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言霊の力であなたの人生を変えるコーチ天野です。 今回のテーマは、人生は既にシナリオが組まれているです。
人生は既にシナリオが組まれていると、こういうことはよく言われるわけですよね。 これっていうのは本当にそうなんですよ。
ただ、シナリオが組まれているとは言っても、すごく次元の高い話になってくるので、僕らの理解力というか、この人間の脳みそからすると、すごく矛盾だらけに思えるようなことだったりします。
つまり、このシナリオが組まれているという、こういう言葉で表現するしかないんですけど、
ただ、本当のことを言うと、この一言で済ませられるようなことでもないんですね。
ただ、こういうことをあまり言ってもしょうがないので、わかりやすく言葉で表現すると、人生は既にシナリオが組まれていると、それは間違いないわけなんですよ。
もうちょっと正確に言うとですね、本人が知らされないままドッキリをされているみたいな感じでしょうかね。
これってある意味、シナリオじゃないですか。シナリオ。
というのも本人としては、日常を一生懸命、もうシナリオのないまま生きているわけですよね。
だけど、周りの人はシナリオ通りに動いているっていう。
ただ、本人だけが知らないシナリオみたいな感じ。
格闘技とかでもありますよね、プロレスとかでも。
相手だけが八百丁だと知っていると、自分は真剣にやったみたいな。
じゃあそれは八百丁と言えるのかどうかっていうのは、これはちょっと表現によって違ってきますよね。
俺は真剣に戦ったんだって言っても、相手はシナリオ込みでやってるわけですから。
その場合は八百丁というのか、それとも真剣勝負、ガチと言えるのかっていうのは見方によって変わってきますよね。
で、言ってみたらこういうような感じで、見方によって変わってくるわけですよ。
最初言いましたよね。人生はシナリオが組まれていると。
だけどこれは僕らの頭脳、人間の理解力からすると矛盾に思えるようなことなんですよね。
見方によってそれは八百丁とも言えるし、八百丁じゃないとも言える。
シナリオがあるとも言えるし、シナリオがないとも言える。
そんなようなものなんですよ。
じゃあこのシナリオがあるということを前提とした場合ですよ。
僕らが心がけるべきことは一体何かというと、ひたすら前向きに、誠実に生きていくということですよね。
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どうもこのシナリオというものは、いわゆるハッピーエンドで終わるようにできているわけですよ。
必ずいいような形で終わるようにできているわけなんですね。
だからそこは絶対的に信頼して、どんなことがあっても前向きに生きていくと。
これさっきもちょろっと言いましたけど、格闘技、プロレスでもそうですよね。
だから自分は真剣に戦っている。
だけど相手はシナリオがあるということを知っていて戦っている。
これっていうのは、自分は真剣ですから、相手からすると相手のパンチが入ってきたりするわけですよね。
そうするとつらいわけですよ。痛い、つらいという状況になるわけですよね。
だけど戦っている最中に前向きになっていくと、必ずこれはハッピーエンドで終わるんだからと。
格闘技ってことで言うと、勝つみたいなことでしょうかね。
痛いパンチが当たっても、でも大丈夫だよと、最後は勝つんだからということで、そこに信頼を置けば、
実際そういうシナリオが組まれているわけですから、最後はハッピーエンドで終わるっていう。
だから試合の途中で痛い場面、つらい場面、それはあるでしょうけど、でもそれはシナリオの一部なわけですから、
あまり深く悩むことなく、前向きに楽しく生きていこうということですよね。
まあまあそうは言ってもですよ。そんなの信用できないよと。
シナリオがあって最後ハッピーエンドに終わる?
いやいやいやいや、何の根拠があるの?っていうふうに思っちゃうじゃないですか。
で、それはですね、もうそうとしか言えないわけですよ。
シナリオがあってハッピーエンドで終わるようにできているとしか言えないんですね。
そうとしか考えられないんですよ。
なぜならば、もしそうじゃなかったらなぜこの世界があるんですか?
