1. めいそうラジオ
  2. 【#21】サニヤスって何?
2024-10-23 32:13

【#21】サニヤスって何?

アビラティとラシュミ、カタカナの変な名前、一体何なの?

サニヤスネームと呼ばれるこの変な名前は、伝統的な修業体系に反逆したOSHOの画期的な取り組みによって修行者に与えられるもの。世間に生活しながらも悟りを目指す現代の探究者のためにあります。アビラティが新しく名前をもらいサキになったことを端緒に、サニヤスネームをもらう意味や瞑想との関係を探ります。


🔻感想・質問こちらからお聞かせください!

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/wPxNimpXkMkU8KcZ7⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


🔻SNS

Instagram:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/meiso.radio?igsh=MXY3bTliMDl2ajE0YQ%3D%3D&utm_source=qr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

X:@meisoradio

note:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://note.com/meisoradio/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


⦅めいそうラジオは⦆

インドで出会った瞑想コンビが、愛と性と死とお金の瞑想、タントラから生きるヒントを探ります。

⦅スピーカー⦆

アビラティ改めサキ:医学教育コンテンツプロデューサーを13年した後、出生家族のアレコレ・男女関係の不毛さに悩みタントラへたどりつく。

ラシュミ:マルタ島で留学コーディネート、アーティスト支援などを行う。西洋/東洋の様々な自己探究をたどり、タントラへ。

サマリー

エピソードでは、サキとラシュミがサニヤスの基本的な定義とその背景を探求しています。サニヤスはヒンドゥ教において重要な概念であり、出家や放棄を象徴しています。また、現代のネオサニヤスムーブメントや、女性に名前が与えられることの歴史的意義にも触れています。このエピソードでは、サニヤスの意味やその文化的背景について深く掘り下げています。さらに、個人の名前の重要性、サニヤスに関連する名前の選び方、そしてそれが自己に与える影響について考察しています。サニヤスの体験を通じて、名前の変更が個人の意識や選択に与える影響について語られます。名前の意味やそれに伴う感覚が無重力のように感じられる瞬間について考察し、自発的な選択がもたらす喜びが共有されます。

