精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。 この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で、現在、開業医のマリモと、
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業を所経していて、 サッカークラブが夏休み、小学生対象の運動会を開くことになりました。
その準備に大忙しのサクラがお送りします。
アダルトチルドレンの行方です。
サクラです。
前回まではアダルトチルドレンの考えが、 アメリカの依存症治療を中心とした中で、どんな風に伝わってきたかというか、
発展してきたかという話を言ったんですけど、 今度は日本の話を言っていきたいなと思うんですけどね。
日本の中でこのアダルトチルドレンというのが、 どんな風に考えられるようになってきたかという話です。
1989年ですね。
斉藤学先生というのが、 クラウディア・ブラックのこのアダルトチルドレンの本ですね。
私は親のようにならないという本を翻訳して出版したというのが、 一般の方にこのアダルトチルドレンが広がったきっかけになったと言われています。
結構日本でもですね、このアダルトチルドレンの本というのが目立つんですよね。
斉藤学先生というのが、 依存症治療の第一人者的な役割だったりとか、
執筆活動とか講演活動とかにも有名で、 現在もご健在なんですけどね。
学会も作られたりとかして、アカデミーの中でも頑張るし、 もっと社会というか、いろんなところに発信する先生でもあったんですよ。
その当時のカリスマ精神回避的な役割を担った先生でもあるのかなと思うんですけどね。
割と有名な先生だったみたいで、その当時ね。
斉藤学先生とかが、このアダルトチルドレンという考え方を導入したというか、言ったわけですよ。
当初は当然、このクラウディア・ブラックとか斉藤先生が言ったのは、 依存症を持つ親がいる家庭で育った子どもということがメインだったんですけども、
そこから、機能不全家族の子どもというのに、 アメリカでも広がるんですけれども、日本でもその考えが広がってきます。
機能不全家庭で育った子どもたちというのに、 こういった考え方、アダルトチルドレンという方がいてるよね、ということになってくるんですね。
アルコールの問題以外にも、例えばDVとか虐待とか、過干渉とか過保護とか、無関心とか、完璧主義などっていうような家庭の中で、
育った子どもたちっていうのが、このアダルトチルドレンと言われてる方になって、
そういった方っていうのは、一般の社会の中で生きづらさを感じる、みたいな言い方が出てくることになります。
この生きづらさっていう言葉も、この時代にわりと市民権がいる言葉なんですね。
それまで生きづらさっていうのは、この障害福祉というか、医療の中でもちょっとは出てきてたんですけれども、
一般の人々の中に出てくるっていうのが、だいたい90年代後半ぐらいからみたいですね。
斎藤学先生と同じぐらいに、この日本の中でアダルトチルドレンを広げた、これは心理学者の先生なんですけれども、
篠田沙佑子さんがいてるんですけど、この篠田さんは、このアダルトチルドレンの定義をですね、こんなふうに言いました。
現在の自分の生きづらさが、親との関係に起因すると認めた人と定義します。
つまり、その方が大人だとして、大人の現在自分の生きづらさっていうのが、親との関係の中で起こってるよっていうふうに、
自分が感じた人っていうのをアダルトチルドレンと言いますよっていうふうに篠田さんは定義したわけですよ。
この当時としては妥当な考え方なんかなと思うんですけど、科学者というか、一応その心理学者はそんなふうに言って、
いろんな本とかを書くわけなんですね。
そうする中で、日本ではですね、このアダルトチルドレンブームというのが社会的な現象になります。
例えば、この斉藤先生とか篠田先生とかの一般症以外にもいろんな本が出てくるんですよね。
恋愛とか結婚とか母娘関係とか、親への手紙、自己探し、癒しなどの関連のアダルトチルドレンの本というのがいっぱい出てくるんですよ。
