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2023-03-15 47:10

095「好き」には理由がなく「嫌い」には明確な事情と動機がある

今日は私たちの「好き」と「嫌い」の感情について話しています。好きは心と直結していますが、嫌いはそのあいだに思考と罪悪感がはさまっています。「なぜこれかを嫌う必要があるのか?」と自問すればその正体が見えてきます。番組でお知らせした「第八期 書き上げ塾」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes.work/kakiage/

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グッドバイブス、ミッドナイトラクザ、 by 倉様圭佐
こんばんは。ただいま3月15日水曜日の午前3時9分です。
今日は、私と佐々木翔吾さんと矢部聖子さんの3人で運営している
グッドバイブスファクトリーという、この番組でもおなじみのオンラインコミュニティがありまして、ここで毎週1回グッドバイブスTVという番組を収録しているんですね。
以前はずっと佐々木さんと100何回も対談をして、それを配信していたんですけども、最近はファクトリーにもいろんな方が参加してくださっていて、面白い方が集まってくださっているので、
そのメンバーの方をお招きして、私とお話をするという、そういう趣旨に変わってきてまして、
これがなかなかお相手が変わると、いろんな話の内容とかノリとかも変わってきて、なかなか面白いんですけどもね。
私もこれは楽しみにしている仕事の一つなんだけども、今日はですね、またニューフェイスというか、これまで一度も登場したことがないね、
菅原さんという30代の男性をお招きして、対談をやってきたんですね。
この方は元々は人材系の会社でお勤めで、どちらかというと中途採用よりも新卒の方かな、そちらが担当で、
まさにその大学を卒業するぞというぐらいの若い方をね、相手にまさにそのキャリアカウンセリングをしていたんですね。
その流れの中で、そういうワンオンワンのキャリアカウンセリングを通して、そういう仕事をしたいなというふうに目覚めたというかね、
自分のやりたい道を見つけまして、独立して数年前からコーチングの勉強とかもしながら、
今は気持ちよく働けるというかね、手応えを持って働ける、
まさにこの私がグッドバイブス、ご機嫌な仕事と本につけたようにね、ご機嫌で働けるようなアドバイザーとして活躍されていて、
私の攻撃のないコミュニケーションという本も最初に読まれたらしくて、それで共感をしていただき、
とてもね、私とは違って言葉というかな、その言葉選びがなかなかかっこいい方なんですよね。
攻撃のないコミュニケーションは非常に抽象度が高い本でありながら、具体的などうすればいいかみたいなこともしっかり書かれていて、そこが気に入りましたみたいなね。
03:01
そんなふうに評価をしてくださったんですけどもね。
それからワントレとかを一緒にやるようになり、話しているうちになんか面白いことができたら一緒にやりたいねとかってことになって、
今度4月の20日か30日、どっちか忘れたんですけど、そのあたりに初の2人でやる合同のセミナーをやるんですけどもね。
これはまた決まったらですね、詳しくお伝えしますんで、よかったらこの菅原さんというね、ニューフェイスと私がやるこのセミナーというのはよかったらぜひご参加ください。
この方と今日対談をする中で、だいたい3、4本撮るんですけどもね、とても話が長引きましてね、
なんか1話がやっぱり40分50分とかっていう、そういうまさに本当に相手によって変わる。
短い人であればだいたい18分とか20分とかでね、1話が終わっていくんですが、かなりロングな感じになりまして、
この中でね、とても興味深い質問というか、それは良い質問だなって僕が思うような話が一つ出てね。
要は僕はよくこの番組で本当のことはわからないっていうお話をしますね。
これは一応4ついつも挙げていて、自分とはどんな存在か、何が好きで何をするのが幸せか、これは本当のことかなんとわからないんですよね。
わかっていたら楽なんだけどなぁと思うんだけども、自分についてはわからない。
そして他の人が何を考えどんな気持ちでいるか、これも本当のことがわからない。
だからそこを頭で予想しないようにしましょうっていうところにつながっていくんですけどね。
それから未来について何が起こるか本当のことはわからない。
そしてもう一つがある出来事がどんな何をもたらすかか、ある出来事が何をもたらすかの因果関係について僕らは本当のことがわかっていないっていうね。
まあ大体この4つでほとんど僕らの人生は全て語れるんだけども、
これに付随して本当のことはわからないんだからいいとか悪いとかを判断するのをやめようというこの話もよくするんですよね。
ここで一つやっぱりこれは必ず湧き上がる疑問なんですよ。
要は僕は本当のことはわからないからね。
