発達障害と自閉症の理解
お晩です。場末の精神科医リブラでございます。
えーと、こんばんにゃでございます。
えーと、ちょっと簡単に今日もね、やっておきましょうかね。
ちょっと息が切れるということは、血圧が上がっているな、
血圧の薬を飲み忘れているな、今思い出すね。
息が切れることで、血圧の薬を思い出すようになっては、もう終わりですね。
心不全傾向ですね。死にまーす。ということで、
今日もやってまいりますが、えーとね、
ついにあれですね、チカラさんがね、
自分のロボを何か肯定的に捉え始めて、
ロボ集まれ!ロボナックアマと集いたい!って言い出しましたね。
なかなかさすがでございますけれども、
ロボ仲間を集めてらっしゃるゲップが出てたね。
ゲップゲッパーゲッペルス。いやいや、ゲッペルスはダメだわね。
ちょっと炭酸水を。炭酸水が好きでね。
イタリアで飲んでからね。だいぶ前ですね。20何年前かな。
あの頃ね、日本には炭酸水を飲む習慣はなくてね。
イタリアに行ったらね、水が売っててね。
アークはピークルウーノ。
ちっこい、その水、ちっこいやつ1個。
水、ちっこい方。でかいのはグランデって言ったかな。
なんて言ったかな。1.5リットルのやつと、
500ミリぐらいのペットボトルとか瓶とかあって。
ピークルウーノ。
ちっこい、ちっこい。1つ1つ。
こんな感じね。イタリア語はもちろん話せませんので。
ところがイタリアは結構街中で英語が使えない時があって、
もう全然わかんないから、アークはピークルウーノだけ言って、
お金を払って、当時はね。
ユーロじゃないですよ。僕はもうおじいちゃんですからね。
僕がイタリア行った頃はね、リーラーね。
何千リーラーか忘れました。何百リラーか払ってね。
その時にね、コンガスとノンガスを支持して、
これ英語なのかな?ガス入りね。コンガスって言うとガス入りが来るんで。
ノンガスって言うとガスなしが来るんですけど、
なんだそれと思ってね、ガス入りって何?と思いながら飲み始めたら、
それがね、コンガスっていうのが炭酸水だったんだよね。
入り、コン、ガス。ガスはガスなんでしょうね。
ということでコンガスのやつを飲んでね、
変な味って思ったんだけど、慣れたら美味しくなっちゃってね。
それから炭酸水をよく飲むようになって、
そして今となってはね、いっぱいあるじゃん炭酸水。
どうです?皆さん思い出して、20年前思い出して、
なかったよね、あんまり炭酸水なんて。
炭酸水は甘みがついてたでしょ。
最初さ、甘みがついてない炭酸水きつくなかったですか?
なんか今はさ、ボルビックが炭酸入ってないか。
今だとは、ウィルキンソン、ウェイキンソンね。
多いですね。
お金、なんかちょっといいところに行くとね、
マッサージャーとかでちょっと値段の高いところに行くと、
終わった後にお水持ってきてくれて、
それがなんだっけ、高いやつ。
なんだっけ、緑の瓶に入ったやつ。
ペリエ。ペリエちょっと高いね。
ペットボトルのペリエちょっと炭酸が薄い感じしますね。
そんな話じゃないんだぜ。
ゲップが出ちゃった。
ゲップ、ゲッパー、ゲッペルス。
いや、ゲッペルスはダメダメ。
馬鹿の壁と鈍感の壁
これだと同じことが繰り返されます。
これが我が闘争でございます。
それもダメダメ。
ロボを肯定してロボ仲間を集めるとおっしゃったね。
部下の力さんのところにもコメントで、
もう一回自分のところに力さんのコメントにコメントがしかいたんだけど、
力さんがこのロボのことに関して放送上げるもんだから、
そこにコメントを書いたほうがいいわと思って消してこっちに書き直しましたけど、
力チャージレイディオの中にもコメントで書きましたけど、
このロボ間っていうのは力さんはロボ間を
リリちゃんとかを知っているような情報、
世の中の情報を知っているか知らないかの軸と、
つまりこれは興味関心の広さのことでしょうね。
もう一つは感情を切り離して理解。
これは感情理解みたいなものの話ですね。
感情で物を考えるか論理で考えるかみたいな軸になるでしょうね。
あるいは少し感情で考える癖はあるんだけども、
知能が高くて論理で考えることができるというパターンもあるでしょうね。
それも含めて感情を切り離す会話ができるかできないかといったけど、
