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おはようございます。 罵声の精神科医リブラでございます。
みやけんさんの放送、面白かったですね。
AIアートと人間が描いたイラストの区別をどうするかという話をしていらっしゃって、
絵というものは人が描いているので全てに糸があるということで、
細部まで糸が一貫しているかを見るとおっしゃったのね。
ここの描き方はこうであるのに、こういうメッセージからここがこう描いてあると思われる。
じゃあなぜここにこんなものが描かれているのか。これはおかしいみたいな。
メッセージを読み取り、メッセージの一貫性でやると、
結局AIで描いたものは今のところまだ技術的に、
AIの描く絵というものが、映像としての雰囲気っぽいものを集めてきて、
それを組み合わせで描いているような今のレベルなので、
絵のメッセージ性みたいなものの統一感まではできていないので、
人間は絵に統一的なイメージやメッセージを込めて描くので、
AIと人間が描く絵はメッセージ性の統一感において違いがあるので、
よーく細かいところを見ると、なんでこんなところにこんな線が使われている?
みたいな疑問に思う奴は、これはAIかなってわかるっていうお話をするんだよね。
いやー、なるほどなと。
宮剣さんもね、僕と同じく岡田斗司夫先生が好きなもんですからね。
岡田斗司夫さんがこういうことをおっしゃっていたなと思って思い出したんですけど、
実写の映画よりもアニメの方が監督の意図がはっきりしていて、
わかりやすいんだということをおっしゃっていたんですね。
例えば宮崎駿さんのオンイワーマークに関する映像のことで、
ここでこのタイヤがこちらに回るというようなことで、
例えばここのシーンでこの人がこっちを一瞬向くみたいなシーンのときにね、
あるいは、これはオンイワーマークじゃないけど、
例えば画面に蝶々がある種の動き方をしたみたいなときにね、
その普通の実写の映画だとたまたま蝶々が映り込んじゃうとかね、
ちっちゃくね、たまたま何かがそっち側に動いちゃうとかね、
そういうこともね、意図せぬことがね、つまり実際の世の中だからね、
自分が意図しないことがいっぱい起こるじゃないですか。
すべての木や風や鳥や生きとし生けるもの、地球の動き、太陽の光り方、
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なるべくその意図があった場所に関しては、監督の意図じゃないと嫌だということで、
こだわって作るんでしょうけど、実写を切り取っているので、
実際の世の中を切り取っているので、どうしたって我々の意図とは違う、
何か動きを、風が、葉っぱが、葉っぱがたまたま関係ないときに
ちょっとシラシラと風で揺れちゃったりとか、そういうことはあるわけですけど、
岡田斗司夫先生は曰く、アニメというものは放置したら何も動かないわけで、
ということは、たまたま蝶々が映り込むことはないわけで、
そういう意味で、ちっちゃく蝶々が映り込んだら、そこは蝶々を映り込ませようとしたわけですよね。
蝶々が飛ぶというのは、宮剣さんの話だと、
ここで狐が出てきたらこれは人を騙すという意味だよね、みたいなね。
狐っていうのはそういうメッセージの象徴であるとかね。
狼というのはそういう恐怖感の象徴だとかね、恐ろしいというような。
あれは中世ヨーロッパの頃に、これも岡田斗司夫先生のお話からパクってますけどね。
中世ヨーロッパというのは、ローマ帝国が滅びて、いろいろこの集落が分散して、
集落と集落の間には深い森が、ローマの街のような巨大な街がなくなって、
深い森に囲まれた街と街の間には深い森があって、
その中には狼がいて、とても怖い思いをしたというね、そういう時代があって。
中世ヨーロッパの人たちは狼をとても恐れたというような背景があって、
狼がそういう怖いもののイメージとして、今でもアメリカ映画なんかに
怖いものとしてやっぱり狼って出てきますもんね。
中世ヨーロッパのイメージが引っ張られて、
僕ら日本人って狼ってそんなに怖いと思わなくないですか。
神聖な生き物みたいなね、日本狼みたいなね、
怖いけど怖いと同時に美しいみたいなイメージあるよね。
白い物抜け姫の狼なんか、すごく神聖に描かれてますよね。
強くて怖くてでも自然を象徴するような狼っていうのはイメージで描かれてるけど、
アメリカの映画の狼はただ怖いよね。
悪魔的に怖いよね。
お前らのなんとかでウェーやろ。
怖いよね。そういうメッセージが違う。
そういうメッセージがたまたま映り込まないんだよね。
人間が作ったアニメってもんね。
そういう意味で分かりやすいわけですね。
というようなことを三宅圭さんの話で思った。
アニメとか人間が作ったイラストっていうのは全てが
監督のメッセージで描かれてる。
