孤立の問題
フェスティナレンテ、この放送は、SWC、スロースウィズクリエイターズ、コミュニティメンバーのマスコットがお送りします。
今日のテーマは、ただの人に戻れる場所をつくろうという話をしていきたいと思います。
昨日の夜、撮って、良いお年をとか言ってたんですけど、
ちょっとね、これ結構大事なことなんじゃない?みたいなことを思ったことがあったので、
ちょっとそれについて、合ってるかどうかとか、大げさに僕が捉えてるだけかもしれないんだけど、
ちょっとね、これ撮るのも結構、もしね、皆さん余裕ないと思うし、年末でお忙しいと思うので、
そんな部分あるんですけど、この僕の問いというか、これ結構大事じゃない?って思うことがあったので、
それを僕が教えてほしいから喋ってるっていうのが大きいですけど、ちょっと喋ってみたいと思います。
そのことっていうのは、一つ、僕が昨日喋った中で、
友達が少なすぎるんだよっていうゾコさんの強烈な一言。
強烈な一言というか、僕には、自分には刺さった一言ですね。
これね、自分のことだけでしか考えてなかったんですよね。
確かに、俺は友達少ねーしなーみたいな風に思ったんですけど、
これって結構、今の社会的な日本社会において、結構の人がこういう状態の人結構多いんじゃない?っていう気がしていて、
それをひも解くまでいかないけど、それを考えていくと、
これ結構いろんなことにつながっていってるんじゃないかっていう、
無理くりな部分もあるかもしれないけど、僕はそれをすごく思ってしまったので、
その話をちょっとしていきたいなっていう風に思っています。
男性のホモソーシャルity
まあね、どうしようかな。
その依存先が、その中で僕が話したら、結局依存先が少ないっていうのが結構問題だなっていう話をしていて、
依存先が少ないからこそ、安心できる場所とかに対して、
通常目指すと言うとあれだけど、そこの居心地の良くない状態に変えようとすることに対して抵抗するとか、
その居心地の良い場所のままに絶対したくなる、趣旨したくなるみたいな趣旨。
そこを支種ですね。
趣旨したくなるみたいなのがあるんだと思うんですけどね。
これが結構問題だなっていう風に思ったんですよね。
だからそれで、
なんなら僕は今どういう依存先があるかなっていうか、
依存先っていうかな、そういうコミュニティが属しているかなって考えると、
まずは家族、次が仕事関係、今SWCというコミュニティっていう、
ある種これはサードプレイス的な場所になるとは思うんだけど、
でも言っても一つなわけですよね。
だからその三つがあって、
弱者男性の話とかにもちょっとなるんですけども、
言っても僕はこの三つあるっていう風に考えたときに、
弱者男性と言っても結構いろんなタイプの人がいるんで、
一括にはもちろんできないんですけども、考えていたときに、
例えば友達がまずそんなにいない、僕と同じですね、みたいな状況。
あとは結婚とかもしてないし、子供もいないとかっていう話になっていくと、
孤立、孤立というか一人ですよね。
さらに家を離れて一人暮らしで働いてますってなると、
本当に一人ですよね。
そうなると、もちろん家族離れている家族ももちろんいるけど、
近くに家族がいないという状態で、
普段から接するような状態じゃないっていう風に考えていくと、
本当に孤立しているなというのを僕はそう思えて、
そうするとやっぱりどうなるかというと、
結構比べちゃうというか、そこに依存先が、
僕はその一つ、一つというか三つは一応あるんですけど、
そういうところじゃなくて本当に一つもないみたいな人も
世の中にいるんじゃないかなと思っていて、
そうするとやっぱり辛いとか悲しいこととか、
そういうものがあったときにやっぱり依存できないから、
そこで自分の中に溜め込むしかなくて、
それもやっぱりそこで爆発しやすくなってしまうよなというのを
すごい思ったんですよね。
もう一つ僕があるなという風に思っているのが、
単純に女性だから男性だからという風に分けられる問題じゃないかもしれないんだけど、
僕が結構思っている男性特有のホモソーシャルみたいな部分があって、
女性というのは割とみんながみんなじゃないけど、
演じることによって割と広く浅く関係性を保ちやすいというか、
そうしている人が割と多いと思うんですよね。
だけどそうやっているからこそそこで深い親友だよねみたいな人も多分できて、
そこで繋がりみたいなのを維持していて、
一方男性って序列というかどうしてもどこか比べてしまうようなところが無意識にあって、
