで、
うん。
辞めた一人暮らし。
うん。
じゃあまた並木の方に戻られて、
しばらく、
うん。
社会人になってからは?
社会人になっても、
えっと、
住んでなかった。
1年生って言わないな。
えっと1年目か。
48:00
1年目?
そう。
社会人の1年目の時も、
えっと家から通ったけど、
2年目突入してからだったっけな。
うん。
1年目の間だったかどっちか忘れちゃったけど、
まあ一人暮らしするかと思って。
うーん。
うん。
初めに住んだのどこだった?
社会人?
うん。
鎌田。
あ、初めから鎌田か。
そう。
で、ずっと鎌田か。
そう。しばらく、
そうかそうかそうか。
7年ぐらい。
長く住んでたんだっけ鎌田に。
3回ぐらい更新してるのよ家。
めちゃくちゃ長く住んでんだよ。
2回更新で6回。
すごいな。
まあでも2か3回ぐらい更新を、
鎌田もね、
そうだ横浜市の話ちょっとそれちゃうけど、
鎌田はね、よかったよ。
まあ楽しいよね。
うん。
まずちょっと普通に飲み屋とか。
あの駅ビルがまず充実しているっていうところと、
えっとまあ今の生活の基盤にも一個なってるけど、
テニススクールあって、
まあ運動にも事を欠かないし、
飲み屋がね困らないのよ。
そうだね鎌田はもう。
飲むってなったら困らないし、
飲む機もあるし、
一駅隣行って川崎行ったら淀橋カメラあるし、
淀橋カメラ大事だから。
必ず大事だから。
確かにね。
家庭園と行ったら村田くん買うのはもう。
そう。
必ず淀橋カメラ。
そう淀橋カメラ。
相当の理由がないとビッグカメラ行かないからね。
で鎌田、
でだから職場にもね、
まあ大崎だけど出やすいし。
そうか。
全然あれかな。
並木とか帰らず。
帰らずとか横浜の方にはそんなに。
そうだね。
鎌田自体は。
あんまりそれこそ実家に帰るぐらいの用事しかなかった気がする。
あとは館内で飲むとか、
死にすぎたら家族とね。
家族ね。
うん。
あとは家族との定期的なお祝いご飯みたいなのが横浜駅とかでさ、
行われていることが多いから横浜駅行ったりだとか。
で鎌田もなんだかんだ良かったのが京浜東北線沿線だから、
要は並木の方向に向かって帰りやすいんだよね。
簡単だよね。
でも親に全部そっちまで行くのめんどくさいからせめて館内ぐらいにしないとか言って、
それで飲んだ記憶もあるな。
震災ぐらいに乗り換えたいんだこれ。
うん。
とかせめて死にすぎたまでは行くから、
ちょっと出てきてよ死にすぎたまでは。
死にすぎたまでは飲む。
そうそうそう。
いいですね。
そういうのやってたから。
なるほどなるほど。
いやそうっすか。
僕もね、
実家も農県内引き晴れちゃいましてね。
川崎に移りまして。
うん。
本当に農県内も帰る場所なくなっちゃったんだよね。
うん。
本当もう行かなくなりましたね。
社会人、日本に帰ってきて、
うん。
そう会社に、村田くんと同じ会社に入って、
うん。
でも実家は川崎あったから、
うん。
51:00
だからもう本当川崎から帰り始め、
うん。
一人暮らしっていうか僕はルームシェアを友達としたんだけど、
あー。
同じ農県内の地元ね、友達と。
うんうんうん。
下北沢に初めて住んで、
うん。
ミュージックとか、
うん。
役者さんとかそういう、
いや面白い町だよね。
だってめっちゃ憧れて。
面白い町だよね。
下北沢に住み、楽しいってなってそのまま、
二子玉に次住み、
うん。
二子玉の映画館とか川沿いを走るとかに憧れて。
二子玉はお邪魔したね。
そうだね。
うん。
二子玉に住み、
うん。
で、次に結婚して横浜に帰ってくるまでは本当に横浜は、
たまになんか、
うん。
オクトバフェストとかで、
赤レーンが行くぐらい以外は、
本当行かなかったね。
マジで。
あと、農研大に今の繋がりがある友人が数人だけいて、
彼らと何年間にちょっと会うぐらい、
以外は全然、
全然でしたね。
横浜はなんか、
そうか。
そうだね。
なんでそんな、
うん。
もうほぼ東京にいた僕らが横浜に帰ってきたのか。
なぜある?結構。
僕なんか、
うん。
基本下北も二子玉も、
うん。
自分が引っ越すときに住みたい町ベース、
うん。
って考えたよ。
あの、アクセス、
会社へのアクセスとかってあんまり僕意識しなくて、
あ、そうなんだ。
普段生活する場所が重要なの。
うん。
場所っていうか、町?