いろんな方がこのアダルトチルドレンに関していろんな色のテーマを作って本を書くと。
その当時雑誌が結構流行ってたので、女性誌のアンガンとかクレアとかモアとか、
一般誌ではアイラとか週刊アサヒとかスパなどでですね、私はアダルトチルドレンだったみたいな自己語りの記事というのが多く連載されることになります。
ちょっと懐かしいですけどね、どれもね。
プラステレビのワイドショーとかNHKの教育番組とかドキュメンタリーとかでですね、親子問題とか虐待とか共偽存とかっていうような問題も取り上げられて、
それにこのアダルトチルドレンというようなこととも当然関わって放送されるということが出てくるんですね。
当時の社会っていうのは、例えばこの社会的な事件で言うたら、この神戸連続児童殺傷事件とかってあったじゃないですか。
とか、あるいは児童虐待への関心とかね、不登校とか家庭内暴力とかっていう関心、これは昔からもありましたけれども、
特に90年代とかはこういった関心も高まってたりとかして。
そうですね。
こういうのを説明する便利な概念として、このアダルトチルドレンっていうような言葉を使われたんですよ。
そんな記憶があります。
だからね、この生きづらい人はみんなアダルトチルドレンっていう風潮が出たりとかしてね。
確かに確かに。
で、私はアダルトチルドレンですとかっていうね、自己理解が流行ったりとかして。
流行ってましたよね。
っていうようなことがあって、自分の問題として、対人緊張だったりとか恋愛の問題だったりとか、
接触障害だったりとか、うつとかパニックとか不安症だったりとか、いろんな困ったことがあったときに、
自分の理解として、私はアダルトチルドレンだから、みたいなね、ことを感じるという社会的な風潮ができて。
で、例えばこの悪い乱用の中ではね、私はアダルトチルドレンなんだから、こんなことはできなくて当たり前じゃん、みたいなね。
そういう自分を被害者として認めらされるようなことだったりとか。
あるいは逆に、あの人はアダルトチルドレンだ、みたいなね。
他人をレッテルバリーすることに使われたりとか。
ちょっと流行りすぎて変な風に言っちゃうんですよね。
っていうですね、流行ったのはいいんやけれども、それをちょっと変な風に使うっていう人も出てくると言われてて。
そうね。本当は流行り言葉になってましたもんね。
そうなんですよね。まさに90年代後半ってこんなことになってたみたいですね。
この時代の話で、社会学者の小池さんっていうのはですね、この時期っていうのはアダルトチルドレン論っていうのは、
スター精神界が一般向けメディアを介して広がって流行ってですね。
自己理解の文化と結びついた結果、アダルトチルドレンっていうのは結構流行ったよって論じている先生もいてますね。
まあまあ、あり得るべきかなと思うんですけど。
ここでちょっと立ち止まっておきたいんですけど、日本でアダルトチルドレンが流行った理由の一つなんですけどね。
アダルトチルドレンっていう語感の問題があったかなと思うんですよ。
まったく基礎知識なく、アダルトチルドレンっていう言葉を日本人が聞くと、結構変な感触を受けるんですよ。
大人子供じゃないですか。日本語で訳すとさ。和製英語的に言うと大人子供になるじゃないですか。
これがどういうと感じたかというと、子供っぽい大人とか大人子供とかっていう、この言葉そのままに取りがち。
アダルトチルドレンっていう大人が出てくるっていうことは、つまり大人になれない、大人になりきれない大人ですよって言ってるというふうに感じることもあったりとかして。
アダルトチルドレンっていうのは大人になれない問題として捉えられることになっちゃうんですね。
歪んだんですね。
そうなんですよ。アダルトチルドレンっていう言葉自体の問題でね。
英語でのアダルトチルドレンはなんやったかっていうと、そもそもアダルトチルドレンっていう言葉は、
例えばアダルトスチューデントとかっていう英語があるんですけど、これは社会人学生なんですよね。
アダルトドーターズとかアダルトサンズとかっていうのがあるんですけど、これは成人した娘とか成人した息子っていう意味なんですよね。
成人した子供たちっていうただそれだけの意味なんです、このアダルトチルドレンっていうのは。