そこで争い合ってしまうそういうホモソーシャル的な力みたいなのが働いていると思っていて、
特に僕がそれでこれ分かりやすいなと思ったのが、
バカリズムさんが脚本で書いたブラッシュアップライフというドラマがあって、
僕めちゃくちゃ好きだったし、皆さん見てた方もいらっしゃると思うんですけども、
最終的に仲良い女性の3人が一緒に結婚もみんなしないで、
老人ホームに入ってみんなで楽しく過ごそうよみたいな感じで、
最終的に老人ホームに入って皆さん同じぐらいの時に亡くなって、
生まれ変わってハトに3人ともなってたんですけども、
そういう感じで、そういう関係性って男だったらありえないなって僕は思っちゃったんですよね。
もちろんそういう男性でもそういうのはありえるよって思っている方もいると思うんですけど、
僕はずっと一緒にいようね、楽しんでバカ話してずっといようぜみたいなのは起きにくいような気がするんですよね。
これはもうちょっといろんな書籍とかいろんなわかる人に聞かないとわからないことなんだけど、
これがあるような気がして、そのプライドみたいなのがあって、
特に僕は今38歳っていう年齢で、キャリアとか家庭環境で差が出やすい時期でもあって、
そうなると弱みとか見せられないとか、
あとは僕が昨日も話したように、誘うタイプじゃなくて、誘われたら絶対行きたいんだけどって話したのが、
その理由っていうのが、誘って断られるのが怖いっていうプライドが絶対あると思うんですよね。
そういうことをすることによって、この依存先みたいなのを増やすための行動を止めちゃってるんだなっていうのを思って、
そうすると誘われにくさとか孤立の加速になってしまっているんだなっていうような気がしました。
社会参加の重要性
あとまたちょっと違う視点で考えていった時に、今古典ラジオで女性の社会参与の話、
僕聞いてないんですよ。聞いてないんですよ。
けどされてて、これを広げていこうという活動をしているわけですよね。
それでわばばさんとか、他の聞いた方々が広げていこうという話を活動されているし、
こないだ話した寮太郎さんとか、男たち頑張ろうぜみたいなメッセージとかも、
それの翻訳というかをして、自分にできることっていうのはこういうことかなっていうので、
それを広げていきたいなということをなさっていると思うんですけども。
これに関しても、ちょっと戻しますけど、古典ラジオの話に関しても、
僕は女性の社会参与っていうのが広がるのって結構なかなか難しいなっていうふうに思っていて、
それ皆さんも多分思っていると思うんですけど、その中の理由の一つに、
知らない誰かの正論というのは、あんまり自分にとって、自分事として考えにくいというのがやっぱり大きいと思っていて、
たぶん古典ラジオというのは普通の人から見れば、
普通の人ってなんだって話だけど、いろんな人から見ても、
意識の高い系の人が発言をしているというふうに捉えかねないというか、そういう側面があると思うんですよ、事実として。
そうすると、心理的にも、自分事としてはなかなか捉えにくくて、
そういう社会に対していいこともやっている人もいて偉いね、でも俺には関係ないねというふうになりやすいのかなと思っていて、
でもこれが、僕はそう感じない理由というのが、一番大きいというのは、
僕の仲間というか、友達というか、関係性がある人、ステークホルダーというか、
SFGのコミュニティに所属していて、わばばさんや両太郎さんとかがああいう話をしているからこそ、
他人事というか、これを関係ない話としては僕は全く思えないんですよね。
正直、あの二人の世にはまだ全然できてないんですけど、
やっぱりどこかで、例えば妻と接している時とかに、こういう発言をしてしまったとかっていう時に、
多分昔だったら正直それに対して何の無関心というか、何の意識も向けていなかったと思うんですけども、
やっぱり今そういうことを完璧に学べているわけじゃないけど、
そこで、これってやっぱりおかしいんじゃないか、この発言、自分がした発言がおかしいんじゃないかと思えたのは、
やっぱりそこに関係性がある人がいる、その人がしている発言がこうだからこそそれを他人事には思えないということがすごい大きい。
だからそれが多分内側からの言葉みたいなふうになるのかなと。
自分が認めている仲間とか、利害を共にするステークホルダーみたいな人たちが、
これって大事だよねっていうふうに言っているっていうことは、それは自分ごとに結構なるんじゃないかなというふうに思うんですよね。