この次元の高い世界が。
で、なぜ人間がいるんですか?
そこに必然性はないわけじゃないですか。
別にまあ何のシナリオっていうか、そのハッピーエンドですよね。
ハッピーエンドになって喜びとか歓喜とか、そういうような感覚を得ていく。
その必要性がないとするならですよ。
別に人間なんていらないわけじゃないですか。
この世界には物体だけあればいいわけですよね。
まあ石ころとか土とか、そういう無生物ですよ。
物体だけひたすらあればいいと。
で、あとは物理法則の赴くままに、風が吹いたら何らかのものが動いて。
で、川が流れたら川の流れに沿っていろんな流木とかそういったものが流れていってと。
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こうやって単なる物理法則、万有引力とか感性の法則とか、
そういったものに従ってありとあらゆるものがただただ動いていくと。
それだけでいいわけじゃないですか。ですよね。
なのに何で人間なんてものが存在するんだってことなんですよ。
おかしいと思いませんか。おかしいと思いませんか。
別にいらないわけですよ、人間なんて。
この世にシナリオがないというのであれば、
喜びとか歓喜とかハッピーエンドとかそういったものが必要ないと。
必要ないというかそういったものがないと。
シナリオがなくてそういったところにはたどり着くと別に限らないと。
そういうふうなことであれば別に人間なんていらないんですよ。
ただただ物体だけがこの世界、この宇宙にあれば済む話ですよね。
でもなぜわざわざ人間みたいな存在がいるんだっていう。
このことを考えた場合にやはりですよ。
この歓喜とか喜びとかこの物体ではとてもじゃないけど表現できない領域。
そういった領域が必要でしょっていう。
その必要性に沿って僕らは存在しているとしか思えないわけじゃないですか。
なぜならばすべてのものは必要性があって存在しているわけですから。
必要もなく存在しているものなんてないわけですよね。
必ず何らかの因果関係があって。
例えばカブトムシの角だって必要だから存在しているわけですよ。
鳥の羽だって必要だから存在しているわけですよ。
カメレオンが色が変わるとかそういうのも必要だから備わっている機能ですよね。
必要だから存在しているんですよ。すべてのものは。
ってことは人間だって必要だから存在しているんですね。
じゃあ必要って何のために必要かというと、より次元の高い領域のことを感じていこうよっていう。
それを世界に表現していこうよっていう。
そういう必要性ですよね。
それはとてもじゃないけど石ころさんにはできないわけです。
石ころさんはハッピーエンドとか歓喜とかそういったことを感じることはできないわけなんですね。
だから人間のような意思を持った存在をこの世界、宇宙に配置して色んなことをやらせると。
人間ははっきり言って矛盾だらけですよ。
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考え方も違えば色々変な動きもする。
だから単に石ころさんみたいに物理法則に従って色々コロコロ転がったりとかそういう素直な存在ではないわけですよね。
人間はやっぱりそういう甘の弱で色んな変なことをする。
ミスもする、失敗もする、ヘマもする。
だからそれが悲しみになったり怒りになったりそういうマイナスの感情になったりすることもあるんですけど。
でもそういうことをこの世界に生み出してでもですよ。
そういうことを生み出してでもやはりそのマイナス部分を補うだけのハッピーエンド、歓喜の瞬間。
そういったものがやはり必要だと。絶対必要だと。
そう思って人間を配置したわけですよ。
配置したというのは誰が配置したのか分からないですよ。神なのか何なのか。
この世界、宇宙に発動している法則、形のない法則が必要性に従って人間というものをこの世界に配置したとしか考えられないじゃないですか。
だからこそ人生はハッピーエンドに向かっているんですね。必ず向かっているんですよ。
これっていうのはいろんな事例を思い出してみたら分かると思いますよ。
