昭和と新聞の歴史
夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。
二桁生まれのパーソナリティー、ミッキーロンリーがご案内します。昭和レトロ。
今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
暖かく優しい昭和の情景。心のままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は昭和レトロのお話。テーマは新聞。まさにアナログ文化の代名詞と呼べるかもしれません。
そして、我々の取り巻く状況の中で、今もその本質は揺るがないもの。そんな願いを信じてやりません。
その新聞についてのお話題。昭和平成の世代の皆様、現代に生きるリスナーの皆様。
新聞、それは幼い頃から人、住宅環境、その新聞配達の姿をイメージされる方も多いかもしれません。
そして、街の駅や売店で購入した人も多いかもしれません。
私、ミッキーがエピソードを混ぜてお話ししてまいります。お付き合いください。
新聞、それは歴史のあるアナログ文化。それは名詞。古くはカラバンから始まり、大正昭和、そして平成令和と今まで、時代は巡る。
いつもその生活の中に私たちに入手。情報、暮らしを豊かにさせてくれるもの。
そして世の流れ、自分たちもその中で世の事象、それは全てのことを自分ごとと考える、そのツールとして非常に多くの役割を果たしてきました。
そして近年のデジタル化の中で、その情報の伝達ニュース、人々はそのツールにおいて、現在ではスマートフォン、パソコンにおいてより優位性のあるもの、その生活シーンに合わせたものの形で取り入れることによって、
新聞の文化、多くの当時とは違うその状況を見せています。
例えば、新聞部数の減少、共働き、そして関心者の増加、そして新聞高読者の高齢化、また側面として新聞にはない、近年のデジタルの優位性のものとして、
即時性、いわゆるスピーディな情報伝達、動画におけるリアリティの伝達、ドラマチックに人々はその感受性とともに、
まさに自分の目の前にその事件、事象、ニュースが一体化になるものとして感じる、そんな影響もあることでしょう。
年々新聞の部数というのが減少されてくるような状況ではあります。
逆に新聞のメリットについて、ふと思いを巡らしてみました。
当時私がまだ学生の頃、その授業の先行においてマスコミュニケーションについて、その話題が上った時に、
今ほどではありませんけれども、当時新聞が人々のニュースの情報のツールとして泡を利かせた時に、
テレビ、そのチャンネルの高く、また番組のバラエティ化がなされて新聞が追いやられる、
その情報が当時カラッキリされていました。
その時に、例えば新聞の生き残りは誰もが予測しなかったんだけれども、新聞は生き続けた。
それは、例えばその記事の内容、また持ち運びができるツールであるということ。
デジタル化と新聞の未来
自分が好きな時にまた繰り返して読むこと。
その各社ごとに新聞の内容の記事が、その記者の熱意そのもので書かれてあって、その読み比べをすることができることなど。
そしてどこに着目しているか、そんなニュースのまた角度を変えてみると、
自分自身のその副眼的な視点も自分も吊られて成長ができるかもしれない。
人々はそんな意識を持たんものかもしれません。
実は、現代のスピーディな、またスマートフォン、パソコンでの動画収集。
少し懸念された部分として、次々と新しいニュースが取り込んできます。
そして、まさに自分とは離れた世界。
海外のニュースにしても自分が受けた印象かのように、自分ごととして考える機会もあるのですけれども。
そこに、実はニュースというのは、真偽の真実、また性格性といったものも求められるということ。
振り返ってみますと、実は歴史は振り返されているような部分があると思います。
例えば、人は戦争についても分かったつもりだけれども、何度も繰り返して今も行われている。
一度反省しても、またその世代がサイクルとともに人口を減ろうと、また新たな情報の影響を受ける。
おそらく、非常にスピーディな情報が今は飛び交います。
そして、実は、今日が終わるともうすぐに忘れてしまって、明日入ってくるニュースに人々の理解がついていくこともできず、今のことに気がつくと振り回されている。
そこに大事な反省、考えるとして、次にどのような教訓をもとに自分ごととして取り組まなくてはいけなくて、
実は、なってからではなくて、自分もすでに関わっている。実は世の様々なことは自分ごとという部分に一度立ち返る。
そんなことを考えさせてくれるような、余裕の与えてくれるものがこの新聞かもしれません。
この新聞、アナログというものの再度、メリットを感じてみたいと思います。
夕焼け一人きり、この辺りで本日終わりたいと思います。
お付き合いしていただきありがとうございます。
スローライフの生き方に再度。
次回の番組もお楽しみに。
お楽しみに。