まめんごとにこの結果みたいなのを切り取ってね、この前スナップショットみたいなお話をしたと思うんだけど、
このスナップショットを切ってその一つずつをね、いいとか悪いとかのラベルを付けて判断をして一騎一遊しないというようなことを提案しているわけですね。
ここで菅原さんがおっしゃるにはこれはとても自分にとっていいメソッドとしていつも活用させていただいていると。
これによって随分とその心が平安になっている。
ただ時々ね、この自分の気持ちがわからなくなってしまうんじゃないかっていうね、そういうちょっと不安になるんだと。
06:04
ここはどう考えたらいいんでしょうか。
まさにおっしゃる通りですよね。
本当のことはわからないから場面ごとにいい悪いは判断しないというふうにやると、
そのいわゆるね、僕らがよくこの好きとかね、嫌いとかね、これはいいぞとかね、そういう感覚はどうなるんでしょうかっていうこういう質問なんですよね。
ここはあの私のそのグッドバイブスのお話でね、割と誤解されやすい点でもあるんですよ。
まあまあ僕の話はどこをどうとっても誤解されやすいものしかないんでね、そこをあまり気にしてもしょうがないんだけども。
例えばそうだな、鎌倉のワークショップかな。
なんかこの手のお話をした時にね、ある方がちょっと割と行き通られた感じでね。
いや私はもっと自分の感情を大切にして生きていきたいですって言ってこう変えられたこともあったりしてね。
なんかその私もね、そもそもこの私がですね、感情のない生き方はしていなくてですね。
本当にこの感じるままに生きているので、そうではないんだけどやっぱりそのように取られてしまうかっていうね。
まあここは私の力不足なとこなんですけども、本当に誤解されやすいんですね。
その感情を捨てろとかね、そういう話では全くないんですよ。
ただこのそうだな、だから本当のことがわからない。
だから場面ごとに良い悪いを判断しない。
じゃあその時僕らの感情はどうなるのかっていうね。
ここは非常にまあその謎の部分なんだけども、基本的には感情は動いたままなんですよ。
ただね、僕らはその普段ね、好きも嫌いも同じ感情だと捉えてますよね。
好き、この感覚、それから嫌いってこの感覚。
これは同じその僕から出てくるいわゆる感情、感情のバリエーションっていうふうに捉えてると思うんだけど。
僕はね、ちょっとこれが違うんじゃないかと思うんですね。
ここがこの話の多分ポイントになる。
本当のことはわからない。場面ごとに良い悪い判断して生き一遊しない。
そうすると感情はどうなるのっていうこの感覚ね。
気持ちはどうなるのっていうこの感覚。
これをここにつながるお話として、実は好きと嫌いは同じ感情じゃないんじゃないか。
私の仮説なんですけどもね。
こういう話をちょっと今日はしてみようと思うんです。
これはいろんなとこにつながっていくね。
僕としては結構面白い話だと思ってるんだけども。
要はまさにこの好きの反対には嫌いがありますよね。
それから肯定の反対には否定がありますよね。
それから受け入れると書いて需要というもの。
この需要の反対には多分拒絶なんだろうなと思うんですね。
このように僕らが抱く感覚は自分に受け入れる感じの概念っていうのが一つありますね。
09:05
これが多分好きとか肯定とか需要なんですよ。
その感情を持つと受け入れられるなっていう感じね。
それからもう一つは自分から切り離す方の概念っていうのがありますね。
これが嫌い、否定、拒絶みたいなこちら側なんですね。
さっき言った多分後ろ側なんですよ。
好き、嫌い、否定、肯定、否定。
それから需要、拒絶のこの後ろ側に来る方。
自分から切り離す方の概念。
実はこちらはですね。
僕は考え、思考と罪悪感の組み合わせによって生まれると考えてるんですね。
だからストレートな感情とはちょっと違うニュアンス。
要は最後にはやっぱり僕らの感じ方として嫌いだとか否定したい、拒絶したいって思う時は
確かに心がそのように動いてるんでまさに感情として受け取ってるんですね。
ここは多分その通りなんですよ。
最後の僕らの感じ方っていうのはね。
でもプロセスが違う感じがするんですね。
この自分に受け入れる方の好きとか肯定とか需要の方は心と直結してる感じがするんですね。
何にも間に入ってない。
何かを見る、好きだ、何かを見る、いいね、何かを見る、受け入れたいっていうこの感じ。
これは心とぷっと直結してるんですね。
でもこの自分から切り離す方の嫌い、否定、拒絶の方は
この心にフッと一瞬にして感情がポッと湧くというよりは
その間に思考と罪悪感が挟まってる感じがするんですよ。
で、この何で受け入れる方は心と直結しているのかの理由は
ちょっとこの後に話します。
まずはこの切り離す方ね。
これが僕は間に思考と罪悪感が挟まってる感じがするんですよ。
でも、いやいや好きも嫌いも同じ感情だろうってね
これ思うかもしれません。
これは当たり前なんですよ。
そのように僕らは感じますからね。
でも僕はちょっとここでね、あるこの前提を立ててみたんですね。
もし私がね、この私の外側にある
どんなものによっても傷つかない存在だとしたらどうだろう?
