00:00
はい、昨日から急に始めたお昼のダラダラ読書ライブですね。
2日目の今日は、「くそじじいとくそばばあの日本史」というめちゃくちゃ煽ったタイトルの本になります。
大塚ひかりさんという方がね、書いた本をちょっと読ませていただきますね。
最初にちょっとBGMとかを…。
はい、こんな感じでちゃんと言ってるかな。
そしてですね、こちらからは…。
くらまらぎで、安心して聞いてくださいということで送信。
はい、こちらから潜ってらっしゃる方に、こちらからお話をしに行くことはないので、安心してお聞きください。
ではですね、読んでいきたいと思います。
だいたい20分ぐらいで行こうかなと思います。
今14時半ぐらいまでかな。
「くそじじいとくそばばあの日本史」。
今ね、表紙をサムネイルにしてるんですけどもね、大塚ひかりさんという方ですね。
帯にはね、「貪欲にしたたかに歴史を生き抜いた老人たち。100歳過ぎまで政界に君臨した僧侶。
柴田勝家の最後を記録した婆さん。」
とかね、「古典から読み取るパワフルな生き方の秘訣とは。」とかあります。
はい、この大塚ひかりさんという方はですね、1961年生まれ。
早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒業。
古典エッセイストだということです。
源氏物語全106巻。
そうですね。本当はひどかった昔の日本。
除経図で見る驚きの日本史など著書多数ということでエッセイストです。
これね、僕ね2021年ぐらいに確か買って読んだんですけど、今続編が確か出てますね。
結構読まれた本でしょう。
平澄になっててね、当時。本屋で見た瞬間がありましたもんね、これね。
知られざる老人たちの歴史が今明かされる。昔の人は短命は嘘。
老いてなお力強く生きる老人たちがいた。
現代人のイメージを覆す昔の老人たちの強烈な人生を綴ったエネルギッシュな一冊ということですね。
日本の老人はやばかったということってね。タイトルが面白いんですよ。
平安鎌倉時代のアンチエイチングバーさんとかね。あとルポライターババーとかね。
いろいろあるんですけど、このポプラ新書というところから出た本ですね。
目次を読んでみましょう。
はじめに、クソジジイクソババーはかっこいい。
1、生死に残る最高齢者はクソジジイだった。ということですね。
03:02
2、ルポライターババーが歴史を作る。これ万葉の語りババーと戦国の記録ババー。
3、ジジイババーは最高の歴史の書民だ。
神の歴史は間違っちゃうと歴史書を編纂したジジイババー。
4、すさまじきは老人の県政欲。ということですね。
人はなぜ晩節を汚すのか。成り上がりの豊臣秀吉から大貴族総理までということですね。
5、81で政界デビュー。100歳過ぎても政界に君臨。
全近代にも実在した長老人。
6、1930年、エロジジイだった。
7、平安鎌倉時代のアンチエイジングババー。めら気になりますよね。
実在した脅威の美魔女。
8、戦国時代に老人家を作った老医師がいた。これはマナセドウさんですかね。
9、昔もいた迷惑ジジイ。現代に通じるキレる老人たちの実態とこの苦労とあります。
10、最格の見たクソババーたち。
11、昔話のおじいさんとおばあさんは意外といい人が少ない。
一寸暴衝厄介者扱いとか竹取の沖縄のセクハラ発言とかね。
12、鬼ババーの正体。なぜ鬼ジジイではなく鬼ババーなのか。
13、全近代の8050問題。浦島太郎の真実と長生きしてもいいことばかりではないということですね。
14、昔の人は短命は嘘。
やばい、老人クリエイターということでね。全部で10名ぐらいのクリエイターの本が出ています。
ということで、今日はこの中の2、ルプライターババアが歴史を作るというところを読んでみたいと思います。
面白いんですよ、これね。
じゃあちょっと読んでみますね。
ルプライターババアが歴史を作る。
万葉のカタリベババアと戦国の記録ババアと。
女帝に愛されたカタリベババア。令和という原稿の転挙として万葉集がフィーチャーされました。
フィーチャーじゃない、フィーチャーされましたんですね。
フィーチャーは未来ですけどね。フィーチャーっていうのは特色を出すというような意味ですね。
この万葉集にイケてるクソババアがいます。
神威のおみな、今で言うならシーバーさん。
彼女と女帝地頭天皇の歌のやりとりが万葉集には載っている。
まず地頭天皇が、いやというのに、知るシーバーさんの無理辞話、最近聞かないから聞きたくなったというような歌を読むんですね。
ダジャレですね。
するとシーバーさんは、いやというのに語れ語れと仰せだからこそ、シーバーはお話申すのです。
それを無理辞と仰る、みたいな形で返していくわけですね。
このシーバーさんってね、素性は全く不明ですが、唯一の足跡である万葉集のこのやりとりから、女帝の幼い頃より昔話を語り聞かせていた語り部はってあることがわかります。
06:09
それにしてもシーバーさんの受け答えは、女帝に対するものとしては例外的に慣れ慣れしいと。
女同士とは言え、相手は天皇です。
それも最近の説では、青海朝廷を率いるイボッテギのオオトモノミコを死に追いやった人心の乱の首謀者とも言われ、
夫の天皇死後は、次子のオオツノミコを模範者として死なせたスーパーウーマン。
