知人の経験から得た気づき
おはようございます。小松でございまーす。
今日、朝、知り合いのフェイスブックを見たんですよね。
そこで結構、なんていうかな、しんどいというか、大変だな、みたいなね、そこで自分の気づきもあるし、
そんなことをちょっとね、ネタ出しというか、整理しながら、ちょっと話してみたいなと思うんですよね。
それでまあ、どこの大学とは言わないんですけども、とにかく僕よりもちょっと上の人かな、
2つぐらい上の人なんですけど、ほとんど在職期間が多かったんですけど、とにかくいろんなことを背負ってしまうタイプなんですよね。
しかも責任感が強かったりとかして、いろいろなものを自分でやっちゃう。
人があんまりそこまで思わないんだけど、自分が全部やっちゃったりとか心配事も含めて、気づくタイプなんですよね。
何かしなければならないとかね。それでちょっと長距離で通っておられることもあって、すごいね、身体的にしんどいんですよね。
ちょっと前だったかな、大変な状態というか、給食されたことがあったのかな、心疾患みたいなのがあってね。
それで大変だったなっていうのを、近くではないんだけど見てきたというか、関わってきたんですよね。
コロナがありましたよね。その時はあまり大学行くこともなかったので、その時はすごく快適だったというか、治ったというか、穏やかですごく過ごしやすくなったというか、そういう感じみたいだったんですよね。
それがコロナもあけて、どんどん充積の仕事に就くような状況になったところで、なかなか厳しい状態なんですよね。
それを見て移籍したわけですけれども、客観化がすごく難しい。自分のことを知るというのはもちろん自分でもできないし厳しいんだけれども、今僕の立場って何かというと、新しい職場で変わったということで、気づきがめちゃくちゃ多いんですよね。
多分なんだけど、今しか気づきがわからないと思うんですよ。言語化すると人って戦略というか、ストラテジーというか、知恵として昇華されるわけなんだけど、それをちょっとしとかないと、自分のためにやってるんですよね。
別に前の職場がどうだというディスるとかそんなことじゃないんですよ。感謝してますしね。そうじゃなくて、自分の感度と感性みたいな話をしたいんだけど、そこに通じるところなんだよね。
感度と感性の違い
だからね、これ暇のうちにちゃんと言語化して、何ならシリーズ化してもいいかなと思うんですけどね。歩きながら今ちょうど新しい大学に行ってるけどね。すごいピヨピヨピヨピヨね。チュンチュン鳥の声がしてめちゃくちゃいいですよね。
しかもここって大きな通りが、横断歩道はあるけど、特に歩くところでは大きな通りがないから音的にはすごくいいんですよね。幹線道路からちょっと離れてるっていうこともあるので、めちゃくちゃ過ごしやすいし。
ちょっと今日は会議が朝10時にあるので、朝のラッシュをちょっと外れてきてるのでめちゃくちゃ穏やかですよね。それはさておき、そういう穏やかな状態になったときに何が見えるかっていうことなんですよね。そこがね、やっぱり感度と感性なのかなと思うんですよね。
感度と感性ってちょっと伝えたけど、抽象的にその辺りを言語化しておくと、感性っていうのは生まれ持って感じることのできる心の能力ですよね。
これは自分の努力では変えようがないやつやね。身も蓋もないけど。いろんな感性あるけど、これは簡単には変えられないことはないと思うんだけど、変えられる可能性は極めて低い。いろんな人見てきて。それが感性なんですよね。自分の身体と言ってもいいかな。固有のキャラクターみたいなもんだよね。
感度が感性と違うってことを伝えたいんだよね。感度って尺度というか差分というか物差しみたいなものなんだよね。そういうものが実はとても大事というか、これは感性は変えられないからね。感度のあたりをどう付き合うかっていうことですよね。
感度を高めるために一番有効な点はメタ認知ですよね。メタ認知をして、そこから自分の立ち位置を調律というかキャリブレーションするわけなんですよね。それがあれば結構いろんなことが対処できやすくなると思うんですよね。
感度の基準点と環境変化
感度のあたり、物差しみたいなもの。その差分とか差とか比べるっていうことになると思うんだけど、そこの基準点というか基準値というか標準点というかね、起点がありますよね。地図でも何でも。電車の東海道線でも起点がどこだっけ。東京で良かったのかな、東京駅。
何かありますよね。線路の横の方に柱というか小さな標的じゃない、何かありますよね。ちょっととんがったやつね。あれですよね。
その自分の水準点を明確にするために、例えば環境が変わるとか変化したときなんかの今の差分を言語化しておくわけなんですよね。これが極めて大事なんだよね。言語化がね。
人間いろんな道具とか知恵を持っているんだけど、古今東西、人間性から未来までね、言葉ほど安易に使うこともあるけど、すごくポップで使いやすくて再現性の高い道具はないよね。
僕も今こうして言葉で喋ってますけど、この言葉はね、言葉って音的現象だからね、声って。それなのですぐ消えちゃうじゃないですか。だから僕は音声で一応録音。
感度の欠如が招く危険性
昔、だいぶ大学に近づいてきたというか、今通っているのが名神高速道路の真下ですね。結構ね、交通量多いんですけど、わりと静かです。びっくりするほど静かというか、という感じなんだけど。
だから同僚の書いた何気ないもので、自分が分かってないんだよね、全然。そこがね、怖いし大変だなというふうに思ったりしますね。分かっていればね、すぐにもう辞めちゃって。
辞める時にも、この組織のことを後片付け整理してやめようとか書いてあったんだけど、アホちゃうかって思うんだよね。整理するって火事の現場に戻って、それで火災道具を整理整頓するようなもんじゃないですか。命に関わるよね。
っていう感じなんだよね。危ないですよね。そういうふうに思うこと自体が病んでるし、客観化できてないし、感度が壊れてるんじゃないですかね。
っていうことを、僕は死ぬ間際というか、ちょっとヤバいところまで行ったんで分かるんですよ。これね、平和だったら分からないと思うよ。そういう感じのところだからすぐ分かっちゃって。
だからね、感度と感性、聞いてる方もそういうところにちょっとね、分析をおいて、今の状況を目断認識されたらどうかなと思ってね、今日話をしてみました。ということで今日はこんな感じです。