例えばですよ。スポーツとかそうだと思いますけど、スポーツっていうのはシナリオがないわけですよね。
普通ちゃんとガチンコでやってるわけですよね。サッカーとか野球とかそうですよね。
ああいうスポーツとか見てると、これとてもじゃないけど、一流のシナリオライターが書いた以上の、もう事実は小説よりも気なりって言いますけど、
本当に奇跡としか言えないようなことが起こったりすることってあるじゃないですか。
例えばサッカーで言うと、僕の世代だとジョホールバルの換気っていう90年代後半の現象があったわけですよね、日本代表の。
あれっていうのはもう日本はほぼほぼワールドカップに出れないみたいな状況だったわけですよね。
だけど最後いろんな形があっていろんな奇跡があって出れることになったと。
それもやっぱりもう奇跡としか思えないんですよ。そこで起こった現象を見ると奇跡としか思えないんですね。
いろんな伏線が最後ジョホールバルの換気で回収されたっていうような感じなんですよ。
だから日本にJリーグというものができて、日本のプロリーグですよね、プロサッカーリーグ。
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それができてドーンと花火を打ち上げるようにして大きく宣伝して人気が出たのはいいけど、でもちょっと慢心もあったんじゃないのと、ちょっと行き過ぎもあったんじゃないのと。
だからそこでドーハの悲劇みたいな感じでお前らまだまだだってことでパンとそこで門を閉じられたわけですよね、ワールドカップの。
だけどそこからいろいろと謙虚になってまた一からやり直してようやく最後にジョホールバルの換気ですよね。
これってもうなんかシナリオが誰か書いたのかなみたいな感じですよね。
だいたいそうですよね、いろいろスポーツでも何でもそうですけど、慢心があったりとか、あるいは必要以上の恩恵、実力以上の恩恵、だから当時のプロサッカーリーグってそういう感じだったと思います。
これ芸能人とかもそうですよね、芸能人の2世とかが、大物芸能人の2世とかがやっぱり下駄を履かせてもらって結構いろいろなドラマの主演になったりする。
最初はいいんだけど、でも必ず試練ってくるじゃないですか。
だから慢心があったり下駄履かせてもらったりして、だけどその後必ず試練があって、でもその後自らの努力によってまた這い上がっていくみたいな感じですよね。
これってなんかすごくシナリオが描かれているような感じじゃないですか。
あまりにも出来すぎているとか、だって普通の映画とかドラマとかもそういう感じでシナリオを組むじゃないですか、脚本家が。
いろいろ起伏を作るわけですよね。
これはもう本当シナリオが組まれているとしかもう言えないじゃないですか。そうとしか思えないですよね。
何万分、何億分の一という奇跡ですよね。そういったことがスポーツでは結構当たり前に起こるじゃないですか。
もう一回言いますよ。何万分の一、何億分の一ということがスポーツで当たり前に起こりますよね。
当たり前に起こるということはこれシナリオが組まれているとしかもう言えないじゃないですか。
伝わってます?この辺り。
シナリオっていうのは本当のシナリオ、ドラマとかで描かれるシナリオ、あれっていうのは意図的にやってるわけですよね。脚本を書く人が。
ここでこうして、こうして、こうして、ここで奇跡を起こすんだみたいな。
ここでこういう風に、こういう奇跡が起こってこの主人公はこうなっていくんだみたいなことを意図的に書いてるわけですよね。
それは意図的なんで、何万分の一みたいなことがドラマの中で起こるわけですよね。そうですよね。
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これは普通にわかりますよね。ドラマ、映画の中ではまさに奇跡が起こるわけじゃないですか。
その奇跡が面白いからみんな映画館に行ったりして見てるわけですよね。
つまり脚本家が描くことっていうのは何億分の一とかそういうことでも起こっちゃうんですよ。
だって意図的にやってるわけですから。
ってことはですよ、スポーツいろいろ見てると奇跡がそこら中で起こってるんですよ。
これおかしいじゃないですか。シナリオがないって考えたらおかしいじゃないですか。
