夕焼けハウスと児童養護施設
夕焼けひとりきり始まりました。 昭和。
二桁生まれのパーソナリティー。 ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ。 今は懐かしい思い、明日の心配もせず、
駆け抜けた昭和の時代。 優しい昭和の情景。
心のままにお話しできればと思います。
どうぞお付き合いください。
今日は昭和レトロのお話。
テーマは、夕焼けハウスのその姿とは。
夕焼けハウス。 夕焼けひとりきり。
夕焼け物語。 そのシーンにおいて時折舞台がありました。
多くの子供たちが育ち、旅立っていった。
私、ミッキーは、夕焼けハウスその時代にあえて、
いろいろ、史説なるものの、ものなりたちについてお話します。
聴いてください。
ひとつの夕焼けハウスというなるものが、
たくち造成された地方都市の小山のふもと、
まだため息が残る場所に移築されたのは、戦後間もない頃。
皆さんは、児童養護施設というキーワードについて、
私たちは、時代背景の中でその言葉を聞いたことがある。
それは、私、ミッキーの場合は、ご存知の方もいるかもしれません。
タイガーマスク伝説と物語の舞台
タイガーマスク伝説。
強く、優しく、ちびこハウスという舞台に、
主人公であるタイガーマスクの伊達直人が訪問し、
子供たちのために、自らが育った虎の穴の使いの者と戦い続ける。
その自分の姿を見せ、子供たちを勇気づける、
その少年漫画に私、ミッキーは取り込んでありました。
少年雑誌、テレビ、アニメでも人気を博し、
その強きを挫き、弱いものを助けていくという、
その姿、自分も背中を追いかけていきたいと思いながら、
生きつつもまだ慣れていないというのが正直な心です。
その夕焼けハウス、この夕焼け、一人きりの中で、
物語の中に登場させました。
これが舞台として、古くは西雲実生が両親を亡くしたところから、
佐藤家に親切で愛ある家庭に生きとられたというところから始まり、
その後、紅のルカ、凛の章のメンバーの香水牧雄も、
木更津圭一も分け合って入賞し、
その夢、約束の地で翼を握ったものとは、
広げ、人の自らが力を生かし前の人と共に目指す姿というものは、
実は私、三木恵がなりたかったものでもあります。
話を戻します。
戦後の孤児と施設の歴史
児童養護施設になるその歴史というものは簡単になってしまいますけれども、
ホルプは江戸時代、もっと前の時代かもしれませんけれども、存在していました。
とりわけ昭和の時代という部分で一つの節目、
それは太平洋戦争における、
父親が戦地をもむき、そこで亡くなられ、
待っていた、守っていた母親がまた空爆などにより、
亡くなられ、孤児となり、
その孤児も多くの子供たちがそこに身を置くことになり、
様々な生き方、それは言葉にはなれないような苦労を負いつつ、
人がしていても体にはないものというものが多くあり、
それは様々な職種、旅館、ホテル、
また多くの職業で方向心身を立てた人もいます。
当時はその孤児だということは、
多くの方は名乗れなかったということです。
その不甲斐をと戦っていって、
その偏見で見られることが本望ではなかったということです。
児童養護施設の現在と自立
そして児童福祉法の制定により養護施設、
その後児童養護施設と名を変え、
あの頃の戦後の構成から現在では、
親を本当に亡くした子供というよりも、
救援の方が育児放棄、
家庭による虐待ということで身を置いている方が多いという
状況とのこと。
そこに取り組む方たちの努力、
また今環境面、また社会へ彼らの幸せ、
誰もが持つ権利だということですけれども、
そこに力をみんな注げるような体制、
多くの問題もありながらも、
経済的なものは当時よりも改善され一番の問題というのは、
そのことよりも自立ということでの支障というものが、
そこに身を置いているということは何か事情というものは、
あるものの偏見、何か問題があったのではないかという潜入感、
間違ったものの見方というものの改善というところで、
今はその逆境を乗り越え、とても多くの人材が活躍しています。
高校卒業も今では100%に近く、
また大学単体専門学校も2割ほどの方が行かれる。
その才能はとても人が知らないものを知っているということ、
その力は社会に必要なものとしてまた関わることができたらなと思いますし、
勉強させていただきたいものですね。
この辺りで本日、
夕焼けハウスの話題を終わります。
お付き合いしていただきありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。