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2025-02-15 17:37

コミュニティについて考える(2025/02/15#74)

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こんにちは、たけのむです。今日はですね、タイトルに書いたんですけど、コミュニティについて考えるということで、ちょっと語ってみたいと思います。
皆さんね、コミュニティに生きてる限り属すると思うんですよね。
日本で生まれると、最初のコミュニティは家族ですかね。家族っていうコミュニティがあって、その後徐々に、保育園だとか幼稚園とか行き出すと、そこで同じクラスでコミュニティができたりしますよね。
小学校とかも行き出して、コミュニティっていうのができて、小中高、大学行く人大学行ったり、専門学校行ったり。
働き出すと働き出したら、会社員、同じ会社のメンバーだとかコミュニティとか、あるいはサークル活動だとか。
今だと、スタイフはSNSっていうのかな、ちょっとわかんないですけど、昔で言ったらミクシーとかXとか、Facebook、Instagram、そのあたりのコミュニティ。
コミュニティを自分で広げていくことができるので、コミュニティってあれですよね、全部が全部同じ自分で統一する人もいれば、コミュニティごとに顔が違う人もいますよね。
私もそうですね、Facebookとかは本名でやってますけど、Facebookはほとんど登録してほったらかしかな。一時期はやってたこともあるんですけど。
スタイフとかXは同じタケノムっていう名前でやってますけど、スタイフとXぐらいかな、共通にしてるのは。
人間関係をそのコミュニティごとに構築したりすると思うんですけど。
そうですね、コミュニティに属することって楽しいではあるんですけど、モロハの剣的なところもあるなと思っていて。
人間関係、そういうコミュニティに属して、10人、20人、グループの数はわかんないですけど、そういうところに属してしまうと。
ちょっと揉めたりいざこざがあると、そのコミュニティから大会せざるを得なくなったりだとか、気まずい感じでコミュニティに属したままになったりすると。
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これね、リアルの社会のコミュニティよりも、SNSとかだと結構復帰というか、そこからの脱出が難しい気がするんですよね。
なんでかっていうことを考えると、やっぱりネットのコミュニティって、やっぱりどうしてもテキストメッセージ、S台風だったら音声配信ではあるんですけど、
一部の側面しか伝わらないというか、リアルのコミュニティよりも伝わる情報量がやっぱり少ない気がするんですよね。
なので、やっぱりボタンの掛け違いがすごい起こりやすいなという感じがするんですよ。
全員が全員かどうかわからないです。これは私の持論ですけどね。
私自身、コミュニティで爆発してどうこうってなったことがあるわけではないんですけど、そういうふうになったりするのを見たり聞いたりして。
特にネットの付き合いって基本的にはオフ会とかない限り顔も知らないですし、その人のバックボーンとか、内に秘めてる思いとかも知ることはないじゃないですか、基本的には。
推察することはできるんですけど、そんな中、テキストコミュニケーションだとか、一部の側面しかコミュニケートできないような情報をやり取りすると、結構こじれることが多い気がするんですよね。
これ、こじらせって性格にもよるんですけど、「あ、そう、じゃあもうどうでもいいや!」みたいな感じでほったらかすしにできる人はできるんですけど、
これね、ちょっと執着しちゃうと、本当に自己崩壊が始まっちゃうパターンっていうのがあるんですよね。
そういうタイプの人って、ネットのコミュニケーションというか、コミュニティでの活動に向いてないんじゃないかなっていうのはちょっと思うんですよ。
だからといって、そういうコミュニティをね、一切合切離れてっていうのも難しかったりするんでしょうけど、
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やっぱりリアルの属するサードプレスっていうか、自分の居場所っていうのがちゃんとある人っていうのは、そこから自己崩壊しないんじゃないかなっていう感じはしますね。
あるいはもう、ここをここをというか、一人でも自己をちゃんと確立して生きれる人。
そういう人はあんまりコミュニティにそもそも依存しない気もしますけどね。
なのでね、コミュニティって面白いではあるんですけど、反転すると危険性もあるよなっていう感じもしますね。
ここはね、ちょっと人にもよるっていうのもあるんですけど、私が属しているコミュニティっていうのは正直緩いコミュニティしか属してないので、あんまりヤイヤイなったりすることはないし、
幸いリアルの家だとか、職場は別に人間関係どうこうっていうか、職場は仕事関係っていう感じなんであんまりそこまで深い人間関係を構築するということはないんですけど、
特にね、私の場合リモートで仕事をするっていうこともあって、
全職のメンバーとかとは同じ大阪っていうところで飲みに行ったりすることもありますけど、
やっぱりリアルの人間関係をしっかり持っておいた方が、SNSとかのコミュニティの中で例えばトラブったりしても、買える場所というか実際のホームがあるっていうのはいいと思うんですよね。
ちょっとね、事故を確立してない状態であるコミュニティとかに依存しすぎちゃうと、そこがたちまちアウトになると居場所を失ってしまって、ちょっと迷走しだすっていうことがある気がしますね。
でもこれね、インターネットがない時代ってどうだったのかな。
その時って文通とかはもちろんありましたけど、リアルのコミュニケーションしかなかった時代っていうのがあるはずですよね。