なんで奇跡が起こるんですか。
それは誰かが書いてるとしか言えないじゃないですか。
誰かが書いてるから、シナリオを書いてるからそういう奇跡が起こるんですよ。
これっていうのは別にスポーツだけに限らず、実はもっとそんな注目されないような場面でもたくさん起こってるんですよ。
例えば少年野球とか草サッカーとか町の駅伝大会とかそういうようなところまで含めたら奇跡って本当にたくさん起こってるわけですよね。
ただそれっていうのはあまりにも、例えば町の駅伝大会とかだったらそんなに大きなものでもないし、全国ニュースになるようなことでもないし、
ただ本人だけの経験ですよね。本人と友人だけの共有できる出来事ですよね。
だからそんなに広がっていかないし、自分でもいい出来事が起こったなと思うけど、
それをあまり奇跡だとは認識しないんですよね。
人っていうのは全国放送されたりとか多くの人に知られたりとか、多くの人が認めてくれたりとか、
そういうような状況になった時にこれはすごい出来事なんだっていうふうについつい思っちゃうわけなんですけど、
でも実は多くの人が騒がなくても日常の中で奇跡ってたくさん起こってるんですよ。
単に自分がそれを奇跡だと思ってないだけなんですね。
別に少年野球とか街の駅伝大会とかそういったことにとどまらず、
本当に一人の人生っていうことで考えてみても、まさに今回のテーマは人生はシナリオがあるっていうテーマなんで、
まさに一人の人生ということに関して言及しているわけですけど、
一人の人生っていうことで考えてみても、奇跡って実はそこら中にあふれてるんですよ。
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ただ自分ではそれを奇跡と思ってないだけ。
よくよく思い出してほしいんですけど、
あの時のあの出来事が今のにつながってるような跡が、
あの時のあの出会いがあったから今があるようなことってありますよね。
で、そのあの時のあの出来事っていうのは結構な確率の出来事じゃないですか。
思い出してみてくださいよ。そうですよね。
結構な確率で起こったことですよね、それ。
まあ僕のリスナーさんのちょっとメールいただいた事例でもそういうようなことがあって、
結婚相手を見つけた時になんかそんなような感じになったっていう人もいましたけどね。
それもすごく変なことがいろいろ重なって、
まあ結婚相手が見つかったみたいな感じのことをメールで書かれてましたけど。
まあ別に結婚相手を探そうと思ったわけじゃないですよ。
なんか喧嘩みたいなことが起こって、
なんて書いてあったかな。
ツーリングかなんかに行ったのかな。バイクでツーリングかなんかに行って、
そこでヤンキーかなんかに絡まれて、で、それで怪我しちゃって、
それをきっかけになんか入院して、
で、入院した看護師さんと一緒に合婚したのかな。
で、その合婚で見つけたのが奥さんだったみたいな。
やがて結婚する奥さんだったみたいな。
まあこれって奇跡ですよね。
でも本人の中ではそんなに奇跡とも感じないとは思うんですよ。
改めて考えてみるとすごい奇跡だなと思うけど、
でも別に多くの人に知られているわけでもないし、
よくあることといえばよくあることかなっていう認識なんですよね。
大抵がそうですよね。日常の中で起こることってよくあることかなって感じですよね。
だけど実は全てのことって奇跡じゃないですか。
例えば街に出る。
街に出て誰かとすれ違う。
もうこれそのものが奇跡ですよね。
で、その誰かってのは別に知らない人ですよ。
知らないどこかの人とすれ違って、別に知らない人ですから挨拶もしないし、
単にさっとすれ違っただけ。
それは意識はしてないですよ。意識はしてない。
だけどその人と自分が出会う確率ってものすごいわけじゃないですか。
ものすごい確率の中で出会いが起こったわけですよね。
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これって奇跡ですよね。
だから奇跡がそこら中にあふれてるんだよってことを、
まずは認識していくことが必要だと思うんですよ。
