息子さんの動画編集の才能
おはようございます。小松でございます。
最近、息子がクリエイティブをすごくやり始めているみたいな話をしたいなと思うんですけども、
高校1年生なんですよね。それで自分の好きなことを色々探しながらやるっていうのが、
他の高校1年生でもそういうことをされていると思うんですけど、
なんかね、うちの家の子供は動画編集なんですよね。
とてもこの技術というか、好きでやったらいいわっていう方針で僕は見守ってるんですけど、
とにかく腕めちゃくちゃ上げてるんですよね。
色彩感覚とかね、やっぱりすごい、僕は全然才能がないのでね、ビジュアルのアプローチはね。
いやすごいね、頭角を表してるなっていうのがあって。
映画はたくさん見るしね、その関連の本は探しまくるしっていうような、
やっぱなんかね、親がね、僕は音楽とか音とかの専門として突き詰めて、
かなりオタクでフェチたところありますけど、
そういうことをずっとやってるから、その後ろ姿を見たのかわからないですけど、
自分としてはというかね、本人としては映像ですよね。
映像の編集みたいなところですごく興味が出てきてるっていうのがありますよね。
いくつか見せてもらったりするんだけど、とにかく色彩感覚っていうのがね、
カラーグレーディングっていう分野があるんですけどね、
そのあたりはね、ちょっと持ってるもんだなっていうか、
多分音もそうだと思うんですけど、教えられるものと感性で、教えられないものがもちろんあって、
そこそこの部分はね、いくんですよね。知識とか、ある程度積み上げてきた努力というかね、
経験では色々ブラッシュアップはできるのかもしれないですけど、
なかなかね、そこからの先っていうのが、色んなクリエイター見てるけど、難しいんですよね。
先に技術とか経験とかっていうより、資質みたいなのもありますよね。
これ言っちゃうとどうしようもないんだけど、そこはね、教えなくてもできるところが多分あると思うんですよね。
教える必要がないと言ったらそれまでかもしれないけど、
それはね、それぞれが持ったフォースというか力というかね、そういうもんだと思うんですよね。
別にこれはうちの家だけじゃなくて、他のお家でもそうじゃないですかね。
こんなことが別に何か教えたりしなくても、こんなに好きなことを自分でやってるわっていうのがあるじゃないですか。
才能と親の役割
それこそがね、ずっと言ってるビーング、Bのあり方だと思うんですよ。
小さい時にBを好きでやる機会っていうのが無意識の領域の中では結構あると思うんだけど、
そこを何かの形で作り上げていくというか、興味を持続させていって、それで自分のものにしていくというかね。
そういうところがあると思うんですよね。
これも人によっては消費的に何かをやる。
例えばゲームやるとか、曲を聴きまくるとか、音楽を聴いたりとか、映画を見たりっていうのももちろんインプットとしてはすごくあるけど、
アウトポットですよね。何か作り上げたいっていう、そういうものっていうのはやっぱり人は必ず持ってるから。
そのあたりはね、こんなものがあるよ、こんな風なものがあるよっていうのは人には息子も含めて伝えられますけど、
そこから先のアレンジメントとか、推進力っていうのは本人じゃないとわからないよね。
だからね、僕は全くその理論とか感覚っていうのがどうしてもわからないというか、すごいなとは思うんですけど、
とにかくそれができるっていうのは、子供とか関係なくリスペクトしますよね。
これは他のお子様というか、大学で教えてる場合でもそうですよ。こんな才能あんだとか、これしてみたいっていう、
自分から出る自発的な推進力ですよね。そこのあたりは、それが全てとは言わないけどね、
それがないと物事作れないわけじゃないんですよね。物事作るいろんなパターンとか方向性があるから、
それはどんな方向性でもいいと思うんですけど、何か手を動かしたり、やってみる形を出して、
それをアウトプットして外に見せていくとか、そういう力は教えるものじゃないというか、
もともと持ってるものだなというふうに思うんですよね。それを息子を見て思いましたね。