サニヤスの基本
ナマステー
めいそうラジオ
インドで出会ったタントラ瞑想コンビ、サキとラシュミが
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための瞑想入門、始まります。
今回は、サニヤスって何?
今回からちょっと気づいた方もいらっしゃいますか?
アビからサキへ、名前が変わりました。ご報告会でまいりまーす。
名前が変わりました。パチパチパチパチパチ。変えました。
変えたところに行く前に、サニヤスって何?からざっくりベースを説明しましょうかね。
私たちのよくわからない名前がサニヤスネームと言うんですよ。
サニヤスとは、ヒンドゥ教においてはとても重要な行為なんだよね。
ん?行為?ルーイングってこと?
じゃない?だって出家とかさ、放棄とかっていうのを表していて、出家した時にもらう名前がサニヤスネって言いますね。
だからあれよ、日本でいうところのお坊さんがさ、お坊さんの名前あるでしょ。あんな感じよね。
そうだ、大愚和尚とかいるもんね。
一生さんとか。
何か法事とかする時に本名が田中康夫だったら田中康夫ですっていかないもんね。
お坊さんネームがあるから、そんな感じよね。
そのサンスクリット語でサニっていうのが完全に手放すこと全部手放しましょうっていうのがニヤサっていうのがサンスクリットの語源らしいですね。
完全放棄。
出家っぽいよね。放棄するところにポイントがあるんじゃないですか。昔の人たちは。
家族を捨て、嫁を捨て、子供を捨て、仕事を捨て、山に籠るじゃないけど寺に行くみたいなさ。
かつてはそういう人生かな。離れて斬然に別の修行の道に入るみたいなのがかつてのサニヤス。
今はそんなことないのかな。昔の感じだとライフステージの最終段階みたいな感じで捉えられてたんじゃない?
あれこれ俗世のことをやり終わったら、じゃあそこからは下脱の道っていうの?そういうステージを経るっていう場合もあるよね。
ネオサニヤスムーブメントの紹介
でもなんとなくそのイメージがすごくあったんじゃないのかな。だから若い出家しますって言った時にいきなりさ、若いミソラのティーンエイジャーとかはありえないわけじゃん。
ブッダとかにしたって正しい道を歩んでたんだね。あのサニヤスの。
ひっちゃかめっちゃかパーティーした後のね。
そうそうそう。失望してじゃなくて、ああもうこんな世界嫌だと言って修行の道に入るみたいな。
嫌だっていうよりはあれみたいな死ぬんかみたいな、そういう感じだよねきっとね。
あって話したことないけどさ、虚しいとかあったんじゃない?
楽しみ全部やっちゃったからね。
それでですね、我々の推し。
推しのインド人ね。
推しのインド人の和尚がですね、唱えたのがこの昔ながらの宗教的なサニヤス。
宗教的っていうかどういう感じ?あのヒンドゥ教においては重要だったサニヤスに。
厳しいサニヤス。
厳しいサニヤスだね。昔から続いてる厳しいサニヤス。嫌嫌嫌。
全部捨てる系のサニヤスをやってもすごい悟る人は少なかったりとかさ、
ちょっとそれ違くねみたいな。
推しのインド人和尚は反逆大好きなわけじゃないだろうけど反逆した人だからさ。
一つの反逆精神のある意味では、
ネオサニヤスムーブメントと言われたものを起こしましたね。
じゅっけして、完全に厳しい戒律を守る人にだけサニヤスを与えるわけではなくて、
誰にでも欲しいという人には私の名前をあげますって言って、
しかも最初にそのサニヤスネームをあげた人っていうのが女の人だったんだよね。
そう、それでこのサニヤスムーブメントっていうのは、
出家する人の中にさ、やっぱりインド的哲学とか教え的なものって、
修行者の女性に名前を授けるっていうか与えるっていうのは、
今までそこまではなかったってことなんだよね。
うん、だってブッダだって女の人に与えるのは微妙みたいなことだったし、
ジャイナ教だと女に生まれただけで悟れないとかさ、
よく修行の道に入れてくれないって言ってたじゃん。
女であるというだけでそこには行けないっていうのが、