で、なんで認識していくことが必要かっていうと、
この世界にはシナリオが組まれてるんだっていう、そのことに信頼を置くためなんですね。
で、そのことに信頼を置くことができたら前向きになることができるんですよ。
なぜならばそれは神なのか、高次元の存在なのか、
そういう存在が組んでくれたシナリオですから、
だから必ずハッピーエンドになるようにできてるんですよ。
で、今ハッピーエンドって言ったんですけど、
ここで言うハッピーエンドってのは、いわゆる得することとか、
良いこととか、そういうことでもないんですよね。
イメージ的に言うともう光みたいな感じですね、光。
光に満ちあふれてるような感じ。
本当言葉では表現できない領域なんですけど、
だからさっき言った日本代表サッカーのジョ・ホールバルの歓喜っていうのは、
もうまさに光にあふれていた瞬間。
これはもう言葉で表現できないですよね。
もう光っていうしかないのかな。
あるいは絵に描いたり音楽にしたり、
そういう芸術でなんとか表現できるかなぐらいな感じで、
とてもじゃないですけど言葉では表現できない領域。
この言葉では表現できない領域っていうのはもう次元が高いわけですよ。
なぜならば目に見えないから。
目に見えなくて手にとって触れないから。
一方で目に見えて手にとって触れる領域っていうのはすごく次元が低いんですよ。
例えば物体がそうですよね。
物体、石ころ、肉体。
そういったものっていうのはすごく次元が低い。
だから僕らこうやって肉体を持って暮らしているわけですけど、
この肉体というものはある意味やっぱり次元は低いんですよね。
だから僕らはこの肉体というものを使って生きて、
感じる領域、そこで何か光を感じる、喜びを感じる、歓喜を感じる。
それを求められているんですよ。
だから別にこの肉体というものをイケメンにするんだ、美人にするんだ、可愛くするんだ。
そういうことが別に求められているわけじゃないんですね。
神から。
もちろんイケメンでいようとか、可愛くいようとか、美人であろうとか、
そういうふうにいろいろ創意工夫する、美容を気をつける。
それは大事ですよ。
だけどもっともっと大事なことがあって、それは光を感じることなんですよ。
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光、歓喜。
とてもじゃないけど言葉で表現できない、手にとって触れない、目に見えない領域のこと。
それは目に見えない領域。
例えば有名な歌でブルーハーツのリンダリンダってありますよね。
あれなんてまさにそうですよ。
どういう歌か知ってます?リンダリンダ。
ドブネズミみたいに美しくなりたい。
写真には映らない美しさがあるから。
こういう言葉で始まる歌ですよね。
これってまさにそうなんですよ。
写真には映らない、目に見えない、手にとって触れない。
そういう領域の話はもうやめようじゃないかっていうことを歌っている歌なんですよ。
もっともっと高次元の光、歓喜、こういう美しさ、本当の意味での美しさ。
生きるたくましさ。
だからドブネズミっていうのは人間視点からするとですよ。
ドブに住んでて汚くて。
目に見える領域で言うと、五感で把握できる領域で言うと、
匂いもするし臭いし汚いし美しくないのかもしれない。
だけどそういうことじゃないんですよね。
そういう目に見える、手にとって触れる、匂いで嗅げる、
こういう領域の話じゃなくて、
そういう領域の話が神から求められているのではなくて、
もっともっと高次元の光、
芸術で表現するしかないような、感じるしかないような領域。
これを感じていこうってことなんですよ。
本当最初の方に言いましたけども、
石ころにはできない、石ころでは表現できないことを、
神はもっともっとこの世界に作り出したいんですよ。
そのためにわざわざ人間という矛盾だらけの存在を生み出した。
人間はやっぱり憎しみだって持つし、怒りだって持つし、
だけどそういうマイナス的な感情をたとえ抱いたとしても、
それを補って余りあるだけの光がこの世界に生み出されるから、
わざわざこんな人間みたいなものを世に放っているわけですよ。
それを感じるためにシナリオを組んでいるんですね。
