1. まりあの日常研究/Kindle52冊め
  2. サラバさまありがとう😊本多静..
2025-10-13 21:21

サラバさまありがとう😊本多静六 11


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サマリー

本エピソードでは、お茶会についてのさまざまな観察が紹介されています。高齢化するお茶の先生方や参加者の状況、さらに宇治市の文化やお茶会の形式について考察されています。本多静六は、人生の計画を立てることによって幸福感を得たと述べています。年齢を超えた自己実現に向けて、柔軟な考え方の重要性が強調されています。

お茶会への参加
こんばんは。今日はこちらは非常に良いお天気で、秋晴れに恵まれ、私どもの社中のお茶の先生のお供をして、県内では有名なお寺の月釜に行ってまいりました。
月釜というのは、毎月違った先生が釜をお掛けになって、お茶会を開かれるんですけれどもね。
久しぶりにお茶会に参りまして、思ったことは、お客様の高齢化と同時に先生方の高齢化が進んでおりまして、若い人と男性が非常に少なございました。
それと和服の方が少なくなってきました。洋服の方が多くなってきました。それと同時に、ご高齢の先生方は、正座ができにならなくなり、長時間の正座が無理になりまして、少し低めの材質みたいなのがあるんですね。
膝にあまり負担がかからない、その椅子にお掛けになって、お洋服で来られているんですね。
本来でしたら、お正客様、トップの方にお座りになるような先生方も、中盤の方にお座りになりましてね。
比較的若い先生方といっても、今日のお正客様は、私と一緒に行ってくださった先生でしたが、もう70歳を超えていらっしゃるんですよね。
でも若手なんですよ、そこに参りましたら。だから私なんかは、まださらに若手になっちゃうんですよ。本当にね、お若い方が少なくなりました。
やっぱりお茶でもてなすというのは、本来の3畳とか4畳半の狭い空間で、少人数でなければ無理でしょうね、きっと。
あの広さが一番ベストなんでしょうね、そう思いました。もうぎゅうぎゅうに座りまして。
初窯なんかでもそうですよね。各都道府県で初窯ってされてますけれども、知事とかがお正客様になって来られて、そこのトップの先生がご説明をするみたいな感じで行われてますけれどもね。
広までのお茶会というのは、本当にね、もてなす側とお客さんとが膝をつき合わせて語るという、あのスタイルじゃないんですね。
宇治市の特徴
だから、お茶室というのがなぜあのサイズなのかというのは、今日ね、しみじみ思いました。
ですのでね、我が家にね、廊を切ろうとしているところの部屋があるんですけれどもね、床の間が2階と1階に1部屋ずつあるんですけれども、2階っていうのはね、ちょっと茶室には非常に無理があるんですね。
それで、1階となると広いんですよね。一つの畳の広さも幅も長さもね、かなり違ってくるんですね。
まあ、そういう問題もありますね。ただ、やっぱりね、少人数でするべきだなって、つくづく思いました。
本当にね、月釜というのはああいう風に流れていくんだなという風に思いましたね。
えっとね、あれはね、宇治市の大公閣でしたっけ。宇治市がやってらっしゃる。さすが宇治ですよね。
宇治市の大法案さん。ここは素晴らしかったですね。6畳のお部屋ぐらいの広さではあったんですけれども、夫と私ともありまして、2人だけでした。その時お客様がね。
もう本当に贅沢な時間だったんです。案内されて入ってまいりましたらね、もう炭の香りがぷーんと広がっているんですね。
私たちは稽古で炭出前という稽古があるんですけれども、その時ぐらいしかね、最近では炭をいこさないんですよね。
で、そこはいつ来るかもわからないお客様のためにね、炭をいこしてね、待ってくださっているんです。
お手前をされるお弟子さんと、それとお墓尾されるお弟子さん、裏方をされているお弟子さんたち、それと先生が出てきてくださいまして、お道具のご説明がありましてね。
本当にね、2人のために、5人はいましたね。その方たちはそこでおもてなしをしながらお稽古されるらしいんですよね。さすが宇治市だなというふうに思いましたね。
それとね、やっぱり男性が少のうございました。女性ばかりで。お茶の始まりが武士の間で始まった男性社会の文化であるにもかかわらずね、今お茶を習う男性が多少増えたとはいえ、やはりまだまだね、男性の数は非常に少のうございました。
みなさまにおすすめしたいですね。知事になられたあかつきにはね、はつがまに必ず呼ばれますのでね、その日のためにね、お稽古なさったほうがいいと思うんですよね。
でね、お茶だけはね、いつ何時案内されるかというのはね、これね、本当にわからないんですよ。たぶんね、サラリーマンの方でね、上司に随行されている方なんかね、いつ何時来るかわからないんですよ。
本当、それで、それ以外の方でもね、旅先とかでもね、いつ何時こちらにどうぞと言われる時があるかもわからないです。
私はPTAの研修旅行の時に、生まれて初めてお正客様をしてくれと言われましてね、びっくりしたんですけれども、大広間も大広間、すっごい大広間に通されまして、そこでお正客様で団体のバスがいっぱい来る和菓子屋さんの本店の工場見学だったんですね。
そこでね、私たちのグループが一番最後に入りまして、お正客様をということでね、その時、まあ稽古を続けているのは私だけでしたのでね、もうクラッとなりましたが、
いや、当然最初は必ずお断りしなければいけないんですけどね、ほいほいお正客様のところに座ったらね、後で大きなお笑い物になるらしいので、それはちゃんと固くお断りしたんですが、まあそうおっしゃらずにということで、お正客様させていただいたんですけれどもね。