割と和尚より前はスタンダード。
名前の意義と体験
じゃあ僕のところは女の人に最初にあげます。
いいな、和尚大好きだな。
というわけで我々も女性だけどさ、
ネオサニヤス名をもらってるっていうことですね。
厳しくない出家ネームをもらって、
捉え方としては出家というよりは修行の道に入ってますっていうのが私の捉え方です。
私は修行あんまり好きじゃないから、
修行っていう感じはないんだけど、
過去は捨てましたねっていう感じはあるね。
別に家族も仕事も捨ててないけど、
過去だけは捨てましたよっていう感じはするかな。
じゃあそもそも今回さ、
アビラティからサキに変わったアビラティさん、サキさん。
はい。
元々どんなふうにしてサニヤス名、
テイクサニヤスっていうふうに言うけれども。
そうそう、お名前もらうことでテイクサニヤスって言うけど、
元々アビラティの名前をもらったのは、
ノリです。
ノリ。
ノリ。
ノリ。
ノリで名前欲しいとか言っちゃったの?
お名前ない状態で1年くらい、
その瞑想の仲間に行ってたんだけど、
周りがさ、
みんな平たい家族なのに謎のインドネームを持ってる人の中にいてさ、
合宿かなんかに行ったときで、
他にも名前もらいますみたいな人が周りにいて、
いや、私そんな変な名前いらんのんだけどって思ってたんだけど、
もしかしたら、
もらって一体何の意味があるの?みたいなことを聞いてたら、
口々に、
人生が変わるみたいなことを言ってるわけですよ。
なんか言うそそげだよね。
そんなこと聞いちゃったら。
基本的に瞑想に来る時点で、
私は人生に悩んでたっていうか迷ってたっていうかさ、
もうやだよこんな、みたいな感じになってたので、
名前もらうくらいで人生が変わるんだったら安いもんだと思って。
でも、
名前もらうくらいで人生が変わるんだったら安いもんだと思って、
よく分かんないけど取ってみた。
ノリで取った人っていうか、
ノリで取った人についた名前がアビラティだったんだね。
だってさ、ほら、お名前もらうのにお伏せもいらんし、
壺も買わなくていいし、別に単にもらうだけだから。
確かにそうだ。
仏教は死んだ時しか名前変わんないけどさ、
皆明が積んだお伏せで変わるじゃん。
ああいうこと別にないからさ。
確かにそうだ。
私がでも捉えたのはさ、
サントラの個人セッションっていうのが初めてやった時に、
終わる日が来た時にお疲れ様でしたみたいなことになり、
お名前は?みたいなことを言われて、
名前?名前?って思ったら、
サニアス名っていうのがあって、
簡単な説明をされて自分で調べた限りでは、
名前をくれるっていうならじゃあもらいますみたいな感じで、
これあれですよね、
クリスチャンで言うところの仙霊名みたいなものをくれるってことなんですよね。
まあなんだ、じゃあくださいみたいな。
そんな軽いノリでした。
2人とも割と軽いノリだったね。
めちゃくちゃ軽いノリとさ、
仙霊名ね、確かにそういう捉え方もあるのねみたいな。
逆にほら壺とかお伏せとかがいらないっていうのは出てこなかったんだけど、
仙霊って基本的に今でも教会とかで額とか頭部に水をたらたらって垂らすとか、
うちのおばあちゃんとかの時代とか、
父母ぐらいまでの時代の人たちって本当にさ、
お風呂でお水を貯めて仙霊式とかやって水バシャバシャかけるみたいなのがあったんだって。
赤子鳴くやつじゃん。
赤子鳴くやつ。
だいたいみんな仙霊式とかに行ってると、
親が連れて行くからさ、赤子ギャン鳴きしてるよ。
そうだろうね。
赤子には意味なんかわかんないもんな。
なんで水かけるのんやみたいな。
泣くよね。
泣くしさ、それは赤子の時に仙霊するじゃない?
その後にカソリックとかだとそのコンファメーションって言って、
ティンゲージャーの時にやってくるみたいな。
それは水をかけないけどね。
そういうのがあるから、そんなノリで仙霊名みたいなのがつくのねっていうので、
ああくださいみたいな。そんなノリでした。
私もらったのが2019年とかだから。
私も2020年とかかな。
