シュウとショウの未知の理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとしょーまの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら
まだ知らない理
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人の無知っぷりを晒すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
前回からの続き
正直、右脳型か左脳型かとか、カテゴライズ
まあそれに対しては、すべてのカテゴライズは意味ないでしょうけど
まあまあ、そうですよね
でも、なんかやっぱ数学がすごい得意だったんですよ
教科としては。他の教科も別に苦手まではいかなかったけど
数学はもうめちゃくちゃカチッと答えが出るから
すげー得意みたいな
実際ちょっと成績としても数学は点数が一番取れてたから
もともとは左脳が優位だったのかなみたいな意識があって
でもなんか人生追う毎ににだんだん右脳に傾いてきたかな
ぐらいな気分だったんですよ僕
したらまあ時計回りにしか回んなかったもんで
ここまでかと思っちゃって
数学と直感
数学、ちなみに得意だったっていうのは
どういう時に得意って感じてました?
僕はそのね印象的だったのは
高校1年生の時の担任が数学の先生で
でもう死ぬほど厳しかったんですよ
で、もう高校1年生なのに
何時間目が最後だったかな6時間目かな
終わった後にうちのクラスだけ
数学の先生が大学受験入試で出る
数学の課題、数学の問題を出すんですよ
それを解かないと帰れないみたいなのがあって
誰か一人が解いたら
なんとなくあれなんですけど
ダメだけど徐々に解けるみたいな
みんなに答え回してみたいなのがあるんですけど
そういう時に割と僕が一番最初答えに
たどり着いたりすることが多かったなとか
あとは高校で僕は
もう1年の時から美大を目指すって決めて
そういうふうに伝えて
2年生になる時も文系に行くみたいな
のを数学の教師に伝えてたんですけど
親を呼んだ懇親会みたいなのの時に
数学の先生がうちの父親に
いやーもったいないってやたら言ったらしいんですよ
彼はもう絶対理系ですよって言ってたらしいんですよね
それのすり込みみたいなのもあるかもしれない
でもそこの問題を解くっていうのは
今話し聞いた感じだったらそこを解くっていうところは
やっぱりその解き口を見つける直感だと思いますけどね
僕もさっきのしょーまさんの直感って話された時にそのことを思い出してました
そういうその発想にたどり着きさえすればみんな解けるんですよね
そこなんですよね
確かにあれは直感だな
そこのセンスが一番なもんだなって僕は思ってましたね
学生時代
僕はそういうパターンを知ってるか知らないかで見たこともない問題はセンスしかないなっていう感じだったんで
高校の先生と再試験
僕はそこは無理やなと思ってました
見たこともないやつでそこの発想を出せるかって言ったら多分僕はそんなに難しいなと思って
パターンを知っていれば解けんくはないなっていう風な感じだったんで
それはいかにいろんな問題解くかっていうとこなんでしょうけど
あんまりそこには興味はなかったので
いろんな先生いますよね
そうですね
これはもう高専みたいな本当に面白い先生
高専だったんですね
そうですねそういう話はあんまりしたことないんですよね
初めて聞きました
あれシュウさんにも言ってないですか
聞いてないと思う忘れてる可能性もあるけど
そもそもそういう話をしないから言ってないかもしれないですね
高専だったんですよ
工業系の工業高生だったので
機械電機っていう副業を学科で両方やってたような感じで
高生っていう時点でも面白い人っていう感覚がありますね
確かにありましたよ
僕はどこかですけど
いやいやいや面白いです
ありがとうございます
物理の先生に
もうその人結構すごくて
松林寺とかで結構有名な先生で
甲冑泳ぎって知ってます?
甲冑泳ぎ?