うんうん。
僕は繁華街とかにぎわってる場所すごい好きで、
うん。
で、そういうところを中心的にずっと今は過ごしてきたんだけど、
横浜といえば、
都未来な感じじゃん。
うん。
イメージ。
在横浜のイメージ。
日本全国の。
全国的なね。
一回そこに住んでみたいな。
ああ。
在横浜みたいな。
うん。
住むと楽しいかもって思って、
うん。
越してきた。
で、そのまま結構根付いてる感じが。
あのね、出発点はちょっと違うんだけど、
理由は結構似てるなと思って、
うん。
まあだからそもそも引っ越しの時に、
どこでもいいなって思っちゃうの。
うーん。
その住みたい町っていうベースで考えると、
結構住めば都タイプで、
うん。
どこ住んでもいいかなって思っちゃうから、
基本的にアクセスとか、
うん。
会社近いとか、
あと家賃とか、
うん。
スーパーが近くてとか、
なんかそういうその、
拠点としてのその能力値で結構見ちゃうことが、
見ちゃうね。
はいはいはい。
多いんだけれども、
うん。
今回の引っ越しに関しては、
コロナ禍で、
うん。
かまたりいる理由ないし、
うん。
で、1Kだったから、
うん。
狭いっていうのもあって、
もっと広い家をっていうぐらいの発想しかなかったから、
うん。
で、リモート前提だからあんまりこのオフィスへのアクセス性みたいなっていう、
うん。
拠点としての能力値は、
うん。
ほぼ見てなくて、
うん。
で、改めて、
だからそうなると何も選びようがなかったの、当時。
はいはいはい。
家を。
はい。
で、ふと考えた時に、
うん。
東京都ってなんとなくちょっと値段高いから、
神奈川県にずらそうかぐらいの発想が出てきて、
うんうん。
家を広くするっていうのにあたって、
54:00
うんうんうん。
で、その時に、
うん。
あー、
きっと、
いつかなんか気軽に身動き取れなくなる時期も来るなみたいなその家っていう観点で、
うん。
だろうなとか思った時に、
なんか、
なんか今のうちに住めるところに住んでおくのも面白いんだろうなって考えて、
うん。
それが、
うん。
港未来、人生でいっぺん近くに住んでみるの悪くない川だったんよ。
はいはいはい。
で、横浜、正直さ、横浜市ってさ、
多分ほとんど多分山だったりさ、
うん。
緑があふれている、
そうですね。
じゃん。
そうですね。
実態としては。
うん。
だけどまあ、税券的なイメージは港未来とかさ、
まあいわゆる中区とかさ、
うん。
あの辺じゃん。
で、中区一回住んでみてもいいかなみたいな。
それで。
そう。
でも、やっぱりこう、
釣れたらもうブッシュもあったっていうのもやっぱ背景では。
あったんじゃないの?
そんな、そんなブッシュされたっけ?
え?
僕も激ブッシュですよ。
そう。
横浜ツアーはやっぱ定期的に開催してますからね。
でも横浜ツアーやったのは知人の夫婦でしょ?
そうですね。
確か。
まあ他にもいましたけど。
うん。されたっけ横浜ツアー?
森田君はしてなかったですね。
でしょ?ほら。
でももう、
ブッシュされてない。
いやいやいや、
でも絶対いいから、
いいから、いいから、いいから、
ずっといいさ。
そうだったっけ?
いやあ、
なんか、
そうか。
え、ちょっとブッシュされた記憶だけ失わっちゃってるのかもしんないけどさ。
絶対いいよって言って。
常に言ってたからね。
うん。
でも改めて住むなら、
この辺かなっていうぐらいだったかな。
そうだね。
でも横浜の人がやっぱ、
のげとか。
うん。
よく出したりとか。
はじめ伊勢崎県に住んでたから、
のげみたいなところも、
存在も、
ちゃんと知り、
めっちゃ飲み屋街じゃん、ここみたいな。
存在は知ってるけど、
ご存知?