っていうこの仮説なんですね、前提なんですよ。
でも実はこの私がグッドバイブスでお話ししている本来の自分ね
グッドバイブスのゴール、こちらに行きたいねっていうね
こちらにいつもいたいねっていうね
行くじゃないですね。
こちらにいつもいたいねっていうこの自分は
まさに僕は形のない傷つかない存在だという風に見てるわけですね。
だからそのようなものだとしたらどうだろうっていうこの前提。
例えばカフェでね、カフェに行くといろんなBGMが流れてますよね。
場所によっては本当に数曲が繰り返されるだけみたいなところもあるんだけども
普段はあまり耳に入らないんですけどもね
ちょっと一人でぼーっとしてBGMかかってんじゃんとか思って聞く時がある。
12:05
この時にすごいいいねこれいいねって心を惹かれる曲があったとしますよね。
したら僕は自然にごくごく自然にこれ好きだって思うはずなんですよ。
それで場によってはシャザンムとかねアプリを立ち上げて
その知らない曲だったら曲名をスピーカーの近くで検索するとかね
そういうこともやるぐらい。
僕はしょっちゅうやるんですけどね。
だいたいトイレに行くんですよ。
トイレに行くと独立したスピーカーがあるんでそこによじ登りながらね
お店だとなかなか拾ってくれないんで
そんなぐらいやっぱりBGMを聞いていても好きだなって感じの曲があるわけね。
当然反対側もありますよね。
まさにそのねパッとアプリかなんかで曲名調べて
この人の曲かあとで一曲ちゃんと聞いてみようとか思ったその直後に
また別の曲のイントロが流れてねまたいい曲だったらいいなぁと思いながら待ってると
まさにそのメロディーはもちろんね
このアレンジも歌詞も全く心が動かない曲がかかるってねありますよね。
その時にさっきのその前提ね
私は自分の外側にあるどんなものによっても傷つかない存在だとしたら
たぶんここで私はですねわざわざこれは嫌いだと判断する必要はないと思うんですね。
なぜかというと何によっても傷つかない僕はね
それがどのような曲であろうと全く被害を受けないと知ってるからですよね。
この感じなんですよ。わかりますかね。
自分に自分に何の被害ももたらさない
自分を傷つけないっていうことがはっきりとわかっていたらね
僕はその曲を好きではないということはわかるんですよ。
これは好きではないなと
なんか特筆すべきものではないなと
もしくはシャザンで曲を調べるほどではないなと思うんですよ。
でもそれに対して嫌いというラベルをつける必要がないんですね。
もちろん否定もしなくていいし拒絶もしなくていいんですね。
その曲がかかっていても僕は何にも傷つかないので
ご自由におかけくださいと。
ただ私はこれでは心が動きません。
つまり何と言うのかな
何も感じなかった曲っていう風に
フッと受け流すことができるんですよ。
いろんなコンテンツをね
例えばブログをネットで読むとかね
もしくは週刊誌で漫画を読むとか
いろんな作品を目にしますよね。今ね。
YouTubeでも何でもいいんですけども
その時におー面白いとかね
わー素晴らしいなとかね
わーこれいい文章だなとかね
このいわゆる自分に受け入れる方の
この感覚は多分だけども心にパーンと来るんですよね。
で、その自分がね
さっき言ったような
自分の外側にあるどんなものによっても
傷つかない存在だとしたら
15:01
そうでない作品に出会った時に
わざわざこれクソだねとかね
これオアコンじゃんとかね
これ大嫌いだよとかって
なぜそれを言う必要があるのか
っていうことになりますよね
何の被害も受けないんだから
好きではなかったというかね
心が動かなかったものとして
次に行けばいいわけでしょ
だから私はですね
子供の頃から
いわゆる青魚が苦手だったんですね
サンマとかサバとかですよ
いやヒカリモノっていうのかな
結構ね僕は子供の頃食べられなかったものを
随分と大人になってね
克服してるんですね
例えば納豆とかもダメだったんですよ。昔は
でもこれも中学生ぐらいの時
突然食べられるようになって
あとえっと
生魚は基本的にあんまり
得意ではなくてね
お寿司とかもエビしか食べない
エビと卵しか食べなかったんだけど
これもやっぱり中高あたりでね
寿司の旨さというかこの
刺身の旨さみたいなのに目覚めて
ガンガンいけるようになったんだけど
なぜか今でもこの青魚だけは
ダメなんですよ。サンマとサバ
この辺のやつキラキラと
光ってる銀色のやつね
もうあの生は当然
ダメだし煮ても焼いても
食べられないんですよ。でこれも
さっき言ったようにねこの前提
の違いによって
多分僕はねこれをどう見るかの
二つの選択肢を持ってる気がするんですね
一つはえっと
さっきのこの私は外側に
あるものによって傷つかない存在
だとしたらこれは
ただの食べられないものなんですね
だから僕の目の前にサンマとかサバ
があったって別にって感じなんですよ
私は食べませんけどね
皆さんどうぞお好きに
例えば寿司のね
盛り合わせみたいなのを頼んだときに
銀色のやつが入ってる
と思ったら何々さんこれ
どうぞって差し上げればいいだけで
そこに何かその
特別な感情を
抱く必要がないんですね。これが
一つの選択肢。でもう一つは
これ大っ嫌いなんだよね
ってこう僕がね主張しなければ
ならないっていうこれがもう一個の
選択肢。これがまさにこの
大っ嫌いだっていう
こっちの気持ちにね動かしたってことなんだけど
これは間違いなく
えっと青魚をね