英語の言葉で言うと、あんまり矛盾した感じにならないんですよ。
なんでかっていうと、アダルトっていうのは単に大人になったっていう意味で、このチルドレンっていうのは関係性を言ってるだけなんですよ。
親の子供やって言ってるだけなので、親の子供が大人になったっていうだけのことを英語では言ってるにもかかわらず、
日本語にしちゃうと、アダルトっていうのに大人っていう意味とチルドレンっていうのに小さい年齢が低いっていうだけのことで、
矛盾した2語がくっついてるというふうに感じちゃうので、なんかちょっと不思議というか、ちょっと変なニュアンスになっちゃうんですよね。
大人になりきれない子供みたいなニュアンスを日本語では持っちゃった。
アダルトチルドレンとひらがなで書くと、そんなふうになっちゃったっていう問題があるのでね。
なるほど。
あと英語で言うと、アダルトチルドレンオブアルコーリクスというですね。
オブアルコーリクスというのが必ずついてたんですよ。
アルコール症を持っている家庭の子供が大人になったっていう意味を省略したアダルトチルドレンだったんですけれども。
日本に上陸した時に、このオブアルコーリクスが飛んじゃって、アダルトチルドレンのみだけが入っちゃったもので、こういうちょっとややこしいことになっちゃったって言われてますね。
だから、アルコール依存症の親みたいなのが私には全く知識がなかったんですよね。
そうなんです。ちょっと言葉の不幸というか、ちょっと見違いっていうのもあったみたいね。
でも、いずれにしても日本ではアダルトチルドレンというのが割と社会的なブームになって、本当に多くの人が私はアダルトチルドレンですみたいなことを言ったりとか、テレビとか雑誌とかでそんなのが取り上げられるという時期があるんです。
そうなるとどうなるかというと批判されるんですよ。
今度はアダルトチルドレンバッシングというのが1998年くらいから始まります。
概念が広がりすぎた結果、問題が指摘される。当然ですけどね。
なんでもかんでもアダルトチルドになってしまうし、親だけを原因にしているし、賢い人はこういうのは信頼じゃなくて科学的根拠が弱いよみたいな言い方を当然することになって。
そういった言説が流行りだすと、実際99年の雑誌にはアダルトチルドレンは死後ですみたいな記事が出たりとかして。
ちょうど同じ時期から斉藤学先生は自らはアダルトチルドレンという言葉を使わないようになります。
サバイバーという言葉を使ったりとかされてましたけどね。
それがより正確なのかなと思うんですけれど、アダルトチルドレンがあまり流行りすぎたものなので、
医療の専門家とかメディアの知識人とかっていうのも、このアダルトチルドレンという概念を知らんにもかかわらず批判するみたいなことも起こってますね。
知らん人は知らん人を批判するみたいなことになっちゃってるんですけれど。
でもなんでも親のせいにするなとかね。理由をだから名乗るなとかね。
あるいはこの機能不全家族と言っても、どんな家族が機能不全家族なんかだ、みたいなことがエビデンスないじゃないですか、みたいなね。
そういった指摘が起こるようになって、アダルトチルドレンという言葉は2000年代からだんだん忘れられていくことになっていきます。
だから聞かないんですね、最近は。
そうそう。一般社会ではほぼ忘れられた言葉となっていきます。
ただアダルトチルドレンという言葉はそうなんですけど、学術的な経緯としては、アメリカのところでも言いましたけれども、
子ども時代の家庭環境が成人後にも影響するという考えは支持されることになって、より専門的な領域でそこのところは洗練されていきますね。
トラウマ治療だったりとか、愛着障害とかにこういった問題が引き継がれていくことになります。
依存症ですね、刺激の問題に関して言うとか、アダルトチルドレンという話をまだ使っている方っていうのは当然いているので、そういったことも現在は使われていますかね。
現在の学術用語ではアダルトチルドレンみたいな言葉よりも、具体的にですね、各個人の困ったことっていうのを特定します。
例えば小児期の逆境体験とか、そういった体験を受けた子どもさんたちみたいなことだったりとか、複雑性PTSDとか複雑性トラウマを持っているとか、親への愛着障害を持っているとか、虐待がされているとか、