もしかしたらね、もっと真面目にもらってる人もいるかもしれんけど。
その前の人のいくつか話を聞くと、私たちの先生だったマニシタさんとか、
自分の番が来るっていうのを待ってた時にさ、
まさかこんな名前、絶対こんな変な名前、嫌って思って列に並んでたけど、
なんかその和尚の前に行ったら、
はーい取りますって言って名前をもらったみたいなことを話してたよね。
考えるの疲れましたって言ってもらったんですよ。
それはすごいわかるなって思った。
でも逆にさ、知り合いのっていうか出会ったドラマを見ると、
いやすごく考えたんだよ。
10年ぐらいはかかった。
10年?考え続けて10年?すごくない?みたいな。
10年でしょ?長っ。
真面目だなドイツ人。
みんなドイツ人がそうかどうか別にしてさ。
わかんないけどね。
イタリア人、イタリアの人そんなに考えなさそう。
そう、イタリア人の偏見って言う訳じゃないけど、
こんな名前気に入ったって言って、
例えばラダとかっていうのももらった時に、
うん、こんな名前気に入ったって言って、
それから自分は、はい今日から私ラダを名乗りますとか、
あとはシバっていう人が、女性なんだけど、
シバってAで終わるじゃんね。
イタリア語とかだと女性の名前っていうのはAで終わる人が多いからさ、
あ、これはなかなか私向きのいい感じのじゃない?って言って、
シバちゃん、シバちゃんって言って、
女性なんだけど、この名前好きって言って、
ちょっとノリが軽い感じ。
うん、やっぱり太陽の国は軽い。いいことだ。
じゃあそもそもですよ、
アビラティっていうのの意味は、
何か意味があるんですよね、その名前に。
アビラティはね、前にファミリーネームみたいのでプレムって言ってたんですけど、
だからプレムアビラティだと愛の喜びという意味でね、
つけてもらったときは意味を教えてもらったの。
うん、素敵な感じ。愛の喜び、なんか良さそうげ。
ね、でも人の恋愛に巻き込まれてもくったりしてた時だから、
愛の喜びってなんだよみたいに思ったの。
どこに喜びがあるんだ、愛の中にみたいな。
うるせーみたいな。ねーよみたいな感じだったんだけど、
でもそれはそれで、
もらってからカジュラホに行って、
インド人の先生にその名前を初めましてって言って、
アビラティですって言ったら、
わーお、タントラな名前だねーって言われて、
ハイヤンデーって聞いたら、
アビは美しいで、
ラティはカーマスートラの、私たちもお喋りしたカーマスートラの
嫁の名前だからね、とってもタントラだねーとか言われて、
おっと、まじかー、
なんかもうちょっとさ、愛の喜びっていうのがあれだよね。
インドとかギリシャとかそっちの世界に寄せてんじゃないの?
だいたいのサニアスネームってさ、名前でさ、
サンスクリットは基本的に神様のことか、
瞑想のことにしか使わない言語って言ってたから、
そう、聖なる言葉なんですよね。
うん、そこから取ってるものが多くて、
やっぱりね、原理的に言うと、
サニアスネームって、
サニアスネームって、
インドのことはインドの人に聞け!みたいな。
あ、それでそういう風に説明されたんだね。
そう、サニアスのお名前リストってネットにあるんだけど、
そこにはビラティって別に、
カーマの嫁とか、そんなこと一切書いてないわけ。
へー、そうなんだ。
サニヤスの文化的背景
そう、だから、最初に名前つけてくれた人は、
普通につけてくれたんだよ。
それをよくよくインドの、インド解釈をすると、
あ、そうですか、カーマスートラ、
カーマスートラ、
カーマスートラ、
インド解釈をすると、
あ、そうですか、カーマの嫁でしたか、みたいな。
まあまあまあ、でもね、
それはそれで、後からさ、
なんだよその名前と思っていたものの、
その名前になった後にはさ、
ああ、なるほどね、
ってなんかしっくりくることはあるよね。
なるほどね。
ラシュミは?
アナンディ・ラシュミって言って、
これの意味はブリスフルライト。
ラシュミが基本的に光、
アナンディ・グループっていうのが
そのブリスフルとか、
私服とか、
幸せな光、
