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みなさん、こんにちは。
シンガーオンラインイベントの体験
今、7月7日、七夕のお昼です。
なんかすごい怒涛な展開が、この2時間ぐらいの中であったなと思ったので、
ちょっとこれは記録しとこう、今のままにと思って撮ってます。
今日ですね、10時から歌う瞑想のシンガーというものがあって、それに参加してきました。
してきたというか、オンラインで参加しました。
なんかすごい良くて、というか、なんか私、今朝から、今朝1本目のスタンドFM撮った時から、
なんかずっと体の一部がどこかで、なんか泣きそう、泣き出しそうな、なんか泣き出しそうに震えてる気を抜いたら、なんか泣き出しそう。
でもなんか泣くほどではないけど、なんかすごくその細かな震えがずっと続いてるみたいな感覚があって、
何だろうと思いながら過ごしてはいて、あるわって感じですね。
で、シンガーオンラインで入るんですけど、それでも一応ヘア着からちょっと着替えて、ちょっと化粧もしてと思ってたんですけど、
直前にお盆のお客さんが来られてしまって、そのまま化粧もせずに、近所というか方だったので、ほぼ素のままで接待して、結局その素のままでシンガーにも参加するっていう流れになったんですけど、
AYAYと思いながら本当に素の状態で入って。
で、シンガーが始まって、最初5分間のシンガーをするんですけど、その時すでに声を出すとなんか涙が出そうになる。
より身体の一部どこかが泣き出しそうに細かく震えてるみたいな感覚がより強く濃くなるなって感じがしたんですけど、
そういうことも感じながら声も出して、声も聞いて、声を出す感覚っていうのにも気づいているっていうのを時間を過ごして。
それで5分終わって、シンガーが終わった後空白の時間っていうのを必ずとって、静寂とその静寂の中の自分の身体の感覚というのを聞く感じるんですけど、
その時にさらにグーッと泣き出しそうになる波が、心腹が寄せては返っていく。
グーッと涙が出そう、そしてまた落ち着いていく、そしてまた次の波が来て涙が出そう、また落ち着いていくみたいな。
なんかそういう繰り返しを少し感じて、ふむふむと思っていて。
で、それからですね、少し皆さんのシェアとかを聞いたりした後で、今度は16分間のシンガーに移るんですけど、
なんかその時立ち上がってやってる時になんかすごく体が動かしたくなって動いたんですよね。
それは何かこうもどかしさだったりとか、何かこう出そうで出ないもどかしさに近い。
出したいけどなんか出せない。
そのことの体の中にこもるエネルギーがすごく重だるくて、
なんかつらい、つらいじゃないけど、なんかしんどいみたいな感じっていうのを、
なんかすごく自段座を踏むような動きだったりとか、
本当にこう手を肩をムチのように振っていく。
で、そのまた動きによって震えていく声っていうのをずっと感じるみたいな。
で、そのうちに何て言うんでしょう、その出すに出せない鬱屈、なんか自分自身へのもどかしさみたいな。
なんかそういったものも弾いてみると、何て言うんでしょう、弾いてみるとというか、
それってでも純粋な感情として現れると、なんか舞踏になるなって思ったんですね。
その小刻みに足を踏み鳴らす、何かすごく原始的な舞踏、身体表現のように思えて。
で、それを感じていて、また次ふと思ったのが、
なんかですね、その今朝の放送で言ってたりとか、なんか夕べも言ったのかな、
なんかこう私自分自身のその表現へのいろんな思い、
その例えば表現していく、ゼロから1を生み出すってことは、
例えば自分の未熟さを突きつけられることであるとか、
表現への思索
勉強不足が露呈する、でもその恥ずかしさを受けることが私に必要でとか、
あるいは何かこう私の自分自身の表現には何かこう染み付いた社会性のこだわり、
社会性というのは多分もうちょっと私の言葉、感じる言葉にすると、
みんなにとって良い、みんなに良く思われたいとか、
みんなへの空気や関係性を保持したいっていう、
それを結構優先順位を高く置くっていう習性が自分自身にあると思っていて、
それがなんかこう言動に現れているんじゃないか、表現にも現れているんじゃないか、
みたいなことを思ってたんですけど、
それも結局、頭の声じゃないって思ったんですね。
なんか自らの表現に何かこう不純物があるような気がする。
全て出せてない気がする。
私の表現されきってない気がする、自分の表現じゃない気がするとかっていうのも、
どこか今朝までの私が感じてたのって、
感覚でもあると思うんですけど、
でもちょっと頭の声の分量が多い気もして、
なんだと、なんだまだ、ジャッジしてたじゃん、
なんだまだそれ頭の声だったじゃんっていうのを気づいて、
っていうのをふと思ったんですね。
最近のところで少し感じてた自分自身の表現とか01とかへのもどかしさみたいな、
なんか出せてない気がするっていうのをすごく感じていて、
出し切れてない気がする。
出せてないくてもどかしい、便秘みたいなことですよね。