一人で開拓しないからさ、
わたくし。
そう。
素敵な綺麗な場所なみたいな。
うん。
プラス、
結構ゴミゴミしてさ、
汚いとこもあるし。
うん。
長くって。
うん。
その予算もやっぱ魅力的やったね。
個人的には。
すごいね。
いろいろ円溜めがあるというか、
いろいろあって、
結構あと地元根付いてる感が、
強い。
お店とか、
いる人とか、
個性的な人多くて。
うん。
そういうの結構魅力的かな、
個人的に。
めちゃくちゃこだわりある店長とかさ、
元町エリアって結構なんかその、
うん。
もうなんかこの、
地元みたいな。
元町の。
すごいよね。
地元、ローカル感半端ないね。
うん。
めちゃくちゃ好きだよね、
なんか予感を。
元町とか。
うん。
山手とかの。
気持ちわかるな。
地元愛が強い。
そういう地元っぽいところは、
なんか結構行くけど、
あの、
住んでこそ、
あの、
家から近い映画館が、
港平の映画館だから、
港平行ったりするけど、
はいはいはい。
なんかそれ以外の理由で、
あまり行かないね。
まあまあ、
そうね。
確かに行かないかって感じだけど、
はいはいはい。
うん。
まあでもね、
開拓というか、
村田君はやっぱ、
中華街のバーとか、
いろいろね、
行ってるじゃないですか。
バーだけは確かに、
57:02
増えてるじゃないですか。
言われてみれば。
なるほどね。
うん。
そうですね。
結構もう、
割と根付いて、
よく行く店とかも開拓しているのが、
この辺の面白さかなと、
思いますけど、
どうですか?
ざっと、
今まで振り返ってみて。
僕ね、
なんかいろいろ、
あの、
いろいろ洋商品から、
うん。
振り返って、
横浜においてやっぱ僕、
あんまいないっていうのは、
あったけど、
うん。
やっぱ、金沢区か、
うん。
長区が、
ほぼ、
連れた予感は、
みたいな。
ああ、それで行くと、
区で行くと、
うん。
金沢区、
中区、
緑区に絞られてる、
ほとんどは。
うん。
まあその、
上岡で、
確か、
高南区だ。
ああ、そうかね。
まあ上岡がいたみたいな、
確かあるけど、
意外とやっぱ、
あんま行ってねえな、
みたいな。
でもね、
それに行くと、
それよりも一歩手前で思ったのが、
神奈川県やその、
基本的にはその、
今の人生の生活圏内が、
神奈川県か、
東京都なのよ。
うんうんうん。
なんだけども、
神奈川県は、
横浜市以外、
全然わかんない。
ああ、
親戚も、
そっか。
うん。
親戚も、
高南区に、
うん。
一番近くでよく会ってる親戚がいるから、
うん。
うん。
それも含めてだし、
はいはい。
うん。
村滝集まるときも、
だいたい神奈川県内で、
うんうん。
うん。
横浜市以外に出ることは、
ほとんどなかったな。
うーん。
うん。
僕、
おじいちゃんおばあちゃんが、
ずしたから、
うん。
あと、
もう死んじゃったけど、
横須賀とかだから、
うんうん。
結構南の方は、
親戚が多いんだけど、
うん。
あと世話区にいるね、
親戚が、
おじいちゃんおばあちゃんが。
あ、そうなんだ。
でもなんかほんと、
子供のときなんか、
遊び行ったぐらいで、
うん。
年賀状やりとりするぐらいだった。
全然、
世話区に僕は詳しくないんだけど、
やっぱあれだ、
横浜、
大して開拓してないな。
みたいな。
開拓。
いや、して、
すごい思ったな。
してはいるんじゃない?
その、
エリアとして広がってるかっていうと、
うん。
確かに。
そうだね。
その、
特定の区をずっと、
今だと中区を、
とととととと。
そう。
中区を今掘り下げてる感じ。
そう。
それも掘り下げてる。
中区みたいな。
いやー、確かになー。
あんまり開拓してないからなー。
いや、ほんまやっぱ、
行かないねー。
行かないっていうか、
まだまだ全然知らないね。
横浜市全体で見てみると。
ちょっと足を運ぶっていうのをさ、
これ100回記念のいい機会でした。
はいはいはい。
まあその、いわゆる、
年始みたいな感じだけどさ、
ちゃんと、
今年。
そう。
去年、去年かどっかでさ、
全ての区について喋るっていうのやったときなかったっけ?
もう2年も前。
あー、あの、
序盤に近いか?
