1. 資産6000万円でサイドFIRE
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2025-05-31 14:41

♯114 慎重なわたしが18年勤めた公的機関を退職できた理由

長いですが、私がどんな気持ちの変化で会社を辞めれたか?を語っています。
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こんにちは、まゆみです。私は当時、新宅を所持区に運用し、結婚9年半で資産6000万円を達成、
2025年3月末で18年間勤めた公的機関を辞め、サイドFIREしました。
今日のテーマは、慎重なわたしが18年間勤めた公的機関を退職できた理由、というような話をしたいと思います。
私は、昨日、大人気配信者のいがらしかりんさんと、音声配信コンサルタントのあさひろさんと、奇跡のランチ会を開催しておりました。
その中で、慎重なわたしかつ、大学を卒業してずっと働いていた会社を退職できた理由、それまでの気持ちの変化を質問を受けたのですが、
その場でもちろんお答えはしたのですが、全て網羅できなかったので、今回の配信で、じけれずにまとめてお話ししていこうかなと思います。
私は、22歳で大学を卒業して、とある公的機関に就職することになります。
この会社を失望した理由は、親が国家公務員で、公務員とか公的機関とか、そういったものに就職したかった。
なぜかというと、父から男女平等だということも聞いていましたし、それはお給料面とかですし、組織の中の立場とか、そういったものが男女平等だったこととか、
あとは福利構成が充実していることとか、あとはやっぱり売上目標とか、そういう精神的にきつそうなものがなさそうということもあって、
私はですね、とある資格を持っていたので、公務員というよりは公的機関、とある公的機関に就職したいと思って就職をしました。
なので、ほぼですね、私は希望通りの会社に就職ができたわけなんですけれども、
私は30歳で結婚して、34歳で出産をしているんですけれども、出産して育休復帰する前まで、35歳ぐらいまでは、この会社に対してほとんど違和感というか、というのを感じていなかったんですよ、正直。
もちろん、ルーティン業務ということもあったので、ちょっとね、仕事若干飽きてきたかなというのはちょっとあったんですけれども、ちょっと飽きてきたかなというタイミングで、運良くね、出産とか育休とかというのを取れたので、何にもね、そんな、なんだろう、違和感なく過ごせておりました。
かつですね、34歳で出産ということなんですけれども、その前の年の年収がだいたいですね、約600万ぐらいもらっていて、その600万という金額をどう高いとか低いとかって見るのは、相手、今配信を聞いてくださるそのあなたによってどう思うかわからないんですけれども、私にとってはこの仕事量とか、このそうですね、
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負担で年収600万もらってたらまあまあいい方だろうと、私の中では納得していたんですよ。なので、特に35歳ぐらいまでは、この会社で別に満足だというふうに本当に思っていました。
ただ、私に何が起こったかというと、35歳で育休復帰をしまして、最初は良かったんですよ、数ヶ月は。だけど、とりあえずわーまな生活がしんどすぎたんですよ。
しんどすぎたっていうのは、もちろん体力的にもですし、あとはですね、自分の時間が取れないことによってすごくストレスを感じて、私このまま60まで働くのかって思うと、もうゾッとしたんですよね。
で、それはですね、だいたい2021年頃なんですけれども、この時にファイヤーというね、経済的自立と早期退職っていう、そういったものに出会って、私もファイヤー目指したいなっていうふうに思いました。
ただですね、ファイヤーと簡単に言ってもですね、だいたいね、まあ1億ぐらいはね、もう完全フルファイヤーするためには最低1億は必要だなっていうふうに思っていたんですけれども、
シミュレーションしたところで、1億に到達するまでやっぱり50歳ぐらいまでかかったんですよ。これでも結構ガチで頑張って50歳で1億なんですよね。
その時に、いや50まで、あと15年あるでと思って、これは厳しいなっていうふうに思って、そこでですね、私も模索して何をしたかっていうと、お金を資産運用で貯めていくっていうことももちろんしつつ、