そうですよね。
ドラマとか映画って、わざわざなんでシナリオを組むかというと、
喜びとか嬉しさとか光とかそういう幸せ感とか、
そういったものを感じてほしいからお客さんにシナリオを組むわけですよね。
奇跡的なストーリー、全米が泣いたみたいな、
ああいうお話を書くわけですよね。
だからまさに神はそれをやっているわけですよ。
人間に対してこういうふうに生きてくれと、
シナリオを組んであるからと、
光を感じてくれと、
感じた感覚というのは必ず残っていきますから、
エネルギー体として。
そうすると宇宙がどんどん次元上昇していくと。
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だからこの世界にはシナリオが組まれているし、
人生にもシナリオが組まれているんですね。
だからそこはもう絶対的な信頼を置いて、
いろいろ生きていたらあるでしょうけど、
でも必ずハッピーエンドに向かうんだから、
光を感じることができるんだからと、
そこを信頼して前向きに生きていくことが大事ですよね。
もちろんですよ。
そうは言っても、
例えば家族に見放され、家を追い出され、
会社をクビになり、借金を背負い、
その挙句、薬物みたいなものに手を出しちゃって、
みんなに詐欺すまされ、バカにされ、
肉体的にも心理的にもきつい思いをしながら、
人生が終わってしまうみたいな、
そういう人だっているじゃないか。
どこが光なんだ、どこが奇跡なんだ、
というふうに言いたくなる人もいるでしょうけど、
でもこれも含めて実は光なんですよ。
もう僕らのこのちっちゃいちっちゃい脳みそじゃ、
理解できないことだと思ってください。
今言ったみたいな変な薬に手を出しとか、
そういう人であったとしても、
必ずハッピーエンドに向かうんですよ。
そのハッピーエンドっていうのは、
僕らの人間の領域で判断するような
ハッピーエンドじゃないってことです。
だからそういう人っていうのは、
そういう人生を歩むことによって、
何かを感じるわけなんですよね。
その何かというものは光です、光。
だから言ってみたら、
この人生全部が学びなんですね。
今言ったような人生、家族に見放され、
家を追い出され、会社を組みになりとか、
変な薬に手を出しとか、
それっていうのは、
そういうことをすることによって、
それが学びとなって最後、
光がもたらされるっていう。
単純に根性の人生ということで言うと、
損はしてるわけですよね、
こういう人っていうのは。
すごく腐っているわけですから。
腐ったまま、拗ねたまま生きてるわけですから。
だから根性の人生で、
お得感を得ながら暮らすためには、
前向きに生きた方がいいですよね。
たとえ家族に見放されても、
いやいや大丈夫だよっていう。
家を追い出されても大丈夫だよ。
会社を組みになっても大丈夫だよ。
だって必ず光がもたらされるから。
この世界は奇跡にあふれてるから。
信頼できたら、変な薬物とかに手を出す
なんてことは絶対ないわけじゃないですか。
だから別に薬物に手を出したとしても、
そういう人はそういう人で、
必ず最後は光がもたらされるんですけど、
でも単純な話、
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もし根性の人生でお得感を得るということ、
そこに着目してみると、
やっぱり前向きに生きた方がいいわけですよね。
ちょっと抽象的な話をしてるんで、
分かりやすく具体的に最後にですね、
一つの事例みたいなものをお話しすると、
よくある、よく聞く例としては、
いろいろやったと。
いろんなバカなこともしたと。
家を飛び出し、バイクを盗みと、
自分の住んでいる土地に唾を吐きと、
それでここではないどこかへ行くんだと。
本当、J-POPとかの歌詞にありそうな、
住んでたような、ぐれたような、
そういう人生を歩んでいく。
いろいろと自分のエゴ的なものを満たしたいということで、
モテモテになりたいという方向を目指して、
モテるためにいろんなことをやる。
時にはモテたり、モテなかったり、いろいろあって。
いろいろ、本当、金が儲かった時もあれば、