経験のためのお金の使い方
なので、親ができることが何かということになるんだけど、僕はやっぱり道具だと思うんですよね。
僕の方針なんだけど、お金を残すっていうのはある程度必要かもしれないけど、僕はそこを重視してないんですよ。
将来に向けてのお金っていうのは、貯蓄があればいいですよ。安心に近くなると思うし、
それは必要な生活のためのお金はあるんだけど、それって10年後、20年後、30年後、
下手したら子供でいうと4,50年後くらいの話じゃないですか。すると何が起こるかといったら、もう人生先ないんですよね。
例えば50,60歳の時にお金があると。そりゃいいですよ。働くこと大変だとか、いろんな困難があった時に50,60,70でお金があるのはいいんだけど、
めちゃくちゃ大事なのは、若い時に感性とか経験とか積み上げていく時ってあるじゃないですか。
そういう時に何か一番大事な道具ですよね。チャンスとか。そういうものをやっぱり親は提供することが大切だと思うんですよね。
具体的に言うと、映像で言うといろんなソフトとかコンピューターですよね。決して安くないし、いろいろ買うとまた追加すげえ買うことになるんだけど、
その時にお金を惜しむか惜しまないかで、その人の人生、よくも悪くもだけど決まっちゃうことはあるんですよね。
ここの時にどうしても欲しい道具があったりソフトがあったり、学ぶ期間ですよね、高校とか大学とか。
そういう時に子どもがここ行きたい、これ欲しいっていうのを純粋に求める時があるとしたら、そこは親は借金してでも提供することが義務というか使命だと思うんですよね。
そこはね、僕は結構大学でよく見るけど、小学金という借金を元に親ってほとんど、何パーセントかの親御さんはどうしても、それは仕方ないと思うんだけど、
子どもに小学金という借金を負わせて、卒業に親は返さなくて子どもが返していくっていうのは、ちょっと何か親を無責任な感じするんじゃないですかね。
そこはやっぱり親は借金、こちら側が借金して苦面する必要があるんじゃないですかね。これある種育児放棄につながると思うんですよね。
だってそんな借金、小学金という借金を当てがう、これ負の遺産ですよね。
すごい履歴じゃないですか、今借金を。4パーセントとか4、5パーセントってそこそこの金融の商品があるけど、4パーってすごいですよね。
やっぱりふくり合わせると相当なものになるから、そうだとしたら欲しい時とかどうしても必要な時に道具とか機械とか旅行もそうだと思うんですよね。
旅行も行きたいなと思ったら出すというか、それが一生、あと何十年生きる若い方にとっての大事な経験になるから、それは大事じゃないですかね。
僕は将来のための資金は残さないけど、道具とか機械は何としてでも優先順位をマックスにして出す必要があるのかなと思ってね。
そうするとやっぱりそこから道具からさらにもっと興味のある方向に人ってどんどん進んでいくじゃないですか。
それは浪費じゃないんですよ、全然。浪費とか欲しいものばかりと欲求じゃないんですよ。
自分の将来を本当に真摯に作り上げていくチャンスなんですよね。機械なんですよね。
教育におけるチャンス提供
そんな風な感じでやっぱり僕としては必要なものを時に伝えるし、他人様のお子様を預かってはいますけどね、大学というところで。
それって別にお金とか当てがわけじゃないんだけど、必要な時に何かアドバイスをするとか伝えていくとか、
それは多少何か手の込んだことが必要な時であっても、僕はそれはやってきましたね、この大学で、成果大学でね。
必要な時にこれ伝える、本を渡す、そういう大事な瞬間だよね。
こっちから与えるんじゃないんですよ。必要な状態っていうタイミングを見計らって伝えるってことですよね。
チャンスを提供するってことですよね。それがね、やっぱり今までの中でやってきたことの一番の教育かなと思うので、
別に教育論で僕やるわけじゃないんだけど、子どもに対してもそうだしね。そんな感じで思いますよね。
今日は教育論みたいな話をしましたけれども、何かの参考になりましたら幸いでございます。