甲冑泳ぎ
甲冑泳ぎって
そうです甲冑泳ぎ
甲冑流糖水術みたいなのがあって
聞いたことあるかも
それの師範だったのかな
松林寺でもかなり有名な方で
めっちゃ頭もいいんですよ
物理とかで
でもその先生のテスト問題とかも鬼のようで
まず授業で出てきたような問題は出てこないというか
全然問題出てこないというか
全部応用問題みたいな感じで
でもその問題面白いですよね
いろいろ問題的には
面白いんですけど
でも当然のようにみんなできないので
必ず再試験があると
必ず再試験があって
再試験は同じ問題だったかな
同じ問題だったけど
その試験の時に答えは教えられることなく
同じ問題で再試験だったり
途中から変わっていったかな
最初よりちょっと温和になって解けるぐらいの問題が
出てきだしたかもしれないな
そういうのもあったんですけど
あとはなんか
10√xっていうその人のマジックナンバーを持ってて
紅点って赤点が60点だったんですよ
点数で10√xっていうマジックナンバーですね
その式が
xが
数学のテストの採点基準
マジックナンバーっていうのは
マジックを起こす数式っていう意味で使ってますけど
その人の中で最終的な標点として
10√xを適用するっていうだけで
テストの点数がxになるんですよ
だからテストの点数が100点
100点だと何点になります?
いやー僕もうルート
数学得意とか言ってた割に
今はもう全然覚えてないんですよ
ルートってどうでしたっけ
ルート100って10になるんですよね
はいはいはい
二乗したら何になるかっていうこと
10√xは10×10で100になる
100点の人は100点なんですよ
0点の人は0点ですね
ルート0が0になるから
1点の人は10点になるから
1点の人は10点になります
で、36点の人が
ルート36だから6になって60点になるんで
だから36点がボーダーラインになるんですよね
赤点が引き上がる
36点取れば赤点ラインになる
なるほど
10√xっていうのが
厳しい人ほど上がって
上の人はほとんど気をしないみたいな
上手い曲線なんですよ
ルートだから
へー面白い
みたいなのを勝手に導入してたり
でもそれって結局ボーダーだから
36で線が引かれるだけじゃないんですか
そんなことないのかな
ん?
36点っていうところで
ボーダーが引かれるだけの結果になるのかな
そうそうそう
ボーダーの意味からすると
36に引き下がるっていうだけなんですけど
下の人だけ
ボーダーに達してない人だけ
ボーダーを下げるみたいな話とか
するのがおかしくなるじゃないですか
おかしくなるというか
おかしくなるじゃないな
なんて言ったらいいのかな
36点だと
結果的にボーダーは
36っていうことになるんだけども
それはボーダーの話ですね
ボーダーの話はそうで
あと例えば
36点の人が60になるから
それ以上の人とかっていうのは
もう還元しないといけないじゃないですか
ん?
還元
みんながみんな
36点がボーダーに一律します
っていう話ではないんですよ
そうなんですか?
結果的にそうなるんですよ
みんながみんな36点が
説明下手だな
ちょっとまだ分かってない
みんながみんな36点がボーダーになるのは間違いないんですけど
単純に60点じゃなくて
36点ボーダーにしますっていう話と
点数に対して
テストの点数に対して
10√xの式を適用しますっていうのと
ちょっと意味合いが違うじゃないですか
どう違うんだろう
具体的な点数として
40点取りました
40点取りました
人は
もちろんボーダーには乗ってますよね
60点以上になりますよね
60点以上になりますけど
実際取った点数っていうのは
40点なわけですよ
でもそのテストの点数としては
もうちょっと引き上がるじゃないですか
その10√x5の点数を成績評価なんかにつける
そうそうそうそう
なるほど
そういうことか
なので