自分から遠ざけなきゃいけない理由が
あるってことなんですよ
面白いですよね
だってえっとただ食べなければ
別に僕は何のその
僕を傷つける力もこのサンマ
とかサバは持ってないわけだから
あえてそこにその
嫌いだとかねまさに
否定する理由はどこにもないんですよ
だから
こいつそれをあえてね
嫌いだとかねこいつはもう
拒絶だとかね
もうこの一杯によってはね
サンマだけは許せないんだよね
みたいなことを僕が言ったとしたら
当然その時
そういう感情を抱いてると思うんだけど
そこにはさっきのね
好きと思った時とは別の
何かの理由がそこに挟まりますよね
18:00
だからここが
面白い大きな違いなんですよ
この好きには
理由がないんですね
多分ないんですよ
パッと聞いて心がフワッと動くので
いいねとかねおいしいねとかね
これ好きかもっていう
この感じなんですよ
でも嫌いにはおそらくだけど
明確な理由と動機がある感じがするんですよ
そうでなければ
さっき言ったように
ほっとけるんですよ
嫌いなものが前にあったって
何にも僕に傷つかないって
この感じがあればね
つまり僕らがここで
嫌いだ否定したい
拒絶したいっていう時はね
様々な事情から来る
まず判断がそこに入ってますよね
それからおそらくだけども
そのもの自体を罪と見たいという意思が
働いてるんですよ
なぜ罪と見たいかというと
罪と見なしたものは
好きなんですよね
だからここには好きとは違って
随分と複雑な事情が
絡んでるってことですね
だから
これは面白いので
ぜひ実験してほしいんですけども
何か
こいつ嫌いだとかね
こいつムカつくとかね
これを否定したいみたいなものに出会った時
さっき言ったコンテンツでも何でもいいんですよ
まずは人の言動ありますよね
それからSNSの投稿とか
食べ物
それからファッションもありますよね
人が着ているものを見て
これ嫌いだこの服とかね
この服否定したいとかね
それからまさにコンテンツ
動画、ブログ
漫画、いろんなものですよね
音楽
そういうものをもし
嫌いだ否定したいと思ったら
なんでこれを嫌う必要があるんだろう
僕は
なんでこれを否定する必要があるんだろう
僕は
というふうに尋問してみるといいんですよ
そうすると必ず
何らかの被害が
もたらされるという答えが
返ってくるはずなんですね
これがあると困るんだよっていうね
例えば僕は
若い頃は
音楽をやっていた頃は
同業者がやっている音楽に関しては
ものすごいこの判断を良くしていて
一緒に
共演するバンドとか
同じレベルから同じ時期に
出した別のバンドの
アルバムとか
聴いてはすぐに
これクソだよとか
こいつダッサみたいなことをいつも言ってたんですよ
ほっとけないのは
なんでだってことなんですね
なんでそれを嫌う必要があるのか
僕が
自問したとします
当時は素直に答えられなかったと思うんですけど
たぶん
なんかあるんですよ
僕がやりたくないなと思っているような
アレンジとか
曲調みたいなことを
ストレートに出していて
こんなのありなの?とかね
もしかしたら僕は心の中で
21:00
そういうのも
取り入れてみたいなとか思ってたかもしれない
要はちょっと
ウレセンっぽい雰囲気とかね
そういうものを
醸し出している別のバンドとかを
見るとそれをやっていない
自分をやっぱり
動かしなくちゃいけないんで
こんなのが許されてたら
日本の音楽ダメになるよみたいなことで
僕はそれを嫌う必要があったんですね
否定する必要があったんです
理由があったんです
もう完全に被害を受けそうな感じがするじゃないですか
僕があえて
そんななんか下世話なもの
ウレセン狙いみたいな
そんな曲の作り方はしないよ
俺はつってね
一途に頑張っているようなこんな感じ
本当はやりたいんですけどね
売れたいみたいなことは心の底にあるから
でもそういう人たちが
成功したら
僕は困るんですよ
やっぱこのやり方が売れちゃうんだって思うとね
自分もポリシーを変えなきゃいけない
もしくはもう
そういう道から外れて音楽をやめなきゃいけない
もうここじゃ無理だみたいなことでね
だからできれば
そういう人たちは散っていってほしいわけね
僕が選んだ道とは
全然真逆の方向を選んだ人たちは
散っていってほしいわけ
まさにここに
様々な事情から来る
判断とそれを
罪と見たい意思ってのが働いてますよね
だからやっぱり僕は
好きに比べて嫌い
否定拒絶みたいなものにはね
様々な
プロセスがそこに働いている感じがする
だから同じ感情ではないんじゃないかな
っていう風に
捉えてるわけですね
でもねどちらにしても
感情のようなものなのでね
心の中にコンと湧き上がった時はね
好きも嫌いも
感情として
僕らは捉えながら
それを味わっているわけだから
別にどっちでもいいじゃんっていう感じもあるんだけど
ここにですねやっぱり
鏡の法則というのが働くんですよ
これはもう私がこの番組で
何度もお話ししたように
これは確実にこの世界に働いている
法則だと僕はみなしているのね
簡単に言うと
私があることは絶対に
してはいけないって自分を
今しめてたとしますよね
そうするとそれが鏡のように働いて
その僕が
今しめてたことを簡単にやって
抜ける人はやっぱりその人に対して
あまり良い思いはしない
やっぱり嫌いになるんですね
反対に
人がしていることを
すごく否定するとする
こんなことやっちゃダメだよとまさに僕がね
音楽をやってた頃に