これ古典ラジオでよく言われていることですし、わばわさんとかもよく話されていますけども、
ヒトラーとかの回とか、アイルシュビッツとか、いろんな回で全部で言われていますけど、
相手を人間というカテゴリーから記号にしてしまうというか、そういうふうに外すというふうに、
同じカテゴリーから入れないで記号のように扱ってしまうということによって、
関係性の重要性
そこでそういう悲劇的なことが起きてしまったんだよというのが歴史から学べることだと思うんですよね。
でも逆に言えば、そこに友達まで行かなくても、仲間とか関係性がある誰かとか、背景を知っているとかということが起きていれば、
あそこまで人間は残酷になれなかったし、ああいうふうには絶対にならなかったということも言えるということだと思うんですよね。
そこにもつながるように、ちょっと今のは飛躍したかもしれないんですけども、
やっぱりそこで何かしら関係性がある人がそういうことを言っているということによって、
やっぱり受け入れる力というのは強くなるし、自分事がされるので、そういうのが大事だなと思っていて、
僕自身も今SWCしかいないというか、家族仕事関係SWCというふうになっているんですけども、
もう少し仲間を増やすというか、関係性がある人を増やすということはめちゃくちゃ大事だし、
来年はそこをもうちょっと頑張っていきたいなというふうに思ったんですよね。
広く浅い友達を作ろうとかということでもないんですけども、自分の弱さを出せるというか、
今日のテーマで話した、ただの人に戻れる場所というのを、ただの人というのは何かというと、
ただの人じゃないというのは要はタグがあるみたいなことですね。
一級建築士のマスコットですとか、SWCのマスコットですとかも一応タグはあるはあるんですけども、
あとは仕事関係とか、家族もタグがありますよね。父であるというタグがある。
家族とか仕事関係というのはタグがあって、もちろん無くとでも繋がっている部分はあると思うんだけど、
それがあくまであると。SWCってタグはもちろんあるんだけど、
それをタグ外したときに、でも僕の話を聞いてくれると思うんですよね。
そういう関係性になっていると思うんです。
つまり、その関係なくただの人として見たときにでも受け入れてくれる人がいるような場所。
多分そういう場所を作った方がいいというか、
あくまで僕の予想というか、これだけ大事じゃないって急に思ったから言っている。
急に熱を持って言っているだけなんですけども。
ただの人に戻れる場所というのが、いろんな人にとってあった方がいいなというのを思っていて。
公園のトイレの問題
ちょっと話が変わるんですけども、
最近ね、建築家の、これ知っている人も結構多いかもしれないんですけど、
上野のある公園のトイレで、男性と女性と、
なんて言うんですか、多目的トイレって今言わないんだ。なんだっけ。
バリアフリートイレとか、クルミマイス使用者優先トイレとか、譲り合いトイレとかかな。
そういったトイレがあるじゃないですか。
ああいうトイレが中で一体になっていて繋がっているよみたいな、そういうトイレだったんですよね。
これが犯罪とかを起こすきっかけになってしまうんじゃないかとか、
あと天窓みたいなのがついていて、そこから屋根を登ることができるらしくて、
そこから覗くこともできてしまうんじゃないかみたいなことで、
これは大問題だよねということが結構言われていて、回収するよという話になっているんですけども、
これね、僕、これもだから、僕の推論でしか全くないんですけども、
これをまず設計した人が誰かというと、東京芸術大学のある研究室というふうに言われていて、
おそらくこの人だという人もこの人の研究室じゃないかということも言われていて、
僕その人のこともよく知っているし、何なら僕が好きな建築家ベスト3に入るぐらいの建築家の方なんですよね。
今でももちろんリスペクトして話したこともあるし、相当すごい好きな建築家の方なんですけども、
でもこれも憶測で話しているので、実際本当にそうかどうかも、
設計コンセプトがこれでどういう経緯でこうなったかということは全く知らないので、
じゃあ話しにあんのかと言われないのかもしれないんですけど、
思ったのが、建築、日本の建築、改造で荒くなっちゃうからこれを言うのも微妙かもしれないけども、
日本の建築文脈ではやっぱりあるのが、いかにつなげるかというのがあるんですよね。
昔からある縁側とか中間的な領域というような言われるものがあって、
そこの豊かさとか、外でもなくて中でもない場所とか、