ちょっとどの時代まで遡ればいいのかあれですけど。
そういう時はあれですかね、今ほど複雑じゃないのかな、人間関係とかコミュニケーションとかがね。
そういう意味だとね、今このSNSとかネットとかスマホとか全盛期っていうのは難しい時代になっているのかもしれないですよね。
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私がインターネットやりだした頃っていうのは、Windows98ぐらいですかね。
自分が高校2年生とかだったんで、何年前?25年前ぐらいですかね。
その前はパソコン通信とかがあったんであれですけど。
でもね、その頃はSNSみたいな形のものはなくて、もっと情報のやりとりがある種そんなにネットワーク感がないというか、
発信しては受信して、発信しては受信してっていう、あんまりそこがリアルタイム性がないからあんまり今ほど複雑じゃなかったのかな。
今のこのSNSとかっていうのって、色々人間関係が複雑に絡み合ってしまうので、こじれやすくなっている気がしますよね。
そこでこじらせるぐらいだったら、もう本当にネット立ちするぐらいいかないと、なかなか執着しすぎるっていうのはね、自己崩壊に本当につながる気がしますね。
いやーちょっとね、自分自身ももともと依存的な性格なので、昔でいうとソロアーギャンブルにハマってた時期もありましたし、今はあんまり執着するものがなくなったんですよね。
まあいい意味で分散してるのかな。年齢重ねるごとにあれですかね、色々興味を失うってわけじゃないですけど、色んなところにパワーが分散するので、家のことも忙しかったりしますしね。
それこそ子供の面倒を見たりだとか、さっきも言ってたんですけど、習い事を連れて行ったりだとかね。今も長寿が舌をズリズリハイハイしてるんですけど。
危険なのはやっぱり暇なことですよね。ギャンブル依存とかになってこじらしてた時って、仕事はしてたんですけど、やっぱり時間を持て余してたというか、やっぱり暇な時があるんですよね。
自分の時間がありすぎるっていうのも毒な気がしていて。だからやっぱりね、そこで仕事に打ち込むとか、いろいろパワーをかける先があればいいんですけど、そのパワーを持て余しちゃうと変なところに走る気もしていて。
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取り留めもないんですが、コミュニティは恐ろしさもあるよなと思いながら、今日ちょっと考えてました。
ちょっとね、そういう形で、何か意見が異なった時にお居合のつけ方が難しいし、気をつけるべきは距離感の取り方でしょうか。
なので、何か入れ込んじゃうと本当にちょっと疲れちゃいますよね。距離感の取り方ね。
これね、やっぱり性格にもよるんだと思うんですよね。
拒否されたとか感じてしまうと、全てが終わってしまうというか、ちょっとあれですよね。
仕事とかでメンタルとかやられてしまう人も、仕事がやっぱり全てになって視野強削っていうんですか、視野が狭くなってしまって、
仕事で評価が出せないイコール人生おしまいみたいな感じで考えてしまうと、そうなっちゃうっていうね。
実際ね、物事一つなんて、本当に世界規模、宇宙規模で考えたら本当にどうでもいいことしかないんですよね。
そこはやっぱり年齢を重ねるっていうのもあるのかもしれないです。
別に10代20代が未熟っていう話でもないと思うんですけど、それこそ30代40代50代でも視野が狭くなっている人はもちろんいますし、
メンタル悪くする人は、そもそも脳内のドーパミンセルトニーの発生的に、ある意味病気っていう話もありますしね。
でもやっぱりね、心持ちっていうのも一種の予防になると思うので、
コミュニティの所属の仕方、入れ込みの仕方、距離感の取り方っていうのはやっぱり意識しておかないと、やっぱり自分を持っておかないとっていうところがあるんだろうなぁと。
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本人さん、過去いろいろやらかしたこと思い出しますねということで。私もそうですね、若い頃中か、前話しましたね。これはリアルの友達関係ですけど、
友達関係で仲のいい友達同士が遊んでたら、こっちが嫌な気持ちになるみたいな、中学生みたいな話したんですけど、そんなことも昔はあったんですけど、そこはやっぱあれかな。
年齢重ねるごとに成熟してくるのと、相手は別にそんな大したことも考えてないというかね、思ってやってるわけでもなくて、ある意味、自己中心的なんですよね。そういう考えというか、そういう思いというかね。
なので、どこまで俯瞰して自分を見れるかというところですかね。そんな世の中は自分を中心に回ってるわけでもないので、自分がこう思った、自分がこう感じた、自分がこうしたかったみたいな話って、いやいや、そんなん知ったこっちゃないやんっていうね、世の中的には。
本当に相手は対して自分のことを考えてるわけでもないし、そんなコミュニケーションというか、そのコミュニティの中だけで生活するわけでもないので、本当に本当にごく一部の事象でしかないので、
まあね、もうちょっと広い視野というか、ある種定観というかね、諦めの境地じゃないけど、そんなに自分を中心に世界は回ってませんよっていう話ですかね。
そう考えるだけでね、気が楽になると思うんだと思うんですけどね。自分がこんだけ考えてるんだから相手もこんだけ答えてくれるはずだみたいなね。そこはね、本当に自己中心的な考え方だと思うので。
長くグダグダ喋って、回答も何もない話なんですけど、今日はそんなようなことを考えてましたという放送でした。はい、ちょっと回答も何もないんですがありがとうございました。
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