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リュウスタイルのハッピーライフコーチング。この番組は、プロコーチのリュウスタイルが、あなたのシニアライフを、そしてこれからシニアになるあなたのプレシニアライフを元気にする、様々なライフハックについて、時には博多弁で語る番組です。
今日のタイトルは、なんで60歳超えた僕が時代の波の最先端に居続けられるのかという、めちゃくちゃ煽りまくっているタイトルですよね。なんだこいつと思われたかもしれないなという気がするんですけど。
Kindleのことがちょっと続いたので、今日はちょっと違った話をしています。僕ですね、近頃リスナーになってくださった方は知らないんですけど、60歳超えてるんですよね。定年退職を去年の3月にしてですね、もう62歳なんですよね。
そういう僕はですね、よく皆さんから、いつも何か新しいことに挑戦していて、すごい良いとよく言われます。理解できんとか分からんとかいうことがあったら、僕の周りの人たちっていうのは、だいたいそこから避けて、自分が理解できることの中で安心しているんですよね。
だいたいそうだと思うし、それでいいと思いますよ。でも僕っていうのは、新しい何か始まったけど理解できんとか分からんとかいうことがあったら、もう気になってですね、つい後先考えずに始めてしまうんですよ。当然失敗しますよね。
でもそれで経験ができていくので、それを続けているうちに理解をしていくことができて、というようなことを繰り返していたんですね。
今年はですね、NFTクリエイターの世界に飛び込みましたし、ラッパーの方に頼まれて、ラップのね、バックのトラックメイキングもさせてもらいましたし、先日はスタイフの放送をYouTubeに自動投稿することが話題になってたんで、すぐにやりましたし、
ノートの定期公読マガジンというのがあるって知ったらね、よく分かりもしないで申請してね、次の日に合格しちゃって、それから慌てて何を配信しようか考えるみたいなね、そういうようなちょっと面白そうなものがあったらすぐやっちゃうというような、そういうような人間です。
だいたい皆さんが持つ60歳過ぎのじいさんというイメージというのは、まあナミ兵以上ですよね、サザエさんの。ナミ兵でさえ53歳という設定ですから、僕はもうすでにその10歳も年上なんですよ。ところがその年齢のイメージと全く異なった姿というのがそこにあるんですね。
それでみんなびっくりするんですけど、まあでも今時の60歳ってだいたいそういう人多いんですけどね、本当はね。で、なんでそうやっていられるかというと秘密があるんですよ。そういうような僕、そういうような僕が誕生したのがね、25歳の5月3日、今でも忘れない。25歳の時の5月3日、今に続く僕が誕生したんですね。
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その日の僕はとっても物腐だったんです。25歳の時の僕が物腐だったんで、なので常に新しいものを求め続ける僕がその時に生まれたというようなことが言えるんですが、まあ今日はそのきっかけとなったお話なんです。
それはね、ワープロです。初めてね、学校のワープロを借りて帰った日の晩の話なんですね。で、僕ね、ワープロって大嫌いだったんですよ。前の年に先輩がワープロをこれ見ようがしに学校に持ってきたんで、それ貸してもらってね、一生懸命2時間くらいかけて文章を打ったんですよ。
ところがね、別の先輩が後ろを歩いてね、コンセントを引っ掛けて抜いちゃったんですよね。電気切っちゃったんですよ。それでパーでした。フロッピーとか当時なかったので、書いたら後は印刷するだけというね、それでおしまいという、清掃、清掃するための機械だったんですね。
なので僕はね、ワープロ呪ったんですね。こんなものと思ってね、混輪剤使うか、一生使うかって思ったんです。なのでその次の年にPTAの皆さんがね、ワープロを買ってあげましょうとか言った時に、ワープロとかいらないのでタイプライター買ってくださいとか、戦闘を経って言ってたような人間だったんですね。旧時代の人間ですよね。
ところがね、5月3日、ゴールデンウィークの初日に、みんな使ってないみたいなんで、ちょっとよかったら貸してもらえませんかとか言って、教頭先生にお願いして借りて書いてみたんですよね。