こんなうれせんでなってコビューってどうすんだよ
みたいなことを否定すると
これがこのまま自分に
返ってきてそれが自分には
もうほぼ絶対にできなくなってしまうんですね
つまりさっき言ったね
その二つに分けたんだけども
自分から切り離す方の概念
嫌いとか否定
とか拒絶みたいなことを
自分以外のものに向けた
瞬間にね
自分もそれはできないという
24:00
このまさに鏡の法則なんですよ
縛られてしまうんですね
これによって僕らは
本当にこういろんな自由を
一つ一つ失っていくということ
もちろんその当の本人は
嫌っている瞬間に
そんなものができなくても
全然困らないと思うんですよ
これを否定してから
例えば僕があるブログを読んで
なんだこの文章ひでえな
みたいな感じで否定したとしますよね
いやでも俺こんなことは書かないから
こんな書き方しないから
全然困らないから
僕も音楽をやっているときはそう思っていました
いやいや俺はもう
絶対にこんなコビューってうるせえ
みたいなのやらないから
ところが人は変わるんですよ
そして自分の周りの状況もどんどん変わっていく
これが1年
2年だったらそんなに大差はないんだけど
10年20年になると
もう本当に天と地を
ひっくり返ることがある
それがもしくは
格好悪いとされていたトレンドが
ひっくり返って格好いいにひっくり返る
ことがあるわけ
その時にやっぱりこれやってみたいなって
思うんですよやっぱ
俺もこれ今なら
いけるんだけどって
でもダメなんですよやっぱり1回この鏡の
法則で否定し
拒絶し嫌いだといったものは
なかなかそこに自分が手を出すことは
できない
私は今でもまだここで
引っかかっているものがいくつかあって
例えば自分のセミナーを告知するとか
SNSに
投稿するとかそういうものを
やっぱりどっかでやっぱり否定したん
ですね多分ね
ソーシャルメディアが出始めた
2008年からそのあたり
僕はそのソーシャル
メディアコンサルタント
みたいな名を打ってですね
まあいろんなちょっと偉そうな話を
やってたんですねセミナーとかね
企業に行ってコンサルみたいな
形でやってたこともある
そんな中でやっぱりこの私がね
タイムラインデザインみたいな言葉を
生み出してねこの自分のね
タイムラインを告知とかね
PRばかりで埋めるようじゃ
ダメですよみたいなことを
声高々にね
主張してたわけですね
でその時にはねこの
十何年後に私がね今のような
仕事をするとはね夢にも
思わずねやっぱどうしても
これをさざるを得ないような
仕事を
に携わるみたいなことは本当にもう
夢の欠片も持っていなくて
本当にもう偉そうに
言ってたんだけども
その鏡の法則が今でも
僕にのしかかってきていてね
随分と2年ぐらいかけてね
一生懸命払拭したんですけどもね
そういうことが起こる
本当に1年2年のスパンじゃなくて
5年10年20年というところで
帰ってきたりするんですよ
だから僕はこの
自由を失わないというかね
自分の自由を失わないためにも
この自分から切り離す方の概念
まさにこの嫌う否定する
拒絶するこれはねやっぱ
その理由その一点
27:00
だけでもやらない方がいいなと思うん
ですねそして先ほど
お話ししたようにこれをやるのは
やっぱり何かの被害に遭うとか
傷つくみたいなことが理由
になっている
よく考えるとですね
本当にいつの時代でも
私が嫌いだとか拒絶したものは
その時
その瞬間たぶん私は何にも
傷つけてないものばかりなんですよね
だから
そのようなたぶん
まさにこの心象を抱きながらね
自分を守るために
そこを否定しそこを自分から
遠ざけるみたいなことをしていたんだと
思うんだけどもその結果
として自分はやればやるほど
自由を失うとここを
私はちょっと重く見ているわけですね
特に
私のようなそのコンテンツを
作る人たちとか
あるいはその企画に携わっている人とかね
新しいものを何か生み出す人
たちはやめたほうが
いいと思いますね
これをやることによってたぶん
何にも得るものはない
でもその代わりに
この自由を一つずつ失っていくっていうね
だから
私はここにこだわっているんですね
これがまさに
本当のことはわからないから
場面ごとに良い悪いを判断して
この時に
嫌うとか否定するとか
拒絶するという判断をしない
ここはたぶん
合っているはずなんですよ
残るは好きはどうするかだけなんですよね
だからまさに
最初の菅原さんの
ご質問に答えるならば
自分から切り離す方の概念
ここに関しては
これは感情なんだけども
その間に随分と思考
考えと罪悪感
罪の意識が盛り込まれているので
しかもこれをやると
自分の自由がどんどん奪われていくので
ここは無くても大丈夫だなって
そんな感じがするのね
もちろん
それをやってはいけないって意味ではないですよ
そうではなくて
これは無くても別に困らないものだな
っていうそんな感じ
もう一個の好きの方なんですね
ここの捉え方
ここはですね
私が言う本来の自分
形のない自分
これは私は愛そのものである自分
という風に見出しているんだけども
この自分というのは
最初に言った対立する概念
これがないんだと思うんですね
好きだけ
その裏が嫌いというのはない
肯定だけ
否定もない
需要の裏に拒絶もない
なぜか
僕はこの
自分に受け入れる方の
この感情というのは
この愛そのものである自分は
ある特定のものに
関してはものすごく強く
心を惹かれる感じがする