そういうつながる、そこからさらに言うと公園のような場所とか、そういうキーワードとかも結構あったりして、
そういう建築という固いものを作らなきゃいけないんだけど、
そこにただ単に囲いというか、仮に何か乗っける、仮というと土地なのかな、
重くないというかね、ただ単に緩やかに閉じるというのかな、
ちょっといろんな表現できちゃうので難しいんですが、
そういうことが割とこの建築家の方もやっていると思うし、
全員か全員じゃないけど、割と共通するテーマとしては、
意識的でも無意識的でもあると思っているんですよね、僕はね。
そうした中で今回のようなことが、いろんな、もちろん調査とか、
単純にそういうものだからそうしたというわけではもちろんないと思うんだけど、
そういう理由も少しあったんだとは思うんですよね。
おそらくそういうことで今回のような中でつながりがあるみたいなことが起きたんだなということを
僕は思ったときに、そういう考え方をする建築家がいるというのは、
僕は理解できるというか、そういうことありそうだなと思っちゃったんですよね。
ただ一方でこれを、建築の業界ってめちゃめちゃ閉じているんですよね。
かなり狭く深い業界であって、
この間も僕は内覧会とか行ったときに、
作った作品というか建築を設計をした人の話とか聞いたりすると、
まあ専門用語すごいわけですよね。
僕ですらちょっと怪しいというか、
僕ですらって誰だけど、建築を専門にしている人間ですら、
このあれがカタカナの英語音というか、あれが出てきたりとかして、
これこういうあれで、みたいないろいろ説明を受けると、
すごいこれ、もちろん僕が建築家だからこういう説明をしてくださっているんだなと思いながらも、
一般の人にはどうやって説明しているのかというと、
多分、もちろん変えていると思うんだけど、
でもやっぱりそういう世界だなって思ったんですよね。
やっぱり閉じているんですよね、すごく。
こういう世界が起きてて、だからこそ深い思想が育ったというか、
その文化が形成されたみたいなこともあるんだとはもちろん思うので、
意味がないことじゃないとは思っているんだけど、
でも今回の例えばそういうトイレな件に関して言えば、
これも分からないですよ、憶測でしかないから。
そういう時に、例えばそういった建築家だけではなくて、
いろんな、何て言うんだろうな、
もちろん行政とかが絡んでやっているものなので、
別に建築家以外の声というのは入っているはずだとは思うんですけども、
例えば子育て中の親だったりとか、ジェンダーの研究者とか、
あるいは地域の警備員とか、
もっとそういう人の声とかを聞いてもよかったというか、
聞くべきだったのかなというのを思ったんですよね。
建築としては新しい試みだとか面白いというのがあると思うんですよね。
だけどこれが強化を曖昧にするとか、
つながりを作るとか、規制概念を疑うとかというのが、
建築的な内部では高い志という意味では評価される部分ではあるし、
ある種建築物というか建物を作るということ、建築家がやるということは、
社会に対して批評性を持つ何かを作るということだという意識が、
そういう建築家の人たちにはもちろんあるので、そういうところもあるんだと思います。
だけど一方で社会の切実な要望としての安全であることとか、
プライバシーが守られることとか、管理されていることとかというのが、
特にトイレという場所においてはすごく重要なので、
そこを入れるべきだったんじゃないかなというのが勝手なガイアからの意見なので、
こういうのって僕絶対Xとかそういうところでは話ししないですけど、
ここら辺は本当に僕は憶測で喋っているだけなので、
正しいかどうかは分からない。本当は入っていたかもしれないけど、
こうなったという経緯が何かしらあるのかもしれないしね。
だから強く言うつもりもないし、この建築家の人を批判するつもりもないし、
建築界の閉鎖性
この建築でダメだろうと叩いている人たちに対して強く言うつもりもないという、
あくまで注意率ではあるんですが、そんなことを感じて、
これはちょっとずれちゃったのであれですけど、戻ると、
これも結局だからそういう中に閉じこもるというか、
少ないという、ちょっと飛躍しすぎちゃっているかもしれないんだけど、
友達が少ないというかそういう関係性がある人が少ない、
さっき言ったただの人間になれる人が少ないことが問題にも繋がっていくんじゃないかなというのを思っていて、
飛躍しているかもな、ちょっとあって、
ここで関係性がある人が多ければ、そこに対してブレーキにもなっているなるし、