単純にボーダーを36にするっていう意味合いじゃなくて
そもそもそういうことは
暗黙にできないじゃないですか
60点っていうのは決まってるんで
ただその先生の中で取った点数に対して
それを適用するっていうだけで
結果的に60点に
36点の人でも60点になるようになってて
でもその36点の人が60点まで成績が上がるもんで
先生の設計
他の人も順当に上がらないといけないけど
一律上げちゃうとおかしくなるし
そういうことか
100点の人は100点のまま
上の人ほどそんな上がらないみたいな
下の人ほど上がる率が高いみたいな
ちょっと優しい設計になってるんですよね
面白いですねその先生
面白かったですね
この先生好きで
いろいろなんか
変に質問するとちょっと地雷踏んだり
地雷というか
この式はちょっとこれどういう意味合いなんですかみたいな
ちょっと質問したことがあって
この式はこの式を求める元のこういう
理論というか式があるから
解いてこいみたいな
余計な課題が出される
余計な課題を引き出しちゃったみたいな
なるほどなるほど
変な先生いましたよねでもね
そうですねその10√xもあるけど
採点基準も結構曖昧で
この問題に対して
お前はここまでかけてれば丸みたいな
お前はまだできるけん×みたいな
なるほど
いいですね人間くさくていいですね
面白いですね
四角四面に捉えると何ですかみたいな
そんな不公平でしょみたいな感じになるかもしれないですけど
面白いですね
僕今日本当はテーマとして喋りたいなって思ってたことの中に
結局好きと嫌いみたいなのしか残んないって言うと言い過ぎですけど
好みによって収束する質と素質の話
もうそれが全てと言ってもいいんじゃないかみたいな感じの話を
それで言っちゃうとすぐ終わっちゃうからと思ってて
前半の方でつながるかなって言ってた元ネタも忘れちゃいましたけど
それが今でもその先生の人間味というか好みみたいな
結局人間味ですよね好きか嫌いか
ちょっと資本主義的な話になっちゃいますけど
結局その今後その資本主義の中での話でも
いろんなサービスとかがあって
っていうのがあっても
質ってもう本当に変わんないじゃないですかほぼほぼ
今こんな情報が質
サービスのものとか
消費の質っていうのはもうほとんど変わんないぐらい情報が溢れてて
そういうのもみんな必要十分以上あるみたいな状態だったら
もう好きな人からしか変わらないですよねっていう
結局そっちも資本主義の方でもそういう好きか嫌いか
結局なってくるよなーって感じ
思いますね
そうなんですよね完全人間ランドとかで
本田さんのそうめんがめちゃくちゃ人気で
本当に実際めちゃくちゃ美味しいけど
ただ前今まで食ってたそうめんがまずかったかっていうと全然そんなことはなくて
もちろんそう
超好ましいのが現れたっていう
そういう話で
そうだよな
もちろん本当に
質っていうのはそのですね本田さんのそうめん本当に美味しいし
っていうのもあるからなんかそういうのを
今のさっき僕が言った話はちょっとそれは本質的にはずれますけど
仮にこんなこと言ったら変に聞こえちゃうかな
仮に本田さんのそうめんが例えば普段食ってるそうめんとそんな変わんないなって仮に思ったとして
仮に思ったとしても本田さんから買いたいみたいなところありますよね
ありますあります
そういう話をしたかったっていう感じです
全然大丈夫だと思いますそれは
意味は伝わると思います
そんなことで本田さんのそうめんの美味しさは揺るがないと思うんで
でもそうですよね全く同じだとしたら好きな人から買いたいの間違いないでしょうね
質は大前提になってくるっていう感じですよね
ちょっと僕もあんまり例えが良くないかもしれないですけど
これは知り合いこの界隈での知り合いの話じゃないからいいかなと思うんですけど
うちの親父から聞いた話で今なんか町内の人から買うみたいなのが薄れてきていて
車で好きなところまで行けちゃうから
