学校の勉強は意味がない?AI時代に必要な学びとは?
今回は「学校の勉強の意味」をリベラルアーツの視点から捉え直します。
点数のためではなく、自由に考えるための土台としての学びについてお話ししました。
📝文字で読みたい方はこちら(note)
https://note.com/mamo_thinker/n/nf55bec95960a
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こんにちは。塾依存から抜ける学びを編集しているマモです。 授業の前に必要な学びの土台について発信をしております。
今回は、私は学校の勉強の意味をこう捉え直している、というテーマでお話をしていきます。
最近、学校の勉強は意味がないとか、AIが代替していくから受験勉強や学歴は従来の価値を持たなくなる、といった主張をする動画をちらほら見かけます。
確かにそういう意見が出てくるのもわかりますし、私自身も同意をする部分というのは多いにあるんですね。
ただ、それでも学校で学ぶ勉強の意味っていうのはまだ十分にあると思っております。
ここでいう学校の勉強というのは、特に小学校6年間、中学校3年間の9年間で学ぶ内容のことを指しております。
どれだけAIが進化したとしても、この小中の9年間で習う内容というのは
みんながきちんと身につけた方がいいと感じております。
ただ、とりあえず詰め込むような勉強ですね。
とりあえず覚えさせるとか、なんでそうなるのかという論理がないまま覚えさせるというような、とりあえず量だけこなすような勉強というのはあまり意味がないとも思っています。
一方で学んでいる内容そのもののカリキュラムというのは非常に優れていると思っているんですね。
その理由の一つが、いわゆるリベラルアーツにつながるからですね。
リベラルアーツは直訳すると自由になるための技術とも言われますが、最近その重要性がよく語られているような気がします。
例えばICU、国際キリスト教大学では教養学部しかなくて、それは主にリベラルアーツを学ぶ大学なんですよね、学部なんですよね。
幅広い分野を学んだ上で途中から専攻を絞っていく仕組みになっていております。
背景にあるのはおそらく現代社会が複雑になりすぎて、特定の分野だけ学べば解決できる問題というのがあんまなくなってきてるよねっていう時代の要請な気がするんですよね。
だからこそいろんな分野を横断して考えられる人が必要になってきていると。
なので多くの大学でも学術最適な学びを掲げていて、分離を融合しているような大学学部というのも増えてきてるんですね。
これはひとえに一つの専門だけで十分という時代じゃなくなってきてるよねっていうことだと思うんですよ。
だからこそこの全ての土台となるリベラルアーツを学ぶこそが重要で、その内容というのが小中学校で習うものだと思ってるんですよね。
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なんでそもそもこの小中の9年間で習う、いわゆる基礎と言われるものが理解できないとリベラルアーツを学ぶことも結構厳しいだろうし、
AIを活用して何かすることもなかなか難しくなってくると思うんですよ。
場合によっては人とのコミュニケーションを取ることさえも難しくなるかなというふうに思っております。
だから学校の勉強というのはテストの点数を上げるため、目先の一夜漬けでなんとかなってしまうようなテストの点数を上げるためとか、
学歴の高い大学に行くためではなくて、複雑な問題を扱うための知識や考え方を身につけるための土台として、
そういった機関として捉え直すべきだと思っております。
また、いろんなジャンルの人との関わったり、相手を理解しながらコミュニケーションを取るための土台にもなり得るはずです。
もちろん勉強の在り方というのは変えなきゃいけませんね。
テストありきで、とりあえず覚えなさい。
とりあえず問題をたくさん解けという形だと、多くの人が嫌になってしまうのは無理もないですね。
だからそこは変えていく必要はあると思います。
ただ学んでいる内容そのものは本当に価値があるなというふうに感じてますね。
正直私は学生時代、偉そうに言いながら今塾で勤めているんですけども、
学生時代ほとんど勉強をしていませんでした。
でも大人になってからいろんなことを問われるきっかけで学び直す中で、
学生時代にやっていた勉強ってこんなに重要だったんだとか、こんなに面白かったんだっていうのを今更気づいたんですよね。
当時の自分が気づけなかった、面白みや楽しさを見出せなかったのは、
学校の勉強が暗記して問題を解けばいいというふうに思っていたからだと思うんですよね。
その背景としてはやっぱりとりあえず覚えろという風潮が強かったっていうことだと思います。
実際学習塾でいろんな生徒を見ていても同じような考えを持っている子っていうのは多いですね。
とりあえずこれを覚えればいいんでしょっていうような思考になるのも無理ないですし、
そういった指導をしている先生も多分いると思います。
まずこれを覚えろみたいな、死の後の言わず覚えろと。
ただやっぱりそれは面白くないなと思うんですよね。
もちろん覚えなきゃどうしてもこれは覚えるしかないよねっていうものはあるんですけれども、
それ以外ではちゃんと知識や考え方が増えて興味喚起できるような指導の仕方をこちらもしないといけないだろうし、
本人もその意識をつけなきゃいけないかなって思いますね。
このとりあえず覚えればいいでしょっていうスタンスですと、
そもそも大学やその先で行き詰まってしまうこともあると思います。
だから学校の勉強はただ覚えればいいっていうものではなく、
そもそも意義や学びの意味づけを変えていくことが本当に大切だと思いますね。
だから学校の勉強は点数のためだけにやるものではなくて、
世界全体を理解するための土台なんじゃないかなと思います。
だから家庭でできることって、なんか学校の勉強できてないからって、
例えば塾のようなところで授業を増やすことじゃなくて、
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これってどんなふうに役立ってんだろうねとか、
これってどんなふうに面白いんだろうねっていう意味づけを一緒にしてあげることだと思うんですよね。
知識を詰め込むのではなくて、学びを自分の言葉で繋いでいけていく、
意味づけをしていくっていうのが本当に大切で、
そういった習慣がある人ほどAI時代でも伸びるんじゃないかなって思います。
学校の勉強を暗記とかではなくて、
自由になるための技術を養う土台として捉え直すことが本当に大切かというふうに私は考えておりますというお話でした。
参考になれば嬉しいです。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
それでは良い一日をお過ごしください。
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