忙しい日々の中での思索
ちょっとですね、また考えていることがいろいろあるんですね。
今年になってですね、ちょっと徐々にですね、久しぶりに、久しぶりって言ったらよくないんですけど、
仕事がちょっとね忙しくなってきてます。
結構忙しくなってきてます。忙しくなってきてるというか、忙しくさせているというかですね、忙しくしなきゃいけないっていうようなフェーズになってきていて、
ここがんばりどころだなっていうようなところに来ているんです。
なのでですね、結構集中して、この1年は真剣にね、いつも真剣にやってないっていうことではないんですけれども、
うかうかしていると大変だなっていうふうに、ちょっと危機感を感じながら、本業は毎日仕事をしているような形です。
週1、2回はね、やっぱり出社してるんですよ、私も。出社して、オフィスの中でフロアも増えていて、結構快適に過ごせる場所があるので、
そこでですね、チーム体制で仕事をしているものの、割と自由にね、させてもらうことができるので、
基本的に私の仕事は、私が始まって私から終わるっていう、自己完結ができるような立ち位置にいるので、
のびのび仕事をさせていただいているんですが、ここに来てですね、ちょっと危機感を感じているので、ここは踏ん張りどころだなっていうところになってきてます。
そんな中で、私いろいろ、普段ね、ぐるぐるぐるぐる頭の中でいろんなことを考えることがあって、だからといって視野が狭くなっているという感覚はないんですね。
家にいながらも世界を見ることっていうのは、インターネット上とかであれば十分できるし、はいっていうようなところなんですが、
最近ちょっと、いろんな見たり聞いたり読んだりして、疑問に感じたり考え込んじゃうなっていうところが、コミュニティっていうところなんですよね。
私はコミュニティに属したことはあります。がっつり属したことはコロナ中にあって、コロナ期間ってみんなコミュニティとかオンラインサロンってすごい流行ったので、分かると思うんですよね。
ただですね、1年未満でさっと抜けちゃったんですよね。
いつもそうなんですが、どこかにちょっと深く属そうとすると、どたんと価値観が異なってくるんですよ。
私がきっと悪いんでしょうね。私が多分変人なのかもしれないんですが、どこかでボタンの掛け違いみたいなところとか、あとは価値観があまりにも違ってきてしまって、
私はちょっと長く属せないなと思って離れていくことっていうのが多々あるんですね。
これは幼少期とか学生時代もそうなんですが、とにかく眠れるのが嫌いだったんですよ。
で、むれてる時期も一瞬はあったんですけれども、ちょっと途端とむれると弾き飛ばされるっていうのが私の特徴なんですよね。
弾き飛ばされなかったことってないんじゃないかな。一度もないと思いますね。私が弾き飛ばしたこともないし、弾き飛ばされたことは多々ありますね。
だいたい無視とか、急に挨拶しても、おはようみたいな、わかりますよね皆さん。おはようって言った瞬間に態度が違うっていうのが一瞬でわかるじゃないですか。
ああいう感じのことをやっぱりやり続けられてきてるんですよ。その中で、むれてるのは良くないというふうに私の中で結構頭にこびりついちゃったんですよね。
一番損している方だなと思うのが、むれたくないのに断れなくてむれてる人ってめちゃめちゃ多くないですか。日本人に特に。
こういうのが私は好きじゃないんですよね。好きじゃないし、一番この人損してる、かわいそうって思っちゃうんですよ。
私はどちらかというと結構自由人みたいなところがあるので、真面目だけども自由人っていうところがあるので、なんか芯が通るというか、これと思った時はスッと抜けることができるんです。
しかも急に消えるっていう感じのこともできるし、一瞬でいなくなるっていうこともできちゃったりするんですよね。忍者みたいですよね。
そういう性分なんですよね。
皆さん、やっぱり寂しい人と関わりたいということで、サードプレイスっていうような形のものっていうのをたくさん求める方っていらっしゃると思っていて、私はそれに対して全然否定的じゃないんですよ。
サードプレイスはたくさん持っておく方が心の安定にはつながるっていうのは、よくその本とか、よく皆さん言われてますよね。それは本当にその通りだと思うんですよ。