本当は感情が切り離れるかどうかみたいなことだと思うんですけど、
という二軸に分けてロボ間を説明していらっしゃったね。
それは僕が前から言っている右側とか左側とかに関連した延長の話だと思うんですけど、
僕が言っていた右側左側っていうのは、
よく想定するのは右側に自閉症的な人がいて、
左側に感情豊かな人がいてということなんですよね。
養老武先生が今も出している「馬鹿の壁」という本があるでしょ。
馬鹿の壁では理屈がわからないというか、
馬鹿というものがいて、
その馬鹿というものはどんな特徴があったかな、
ちょっと馬鹿の壁の特徴。
さっきGTPと話したところにヒントがないかな。
もっといい言い方がないかなってGTPと相談したんだけど、
GTPはあまりいい言葉を出してくれなかったんで、
馬鹿の壁の話は諦めましたけども、
馬鹿の壁は固定観念にとらわれていて、
自分の考えに固執するとか、
批判的思考がない、深くものを考えずに、
とか自己中心的でコミュニケーションがうまく取れる、
その辺でも馬鹿の壁と言えるかな、
学習意欲が低いとか柔軟性が低いとか言ってるけど、
違うような気がする。こんなこと言ってない気がする。
とにかく馬鹿の壁の向こうの人は話が通じないというのを
本で書いて、対談本ですよね。
対談したのを紙に起こした馬鹿の壁という本が
結構売れたでしょ。だからその言葉有名ですけど。
馬鹿の壁というものは割とあれによって
概念として成立したんだけど、
その後、岡田斗司夫さんが配信の中で言うんだけど、
もちろん馬鹿の壁というものはあるわけだけれども、
馬鹿の壁の向こう側、つまり馬鹿の側から見ると、
馬鹿の壁の外側の人というのは、
感情がうまくわからないように見えると。
つまり馬鹿の壁は、その壁というものは、
養老武さん先生が見ている側というのは
正常の側ですけど、その正常の側から馬鹿を見た時に
馬鹿の壁が見えるわけだけど、馬鹿の側から正常を見た時には
鈍感が見えていて、つまり養老武さんは鈍感に見えているわけで、
馬鹿からするとね。ということで実は両方ともが
馬鹿に見えているんだよね、お互いがね。
馬鹿の壁というのは反対側から見ると鈍感の壁に見えている
というのが岡田斗司夫さんの理解ね。
なので自分が正常だと各々が思っているわけで、
自分が馬鹿寄りの人は、自分よりも馬鹿じゃない側寄りの人は
非常に鈍感な鈍い人に見えていて、なぜわからないあいつこんなことがと
馬鹿なのかなって馬鹿の側からそっち側が見えているわけね。
両方とも馬鹿なんですよね、言ったらね。
だから両方ともが両方とも無能に見える。
つまり自分にあって人がないものは無能に見えるということで
コミュニケーションの難しさ
馬鹿の壁は、すなわち逆から見れば鈍感の壁であるというのが
岡田斗司夫さんの理解でね。
僕はそれを非常に共感するところですね。
それはね、僕が教わった師匠の先生がいてね、大学の頃にね。
僕が教わった先生の考え方もそういう風だったのね。
その人は本も出している、そのことに関して。
難しい本を書いています。
ごめんなさい、もう一回話を戻しますと
馬鹿の壁と鈍感の壁、この右側左側なんて僕は言っています。
これは自閉症度の話をしているんです、僕の場合はね。
だから力さんの二分類というのは実は自閉症の分類なんだよね。
感情理解の問題と共感性の問題だよね。
あとは想像力の問題とかね。
力さんの分類なんだっけ。
リリちゃんを知っているか知らないからね。
あとは興味関心の広さの問題だよね。
興味関心が狭くてそこしか考えない自閉症みたいな考え方をする力さんと
ちょっと僕はそれより広くてリリちゃんは知っているという興味関心の広さと
感情理解を切り離せるかどうかということで
感情的にものが考えるか理屈で考えるかで理屈よりというね。
そういうものが自閉症の特性なので
自閉症特性がどのくらいあるかということによって
ロボ間の話が出てくるわけね。
一方ですね。
そうするとですね。
まさにね。
僕の師匠の先生が言うわけですけど
この発達障害という概念から言うとね。
そのロボットだけが異常だっていうわけよ。
逆にというかな。
発達障害、自閉症スペクトラルこれは病気であると。
つまり正常から見て
僕もちょっとそういうところがあるけど
もっともっと自閉症によっている