人間が作ったイラストっていうのは全てが監督のメッセージでたまたま映り込まない。
絶対たまたま映り込まないっていう風になってるね。
今後さ、そういうアニメなんかにもAIが使われるようになると、
AIとなるとやっぱりあれですね、
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AIを組み合わせてアニメっぽいものを作ったのは
やっぱりそれはアニメとは違うねと思った。
それはAIというものが現時点ではですけど、
意図せず、ある種の意図を伝えたら自動的にっぽいものを作るんで、
そういうものの中には、やっぱりたまたま映り込んじゃう時がありますよね。
今のところだってさ、ミッドジャーニーでもダリーでもね、
絵描くとさ、指さ6本あるよねやっぱ。まだね。
文字をさ、リブラとちゃんと入れてもさ、
アルファベットの続きがリブ、リリーブレイみたいになったりさ、
リプみたいになったらリプラみたいな、ちょっとずれますよね。
リプラレイみたいなね。
なんで間違うのかなアルファベット。わからないですけど、
アルファベット間違いますよね、ダリーも。
なんかちょっとコツがあるのかもわからないけど、
僕がやるとロゴとか作らせると結構間違ってくるんで、
なんかやり方があるのかもわからないけど、
大量に作って、似たようなやつ大量に作って、
文字が全部合ってるやつだけ僕は抜いてますけど、
あとは左右しないようにみたいな風に工夫してますけど、
他のやり方いろいろあるんでしょうけどね。
人工的にまた消したり付けたりすればいいのかもわからないけど、
なかなかだからああいうなかなか完全に意図を読み取るんじゃなくて、
GPDもそうですけど雰囲気でやってきますよね。
そうすると今後AIでアニメっぽいものは3Dアニメっぽい、
人間が作った3Dアニメみたいな3Dアニメを、
AIが作れるようになると思いますけど、
そうなると人間の意図とは違ってくるんで、
ちょっとまた読み方を変えないといけなくなるかもわからないですね。
岡田斗司夫先生みたいに、全てに意味がある。
日本のアニメーションを含め、
アニメーションというものは、
人間の意志がなければ砂ぼこり一つ動かない。
砂ぼこりの動き方に何か不自然な点があれば、
それは間違えたんじゃなければこんな間違いするわけないと思えば、
それは何らかの意図による動きである。
そういう視点でアニメとか見ると面白いなと思って。
実写とか絵と写真の違いですよね。
絵と写真の違い。
写真というのは自然が映り込んじゃう。
自然と映り込んじゃう。
監督の意図と関係ないものもたまたま映り込む。
絵は映り込まない。
自分で必ず描く。
人間の描くイラストというのは何も映り込まない。
その人の意図が全て、意図がなく線は入らない。
ところが、写真は入る。
映像も同じ。
アニメと実写も同じ関係。
そうするとAIのイラストというのは写真みたいなものなんですね。
僕らの思わないものが映り込むんだね。
いっぱい写真撮って、その中からいいのを選ぶみたいな感じになるんですね。
って思った。
AIの絵というものは、
実写を切り取った写真に近いんだな。
正解!やったぜ正解!
えちごせいか。
それでは今日はそんなところにしましょう。
また、まとめますか。
忘れてた。
今日のまとめは三宅さんの話を聞いて思ったこと。
なるほど。
岡田斗司夫先生が言っていたことと重なるな。
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何かというと、人間が作る絵、
間違えた、アニメ映画。
イラスト、アニメ映画というものは、
線の一つ一つまで全て人間がコントロールされたもの。
書いているものなので、
意味が持っているものなので、
全て、細部に至るまで全てそこに意味があって、
細部の問題を人間がそこを意味、
意図を読み取るという面白さがある。
人が作ったものには。
一方、
実写映画とか写真、
銀さんの写真みたいなものは、
自然がたまたま写り込むということで、
その、
意図よりも印象みたいなものの方を大事にするのが、
映画、
実写の映画とか、
銀さんの写真みたいな、
そちらはその印象みたいなものの方に向いている。
そして、
AIによるイラストというものは、
イラストよりは、
AIによるイラスト、
あるいは、
AIが作ったアニメ映画というものは、
アニメ映画や人間が描いたイラストよりは、
むしろ写真や実写映画に近いような、
雰囲気を楽しむ媒体なんです。
ということで終わりましょう。
また、このコメント欄に何か書き込んでいただいても、
よろしいですし、
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ご意見、カーソンなど書いていただくと、
いいかなと思っております。
それでは皆さん、
さようなりー。