ただしですね、ひとたびお金が絡んできたりとか、例えば人と仲良くするためにお金が必要、しかも結構高額ってなってくるとまたちょっと話も違うことになりますし、
たとえ高額じゃなかったとしても、数千円のものが50回やったら数万円になるじゃないですか。もちろん2回で7千円とか8千円とかそういうものがあったとしたら、2回で1万円以上になるし、50回とかなるともっと金額が上がりますよね。
という細かい出費が挟むものっていうのも、私は定期的に何かに俗視したりとかっていうのは、ちょっと多分私の性格には合ってないんですよね。
ってなってくると、私にサードプレイスっていうのが必要なのかなっていう、そこが結構疑問になってきたんですよ。
私は多分心の拠り所っていうのを、おそらく家族以外で必要としてないんですよね。なぜかっていうと、多分自分が結構あるんですよね。
だから自分がこう思ってこうするってなったら、もうそこを突き進む以外、周りを見ないんですよね。見えないのかもしれないし、見ないっていう感じなんですよね。
だからですね、あまりどこかに俗視して何かをする、俗視している同士で同じ意見を共有するっていうのが、多分得意じゃないんですよね。だからですね、やっぱり弾き飛ばされるんでしょうね。
ただ私は、やっぱり俗視っていうのが得意じゃない分、弾き飛ばされた時も別にショックは大きくないんですよ。そもそも自分がこういう性分だからっていうのが分かっているので。
なので、一人が皆さん寂しいですかっていうことなんですよ。一人は最大の贅沢だと私は思っていて、一人でいさせてもらえる環境があるっていうのは、とっても私にとってはありがたいんですよね。
一人の重要性
だからですね、一人で何かをするっていうことに楽しみを見出してくれた、過去に私をいじめてきたり弾き飛ばした人に感謝してるんですよ。
おそらくですね、どこかにいつも独視したいっていう方は、あんまりね、いじめられてきてないと思うんですよね。私は結構ね、拒絶したり批判されたり否定されたりっていうのが、多分ね、計り知れないほど多いんですよね。これは職場でももちろんありました。
だからこそですね、なんかもう免疫がついてしまって、ちょっとやそっとじゃね、全く凝りないんですよ。凝りないし、もう俗しているふうには見えます。例えば職場に俗するっていうのも一つの、コミュニティって言ったらおかしいですけど、職場はそうですよね。
でも俗していながらも、俗している体をそこに置きつつ、別の自分が頭の中にいて、その別の自分がその俗している私を見ているっていう状態を常に何か作っているので、自分の中でいくつも人がいるっていうような感覚に今なってるんですよ、この年にきて。
だからですね、同じ考えの方とばっかり接するっていうのも、私の中ではちょっと違って、いろんな考えの方と接して、自分とは全く真逆の意見で、反対意見であっても聞きたい、話してみたいっていうところなんですよね。
これを総合してみると、私にとっての多分コミュニティっていうのは不要なんですよね。不要なんです。一回コミュニティ独してしまうと抜けられないっていうのがあります。だからこそ、いろんなコミュニティにいくつもいくつも所属をしていく人っていますよね。
それはいつでも抜けられたり、コミュニティを変えるためなんですよね。ただ私はそのコミュニティさえも、おそらくこの年になってきていて、いらないっていう結論に至っているんですよね。
ちょっと何の話をしているかわからない方もいらっしゃると思うんですが、結局ですね、結論としては、一人でいいの。いいのってことなんですよね。ただ、たまに喋れる方、話せる方、会話ができる方っていう方がいれば、もうそれでいいんですよね。そうなんですっていうところに行き着いたので、今日ちょっとそんな話をしてみました。
皆さんコミュニティに属したいですか?コミュニティに属して何をしたいですか?コミュニティに属する目的って何ですか?そこをちょっとね、もし考えたこともない方いらっしゃったら、考えてみるのも面白いと思います。自分の性に合っているか、自分の今のコミュニティ属している方がいらっしゃれば、そこは自分の居場所なんですか?っていうことですね。終わります。