なんか悟空が指すような自分になりそうな感じがして、
うーん、先例目っぽい。
って思う?ほら。
例えば、その聖人の絵とか像とかでも、
よく後ろにさ、
光のこの輪みたいなのがピカピカピカってこう、
書いてあったり、
あるよね。
悟空みたいなやつ。
光輪ね、はい、悟空みたいなやつね。
で、なんとなく悟空が指す、
そうか、
自分の歩く、
こうやってこの修行の道を歩いていくと、
そのうち私も悟空が指すようになり、
なんかあの、
魅力菩薩とかさ、
そんな感じに仕上がっていくのかな、
なんか素敵って思っちゃったんだよね。
いいね、いいね。
なんか名前ってさ、
私は漫画読んでるだけだけど、
音名字的にはその名前がさ、
ある意味まじないっていうかさ、
そう言われていたら、
そのようになっていくみたいなさ、
名前の選び方
名前がその存在を規定するみたいなところが、
あるとすればだよ。
なんかいい感じの感じになっていくといいよね、
その名前が気に入っててさ。
まあでも、
はじめに名前ありきっていう意味で考えると、
親につけられた名前とかさ、
自分たちの個跡でも、
パスポートでもいいんだけど、
もらった名前で生きてますっていう時代が、
まあ普通、
長いというか、
それで生きて、
皆さん亡くなっていく?
怪味をもらうまでは?
うん。
っていう人生じゃない?だいたい。
そうだね。
だけど、
今回の、
もらった名前を変えるっていうことじゃんね。
今回撮った、
なんていうの、
リテイクって感じですか?
リテイクって感じですかね。
リテイクサニアスでもらった名前っていうのは、
ちょっと、
紹介していただきましょうか。
ヤトロサキという名前をもらいました。
そこら辺で出会いそうな名前ですが、
どんな意味なんですか?
リテイクサビで、
サキは付けてもらった、
マニーサニーはディバインっていう風に
言ってもらった。
サニアスネームって、
基本的に付けてもらう人に、
お任せで付けることもあれば、
自分でこの名前がいいですっていうのも
アリなんだって。
主体制で取りに行くみたいな?
そうそうそう。
だから、アビラティは
お任せで付けてもらったんだけど、
今回は私、
リーガルネームと同じ、
リーガルネームって言ってもらったの。
ふんふんふん。
さっき、もともと
オシロのサニーは
お名前リストに入っているのを
ちょっと前から知ってて。
あ、そうなのね。
そうそうそう。
いつの日かサキに戻るんだろうなと思ってたの。
うすらぼんやり。
なんかそんなことを
年の初めに言ってましたよね。
サキに戻すかもみたいな。
選択の喜び
いつかなみたいな、
何年後かなくらいに思ってたんだけど、
その時に、
なんだ、今もらおうと思って。
今だ、と思って。
サキくださいって言ってた。
なんか降ってきた感じなんですか?
サキが降ってきたんですかね?
アビラティを5年くらいやって、
サキに戻ります。
戻るでもないんだよな。
なんかね、付け直してもらう感じ。
で、サキをほら、
与えられたっていうか、
生まれました。
親が勝手に付けた名前ね。
両親が付けたの?
おじいちゃんだけが付けた。
それはそれとしてですよ。
やってよかったなって思ったのは、
自分で選んで、
その名前にするっていうところかな。
なるほどね。
血縁の人から付けられた名前、
言ってみたら私の一歩じゃなくね、
親が勝手に付けた名前なんだけど、
でも、他のアビラティを経由したけど、
やっぱり私、サキがいいですって言って、
サキを選ぶっていう、
そこにね、すごい私は意味を感じたよ。
でも、自分で
自分の意思で名前を選ぶ?
例えば、不可抗力で付けられた、
親からいただいた、もらった名前?
あとは、
養子縁組とかさ、
結婚をするとかっていうので、
苗字が変わる場合っていうのは、
まあまあ、
世間一般にあるじゃないですか。
ただ、持って生まれた、
私これで生きてますっていう、
そのアビラティでもサキでも、
ラシュミでもいいんだけど、
そういう名前を、
ある時点からは、
持ってその名前とともに生きていくっていう、