二人の歌の前には、柿本一丸がやはり次等天皇のために作った歌があって、そこでは、「王を君は神にしませば。」と歌われている。
有名な歌ですよね。
天聖のためには身内を犠牲にし、天皇の神格化を勧めた鉄の女に、シーバーさんは、「だって話せ話せって言うから。」と返すとは、恐れを知らぬ減らず口です。
けれど、減らず口というのは親しさに加え、吉がなければ出てきません。
自分を神と仰ぐような大成作りをしていた次等天皇は、一面孤独でもあったでしょう。
そんな彼女にとって、シーバーさんのように小さい頃から話を聞かせてくれていた吉に富んだ同性の老人は、本音の人間付き合いができる数少ない相手であったに違いありません。
いじわる婆さんすながら減らず口を叩いてくれるシーバーさんのクソ婆婆ぶりは、絶えず緊張を強いられる女天にとって、この上なく癒されるものだったはずです。
もう一つエピソードがあります。
柴田勝家の最後を記録した身分ある老女。
ということで、今日選んだ理由となる本なんですけどね。
僕は初めて知ったというか、富に落ちたというようなことが書かれてあるんですね。読みますよ。
語り部場といえば戦国時代、主人の最後を目に焼き付け、敵方に語った身分ある老女が実在しました。
1583年、橋場秀吉に敗れた柴田勝家は、越前の居城で五蔵六夫を掻き出し、配下に首を打たせて最後を遂げます。
その配下は、主人の首を切った刀で腹を切って死去。
互いに差し違えたり自害したりして城に立てこもった柴田一類84人はことごとく相立てました。
ということが、秀吉のおとぎ集だった大村裕子の柴田勝家に記されている。
これについて歴史家の尾羽田哲夫は、大村裕子がここまで詳細に描写できるはずはないと考え、大村裕子が創作したのではないかと思っていたということだったのですが、
ところが尾羽田氏は一つの文章を読んでその考えを改めます。
当時日本に滞在していたポルトガル人宣教師のフロイスがアレスサンドル・バリニアにあてた書簡にこう書かれていたからです。
09:08
柴田は主人の意見を聞いた上、しするに先立ち、談話が巧妙で身分のある老女を選び、この状況を目撃した後に城の門より出てその見たるところを詳しく敵に語らせた。
つまり勝家は、いかに自分たちが武士らしく死んだかを秀吉側に伝えるべく、最後の場面を目撃した語り部を用意していたのです。
これが尾羽田氏前継書ということですね。尾羽田氏の引用した書簡は1584年1月20日のもので、村上直二郎役、家津司会日本年報上に収録されています。
道書を渡ってみたところ、当時六十に達していた勝家は、事外の前、武士たちに短い縁述をなします。
曰く、「武士道に従って腹を切るといい。もしも家来たちが敵の許しを受ける道があれば、与は何じらの命の助かることを喜ぶであろう。」と語りましたが、
みな妻子と共に死ぬ道を選び、来世まで追従すると答えた。それを聞いた勝家は、進化の忠義に現世で応えることができないのを申し訳ながって主演を開きます。
ご馳走をたくさん運ばせて楽器を演奏したり歌ったりして、大いに笑いかつ楽しむ様子は、戦勝祝いか野炎のよう、その歓喜の歌声に外にいる敵たちは驚いたのでした。
けれどその後、城内の兵たちは、まず妻子を殺したので、歌声とは打って代わって悲しい叫び声が、激しい火災の豪音よりも音高く響いた。
こうしたことが記録されているのは、勝家が談話が巧妙で身分のある老女を選び、最後の様子を見せて敵に語らせたからです。
フロイスの所感によれば、橋場その他の敵に城内に起こったことを完全に知らせるためなのでした。
戦記物などに滅びた人たちの会話がまるで見てきたように描かれているのが兼ね兼ね疑問だったのですが、
彼らはこの老女のような語り出を用意していたのかと目から鱗でした。
それは当時の日本人にとっては当たり前のことで、特に何かに記されることもなかったのか、たまたま外国人戦況士がいたおかげで実態がわかったわけです。
それにしてもなぜ老女なのかと考えるに、まず女は殺さぬ習いというのがあったからでしょうということですね。
老女というのが昔から語り目を期待される存在だったからではないでしょうか。
万葉集の昔から、詩の沖縄のように、語りは老女の仕事でした。
12:02
その時代は文字も普及していたし、身分のある老女であれば読み書きもできたはずですから、
ルポライターよろしく見たこと聞いたことを筆にしたためいていたかもしれません。
自害する勝家たちも、彼女は最後を記録して敵に伝えると思うと、立派な最後を遂げようと意識したことでしょうということですね。
見る人がいるということは、勇気を持って最後を伝えるという、最後を過ごすということにもなるんでしょうね。
語り目にして記録場、いわばルポライターばばの存在が歴史を作り、文学を成り立たせていたとも言えるわけですと思うとそうですよね。
ルポライターをするこのようなおばあさんがいたおかげで、具体的なその場の様子や臨場感が伝わって、それをもとに歴作家とかが書いていったわけですから。
柴田の最後を語るものとして、美話法師よろしく、あちこちで話を期待される人気者でさえ、あったかもしれませんというようなことでございます。
本当にこういうお話が、このクソジジイとクソババアの日本史の中にはたくさんあるので、
またいつか別の本を読みたいというところを読みたいと思いますが、今日はここまでということにします。
13分ぐらいちょうどよかったなあ。はいそれではまた。