家庭内の葛藤とか情緒的安全性が保持されていないなどですね、そんな話になっていきますね。
こんなんが2000年代にかけて、アダルトチルドレンがより細分化してくる。よりそういうのを精密に研究にされるようになったということなんかな。
という感じでアダルトチルドレンっていうのは、学術の中では解体されるんだけれども、考え方としては、大きな路線としては引きずらがれていくというか、それを始まりとして現在に花開いているのかなと思うんですけどね。
僕がアダルトチルドレンかもみたいな話が聞いたことっていうのはほとんどないんですけど、1人か2人の方に何か言われた記憶があるんです。
僕が20、30代くらいの精神科医だった時に外来の患者さんで、先生私ってアダルトチルドレンかもみたいなことを言われた記憶があって、
そうなんや、社会ではそんなんが流行ってるんや、ぐらいの軽い受け流しをした記憶があって、そこを深掘りはしなかったんですけれども、それだけの知識は僕にはなかったんですけれど、
現状を考えるとしたら、やっぱりその方の幼少期のトラウマ体験だったりとか、逆境体験だったりとかっていうことをもう少しひもっておく必要があったし、
それとその方現状の症状とどういう関わりがあるのかなっていうことも、もうちょっと考える必要があったんかなと思うんですが、
ただそこは僕は流してしまったなっていうのは、今から思うとちょっと反省点かなと思うんですね。
その当時、多くの精神科医というか精神科をメインにしている人たちっていうのはきっとこの問題って軽く扱ってたと思うんですよ。
依存症の人は別やけどね。依存症のことについてはよく見てたと思うんですけど、
この日本でバーッと流行ってる時代の話っていうことに関して言うと、あまりそこまで日本の精神科医療っていうのは及んでなかったのかな。
あそこまで細かいところまで、細かいというかその方の気持ちのいろんなところまで考えが読んでる人っていうのは多くはなかったんちゃうかなという気がしてて。
中に感じてた人もあると思うんですけどね。
この幼少期の問題っていうのは現状に響くよっていうのを感じてた方もあろうかと思うんやけれども、
そこはまだ全然大きな流れにはなってなかったなと思うので。
今も同じこと起こってないかという気がしてて。
今ですね、流行ってる言葉っていうのは、例えばHSPとかね。聞いたことあります?
あります。
あれってすごく、今の精神科医学の中ではちょっと軽視されてて、何言うてんやみたいな話なんですよ。
いわゆる通俗心理学っていうやつなんですね。
なるほど。
ポップ心理学とか、ポピュラー心理学とかって言われる領域というかなんですけど、
これで有名なのは血液型でわかる性格だったりとかね、右脳タイプとか左脳タイプとかってあるじゃないですか。
ちょっとキャッチーな感じで使われる言葉って、流行りしたり結構あるんですけど、
そうですね。
それの流行りがアダルトチルドドレンだったとして、いろんなのが流行ってされてっていうのを繰り返してるんやけれど、
例えば今5,6年ぐらい流行ってるのがHSPって言って、とても感じやすい人たちっていう意味を持ってるかなと思うんですけれど、
これはちょっとどうなんだろうとかって、まだ少なくとも学術的には解明されてないとかきっちり定義もされてないし、
なんやねんって話だと思うんですけれど、でもこれももしかしたら、
この後々のアダルトチルドレンみたいな考え方自体っていうのは、後のより人間が幸福に考える、生きるための一つなのかもわからないんで、
もしかしたらね。
だから無限にはできないかなと思うんですけどね。
ただ明らかにちょっとどうかなって思うような、そういうポピュラー心理学もあるので。
そうですよね。都合よく使っていくようになるとちょっとうさんくさくなるんですよね。
そうそうそう、そこですね。
そういう通俗心理学とどんなふうに付き合っていくかっていうことも結構大切かなと思うんですけどね。
通俗心理学、血液型と性格の傾向の話、例えばね。
そういったことって、日常会話で話して盛り上がったりとかってするのはいいと思うんですよ。
それと人との関係をうまく仲良くなるために話するっていうのは全然いいかと思うんですけど、