出したいけど出せてない、鬱屈していくエネルギーに、
自分自身が焼き尽くされるようなもどかしさがあるっていうのは、
それはそうだったかもしれないけど、
勘違いだったかもしれない。
その時、私を通じて出てきたものが、
なんだかんだ言って結局全てじゃないかなっていう。
それが一見不完全に見えようが、
出し切れてないように見えようが、
技巧なんて持ってのほか、
学校を拙かろうが、勉強不足だろうが、
はっきり言ってそれがその時点での私の全てっていうことにやっぱり変わらないんじゃないかなと思ったの。
感じてるもどかしさって何なんだろう、とも思った。
っていうことを思いながら16分間のスインガーが終わり、
静寂の時間を過ごし、
それから寝転んでたので、
寝転んだままオンラインつないでいたパソコンを手繰り寄せて、
なんともなしに見てたんですけど、
そこで、このスインガーを軸とした学びのコミュニティ、
私が参加している学びの場があるんですけども、
そちらでご一緒されている方のノートの記事が、
数日前に書かれたもののようだったんですけども、
私のノートのホーム画面に不意に表示されていて、
本名は存じ上げてなかったので、
コミュニティの中では下の名前だけ見ていたので、
でも、これご一緒しているあの方だなと思って開いたら、
その方がかねてからお勧めされていたアート合宿の記事だったんですね。
で、それを読んでいるうちに、
あれ、なんかこれ私行きたいと思っちゃって。
もちろんそのアート合宿の存在というのは、
これまでもその方がご紹介されていて知っていたんですけども、
なんかやっぱり人間というか、
それは何か作能や思考の作用なのか。
大事だって体が思うことほど、
何て言うんだろう、
素通りさせようとするのかな、最初みたいな。
っていうぐらい最初はあまりピンときてなかったんですけど、
このタイミングでその方のノートの記事を読んで、
また主催されている方の記事というのも読むにつけ、
アート合宿への参加希望
なんかこう、
そう、今朝からの泣きそうな感じが、
急にこう、涙に結ばれていく感じがして、
なんか行きたい、これ、何でしょうね、
これだって思った。
これじゃなくても、これだじゃなくても、
行きたいなって思って。
そう、なんかいろいろハードルある気がするんですけど、
銀千面とか結構いいお値段なんで、
これはいよいよ私ちょっとショートしかねないかっていう、
今の私の経済状況ではあるんですけど、
そこをどうにか工夫してても、
行きたいし、なんか行ける気がするし、
なんかそれを自分に許したいな、
思い出したいな、
そこに身を浸したいなっていう気持ちがあって、
今ちょっと、
まだ申し込みが可能かどうかも含めて、
お問い合わせをしているっていうところになります。
そう、なんかこう、いいなって、
絵が上手くなりたいわけでも、
絵を描いて暮らしていきたいっていうわけでも、
今のところはそこまで思ってないんですけど、
思いの中には。
でもそのひたすら
生み出すことに没頭する数日間っていうのが
得られるっていうのは、
なんかすごく貴重なことに思えて、
私の人生においてきっかけとして、
それはもちろん日常で意を消して行えば
十分できるかなっていうことでもあるかもしれないんですけど、
というのはきっと頭の声で。
そう、なんか分かんないけど言ってみたい。
なんか分かんないけど、いいな。
そう、なんかこう、お腹のあたり、
体の下の方、腰のあたり、
お尻のあたり、腰なんだろ、
そのあたりがすごくグワングワン動く。
なんか私の腰から、なんていうんだろう、
チュチュのように横向きに銀河が渦を巻いて広がっていくような、
なんかそんな感じがするんですよね。
行ってみたいな。
そこに行くことを許すことは、
きっと私にとって、
もっといろんなことを許すことにつながる気がして、
いいんじゃないかなって。
お金そんなにない中で、
そういったプログラムにばっかりぶっこんでるんじゃないよっていう風に、
頭でも思うし、
本当にそう、そうよなって思う自分もいるし、
なんかその5日間が、
本当にこう、5日間がすごく私にとって宝石のような、
旅路のようなものとして与えられる気がして、
なんか今そんな風に思ってます。
そう、だから、
別にこう、自分の感じてること、思ってることっていうのを表現する1から0を生み出す、
ん?0から1を生み出すってことは、
遊び心の重要性
別にその後合宿に行かなくても、
行くまで、前から今からもうずっと、
やれること、やっていきたい、やることではあるんだけど、
なんかその、でもあえてその合宿に行って、
その合宿の中に身を浸して行うっていうことにも、
すごく意味合いを今は感じているっていう、
そんな感じですね。
うん。楽しみ。
という、7月7日お昼のレポートでした。
なんかそれと共に、
遊びってことをもう一度、
何だろう、ちゃんとって言ったらなんか遊びじゃないんだけど、
そう、私にとっての遊びっていうものを、
もう一度光を当てて、
取り込みたいなっていう気もしていて、
そう、遊びでいいじゃん、
っていうことだと思うんです。