これはその通りだと思うんですね
これはね
何かに特定のものなんですよ
ある特定のものに
ものすごくこれやばいって
30:00
心を強く惹かれる
これはおそらく
80億分の1の
私の個性とか
私の子供から生まれる役割
ここに紐づいているような感じがする
ここに行くために
私は心を動かされている感じがするんですね
これが
この心の動きが
まさにこの引力のように
僕が例えば
生涯を共にするパートナーとか
一緒に働く人とか
まさにこの転職みたいなものね
僕の幸せの役割と
緑の本で書いた
ここに僕らを導いてくれる力を持っている
これが
愛そのものである自分
これの特定のものに
強く心を惹かれる理由だと
僕は思っているんですね
これがあるから僕らは
この人と一緒に過ごそう
この人と一緒に仕事をしよう
そしてこの仕事に携わろうみたいなところね
この役割に
まさに個性と紐づいた役割に
導いてもらえるための
1つの引力のような力として
だからこれは
そのことは分からないから判断しないとか
ってやったとしても
当然だけどもストレートに心が
ブワッと動くんで何にも気にしなくていいんですね
つまりおそらく
この心の動きをどれだけ
このあっ来たっていう風に
見極められるかっていうところが
この話の一番重要なポイント
じゃないかなと思うんです
その他のもの
要は
愛そのものである自分
これは
その心が動かない
特定のものでないものね
僕で言うと青魚とか
それほどシャザムで
撮るほどでもないなと思う
楽曲だとかコンテンツ
それほど興味を持てないコンテンツ
これはですね
ここに嫌いとか否定したいとか
拒絶したいみたいな意味をつける必要がない
そのままでいいもの
っていう風に見るんじゃないかなと思うんですね
だからまさに
さっき言った私の今の青魚の
見方ねただの食べられないもの
だから別に目の前に
あったっていいですよっていう
そんな感じ
これが僕はその愛そのものである
本来の形のない
外の要因によって傷つかない自分の
見方なんではないかと
思うわけです
この見方ねつまり
自分から切り離す方の嫌いとか
否定するとか拒絶する
これをやる必要がない
からこそ
そのものである自分は
完全に自由だと思うんですね
だから私はこれを
good vibesのゴールにしているわけです
最初の方に
お話しした
なんで好きの感覚は
心に直結しているのか
この理由も
ここに繋がるんですね
僕らはある特定のものに
強く心を惹かれることによって
自分の個性と
役割に紐づいた
パートナーだとか転職みたいなところに
導かれていくので
33:00
ここは直結していなければならないんですね
ここに理屈とか挟むと
わからなくなるじゃないですか
だからこれが
答えなんですよ
好きには理由がなくて
嫌いには明確な理由と動機がある
ってことですね
僕らはこの嫌いに明確な理由と
動機があるので
嫌いの反対が好きと考えると
好きにも明確な
理由と動機がなければいけない
みたいな風に見てしまうんですよ
そうすると
特定のものに
強く心を惹かれたときに
本当にそれが好きでいいのか
場合によっては
他にやりたいことがあるのに
それから逃げたいから
それが好きだとか言ってるんじゃないか
みたいなことで自分を疑ってしまうんですね
だからこの
好きは心に直結している
理由はないんだと
明確な理由と動機があるんだ
ここは違うんだという風に見ておくことが
とても重要だと思う
嫌いの反対だから
好きにも理由と
動機があるんじゃないかって考えちゃだめなんですね
心が動いたら
もうそれは好きなんだと
これは特定のものに心を今惹かれたんだと
いう風にみなしていいんじゃないかなと
そうしないと
迷いが生じて
自分の心がわからなくなるんじゃないかと
多分だけど
でも僕はこれがその好きなことが
見つからない原因の大きな
一つなんじゃないかと見ているんですね
よくありますよね
なんかこう
好きなものに取り組みたいんですけど
なかなか見つからないんですよね
っていうね
これはおそらくこの好きの理由
そしてそこに動機みたいなものを添えようとしている
これは扱いが多分違うんですね
繰り返しますけど
好きには理由がないんですよ
でも嫌いには今言ったような
自分から遠ざけておきたい
明確な理由と動機があるんですね
攻撃したい理由と動機があるんです
だから
僕らはわざわざ
思考と罪の意識を使って
ここに
嫌い否定拒絶
みたいなラベルを付けなざるを得ない
ということね
だからもし例えばですね
ちょっと大げさですけども
一生通してやり続けたい好きなことが見つけたいな
っていう風に思うのであれば
僕は
これは私の提案というか
おすすめなんだけども
それが見つかるまでの間は
しばらくはさっき言った
自分から切り離す方の概念
これをしないということを
やっぱりおすすめしますね
理由は繰り返しになりますが
おそらく二つあると思うんですよ
一つは
かつての音楽だとかね
それからソーシャルな使い方みたいに
自分が反対側
嫌い否定拒絶の方に
分類したもの
そのように判断したものは
なかなか自分が手が付けられなくなる
それがもし好きなものだったら
どうするのよってことになりますよね
もう一つは
好きにはね
36:00
本当は理由がないのに
この嫌いには明確な理由と動機があるから
好きもおそらく
そうなんだろうという風に
誤解をしてしまってね
何か心がもう動いているのに
そこに後付けでね
なんでそれ好きなの?