借金を追っちゃった時もある。
本当にいろいろあって、いろいろあって、
いろいろありまくって、最後どうなったかというと、
地元に戻って、家族のもとに戻って、
平穏な生活に戻っていく。
で、気がついてみたら、
特に何の特徴もないような、
どこにでもいるような、
一回のサラリーマンになった、
みたいな、元不良の物語、
みたいなのってよくあるじゃないですか。
よく聞く話ですよね。
そういう事例ってよくありますよね。
単価切って地方を出た、田舎を出た、
はいいけど、結局は東京でいろいろあって、
地元に戻っていった。
で、地元でサラリーマンとして真面目に生きて、
特に何の変哲もないというか、
普通の人になっていった、みたいな事例って
本当によくありますよね。
本当によくありますよね。
これがハッピーエンドですよ。
ハッピーエンド。
これはサッカーで言うならば、
ジョホールバルの喚起と同じ事なんですね。
確かに別に全国放映もされてないし、
みんなにも知られてないし、
そういう意味じゃ、
奇跡には一見見えないですけどね。
ですけど、その人の心の中で起こっている事は、
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ジョホールバルの喚起と全く同じ事なんですよ。
つまり大事なものに気づいた。
大事な事に気づいた。
幸せな老い鳥みたいな話ですよね。
いろいろと本当なら、今ここに奇跡があふれている。
今この瞬間、今目の前、すぐ目の前、
手を伸ばせば届く範囲に奇跡なんて、
いくらでもあふれているんですよ。
途中にも言いましたけど、
街を出てすれ違う人、
それすら奇跡ですからね、既に。
だから奇跡ってそこら中にあふれているんですよ。
でも人ってのはややこしい生き物ですから、
それを感じ取る事ができない。
だから炭火を切って田舎を出る。
いろいろやる。
そういう事をやるわけですよ。
今ここ、自分がいる場所に唾を吐いて出ていく。
家族に背を向けて、友人に背を向けて出ていく。
けん!っていうような態度で出ていく。
俺はこんな場所にいるような人間じゃないんだ。
俺はここではない、どこかに行くんだ。
って事で出ていく。
でもそれ全部伏線だったんですよ。
全部伏線だったんですよ。
シナリオじゃないですか。
シナリオじゃないですか。
ジョ・ホールバルの喚起と全く同じ事。
いろんな事が起こりましたよね、あの時も。
僕と同じくらいの世代の人はよく覚えていると思いますけど、
ジョ・ホールバルの喚起。
カモシュー監督のちょっと頑固な所であったりとか、
日本サッカー界の向かれた所であったりとか、
そういった事全てが伏線となって、
最後回収されたわけですよね。
これが喚起であり光。
これを望んでいるんですよ、神は。
だからよく聞くような、地元出て行って東京に行って、
でも結局はもう地元に戻って普通の人になっていったみたいな、
こういう話も一見すると別に普通の話であり、
シナリオ以前に別に奇跡でも何でもないって思えるかもしれないですけど、
でも超奇跡なんですよ、これって。
だから今言ったようなことが一つの事例ですよね。
本当その奇跡の起こり方の形っていろいろあります。
本当にいわゆるですよ、世間的に多くの人に称賛されるような形で
奇跡っていうのが起こる場合もあります。
ノーベル賞を取るとか、そういう形の現象も当然奇跡ですよ。
だけど別に普通な感じの、一見すると普通な感じで生きていたとしても、
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実は奇跡で溢れてるんですね。
あとはそれを感じるかどうか。
人生のすべては伏線であり、奇跡であり、
そして周りの人はそれを演出してくれている出演者なんですね。
そのことに絶対的な信頼を置いて、ただただ前向きに誠実に生きていく。
そうすれば人生って単純な話、根性の人生の中でお得感を得ながら楽しく、
愉快に、前向きに、常にワクワクと生きることができるようになるわけなんですね。
少しでも伝わればと思います。人生はいろいろですけど頑張っていきましょうね。
あなたが進化するメルマがやってます。
詳しくは概要欄から。