自発的意志で名前を取りに行くっていうのは、
なかなか珍しいんじゃないかな。
個人の意識と名前
ね、そう思うのよ。
だから、なんか自分で、
アビラティもそうだけど、
アビラティ以上に、
もらったアビラティを捨てても、
捨てるっていうのともちょっと違うんだけど、
それを一回終わらせて、
もう一度サキがいいです。
っていうのは、
自分で選択して死んで、
自分で選択して生まれ直すっていう、
そういう感じ。
へー、
じゃあなんか、
死と生の瞑想じゃないですけれども、
そういう世界な感じ、
世界観な感じ?
うん、なんかね、
後から気づいたんだけどね、
すごい怖かったのよ、
名前くださいっていうの。
しかもサキって、
もともとは、
スーフィーのルヴァイヤードっていう、
有名な詩の中に出てくる単語で、
スーフィーの人たちは、
さっき言うと、
パブで酒を汲んでくれる女の人だと思ってるから、
バーメイドなんだ。
そうそうそうそう、
だからフィッツ・ジェラルド、
イギリスの詩人の人がそれ訳して、
世界に広まっていったんだけど、
ルヴァイヤードって。
でもその時に、
フィッツ・ジェラルドは作者が、
スーフィーのジョン・フィッツ・ジェラルドが、
ルヴァイヤードって、
ルヴァイヤードって、
フィッツ・ジェラルドが、
ルヴァイヤードって、
フィッツ・ジェラルドが作者が、
スーフィーの授業者だってことは知らなくて、
酒を汲んでくれる女の人だと思って訳して、
なんかロマンチックな感じになっちゃって。
調査のオマン・カイアンだったっけ、
ルヴァイヤードって、
その人が知ったら、
もうびっくりだよね、きっと。
神の歌だったはずなのにさ、
なんか喫茶店の、
カフェの女級の恋愛話みたいに、
フィッツ・ジェラルドは撮ったのかな。
そうそうそうそう、
あれーみたいな。
オマン・カイアルって、
もともと数学者で、
めっちゃ頭いい理系の人で、
そこからスーフィーの人になったから、
女っ家のおの字もないのに、
あれーみたいな。
めちゃくちゃロスト・イン・トランスレーションじゃん、
それは。
そう、ロスト・イン・トランスレーションなんだよね。
ただ、名前を付けてくれた兄さんは、
キリスト教圏の人だから、
先が欲しいって言ったら、
意味は何なの?って言ったら、
ゴッドって言ったら、
お前、自分のことゴッドって言いたいのか?
って言われて、
そこより、
私、リーガルネームが先なんで、
意味より音が大事なんだよね、
と思いながら、
すごい華厳な顔をされながら、
でも先がいいっていう、
結構恐怖。
なんかさ、
西洋常識とさ、
仏教常識の、
対立とは言わないけれども、
対立とは言わないけど、
例えば、ヨガとかやってると、
引導哲学系、
引導界隈系の
アクティビティをやってると、
神様っていうか、
自分の中の仏性を、
なんていうの、
カルティベート、育むみたいな、
そういうイメージが、
私はすごく持ってるんだけど、
そういうことだよね。
どこかに、
外にあるものではなく、
中にあるし、
矢を寄る図っていうかさ、
石も何でも神って思ってるようなさ、
文化で育ってるから、
それは私が神でもおかしくないでしょう、
みたいな。
それでなんか、
鼻を高くするとかさ、
そういうことではないけど、
誰でも神でしょう、
みたいな。
でもあれだよね、
矢を寄る図の神っていうのも、
リフレクションみたいなもんだと思っていてさ、
そういうところに囲まれて、
感謝をするとかさ、
やっぱり自分の中にそういうスペースが、
こうするんじゃないのかなと思うんだよね、
太陽と月とかさ、
そういうので。
もともと持ってるさ、
文化の違いを如実に感じつつ、
でも周りが何と言おうと、
偉い人が何と言おうと、
私は先がいいのだっていうね、
主体性、
リテイク。
なるほどね。
それで今回のリテイクの
セレブレーションというふうに
言ったわけですね。
そうなんです。
だからね、
とっても私は良かったなと思ってるよ。
もともともらってきた名前の意味と、
和尚の文脈からね、