何かを表現したり、何かを作り出したり、生み出したりっていうこと、
あるいは生きることのすべて生活、
暮らすことにおいての作業だったりとか、
そういったものも全部。
遊びだよ、だし、
遊ぶこと、もっと遊んでいくみたいな。
なんかついね、その出し切れてるかとか、
なんかその、あと合宿ですごく表現したくてとか、
表現したくて、みたいなことを、
さっきまですごく真剣なトーンで、
自分でも話してたなと思うし、
それの気持ちにつよりはないし、
やっぱ真剣にいても、
言っていいことだと思う一方で、
結局遊びじゃん、結局遊びでいいんだよっていう軽さも、
矛盾なくある気がしていて、
まだそれはある気がしているっていう感じなんですけど、
今の私の時点では。
それをもう一度、もっと軽いタッチで遊んでいくっていうのも、
取り戻していきたいな。
取り戻すっていうと、
一旦喪失してるとかいう感じで、
だぞって今頭も言うんですけど、
思い出していくっていう感じかな。
だから、遊んでいこうと思います。
遊び、遊びだったはずなんですよね。
ユカの由来探求
私たちもともと絵を描いたり、何かを作ったり、演じたり、
生活のあれこれでさえ、おままごとの中で、
遊びの中でやっていたわけだし、
大人から見たらリアリティは伴ってなかったかもしれないけど、
でも私たちの中ではそれは本当に確かあるものとして、
包丁があったし、おなでがあったし、
フライパンやコンロや炎があって、
行っていたあの時のやっぱり気持ちとか、
ごっこ遊びで何でもやれてたし、
なんかそういうものであってもいい気がするんですよね。
生きるっていうこと全般。
私の名前はユカって言うんですけど、
ユカっていう名前について数年前すごく調べたときがあって、
どういう由来なんだろう、意味合いがあるんだろうとか、
香里さんとかってあるじゃないですか、
すごくかぐわしい様子なんだなとか、
匂い立つような良さっていうのがありますようにとか、
そういった込められた願いみたいなのが、
込められたニュアンスみたいなものが分かるお名前もあるし、
私はユカっていう名前のニュアンスってよく分かんないなと思っていて、
やっぱり子供の頃とかからかいで、
おいユカみたいな建物の建材というかパーツ部分としての
ユカと文字ってからかわれたりとか、
でもなんかやめてよとは言うものの、
でもじゃあ本当のユカの意味って何なのかしらっていうのも
引っかかってたところもあって、
なんかきっかけがあったんで調べてみたんですね。
名前にはやっぱりその人に込められた願いだったり、
使命が、手がかりがあるんじゃないかっていうことをおっしゃってる方がいて、
でその私はユカっていう名前を調べたときに、
私が見つけた中では由来としてはユカシーとかユカシキっていう
古語から来てるんじゃないかっていうのを見つけて、
ネットだったですけど。
うん、ブンブンと。
確かに言うネット。
古式ユカシーとか。
でユカシーっていう言葉の意味は何かって探したときに、
何かこう奥ユカシーっていうのもあるんですけど、
ユカシーっていうのは心が動く様、
心が何とはなしにそちらに向かう様、
っていうことで、
なんか心が向かうっていうこと、
何か好奇心が動くっていうことでもあるのかなって思ったんですね。
心がそちらに惹かれていく様。
心が動くってことにはいろんな多分意味合いがあると思います。
キュンってするのも動くだし、
感動するのも動いているし。
でも何かこう奥ユカシーとか、
何かそういう古式ユカシキはちょっと
今思い出したもののちょっと分からないんですが、
その例えば奥ユカシーっていうのは
その奥に何があるのか何となく気になる、
心惹かれる様な
さりげないただ住まいみたいな。
一見さりげないけれども
そこの奥に何かあることを予感させて興味を惹く様な
好ましさを感じる様な
そういった佇まいだっていう風にあった時に
奥ユカシーっていうのがすごく興味が惹かれるとか
好奇心みたいな
そういう意味合いに私は感じられて
そうするとこのユカっていう名前は
何て言うんだろう
何か好奇心のままに行けみたいな
そう好奇心の赴くままに興味の赴くままに
やりなさいみたいな
そうした遊びなさいみたいな
何かちょっと弱してるように思われるんですけど
ちょっと飛躍してるように思われるけど
何か私はそんな風に
何か遊ぶのよみたいな
遊んでいいのよとか
そう好奇心のままに動いていいのよっていう
何かそういう名前のように思われたんですね
だからそれを許していきたいな
そんな風にやっぱりこのユカの名前と一緒に
何か世界にユカを
ユカとして現れていきたいなっていう
何かそんな風に思ったっていうのを
今ふと思い出しました
何かそんな感じです
すごいなシンガー
すごい今日何か楽し楽しい楽しかった
何かこう体の喜びがそこにあった気がして
スッとしてじんわりと幸せです
ここまで来てくださった皆さんありがとうございました
今日はちょっと今回はかな
また撮るかもわかんないし
一旦ちょっと終わっていこうと思います
また次回お会いできたら嬉しいです
では皆さん良い七夕を
では