それ好きで本当にいいの?みたいなことをね
理由と動機をそこに探してしまう
それが見つからなかったら
これは一時の気の迷いかな
みたいなことでね
見失ってしまう
これをやってしまうと
なかなか理路整然と
私はこれこれこういう理由で
これが好きなのである
そしてこれをやり続けていいのである
みたいなことは多分見つからないと思いますね
だからこの
とても良い質問だと
私が思ったのはね
これはこの好きには理由がない
だからその本当のことは分からないので
結果結果で
良い悪いを判断せずに
生き自由せずに
いる方がいいというこのやり方を
するとですね
したとしてもか
心は確実に動くので
まずそこは気にしなくていいですよね
そしてこれによってさっき言ったね
自分から切り離す方の概念
これを持つ
頻度というかね
ここも少なくなっていくはずなので
多分悪くはないんじゃないかな
という風に私は思っているわけです
本当に良い質問だなと思いますね
先ほどもね
言いましたけども
これはですね
今日の話を通してこれは嫌ってはいけないとかね
絶対に否定してはいけないとか
拒絶するなよみたいな
そういう戒めではないということなんですね
ここはとても大切だと思っています
私が
グッドバイブスと称して話すこと
ほとんどこれと同じでね
怒りは手放すっていう
その方がこういうメリットがあるよ
っていう話はします
でもそれは
怒ってはいけないという話とは全く違うんですね
そのように捉えると
もうできなかった時に
必ず罪悪感を抱くことになります
恐れや不安を手放して平安になりましょうよ
それは平安でなければならない
と言っているわけではないんですね
ここは
完全にそれぞれが
自分の意思で決めることなので
どちらを選んだとしても
いいんですよ
そのようにしておかないとね
まるまるしてはいけないという風に捉えると
僕らは必ず
罪悪感の罠にはまります
そうするともともと
そんなことだったら
もう考えないほうが
まだマシっていう感じが
僕はしますね
こんな話聞かなきゃよかったっていう
そんな感じがするので
ぜひですね
この嫌ってはいけないというか
そういう風には取らないでいただければなと思います
そうではなくてですね
先ほどいろんな間に挟んだように
僕らが
これによって何も傷つかないよね
この曲が
この世にあるから
39:00
アルマとサバが
僕の周りにあるから
俺がどんな被害を受けるんだよってところで
あれ大したことないし
何にもないなって分かったら
嫌う必要がなくなるってことなんですね
これも
普段いつもいつも
そのようにしてるというのも
悪くないし
僕は一応やってるんですけどもね
でも実際には
なんか自分が不自由だなって感じた時とかね
困った時の修正ポイントとして
使うというのがいいんじゃないかと思うわけ
私がね
例えばなんか告知できねえな
いや告知しにくいな
なんかもう手が動かないな
と告知となると
重いな気が重いなとかってなった時に
あれあれあれ
そういえば俺は昔こういうことやってた人を
否定したり嫌ったりしたよな
みたいなことを思い出しながらね
そしてリアルタイムに
修正していくわけですよ
分かったともうそれを否定すんなやめようと
そうしなければ僕は
この不自由さから抜け出せないや
っていうね
鏡の法則が働いてるから
僕が否定したり嫌いだ
こいつはいらないと思ったもの
それは私もできなくなってしまう
簡単に言うと
あーはなりたくねえなと思ったら
あーはできなくなるってことなんですよ
そのあーはできなくなることが増えてきたな
と思った時に
こういうトライをする
そっかそっかそっか
ここで使うみたいな
そんな感じなんですよ
だからえっと
なんていうのかな
自由を取り戻せる可能性みたいなね
そういうものとして
その修正点として
心に置いておけばね
十分なんじゃないかっていう感じがします
だから何々を
してはいけないって捉えるのではなくて
僕は可能性
本当に困った時のね
なんか救いの光みたいな感じで
このね
好きと嫌いとそういう風に
違うんだなみたいなことをね
心の片隅に置いておくぐらいで
いいのかなと
そしてなんか今自分が
不自由が差を感じるなと思ったら
ちょっとこの取り組みをやってみるみたいな
そんな感じですよね
それも完璧にやる必要はない
まああの10回やってね
1回でも成功すれば
ラッキーというそのぐらいで
十分じゃないかなと思います
今までその10個の自由をね
失っていたのが9個になる
8個になるっていうね
少しずつ減っていくだけでも大きく違いますからね
だからまあそんな時の
メソッドとしてね