チカラさんやらウタタネさんやら
キムショさんが異常だというふうに断罪するわけよね。
僕らの精神医学というものは。
あれが発達障害だと。
こちら側ね。
鈍感の壁の向こう側が鈍感な自閉症の奴らだと。
そしてこちら側、手前側。
僕も世間からすると鈍感側に入れられちゃってる可能性がありますけど
空気読めないと言われること結構あるんで。
正常側からあいつらは鈍感で発達障害で異常だという風に
言うわけですけど
僕のその師匠の先生が言うには本当でしょうかと。
なので定型発達とか正常発達と言われている人たちがいて
そしてあちら側が発達障害で
あれはチカラ障害だと。
あれはキムショ障害。
あれはウタタネ障害だと言って障害だという風に。
あれはリブラ障害だとね。
あるいはそういう風に障害だと言うけども
そうですかと。
その先生自体が秀才で自閉症的なところがあるんでね。
自分たちがおかしいと言われていることに対して
うーんそうかなという風に思うわけね。
僕もそう思うわけですけど。
一方ね、そうすると
定型発達、正常発達っていうものって
本当に正常で定型ですかっていうことを
その本で定義して
という疑問を提示しているわけですけど
ということで
まさにその自閉症側から
定型発達だとか正常発達だとか
自分こそが正常だと名乗っている側に向けた言葉が
バカの壁なんだよね。
お前らバカだと。
物事分かってないという風に言っているんで
正常だと言われている人たちからは
僕らは自閉症、発達障害だと言われているわけですけど
この発達障害側から定型の方を見ると
バカだと。
バカの壁の向こう側の奴は物が分からないと。
こういう風にお互いが
自分のないものを
違った、自分にあるものがないものに対して
無能だと。
こういう風に評価しているというのが
この世の中の構造であってね。
いわば両方バカだし、いわば両方バカじゃないわけね。
つまりこれは違いなだけなんだよね。
なので僕らは、僕らというか
僕なんかは自分が正常だと思ってますから
皆さんはそうでしょうけど
多くの人はそうでしょうけど
僕が客観的に見ると若干
自閉症寄りなのかもしれませんけど
真ん中辺だとしてくださいよね。
だから僕からすると
チカラさん、うたたねさん、きむしょさんの
僕よりも自閉症側にいる人たちのグループは
別にバカには見えない。
客観的に見ればバカには見えていなくて
理屈有意な人たちだよね。
感情を切り離す人たち
自分の興味、関心の方にちょっと偏ってしまっていて
感情の理解と相互関係
共感性やらみたいなものが少ない。
一方、僕から
感情寄りの人を見ると
チカラ、スカンクスさんとかね
一般の人たちは結構そっち側にいるんだよね。
感情がちゃんと理解できていて
空気もちゃんと読めるし
人の嫌なことはあまりパッと言わないし
関心も広くていろんなことを知っていると。
もう一個悪い方で言うと
チカラさんとかはやっぱり空気読まなかったりとか
歌谷さんとかも
こちら側の感情側の人からすると
なんだ急にあんなこと言ってきて
ブレーなやつめとか
前後の文脈が合ってないじゃないか
この前言ってたら違うみたいなことを
言われる側の人たちだよね。
一方、僕からまたこの左側をね
感情の側を見ると
例えばスカンクスさんとか
ネチネチいつまでも同じことを言って
あの人はどうせ僕のこと嫌いでもいい
ネチネチとくだらん
みたいな風にこちら側は見える
みたいなことで
どちらも良いところ悪いところがやっぱりあって
どっちが良いとか悪いとかじゃない
というのが僕の師匠の先生の本で語られている
発達障害、つまり
ロボの方をロボ病だと
いう風にして断罪世間はするけれども
一方、養老武さんは
ロボじゃない側の人をバカだと
いう風に断罪するわけだけれども
それは両方ともそうであって
両方とも違ってみたいな風に
僕は思いますね
これが客観的に見ると
僕は少し客観的に見る力が
若干あるかも分からない
これは職業柄かも分かりませんからね
こんなことずっとやってますからね
毎日毎日こんなことやってますからね
僕は自分が賢いという風に
思い込んでやっているところがあるんで
右側の人はやっぱり
鈍感バカだなという風にね
チカラさん、うたたねさん、引き虫さんは
鈍感バカですなという風に見えていて
俺だけ賢いと