それを強く信じちゃうといろんな問題かなと思うので。
確かに、そうですね。
そこをうまく距離を取って楽しむっていうことはとりあえずは大切なのかなと思うんですけど、
そこを信じ込まないということは大切だと思うんですけど、
僕らとしてはもしかしたらその中に心理というか本当のことも含まれているかもみたいな気持ちはやっぱり持っておいてもいいかなという気もしたりしてね。
なるほどね。
日々忙しいからね、そんなHSPまで調べてられんわっていうのが正直なところなんやけれども。
でも実はそういった問題っていうのがあるかもわかんないんでっていうような考えも僕らには持っておかなあかんかなという気はするんですけどね。
割とそんな風に言ってくる人を研究してみたら意外と一本の線に繋がったみたいなのが研究ですもんね。
そうそうそう。そういうことあるのでね。
まあそんなことも例えばチルドレンの勉強をしたらですね、ちょっと考えたりもしてるんですよ。
でもこんなことって結構時間が経たないとわかんないし、
本当に研究とか臨床もですね、本当に観音優れた方っていうのはもしかしたら気づいてるかもわかんないけど、
そういうのが一般の僕たちにですね、きっちり伝えてくれるっていうのは結構時間かかるんですよ。
この正しい知識とかっていうのをですね、一般の方に与えれるぐらい、僕たちの一般が精神科医に入ってくるまでにはちょっと時間かかるので、
そういったこともちょっとまだ考えなきゃなと思いますね。
何かどうでしょう?
いや面白かったです。面白かったです。すごく。
朝のワイドショーとかでね、結構こういうの取り上げられたりとか、
あと芸能人の方たちが僕は私はみたいに言ってたことあったなぁと思って。
あーね。
そう。
そうですよね。
そう。いや一時さ、毒親とかいう言葉も流行ったじゃないですか。
そうそう、毒親もこれの一つかもしれないね。
ね。こう言われる親御さんも大変だなぁと思いながら。
そうそう、そういった言葉も使いようによってはきっと速報性にいいかなと思うし、
この親の権威が強すぎていろんな問題を起こしている家庭とかっていうのもあるから、
それを毒親っていう言葉だけでさ、こう打ち壊すことができるっていう強さを持っているかと思うんだけど、
ただまぁそれだけを信じちゃったりするとその方のいろんな人生が狂ってくることもあるから、
そうですよね。
あんまりね、それに振り回されすぎてもあかんのやけれども、
そうね。
いい点を利用しながらっていうことがいいかもわかんないね。
まぁね、生きづらい方は本当にしんどいやろうからね。
こうやんわり感じられるようになるといいんですけどね。
いいんですけどね。
まぁまぁでもやっぱり世の中ってちょっとやっぱりね、
豊かにはなってるところもあるけど、やっぱりちょっと苦しいところもあるもんね。
すごく便利にすごく生きやすくなってるはずなんだけど、
いや逆に生きにくいとか、
いろいろ研究されてわかっていけばいくほど細分化されていったりとか、
流れに結構ね、人間振り回されるので。
まぁ進歩はしてると思うんだが、
まだまだね、いろんな意味でね、
気持ちの方の健康をみんなが獲得できるっていうのはまだちょっと先かもわかんないね。
本当ですね。
まぁ永遠のテーマかもね。
そうかもしれんね。
まぁまぁでも一歩一歩その中でね、できることをやっていくということになるんですよね。
少しでもね、私たちのこういうポッドキャストを聞いていただいて、
軽くしようか、みたいな感じで思ってくれるといいですね。
そうですよ。
そういうこうなんて言うんでしょう、
こんな話っていうのはもしかしたら昔は聞けなかったじゃないですか。
そうそうそう。
精神科医だったりとかいろんな福祉の話とかっていうのが、
皆さんに身近に聞けるようになれば、
何かしらプラスにつながればいいなっていうところですね。
はいじゃあありがとうございました。
はいありがとうございました。
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオは、
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