先ほど言ったその自問ですね
何か嫌いだな
否定したいな拒絶したいな
と思った時に
なんでこれを嫌う必要があるんだ
なんでこれを否定する必要があるんだ
っていうことを
一度自分に問いかけてみる
特に繰り返しますけど
ものづくりをしている人
コンテンツを作って世の中に
発信している方はですね
これはなんか
僕は習慣にしてもいいのかなって思う
42:00
ぐらいの大事な
この自問問いかなと思います
なぜこれを否定する
必要があるのかの答えがね
だって困るじゃんこれがあると
っていう風に出てきたら
本当にそんな被害が
自分にもたらされるのかっていう風に
吟味するわけですね
そしてそこでそうでもないかもしれないな
と思ったら
もうそのままでいいじゃんっていうね
ここに拒絶させる
まあほっといて
いいってことですよね
そこでわざわざ機材のラベルをつけて
自由を失う必要はない
そんな風に使う
ものなのかな
という感じがしますね
今日はこんな感じで
終わりましょうかね
4月9日
書き上げ塾の
第8期というのが始まります
今期からですね
私も随分と今回は
ブラッシュアップを頑張りましてね
なんかより良いものにできないか
っていう工夫をたくさん
この中に盛り込んで3つあるんですね
1つは私の力ではなくて
金風車さんというね
素晴らしい出版社が
声をかけてくださいましてね
書き上げ塾生の皆さんの本を
出させて欲しいという風に
オファーをいただきましたので
もうそれは本当に喜んで
ということで
これからこの書き上げ塾でね
本が出来上がった皆さんの本は
今まではですね
good vibes e-booksというね
私のインディーズレベルから出てたんですけども
もうすでにですね
3冊の卒業生の本は
金風車さんに
ちょっと表紙とかもね
随分とかっこよくしてもらって
ラインナップに並んでます
8期以降の皆さんの本もね
今書いてらっしゃる皆さんの本も
この金風車さんの
棚に並ぶということになります
これが1つ
それからジャジンワークというね
私と一緒に6時間
やりたいことやりましょうというね
これもいろんなジャジンワークの
作法とかをお伝えしながらね
少なくとも月に2回
この6時間の
書き上げ塾で言うならば
タイムがあるってことです
一緒に書ける時間
なかなか時間が取れないなってときに
ここをちょっと開けておいていただくと
6枚の無料クーポンを
全受講生の方に
差し上げますのでね
36時間分の
書ける時間
というのがね
それが確保できるかっていうのは別なんだけども
可能性として
なんとか書くということを
実現するために
用意しました
そしてもう1つ
8期からあまり今までやっていなかった
手を動かすプログラムを
かなり取り入れています
だから今までは講義中心だったんですけども
私の
お題に沿って
その場で文章を書いて
その場で構成赤入れみたいなことを
していきながらね
45:00
描写力とかね
物語を組み立てていく
その力みたいなことを
みんなでこの月1の
リアル講義では磨いていけるような
プログラムに改良しています
なので
よかったらぜひ
あと2席ぐらいかな
まだ残ってるんで
この半年間
ご一緒しましょうよかったら
ご参加ください
よくある質問でこの4月9日の
初回講義というのは結構大切な日なんですけども
ここに参加できない方は
後ほど動画でね
見られるようにしてあります
それからこの日に
企画会議というのをやって
半年間で書く本の
企画どんな本を書くか
誰に向けて書くかという企画を
フィックスするんですけどもね
これは1対1で
リアル講義の中で
対話しながら進めていくので
この文はですね
後ほどズームでワンオンで
フォローさせていただく
4月9日に出席できなかった方には
30分ぐらいあれば
終わりますんでね
これは今までも書く機
必ずお一人はいらっしゃって
ここのケアは
バッチリやってますんで
4月9日の日程が合わないっていう
理由であればなんとかなりますんで
ご安心ください
今日はですね
何かを自分から切り離したくなるような
判断ねまさに嫌い否定
拒絶みたいな
自分からの対象に向けて感じた時は
なぜこれを
否定する必要があるんだ
なぜこれを嫌う必要があるんだ
っていうこの自問をしながらね
いらねえかと思ったら
そのままほっとく
それにそういう
ラベルを付けずにね
やりながらこの自由を
失わないようにしながら
良い一日をお過ごしください
ありがとうございます
ご視聴ありがとうございました
47:10

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