それが当時僕がね、校内でやっている研究のね、僕部長だったんで、そのための推進計画をね、頭を悩ませながらね、書いてたんですね。一生懸命ね。
まあ当然ワープロとかじゃないからね、原稿用紙に書いては、消しゴムで消して、カッターで切っては別の場所に貼り直したりみたいな、そういう切り張りをやってたんですよ。そういうことは延々と続けていたんですよね。
試しにある程度出来上がっていた計画書っていうのをね、借りてきたワープロが目に入ったんで、そうだそうだと思って入れてみたんです。
その時、ひらめいたんですよ。あの、キーボードをポチポチと打つのって、寝転んでいても出来るんじゃね?と思ったんですよね。疲れてたんですよ、ものすごく、その時。
でね、ワープロをね、机から床に下ろして、あとは寝転んで続きをね、ポチポチ打ち始めたんですよね。見事に文章が出来ましてね。いや、その感動をですね、今でもはっきり覚えていますね。
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それがスタートだったんですよね。ワープロすげーと思ったんですよ。で、物腐だった僕がですね、ほんと疲れた時に寝そべって仕事の続きが出来るというのがね、ほんとに嬉しかったんです、その時ね。
いやー、ワープロすごいということでね、あんなに僕大反対してたね、あの僕がね、ワープロすげー、ワープロすげーって言って。
まあ、それでこのワープロと言われる機械はね、あの、実はすごい知的生産のためのね、機械なんだということを理解するのにね、そんなに時間がかからなかったんですけども。
これはね、別のところでまた放送していると思うんですけどね。またどこかでしようかなと思います。これはね、知的生産におけるイノベーションだったんですね。このワープロの登場というのは。
それまではね、実際に書いてたわけですから、書くしかなかったわけですからね。ところが検索したり、書き換えたり、削除したり、挿入したりみたいな、そういうことがね、電子上でパパッとやれてしまうという、とんでもないことが出来るようになっているというね、知的生産上の一大イノベーションをね、肌で感じることが出来たんですね。
ものぐさだったから。ものぐさだったから、人より早く感じることが出来たんですよね。それがその後の30年間にわたる僕の生き方を変えたというね、そういうことなんですよ。はい。なんてこったという話ですね。
いや、だからね、この意識革命ですよ。これが出来たんで、今に至るまでね、いろんなことが起きたんですよ、その後ね。イノベーションがね、その波に乗り続けてこられたんだろうなというふうに思ってるんですね。
当時ね、ワープロなんてただの高い印刷機だとかね、フロッピーなんてようわからん。あそこにその溜めておいて一体何の役立つんだって言われてたんですよ。というか、僕が言ってたんやし。そういう思いからね、抜け出せないままでね、取り残されてしまった人たちというのもたくさんいたんですよ。
でも僕物草だったからね、抜け出せたんですよね。後年ね、2,3年してね、ようやくその人たちもワープロってなんかいいかもみたいになってね、その意味が、出来ることの意味が分かってきて、遅ればせながら手を出し始められたんですけど。
その時はもう1987、88年頃はもうすでにパソコン時代になってて。で、パソコンっていいんじゃねって言い出した頃もすでにね、90年代になったらパソコン通信によるネットワークの時代に入ってて。でもその人たちはネットワークなんて難しくてわからんと同じことをやっぱ言うわけですね。
94年、95年くらいになったらもうインターネットになったんですけど、インターネットとかもう訳がわからんと、ずーっと同じことを言い続けているわけですね。
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まあね、そういう周回遅れみたいになっちゃったまんまに今に至る人っていうのはね、周りにたくさんいるんですけど、早い時期にその意味を理解できたからこそですね、定年退職した今でもほぼ時代の最先端でいられるんじゃないかなという煽りに煽ったお話でしたね。
そのスタートがね、ものぐさだったから、呆れますよね。はい、というようなお話でした。霊命期についていろいろお話をしているのでね、こんなお話聞きたいというようなことがあったらリクエストしてくださいね。それではまた何か始めたのリュウスタイルでした。