今日はお正客様が聞かなければいけないようなことを、中盤の方がポンポンポンポン次からご質問されて、びっくりしました。もう本当にね、びっくりしました。
いや、こういうお茶会もあるんだな、みたいな。今はそういうざっくばらんなお茶会になったんでしょうかね。いや、本当びっくりいたしました。というふうな感じでした。
人生設計の秘訣
いよいよ本田製緑の人生と財産の最終章に入っていくんですけれども、最終章の小さい章の1と2の方に入っていきたいと思います。最終章はですね、人生設計の秘訣というところでございます。
その第一章が、人生にはなぜ計画が必要かというふうなことを書かれているんですね。人間と動物の大きな違いというのは、そこの計画を持てるか持てないかであるということを書かれていましてね。
良き人生は良き人生計画に始まると言いたいのである。しかもその計画は日常生活を基盤の上にしっかりと立てられなければならぬと思う。
日常を基礎に、日常こそがというふうな感じの話、ぶりで語られています。
二度と繰り返せない人生なんだから、貴重な人生に対して曖昧に生きては駄目でしょうというふうなことを節々と述べられております。
その小さい章の終わりの方に、本当の計画性は、また本当の自由性にも通じ、両者は決して対立するものではない。
これは、自由性が人間本能に沿うものであるとともに、前にも述べたように、計画性もまた人間性と合致するものであるからである。むしろ、自由性を確保するための計画性であるとさえ言えるのである。
すなわち、人生計画は決して人生の自由を束縛するものではなく、かえってその拡大・充実を募る自由の使徒だと言っても誇張ではない。計画なくして自由なしとも断ずべきである。
計画を立てて進むからその先に自由が来るんだって、だから計画せずに進んじゃったら不自由になっちゃうと、ぐちゃぐちゃになっちゃうと、それこそ不自由ではないかと。
計画とは、向上心の重則である。向上心を満たすために計画をするんだと。その根底には向上心があるんです。野心とか欲とかではないんですね。向上心なんですね。つまりは努力の予定表なのである。
そこにね、私が平凡愚劣な生まれつきを持って、しかもなおかつ割合に幸福感、幸福感謝の長い人生を協力し得たのも、ひとえにこれ早くから自らの人生計画を立てて実行に努力してきたおかげである。
向上心を満たすために計画を立てるのだと。
そして、本田勢力が最初に立てた計画というのが、40歳まではバカと笑われようが、ケチと罵られようが、一途に奮闘、努力、金券、貯蓄を持って、
一心一家の、我が身とお家の独立安定の基礎を築くこと、と書いてあるんですね。
そして、満40歳より満60歳までの20年間は専門の職務を通じて、もっぱら学問のため国家に尽くすと。
60歳以上の10年間は、国恩、世恩、国と世間の恩に報いるため、一切の命理を超越し、金庫伏せのお礼房庫に勤める。
幸い、70歳以上生き延べることができたなら、きょう、三死睡眠の温泉郷に牧死、成功うどくの晩年を大いに楽しむ、というふうに計画を立てられたそうなんですね。
年齢を超えた自己実現
この計画というか、その年齢による計画の立て方というのは、ロバートキュウサキなんかもおっしゃってますけれども、
これね、わたくしの年齢になったらね、もうすでに手遅れなんですよ。あの戸籍上の年齢から言えばね。
ですのでね、そういう方たちはどうすればいいかと考えたんですが、これね、トマペチ博士がおっしゃっているように、年齢をかける2分の1にするんですね。
それでもちょっと、箱数がややこしい方は、もうあっさり3分の1をかけていただくとかね。そうするべきだと思いますね。
これね、2分の1、3分の1にするのは、大人になってからでないと、ちょっとね、子どもって大人になりたいじゃないですか。
そこでね、15歳の子に3分の1の年齢にしてあげたところでね、あまり喜ばないじゃないですか。
5歳からやり直せとかね。幼稚園もう一回行ってくるみたいな。
まあ、そういうことを考えましたらね、最近外で遊ぶ子たちが少なくなりましたでしょう。
私たちの時って遊ぶって言ったら、外で遊ぶことがだいたい主流でしたよね。
遊びなんかも自分で考えて、探偵ごっことかヒーローごっこみたいなこともしてましたしね。
本当にね。
まあ、ですので、徐々に世の中って変わってますが、最近、かなりの先輩からLINEの方にね、懐かしい昭和時代みたいなね、ショートムービーが送られてきましてね。
でも私はそれに返信したんですよ。
先生、それね、懐かしんでばっかりなんですけれどもね。
私はもうAIもスマホもウォシュレットもない生活は無理ですって送ったんですよ。ニコちゃんマークを添えてね。
確かにそうですねっていうご返事でね。
あまりにも急激にね、最近変わっているので、戸惑いながらも、ただ年齢別の計画っていうのはね、その戸籍上の年齢にとらわれることは全くないと思うんですね。
自分のイメージ通りに生きていただいたらいいと思うんですよ。
本当に。
だってもう今からね、19とか20歳の悩める青春時代に戻りたいと思います。
私は絶対戻りたいとも思わないし。
カットを言って、なんだか、同年代と同じっていうのもね、嫌ですよね。
皆さんご自由に年齢をぶった切っていただきたいと思います。
では皆様、今日も一日お疲れ様でした。
明日からお勤めの方も、明日も自由な方も、今日もゆっくりお休みくださいませ。
ではごきげんよう。
それとね、それとね、聞いてください。
私のこの放送がスタンドFMで収録してるんですけれどもね、
サラバさんのおかげで一瞬でスポーティファイにアップされております。
びっくりでしょ。
本当に。
サラバさんは今北海道なんで、サラバさんと加藤先生の方には足を向けて寝られない状態です。
では皆様ごきげんよう。
21:21

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