意味は去っておき、
そっちから同じ名前をもらったことで、
なんかこう葬祭された感じがする。
便宜的にサキという名前を持っているけど、
特に名前はそんなに必要ない。
特に名前はそんなに必要ない。
特に名前はそんなに必要ない。
特に名前はそんなに必要ない。
重要視していない感じ。
でも最終的にはそうなのかもしれないね。
でも最終的にはそうなのかもしれないね。
名前っていうのとともに、
修行系道を歩いている感じだから、
光を求めて光を発するまで、
ホタルかお前はっていう感じだけどさ。
ホタルか。
なんかでもすごくない?
ホタルは自分で発光できるのにさ、
人間は自分で発光できないっていうのも
なんかおかしな了見で、
そこまでは思わないけど。
人間も光ってんじゃない?
そうでしょ?
人間に思うと、
なんかいいんじゃない?って思ってさ。
いいじゃん。
そうそうそう。
そんな感じのイメージで私は
その名前とともに付き合ってますけどって感じだね。
いいですね。
私、ヤトロってさ、
ジャーニー旅っていうさ、
名前ももらったんだけど、
いやもういいよ、旅とかしたくないよみたいな。
すでにもうこの時点で
すごろく上がりたいみたいな。
サニヤスの体験と変化
もうここで上がったところで
のんびりしてたい。
まあわからないよ。
いつ何時、ほら、
この道をヤトロしてても
道を歩いてても旅をしてても
功名を得るとか悟りとか
そういう言葉を使うのではなく
上がったっていう感じが
いつ来るかわかんないからね。
いつ何時ジャーニーになるかわかんない。
なるほど。
でもほらね、カジュラホに行った時に
何人かの人がすでに名前を持ってた人が
生き方を変えるのか
何を持ったのか
リテイク、それこそ新しい名前を付け替えるっていうのも
自分の自発的意志でできるんだ。
その時点でね。
そうだね。
それ見てたのは大きいよね。
サニアス名ももらったら
変えないもんだと思ってた。
それ見るまでは。
私もなんとなく
名前に馴染むっていうのに
光が自分で発光するまでだからさ、
結構めちゃくちゃ
長いじゃん。
でも途中変更的な感じで
へーっていうふうには
すごい驚いたわけでもなくて
へーこんなもんだんだっていうふうに
思ったかな。
私結構驚いた。
そんなみんなに
そんなさらっと変えんだと思って。
その時はすごいびっくりしたんだけど
後から考えると
いい衝撃だったね。
なんかさ、選び直せるってとってもいいよね。
普通はさ、戸籍の名前変えるの
めっちゃ大変じゃん。
うん、確かに。
気軽じゃないのかもしれないけど
怖かったけど
でも変えられるってすごいいいなーみたいな。
変えても変えなくてもいいみたいなさ。
でも自分で決めたとかっていうと
あれじゃない、どっかで落とすじゃないけど
無の世界へまっしぐらみたいな?
うん、あのすごい気持ちいいよ。
そう、でもね、名前がね
一回こう自分で決めて
死にますみたいな
新しくつけてもらうセレブレーションを
するまでの間ね
なんか怖いもあったけど
でもそれ以上にすごい気持ちよかった。
何もない、みたいな。
どっちの名前でもない。
へー、その中間地点にいる感じ?
そう、中間地点っていうよりは
なんか無重力な感じ?
どっちでもあるし
どっちでもないっていうかさ
どっちであっても
あまり関係がないっていうかさ
浴びられても
浴びられていいだろうが
先だろうが
私にはどっちもあるし
どっちもないっていうか
なんていうの、こう
本当にね、名前が
意味をなさないっていうか
すごいこう
無な感じになって
とっても気持ちよかったのは
あの瞬間より永遠にって感じだった。
なんかすごい
それは面白い発見だね。
これはやってみた人ではないと
わからない感覚な気がする。
しかも新しく
もう一回
くれる人に名前を考えてください
じゃなくてこれがいいです
っていう
自分でリクエストっていうところが
結構気持ちよかった。
そこだよ。
そこがキーかもしれないよ。
自発的意志
出た出た。
意志の力。
なんかすごく
瞑想的な感じになってきましたよ。