解像度が高くなるということでもあると思うんですよね。
だから僕は何かある種、建築界はずっと今まで行ったからこそそういうことを思って、
だけどそこから一回抜けてというか、完全には抜けたわけじゃないし、
今も建築の業界の中にいるんですけども、
でも明らかに僕は閉じすぎて嫌だなと思う部分がずっとあったので、
なんでだろうと思う部分が疑問がすごくあったから、
社会的な課題に対する思索
でも一回そこから出てSWCとかそういう違う世界に入るということによって、
だから気づけたことではあるんですけども、
本当にそこの多様な依存先みたいなのがあるというか、
そういうのってすごく重要。
それを多分いろんなところで言えるのかなって。
今ちょっと頭にあることをずっと喋っているので、
ちょっとごちゃごちゃしちゃったかもしれないんですけども。
だからそうだな、
これは自分のこととして友達を増やすことは大事だなって思ったっていうこともあったんだけど、
もしかしたら社会的にもというか、
いろんな今の問題とかを、
弱者男性の話とかもそうだし、
ジェンダーの話とかもそうかもしれないし、
あとは他のいろんな子どもさんも、
もしかしてその問題に結構共通してあるというか、
こじつけ感もたくさんあるんですけども、
多いにあるんですけども。
ただこれが全く関係ないことのようには僕には思えなくて、
ただの人に戻れるような場所っていうのを持つことは、
それも割と多ければ多いほどいいかというと分からないんですけども、
一つじゃない方がいいというのは確かであって、
それを持つことによって、
多分いろんな問題が解決しやすくなるみたいなことはあるんじゃないかなと。
別に僕はSWCのメンバーだから、
SWCに皆さん入ってくださいっていうことを言いたいわけでもないんですけど、
別に自分が自分でいいと思うところのコミュニティとか、
依存というかそこの場所ですかね、
ただの人に戻れる場所を作れればいいと思うんですけど、
大人になってそういう場所を作るというか、
自分が作らなくてもいいんですけど、
そこに入るとかっていうことは、
なかなかハードルが高いことだと思うんで、
簡単にそうした方がいいからじゃあそうしましょうっていうのも難しいし、
やり方もよく分からないとは思うんですけども、
大事な要素なのかなっていうことをすごい思ったんで、
良い音しようとかって昨日言いながらも、
ちょっとそのことについて話してみました。
多分おそらく僕は解像度が荒いのでね、
ゴチャゴチャっと今しゃべってたんですけど、
もしね、このことに関して思うことがある方がいたら、
場所を作る意義
それをスタイフとかで喋ってくださったり、
コメントとかしてくださったら嬉しいです。
別に無理に忙しいと思うのでしなくていいし、
僕がまたハズレなことを言っているだけかもしれないので、
ただ僕の中でそうかもしれないって思って、
突っ走ってしまっただけです。
昨日話してたように、
全然反省言い返してないですけどね、
ベタなことはせずにベストなことをしようみたいなことを言いながらね、
これベタなことなのかもしれないんですけど、
これはまたちょっと違うのかな。
別にね、スタイフとかここは僕が昨日話したように
息抜きみたいな感じでやっているので、
いろんなことを考える場所としてやっているので、
別にそれはいい気がするし、
僕はここでコミュニケーションというか、
何かが…
たぶん一番はね、
僕がこういう発信する理由というのは、
その後の深掘りをしてくださる方の意見を聞きたいというだけなのかもしれないんですけどね。
ひどいですよね。
問いだけ出して、後は答えてくれ、
それを僕は知りたいだけなんだという話なのかもしれないので、
ちょっとそれは申し訳ないんですけども、
し、全然やらなくていいんですけど、
そんなことを思いました。
これが本当にたぶん、おそらく、
今年最後の配信になると思うので、
ちょっとね、鼻声ですし、
体調も完璧にいいわけじゃないんですけど、
なんか急に思っちゃったので、わーっと喋りました。
はい。
そうですね。
でも僕は本当に、
ただの人に戻れる場所というのは、
来年は作りたいな、
来年はもっと、
いっぱい作りたいわけじゃないけどね、
作れるように動いていきたいなということを本当に思ったので、
そういった話をしました。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
それではみなさん、
スロースロースロース。