特別な水曜日
こんにちは、シロリーのセラピストみもざです。今日は週の真ん中の水曜日ですね。
今日は特に予定のない1日でした。カレンダーが本当に真っ白っていう、私も結構久しぶりの本当に何にもない水曜日でしたね。
本来なら、フィジカルな仕事はなくても、何か記事を書いたりとか宣伝をしたりとか、
何かそういうことをしようかなーってお客さんにメールをしたりとか、そういうことをしようかなーって考えたんですけど、
今日は夫のおばあちゃんのお家に行ってきました。
私の夫はマレーシア出身の王子なんですけれども、
マレーシアから結構、おばあちゃんだったり、おばさん、おじさんだったり、いとこだったりが結構シドニーにいて、
実際の親はマレーシアに住んでいるのでいないんですけど、親戚が結構近くに住んでいるという感じですね。
そのおばあちゃんが96歳を回って、今年に入ってあまり体調が良くないということで、
ADLが下がっているというような日常生活にヘルプがいるような感じになってきて、
おばあちゃんと一緒に住んでいるおばさんも結構疲れているという話をちょこちょこコミュニに挟んでいたりとか、
実際にいつだったかな、母の日に会ったから1ヶ月ちょっと前ぐらいかな、
会った時もやっぱりしんどいって言って、その時マッサージをしようとしたんですけれども、
喜んでくれたりということもあったので、
今日はひまやしに行くよって言って昨日夫に言って、
今日お昼間買い物を少しして彼らのランチを買って、おばあちゃん家に約2時間半ぐらい滞在しました。
結果、行って良かったなって思っています。
別に何をしたってわけでもないけど、
家族との大切な時間
ただランチを届けて、おばあちゃんと一緒に歩行練習をしたりとか、
トイレの回路をちょっとだけしたりとか、
あとはお話ですね。おばあちゃんとお話したり、そのおばさんとお話したり。
なかなか普段家族の集まりとかで会うと、
深い話とか一対一でじっくり腰を据えて話すっていうのはなかなか私もしたことがなかったんですけど、
子どもたちもいるしね、うるさいしね。
でもなかなか良かったかなっておばさんのこれまでのストーリーを聞いたりとか、
おばあちゃんの昔の話をちょっと聞いたりとかっていう感じで、
すごい良かったって来てくれてありがとうって最後に言ってもらいました。
普段ね、ほとんど私も家で仕事をしてるので日本語しか喋ってなかったけど、
おばさんもね、おばあちゃんも英語。
おばあちゃんに関してはもう中国語がメインなので、
英語に関しては本当に単語単語で話すっていうぐらいなんですけど、
久しぶりに英語もいっぱい聞いたなっておばさんすごい喋るから、
いっぱい聞いたなって思ったし、
私も将来的にやっぱり高齢者のケアとかしたいなって、
ケアラーとしてじゃなくてマッサイセラピストとして、
こういう孤独で一人寄せを過ごしてる方だったりとか、
あとは痛みに耐えながら薬を飲みながら、
尻尾張りながら生きてるおじいちゃんおばあちゃんってやっぱり多いと思うんで、
そういう人たちに何かできたらいいなってずっと思ってたから、
やっぱりこういうことをやりたいなっていう最確にもなったかなって思ってます。
言ったらね、仕事を家で色々できたし、
やりたかったっていう思いもあるけど、
今までちょっと遠慮をしてたんですね。
おばあちゃんが調子悪いとかね、
ちょっと前から小耳には挟んでたけど、
私はどうしようかなって、義理の家族なわけだから、
あんまり出しゃばっても良くないのかなとかね、
そういうことを思ってしまってて、
大変だって聞いた時にまず夫にどうするって言って、
夫もなかなか忙しいから家に行くってこともね、
月一回ぐらいしかできてなくて、
やっぱり電話だと忙しかったりして取れなくて、
そこから連絡が取れなくて、
大丈夫かなとか見えないからね、
余計やきもき夫もしてたと思うんですけど、
実際に会ってみたら全然普通の日常を送ってて、
そんなに家が荒れてったわけでもないし、
おばさんも比較的穏やかだったし、
おばあちゃんも割と今日はクリアだったなって。
一応なんか、なんて言うんだろう。
ちょっと待って言葉が出てこない。
認知症とは診断されてるけど、一番ローレベル。
診断されてるみたいだから、
いい時もあればちょっとボケとしてる時もあるみたいな感じで。
でも今日行ったら私のことは、
普段私のことちょっと最近認識されてなかったですね。
誰やあなたみたいな感じだったんだけど、
今日は私が夫の妻だってことは分かってたし、
私たちの子供のこと、男の子と女の子だよね、
学校行ってんの?みたいな感じで結構クリアだったなって思います。
いつもね、私忘れられてるから、
私夫の妻なんだよってね、いつも説明するんだけど、