意識的に死んで
意識的に生きる。
そう、自分で選択するって
こんなに気持ちいいんだなあ
名前っていう視点からね
考えてみると
縛られてる感覚っていう
苦しい感覚
っていうのはそこにももしかして
つながっているとこが
あるやもしれないもんね。
かもしれないよね。
それにさ、今回
お名前もらうときにさ
お兄さんって
サニアス業界ではずっと
秘書をしてた方だからさ
すごい人にもらったら
すごくなれるんじゃみたいな
そういう属性な考えもあるわけ。
わかるわかる。
でしょ?わかるでしょ。
どうせもらうんだったら
すごい人にもらいたい
みたいなさ。
それとすごい葛藤はしたのよ。
なんだけど
そうじゃないって
いいんだってばみたいな
ここでそれすら外側の権威だからさ
そこに行ったら
また5年とか10年とか
やるんだべと思って
それだったら今すぐ先だよ
怖いけど。
なるほどね。
いやだってさ、もちろん
自分でね
リクエストがあってもいいですよ
とは言ってたものの
本当にいいのかなとか
それとはいえ
10年いた人の方が
より正しい道を知ってるんじゃないかとか
自分で選んだら
やっぱりそれは間違いなんじゃないかとかさ
自分に対する不信感って
名前の意味と自己の変化
やっぱりあるわけさ。
何かしらの
その怖さみたいなのが
やっぱりあるんだね。
自分は小さいとかさ
自分には価値がないとまでは言わないけど
自分が選ぶものが
本当に正しいのだろうか
その自信がないみたいな
誰かに頼りたいみたいなさ
マインドの声がバシバシですね。
これは。
よく聞こえるマインドの声。
そうそうそう
バシバシバシバシを
いや違う違う違う違う違う
それじゃないみたいな
それもうやったでしょみたいな
なんか素晴らしい生徒のような気もしてきた。
そう?
どうだろう。
日常に瞑想をっていう風に
マニーさんもすごく言ってたところで
意識的な気づきですよ。
私が何度も何度も何度も何度も言われた。
はいわかりました先生
宿題いっぱい出されました
みたいな
宿題ね。
旅をする人とさ
道を歩く修行系大好きな人にとってはさ
何か便利な道具があると
良かったりもするんだけど
使いこなせないことが多いじゃない?
すぐには。
名前っていうのが
その道具の一つになるのかは分からないけど
まあ一つのツールとして考えるんだったら
これあればちょっととりあえず
穴開けれますみたいな
巨大なハマーみたいな
なんかそんな気がしてきた。
まあガイドになってくれるような気はするよね。
もともと慣れ親しいんだ。
サキサキってみんなに呼ばれて
まだこれからサキサキと呼ばれる
強力なGPSになったんじゃないですかね。
新しい名前が
そう思います。
リーガルネームで
サキって呼ばれてる時と
サニアスネームで
メソの友達に
サキって呼ばれてるのが
全然違うなって思う。
なんか違うのよ。
だからそれが混ざっていくのが
私はすごいね。
ああ、お嬢ありがとうって感じ。
へえ。
それはとても美しいというか
面白い経験というか
エゴイスティックな経験で
難い経験ですね。
決断して
10年迷うのか
1週迷うのか
ちょっとそこの差はあっても
名前の通り
サキを急ぐ感じなんで
今やるみたいな
先延ばしはないって
なるほどね。
それはなかなかいい語呂合わせでした。
そんな感じでですね
新しい、今度はサキと
ラシュミで
人は変わってないんですけどね。
とはいえ
昨日のサキと今日のサキ
そして明日のサキは
また違う人ということで。
そうね。
ラシュミもね
昨日のラシュミと今日のラシュミと
明日のラシュミは別の人です。
寝たらね、死んじゃうからね。
1回ね。
プチレスを繰り返す我々です。
では今回はこんな感じで
ありがとうございました。
瞑想ラジオは
だいたいなんとなく
月曜日に配信します。
お聴きのポッドキャスターアプリで
ぜひフォローボタンを押して
次回もお聴きください。
生きるヒントがきっと見つかる
瞑想ラジオ
次回もお楽しみに。
ナマステ
ナマステ
32:13

コメント

スクロール