あとはですね、副業の方に力を入れようと思って、ビジネスコミュニティとかっていうのにね、入ってみたりしておりました。
で、そのビジネスコミュニティに入った時に思ったのは、ベースはすごい、基本はちゃんとしてる人なんですけれども、もちろんいろんな人がいるわけです。いろんな考え方の方、いろんな働き方の方がいて、
その中で結構、仕事を辞めたりとかする人とかもいたんですよね。新しいことをしたいとか、いろんな理由はありますけれども、そういうふうに仕事を辞める人とかもいて、その時に最初はよく仕事を辞めれるなっていうふうに思ったんですよ。
そう、そう、だけれども、その仕事辞め、すげーな、仕事そんな簡単に辞めれるの?とか思いつつも、あ、もしかして私も辞めるとか、もしかしてできるのかもしれないなって思ったのが、ちょうど4年ぐらい前っていう話なんですよね。
それと同時に、私は一応ファイヤーっていうのを目指していたので、ファイヤー達成者の人とかもあったんですよね。
だいたい50、60にはいってないですね。50過ぎの方で、だいたい1億でファイヤーした人と会った時に、何を言われたかっていうと、前美さんがブログもやってるし、副業である程度稼ぐこともできているから、
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僕は1億円でファイヤーしたけど、1億もいりませんよ、みたいな。5000万あれば何とかなりますよって言われたんですよ。5000万あればっていうのは、5000万全部運用するって話ですよね。5000万運用資金があれば、全然仕事辞めれますよっていうふうに言われたんですよ。
その時に、そっかと思って、このファイヤーした人が言うってことは、私ファイヤーしないから、ファイヤーしたいと思ってるけどファイヤーはしてないじゃないですか。だからファイヤー達成者の人が言うなら、それが正しいよなっていうふうに思って、それなら私、資産5000万円を目標にして再度ファイヤーしようっていうふうに、目標の転換を2021年頃にしたわけなんですよ。
その後ですね、どうなかったかっていうと、実は2023年に5000万円をね、実は達成してしまったんですよね。
これはですね、なんで達成したかっていうと、私たちが貯めたお金は3000万とか4000万とかそれぐらい、もちろんあったんですけれども、生前贈与ですよね。
主人の実家から生前贈与っていうのをなんとなくいただいて、計算したら5000万円を超えてしまったんですよね。
その5000万円目指してたのに、言ったら自分の力でやるぞって思ってたのにも関わらず、そういう生前贈与をいただいたことで、言ったら拍子抜けをしてしまったとともに、そういえば私5000万円で再度ファイヤーするぞって言ってたよなと。
そうなった時に、じゃあ2023年の時点で辞めれるじゃんってなるじゃないですか。だけど結局辞めれなかったんですよね。
この時思ったんですよ。お金があれば辞めれるわけじゃないんだなっていうのに、だんだんこの辺から気づいていったんですよね。
その後にですね、そういうモヤモヤを抱えながら、どうやったら辞めれるんだろうみたいな感じですよ。
どうやったら私は辞める勇気が出てくるんだろうみたいなことを思って、その時にちょうど2023年の冬ぐらいに、
私がすごい尊敬している日本のファイヤーの先駆者である穂高雄一さんという方と画面上でお話しする機会があったんですよね。
その時に穂高さんに言ったんですよね。正社を辞めるっていうのは不安であるとか、あとは世間体を気にしてしまうとか、あとは夫と同じくらい稼がないといけないと思っちゃってるとか。
言ったら、こんな言い方するとあれですけども、稼いでない自分は価値がないじゃないですか。そういうことを話したんですよ。
いろんなことを穂高さんは教えてくださったんですけども、例えば世間体を気にするっていう話も、自分のことはコントロールできるけど、相手のことは絶対コントロールなんかできないんだから、
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そんなことを気にしても意味ないですよねとか言われたりとかして、そりゃそうだなとか思ったりとか、本当にいろんなことを学んだんですけれども、
穂高さんがずっと面談、1時間以上の面談を通して話されてたっていうことが、生き方のことをずっと話してたんですよね。
何に関しても生き方をこの人は問うてらっしゃるというか、生き方に軸があるというのをすごく感じたときに、私はお金はある程度持ってるけれども、自分の生き方をちゃんと考えてないなっていうふうに思ったんですよね。