何区が、
いつからできてたのかみたいな感じで。
うんうんうん。
区の歴史みたいな。
そう。
ちゃんと横浜市の中のさ、
うん。
一個一個の区にさ、
1回行ってみるみたいな。
そう。足を運んで、
確かにねー。
なんかその、
この区だったら、
別になんかその、
1:00:00
その区の全てを知るのは多分無理なんだけど、
うんうんうん。
この区での思い出ってこれかなーみたいなさ、
はいはいはい。
今金沢区の思い出はとか、
長区の思い出はって聞かれたら言えるじゃん。
そうだね。
こんな思い出はこの区にあってみたいな、
うんうんうん。
感じで、
これがこう区ごとにさ、
確かに。
うん。
一個ずつ作っていくみたいなね。
栄区の思い出とか。
うん。
はいはいはい。
磯子区の思い出はあるわ。
磯子はさ、
確かにほら、
うん。
えーと、
それこそしんすぎた、
とかね。
まあ、
あ、
しんすぎたって磯子区なの?
磯子はしん、
磯子区はそうじゃない?
磯子はね。
だからまあ、
割と金沢区と長区のほら、
間ぐらいいるから、
うん。
まあ確かに、
言われてみれば磯子区はあるかも。
うん。
そうね、確かにね。
それこそね、
ねぎしの、
うん。
プールとか。
うん。
確かに磯子区だし。
そうか。
確かにあったわ。
うん。
あったわ。
まあでもそんな感じでさ、
うん。
この区だったらこれみたいなさ、
うん。
今ちょっと横浜市っていうのでさ、
一旦こう思い出をこうさ、
そうね。
さらったけどさ、
はいはいはい。
割と区が限定的だったっていうのはさ、
ちょっと明らかになったじゃん、
我々。
かなり、
まあ明らかですね。
うん。
鶴見区とか、
この北区とか、
うん。
全然、
緑区もないね。
これ足りないってことだよ。
足りないですね。
続き区。
うん。
足りないですね。
そう、全然足りないよね、だって。
はいはいはい。
うん。
から、
行くか、
堺区に。
いいじゃん、
だから今年さ、
麻坂区、
麻坂区に行かなきゃ。
区何カンだっけ?
4カン。
ちょっと数も覚えてないぐらいのさ、
うん。
まずちょっとポンコツだけどさ、
我々。
はいはいはい。
ツーラシアとか。
月に、
でも月2個ぐらいは、
行かないと覚えて作らない。
今年の、
やべえな。
今年中に、
結構難易度高いね。
終わんなくなっちゃうのか。
まあちょっとそこまで焦んなくてもいいけどさ、
そうだね、そうだね。
でもなんかちょっと、
この区の思い出みたいなのさ、
ちょっと。
よくないのか、
横浜市のさ、
地図でさ、
これ多分日本全国でやってる人は多分たくさんいると思うけどさ、
はいはいはい。
この県には行ったことがあって、
これで何したとかさ、
はいはいはい。
多分日本地図持ってやってる人いると思うけどさ、
うーん。
じゃあそれ横浜市の地図でやろう。
そうだね。
まあ手分けしながら。
そうそうそう。
分担して、
あの、
それで2人でそれぞれ分ければ、
うん。
ね、そもそも行くの半分でいい。
行けるレベルか。
そう。
そしたら半分でよくて、
そうね。
月1で行けば。
せやく行っちゅうか。
うん。
それちょっと面白くない?
そうだね。
うん。
僕じゃあちょっと、
海沿いか、
行くわ。
なんで?
神奈川区とか、
鶴見区とか。
そしたら内側の山とかさ、
行かなくちゃいけないじゃん。
嫌なんだけど。
嫌だって、
嫌だっておかしいな。
言葉に気をつけて。
ちゃんと分担しようよ。
そっか、そっか。
県に遠くするよ。
行きやすいか。
いえいえ。
ね。
行きましょう。
ちょっとお互い分担して。
そうやって線を使って行きましょう。
そうですね。
でもそんな感じで、
そんな感じで、
我々の、
うん。
社会記念ということで、
追い出しと、
横浜の思い出でございました。
でした。
はい。
今後とも、
101回目からも、
よろしくお願いします。
お願いいたします。
はい。
じゃあ、そろそろ、
花も満開ということで、
今日はおしまいにしましょうか。
はい。
港町レイディオでは、
皆さんからのお便りを
1:03:00
募集しています。
概要欄のフォーム、
もしくはXで、
ハッシュタグ
港町レイディオをつけて、
投稿お願いします。
ではまた、
次の港町レイディオで
お会いしましょう。
さよなら。
01:03:13

コメント

スクロール