父の終末期と見取り
やっほー!真矢でーす。
最近ですね、父の終末期で色々対応をしております。
状況としてはですね、自病の糖尿病があって、
インスリン治療すれば延命はできる。
ただ、患者に回復はしないですね、状況で。
父としては、もう今までやりたいことはやりまくって、人生に満足しているので、
延命せず死んで、次の人生を歩み出したいということで、前向きに捉えて死ぬことを選択しました。
家で、今まだ入院してますけど、家に連れて帰って見取りをしようという感じでしてまして、
延命治療をやめると、どれくらいの期間がかかるかわからないですけど、確実に亡くなるということで聞いているので、
今ですね、事前に葬儀のこととか準備もして考えたりとかしているところです。
そういう話をしていたときにですね、子供が、え、ジジどうしたの?と聞いてきたのでね、
夫と話してたんですけど、夫はそのときですね、ちょっと子供はそういうこと聞かなくていいから、あっち行っといてって言ったんですけどね、
それはよろしくないと、私は思っておりまして、人ってね、絶対死ぬんですよね。
死ぬからこそ死ぬことをちゃんと、ちっちゃい頃からね、知っておいた方がいいと思っています。
特に今はですね、平和な時代になって、戦争もね、日本ではないですし、医療がね、発達して、死ぬっていうのは基本的に本当に稀で身近にない状態になってしまってるんですよね。
だからこのちっちゃい時にですね、おじいちゃんとかおばあちゃんの死を遠ざけてしまうと、本当に死って幻想の世界のものぐらいの、本当に遠い感じでね、考えることをしなくなっちゃうんですよね。
昔の人はね、まだ寿命も今よりも短くて、病気で死ぬ可能性もあってね、死が今より近くて、だからこそ生きていくことについてちゃんと考えていたり、
誰かとコミュニケーションを取る時もね、いつかその人が死ぬ可能性があるってずっと考えている人がいるかどうかも人によると思うんですけど、
でも死が身近れたからこそ、ちゃんと人と向き合ってたんじゃないかなと私は思うんですね。
今は本当、私の実感として、平和すぎてね、死が遠すぎて、
私ちなみに祖母のことめっちゃ好きだったんですけど、祖母はいつの間にやら介護施設とかに入って、全然私が知らないところで亡くなってから連絡を受けるっていう感じで、
本当祖母の死も遠くてね、それでもやっぱり亡くなって葬儀に参加する時はとても悲しくはなりましたが、
どっちにしても見取りを、死ぬ間際を見なくたって悲しいんだから、
であればちゃんと死の間際を見取って、しっかりと向き合っていくのが自分にとって効果がないと思うんですよね。
だからこそ私はその父の見取りをちゃんとしようと思いました。
本当ね、病院に入れたままできるだけ延命をしてね、体の血管とか限界を迎えて病院でひっそりと亡くなるみたいにした方が、
心的にはね、たぶん苦しむ時間はすごい少ないんですけど、でもね、人って必ず死ぬので、
しかもなんかこう、いつの間にやら亡くなってたって、なんか私の中ではちょっと違うかなと。
ちょっと母がね、家で見取りすることに、父が亡くなっていくのを見るのはやっぱ悲しくて嫌やって言ってたんですけども、
でもそうやって目をそらしてもね、それで父が一切亡くなって、その後亡くなる時に全然自分は見取ってなかったなっていうのを逆に後悔しそうな気がするんですよね。
子供への死の教え
そんなわけでね、必ず訪れること、誰にしも訪れることなので、後ろ向きに捉えるようにね、ちゃんと前向きに向き合うっていうのが大事と思ったので、
子供にもですね、しっかりとジージの状態をね、もうすぐ亡くなるよって話をして、
特に息子はですね、私の実家に帰って2ヶ月ぐらいね、ジージにめっちゃお世話になったので、
言うてもね、本人にとっては赤ちゃんの時やから、本人の方はそこまで記憶はないかもしれないんですけど、
それでも6歳ぐらいの時かな、春休みに1週間、ジージのとこにね、一人で泊まりに行って、いっぱい遊んでもらったりはしたのでね、
本当、ジージとの繋がりはあるっていう状態なのでね、
息子がジージの葬儀について、見取りはね、学校があるから無理だとして、葬儀をどう参加したいかっていうのは聞いてみました。
ちなみに多分、恐らくなんですけど、普通、孫ぐらいまではね、みんな参加するようなお葬式されるんだと思うんですけど、
こっちはですね、父の要望もあり、かなり少人数で、
仮葬のみ、国仏式とか念仏唱えるとかいらんということでね、仮葬、ご遺体を焼くということしかしないので、
特に集まってやるとかでもなくて、最後にちゃんと亡くなった顔を見ながらお別れの言葉を言うというだけをやるんですけど、
それを息子がしたいかどうかと、その時にですね、
もうジージは亡くなっているのだから、現場に行ったとしてもジージと話はできない。
だから別に現場で亡くなった顔を見ながらお別れを言うのでもいいし、
遠いところから亡くなったジージを思って、何か言葉を自分の心の中で言うのとそんなに変わらないので、
どっちでもいいよという話をして、その上で息子はどうしたいかというのを決めてもらいました。
その前にね、まだ父は生きておりますので、生きている状態でLINEの電話とか繋げたらいいかなと、
会話できる状態かちょっとまだわからないですけどね、はい、と思っています。
ペットでも、うちは実家で昔から犬とか猫とか飼ってたんですけどね、
犬もね、学校から帰ったら亡くなっちゃってて、知らんところでね、死んじゃってすごく悲しくて、
どっちかというと、見るのはしんどいけど、見とってあげたかったなというのを思うのでね。
父がね、よく言ってたんですけど、ペット飼ってね、亡くなってすごい悲しむ人がいるけれど、
それはね、生きている時にめんぱい愛情を注いで、自分が後悔しないぐらいしっかりと接していたなら、
そんな後悔は残らないから悲しくはならないと。
それもちろんね、寂しいとかあると思うんですけど、そう言っててね、それはそうかというのを思ってますよね。
その考えは私は結構大きく影響を受けているかなと思います。
やっぱりね、あの時ああしておけばよかったという後悔があるからね、悲しみをずっと引きずってしまうと思うので、
できることをしっかりね、向き合って、もうしっかりと自分の中で送り出せたかどうかという状態にしたいと思います。
これがね、大事だと思うので、死を避けるのではなく、ちっちゃい子にもね、ちゃんと死のことを伝えていくのがいいんじゃないかなと私は思っています。
ちょっと暗くなりましたが、基本前向きにみんな訪れることですからね。
ということで聞いてくださってありがとうございました。またねー。