例えばガソリンとかもうちの実家のほぼ斜め前みたいなところにガソリンスタンドがあるんですけど
でもやっぱ高いんですよね田舎だから
でちょっと遠くまで行って入れちゃうみたいな遠くまで行ったついでに安いとこで入れちゃうみたいなのがあったんだけど
そのなんか飲み会かなんかの時にそのスタンドとは違うかちょっと違うとこだったかな
ちょっと違う何屋さんだったか僕ちょっと忘れちゃったんですけど
同じ町内に店があるんだったらもうその店で買わんとダメやろみたいなことを言ってきた
飲み会かなんかでその町内かなんかでみたいなのがあって
しばらくそこでやっぱ高いけど割高だけどそこから買うようにしようみたいな
なんかうちの商売に関わりあるなんかのお店だったんですよねちょっと本当度忘れちゃったんですけど
でやってたんだけど
なんかこうなんかの表紙にまた仲が悪くなったとその人と
そしたらまた元に戻したみたいなのがあって
結局だから町内かじゃなくて結局好きかどうかだよなって僕その時思ったんですよね
そうなんですよねだから町内とかっていうのでこううまくこう回ってる事例があるじゃないですか地域とかで
町の公園とかいろいろあると思うんですけど
ああいうのってだから町内の人たち好きなんですね町が好きだしその町内の人たちが好きだから
回るそこに還元したいということなんでだから結局そのコミュニティがあってそこの好きな人たちで回したいみたいな
思いがあって
でもそこの前提としてはやっぱりその
まだ資本主義社会の上に成り立っているので
あまりにもその
値段が高いみたいな負担が多くなるとちょっとそこが崩れちゃいますねさっきの話と一緒にガソリンが高いみたいな話になったら
そこの度合いによってはリッター100円違うみたいな話になったらいくら好きでもちょっとごめんっていう感じになるから
だからそこのやっぱり質の程度と
あとやっぱ好きかみたいな話で
質とか素質っていうのがそのコストも踏まえた意味合いで言うとそこがある程度そんな変わんねーよねみたいなぐらいは大前提の
上だと
身内や友達から購入する意味合いの話
やっぱり同性だったら好きな人から買いたいよねって思うのは多分人間だろうし
そうですね
身内の保険に入るとかですね
身内が保険業をやってたりしたらとか友達が保険業をやってたらとか
っていうのもまあそんな変わらんけないかみたいな話で
それもだからいろいろ見直しのタイミングとかだったりとか本当にその差次第とかもありますけどね
そうですね
難しいけど
大事ですよね
そこをなんか意識するしないでだいぶ変わってくる気がするんですよね
そうですね
好き嫌い以外の価値観がいろいろこう実際にはいっぱいあるじゃないですか
好き嫌い以外
善悪と好き嫌いの根本的な違い
まあまあその金額の差の話もあるし
なんか善悪とかもあると思うんですよね
その商売の中、商売というか売り買いの話の中ではあまり出てこないかもしれないけど
何かを判断する基準の話とかで
そのなんかね善悪の話に絡んでその発想に僕行ったんですよ今回
ちょっと話したいなと思ったのが
善悪っていうのは本当にあんまり
なんていうかすごい
全部僕陰陽の要素っていう陰と陽の要素が
全部って言うとまた言い過ぎかな
ある程度のものにそういう要素があるなと思っていて
善と悪っていうのもこうコインの裏と表みたいなものとしてあって
好きと嫌いも同じようにあるのかなーってふわーっと今思ってるんですけど
なんかこうちょっとだいぶ似たようなものと思いつつ
結構違うなって今んとこ僕思っちゃってて
善悪がですか?
善悪と好き嫌いが
好き嫌いは僕は違うと思いますね
今なんかおっしゃっててこう思ったのは
善悪は僕責任転嫁だと思うんですよ
面白い
好き嫌いって完全に主体じゃないですか
はいはいはいはい
だからこれはもう自分の自己責任好きって思ってるのを
自分の責任で好きって言ってるし
嫌いっていうのを自分の責任で
分かりました?