ただ、生き方を考えてないとはゆえ、すぐにあなたの生き方はどんな生き方をしたいんですかって言われても答えられないんです。なので、その2023年の冬以降に私がやったことっていうのは、
2024年にキャリアコンサルタントの宮内さんという方と8回ぐらいで面談をしていただいて、そこで自分の生き方っていうか、自分が本当にやりたいことっていうのを一緒に作っていったわけなんですよね。
そこの生き方を作ったときに私は思ったのは、私が目指している生き方っていうのは、この会社では達成できないなっていうのは確信できたんですよね。
そのときに、やっぱり私は会社を辞めないといけないと、会社を辞めないと私が生きたい生き方は絶対できないんだっていう確信ができて、できたんでしょう。
なので、私は2026年ぐらいに辞めようかなって思ったんですけども、もうちょっと早く辞めてもいいかなっていうふうに思ったんですよね。
その後ですね、ちょっと長くなっちゃうんですけども、2024年の前半が宮内さんとお話をして、2024年の夏頃に、茨城佳林さんの独立パーティーに参加して、そのときのメッセージで、
いつやるかじゃなくて、今でしょうじゃないですけれども、ちゃんとやるんだったら時期決めようよみたいなメッセージをいただいたので、そのときに、じゃあ私は辞めるってことは決断できたけど、もう2025年の3月末で辞めようと思って、サイドファイアーを今達成したっていうことになります。
ここまで私の流れを大体言っていたんですけれども、何が言いたいかっていうと、結局一人で考えてても会社は絶対破れなかったっていうことですよ。
やっぱり、人との出会いとか環境ですよね。やっぱりビジネスコミュニティに入ったっていうのがすごく良かったことで、私は仕事を辞めちゃいけないと思ったんですよ。
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この会社は、いいと思って入っているし、辞める必要も本当はないんですよ。逆に言うと辞めちゃいけないって思ったんですよね。
だけどね、コミュニティに入って思ったのは、いろんな人がいて、全然仕事を辞めてもいいんだなっていうふうに思ったんですよ。別にここの会社に固執する必要はないと。仕事だって全然辞めてもいい。
ちょっと休んで違うところに就職したっていいって、そういうふうに思わせてくれたのがまずコミュニティだったので、それはまず大きなきっかけですよね。
あとは、やっぱり自分が目指している人と話すことですよね。私だったら最初はファイヤーで意識していたので、1億円でファイヤーした人にお話も聞きましたし、
もちろん尊敬している穂高雄一さんとの面談でも、やっぱり自分と姿勢が違うんですよね。考えていることも。
そういう方から影響を受けつつ、私は自分の中で生き方っていうものが、ちゃんと筋が通ってなかったっていうのがあって、そこから模索して今に至るっていう話なんですよね。
絶対ですね、一人で仕事辞めたいとか、辞めたいな辞めたいな、もうしんどいなって思ってても、感情的に動ける人っていうのはすぐ辞めると思うんですよ。
それはそれでいいと思うんですよね、私。だけど、私みたいな慎重な人、言ったら大きなリスクを背負えないとか、担保が必要な人ですよね。
結局私辞めたって言っても資産6千万円で辞めてますし、夫も働いてるんで、何も不安在路一切ないんですけれども、
そういうね、慎重な人っていうのは、一人で考えてたら、もうどこにも進まないし、思考狂うことするしかないですし、
多分ね、定年までいつの間にか働いてるって状況になると思うんですよ。だからこそ何をしないといけないかっていうと、環境でお金を買ったりとか、人との出会いをお金で買ったりとか、
そういうことをしない限り辞めれないですし、やっぱり新しい世界っていうか、自分の思っている世界が全てではないですよね、当たり前ですけど。
でもそれはわかっていたとしても、やっぱり違う人、進んでる人と出会うことで、やっぱり新しい世界を見れるし、私もそこを目指したいって思うのであれば、
やっぱり会社を辞める決断っていうのはできるし、そういう方向に向かっていけるんじゃないかなっていうふうに思っています。
はい、ちょっと長くなってしまったんですけれども、この配信で終了します。
それではまた。
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