今日はそれ言ったら分かってるよみたいな感じで言ってくれたから、
良かったと思って。
私はそういうビッグファミリーじゃなかったから、日本で。
本当に各家族、自分の親と私たちの兄弟。
おばあちゃんもいたけど、結構割と早くに亡くなっちゃって、
もう一人のおばあちゃんも火薬にぼけてたから老人ホームに入ってて、
なかなかこう、今思うと結構気迫だったなって、その関係が。
直のおばあちゃんね、ギリのおばあちゃんじゃなくて直のおばあちゃんだったけど、
あんまりよく分からないまま、おばあちゃんは亡くなっていたなと。
だからそういう意味で今日行ったときに、
おばあちゃんもいろんなストーリーがあって、今まで90代まで生きてきて、
いろんな経験をしているから、もっとやっぱり絡んどいたらよかったじゃないけど、
その人がいるから、私がここでこうやって喋ってられるわけなんで、
いろいろもっと聞いてみたかったなっていうふうにも、今日は感じました。
今後の思いと決意
今日なんか面白いなと思ったのが、面白いって言っていいか分からないけど、
おばあちゃんがね、日本語の歌を歌えるよって、おばあさんがね、言ってくれたんですね。
っていうのも昔、日本がマレーシアに進行してたときがあって、
1938年ぐらいって言ってたから、
ほんとにおばあちゃんが10歳、12、3歳のときかな?なんですけど、
そのときにやっぱり日本の教育がそこで行われたみたいで、
今日おばあちゃんが急にね、アイユウエオー、
リズム忘れたけど、こんな歌をね、歌聞く傾向みたいなね、
そんな歌を歌ってて、すごいと思って、
80年ぐらい前の記憶をね、ほとんど忘れたって言ってたけど、
なんかそんな感じで歌ってて、
そんな歴史があるのも私は恥ずかしながらね、
このマレーシアの夫と結婚するまで知らなかったし、
そんな日本がね、ひどいことをしてた時期があった。
その時代を生き抜いたのが、
おばあちゃんっていうのがまたすごいなって、
面白いって言ったら面白いのかどうかわかんないけど、
なんかすごいなーって、なんかありがたいなーって、
おばあちゃんがいたから夫がいるんよなーとかね、
そういうことまで結構しみじみ考えてました。
なので、なんか今まではほんとに義理の家族だからと思って
遠慮してたけど、これからはもうちょっとね、
私も結構今生活ニュートリアルも出てきたから、
だからこそなんかこういうね、ボランティアじゃないけど、
まあちょっと顔見に行って、
ちょっと喋り合いになってあげるっていうだけでも、
もしかしたらおばさんにとっても、
おばあちゃんにとっても気分転換になったかなーと思って、
だから今日はちょっとなんかいいことした気分。
で、なんかこうウキウキね、天気もよかったし、
帰ってきました。
これからもっと頻繁に会いに行こうかなーって。
もうなんかあの、おばさんとかはね、
家族ってやっぱ私のことを思ってくれてるし、
私ももう付き合いが10年弱ぐらいになってきたのかな。
2018年に結婚したので、
その1年前ぐらい、17年ぐらいからの付き合いかな。
8年かな、1年目かな。
だからね、意外と知らない間に関係も濃くなってきたのかなーっていう風に
今日は感じてました。
はい、そんな感じで今日はなんかいい気分の水曜日でした。
で、ちょっとね、家に帰ってきたので、
そこからお客さんにメールをしたりとか、
あとは、ラジオは久しぶりに喋りたいと思ったので、
ラジオ一つクリアしたのと、
こんな感じかな。
で、やっぱりおばあちゃんと今日絡んで、
高齢者のケアに携わりたいってやっぱりまた思ったから、
あとおばさんにもね、そういうところに登録したら、
そういう仕事もらえるんじゃないっていう話もあったから、
おばさんは全然知識がなかったけど、そこに関しては。
私もちょっと調べてみて、
私もケアラーの仕事も持ってるし、資格も持ってるし、
マッサージの資格もね、しっかりマッサージ協会にも入って持ってるから、
その辺アプライするためにちょっと動き出してみようかなっていう風に
も、今日は思いました。
なんか決意をまた新たにしたような感じでした。
あと一番嬉しかったのは、
おばさんが1ヶ月前にマッサージしたときに、
あれがすごい一番良かったって。
なんかフィジオとか、
チャイニーザ・パンクチャーっていうハリー市の人のマッサージより、
あれが一番いいっていう風に言ってもらえて、
さすが小知識って、改めてそこもね、思いました。
そんな感じで、今日はなんか私の休みの、
どんな休みを過ごしたかっていう報告のラジオになりました。
おばあちゃんと絡めて良かったなって、
やっぱり高齢者を大事にしたいなっていう風に思いました。
それではさよなら。