分かりました
僕が持ってる感覚にすごい近いのをまた別の言い方で
言ってくれたっていう感じですね
善っていう言い方をするとあくまでそれが
なんか社会通念的なものとして正しいんだっていうことを
自分の外に出して提示してるように思うんですよね
そもそもそこの善悪自身がそれぞれで
定義とかも違うし
誰かの善が誰かの悪だったりするし
さっきの引用の話だとすると
それがあたかも自分の外側で正しいみたいな形で
振りかざしてるような印象を受けるので
その善悪っていうよりも好き嫌いが健全だなって思いますね
ほぼほぼ僕が言いたいことと全く同じでした
善悪の定義の曖昧さとボランティア活動の例
責任っていう表現は僕の中では出てきなかったですけどね
感覚的には
僕の感覚で言うと
悪っていう言葉がちょっと強すぎて
善はもちろん悪の対義語として使える言葉ではあるんですけど
善悪を意識すると
善を意識するってことは悪も浮き彫りになってしまって
悪っていうものが見えてしまうと
なんか潰さないといけない対象みたいな感覚が
心のどっかに湧いてしまうなって思ったんですよね
それに対して好き嫌いの好きは
別に好きを意識してる時には
嫌いが別に出てこないなと思ったんですよね
確かに確かに
これ本当感覚的な話なんですけど
面白いですね
善だと悪は浮き彫りになるけど
好きだと好きじゃないと嫌いは違うから
浮き彫りにならないみたいなことですよね
そうかもしれない
面白いな確かに
そういう意味でもいいな
確かにその悪っていう言葉強くて
陰と陽とかでうまく切り分けていいか
切り分けられるかみたいな話もあって
定義も曖昧で
カントって哲学者
悪についてっていう本があって
それを惑星時代の夏休みの課題で読んで
それのレポートを書いていくみたいなのがあったんですけど
その時にそれ読んで
えーっと思った
えーっというか
そのざっくり言うと
そこカントが定義してる
そこでの本で定義してた悪っていうのが
自己愛に基づくものは悪だっていう定義だったんですよ確かに
なるほど
だとすると
これほぼ悪やんみたいな感じで
でも例えばですよ
誰か自分の大切な人が悲しんでる
それを助けてあげたい
助けてあげるっていうのも
があるとするじゃないか
これを深掘っていった時に
自分の大切な人が悲しんでる姿を見たくないっていう
自分の自己愛に基づく行動だから
これは悪やん
悪になるじゃんこの定義ならっていう話になって
でもこれだとか
あとはそのボランティアとか
ボランティアとかも
そういう人を助けたい
助ける自分でいたいっていう
そのそういう自分でいたいっていう
欲望を満たす自己愛に基づくものであれば
それ悪っていうのみたいな
とか
純粋にその人を助けたいっていう
のももちろんあると思うんですよ
でも
なんかそういう人でありたいだとか
はちょっとまた違うじゃないですか
純粋に助けたいっていうのと
そういう助けれる人でありたいっていうのももちろん
素晴らしいと思うんですけど
そこにも違いがあったり
もっと言うとその
そういう人に見られたいみたいな
パターンもあったりするじゃないですか
そういう人がいるっていうわけではなくて
そういうパターンがあるとすると
でもそれでもボランティアみたいな活動自身が
僕は素晴らしいと思ってて
だとするとそれ否定すると思って
だったらどうまとめるかいなと思って
で僕の中で
カントがそれを悪と言うんであれば
それは悪として定義をしてもいいと思うけど
悪の定義についての議論
容認されるべきというか
べきもおかしいな
容認していい
容認したい悪もあるよねみたいな形でまとめたんですよ
分かる
だからそういう意味からすると悪っていうのも
悪っていう使い方を
悪っていう言葉を使ってるからといって
別に
いわゆる悪ってみんなが持ってるイメージかっていうと
そうとは限らないし
っていうのをちょっと思い出しましたね
自己中心的な行動についての話
本当そうですね
僕は今聞きながら思い出したのは
だいぶ前ですけど
週の話すラジオに
まちこさんがゲストに来てくれたときに
いわゆる自己中心的リタの話みたいな話になったんですよね
でしょうまさんもそういうリアクション返してくれたのをよく覚えてるんですけど
まちこさんはその
なんか掃除とかをしたときに
偉いねって言われて
いやこれ自分のためなんでって
返すんですよみたいな話してて
そういう
いいことしてる自分でいるっていう
満足感を得たいからやってるから
私のためなんですよこれって言って
罪悪感みたいなの持つみたいな話になって
いやいやいやみたいな話をしたんですけど
そこは素敵ですよねなんか
次回へ続く