そういう風に思っていると
というようなところですね
バカの壁と鈍感の壁の相対性
というわけでこの辺にしましょうか
つまり
今日の放送をまとめますと
バカの壁と鈍感の壁という
そこのコメントにも書いたんだけど
バカの壁と鈍感の壁という真ん中に
真ん中にあるわけじゃなくて
これは誰かと誰かの間に存在するので
これは別に
自分から見て
自分の左右に
右側に鈍感の壁
左側にバカの壁が皆さんの
心にあるわけよ
世間的なバカの壁というのが
あるんじゃなくて
養老たけしさんのすぐ隣にバカの壁があり
養老たけしさんの右側に鈍感の壁があり
僕の右側に鈍感の壁があり
僕の左側にバカの壁があるんですよ
チカラさんの右側にも
鈍感の壁があるんですよ
チカラさんより鈍感の人がいるから
スカンクさんより左側にバカの壁があるんですよ
スカンクさんよりバカの人がいるから
だから
世界で最も鈍感な人と
世界で最もバカな人以外には
全てその壁が存在するわけね
世界で最もバカな人は
なかなかちょっと普通じゃないし
世界で最も鈍感な人って
コミュニケーション取れないしね
チカラさんなんか
ロボット
集まれロボット
コミュニケーション取りたいって言ってる段階で
完全なロボじゃないでしょ
友達とか人との共感を求めてるもんね
リリちゃんのことも
聞いたら興味なかったけど聞いたら興味を持っちゃったでしょ
金正さんも多分リリちゃん知ってるでしょ
歌手さんは知らないね
でも聞いたら興味湧かないかもしれないけど
そういう風に言われると
うんと考えたらやっぱり一人ぼっちでいいわけじゃないしね
さっきの話ももう一回
まとめる前に戻しますけど
世間の人はそうやって
世間っていうのかな
一般的には発達障害みたいなものを
破壊と言って断罪しますけど
そんなことなくて
例えばですね
チカラさんなり歌手さんなり金武者さん
僕何してるか知らないけど
多分ちゃんとやってるんだと思いますけど
財布なんか配信できてるぐらいだから
余裕があると思いますけど
歌手さんなんかも
配信で言ってらっしゃったら出世してるんだよね
しかもちょっと
まあまあ
僕確か聞いてある程度わかりますけど
みなさんもだいたい想像すればわかるけど
まあまあの企業ね
まあまあどこじゃない企業で出世してるよね
まあまあの給料取ってますよ
あの人ね
だいたいこのぐらいかなって思いますけど
チカラさんははっきり教えてくれませんけど
チカラさんも
聞く情報まとめると
相当なあれでしょ
ちょっと特別な地位にいらっしゃるよね
普通のなんか下っ端のサラリーマンと
なんか話が違いますもんね
ということで
あの人たちは障害だとかって言われる筋合いはないわけで
僕も障害だと言われる筋合いはないわというような気持ちしますしね
僕の同僚なんかは僕よりもっとロボですけどね
もっともっとね
社会的に評価の高い人もいっぱいいてですね
まあそれをねロボだとかね
まあロボはロボなんだけどもさ
障害だと言われる筋合いはないわってことで
まあ僕が外来で見ている
社会的評価とその誤解
障害だと言ってうまくいってない人にも
こういう説明をしますよ
みんなと違うだけであってみんなというかな
ある種の人たちと違うだけであって
障害だと言われる筋合いは今のところないけども
あなたが困っているから一応障害という名前を付けるけれども
それでサポートしてもらった方が良ければ
してもらうように手筈を整えるけれども
ヒゲすることはないと
ペンギンなだけであって犬と違うからといって
僕らはヒゲするわけではなく
我ら海で泳いでいるときに犬などに全く負けないのであって
何ならペンギンどころかサチみたいな人もいるんで
我々海洋生物なので海で泳ぎましょうよと
僕はもう海で泳いでますんで
あなたも早く海へ来なさいよと
Welcome to the seaと
わかんないけど
ようこそ海へという風で
是非海にお越しなさいよと言って
僕は患者さんたちに勧めているわけです
海洋生物の患者さんが陸上で苦しんでいる人がいるんでね
僕やらチカラさんは海で泳いでいるんだと思います
タタンさんもね
たぶんギムショさんもね
ということで
僕らは別に劣っているわけではない
逆いうと
我々からしてというか僕がどっち側か分かりませんけど
僕の左側にいる馬鹿の壁の向こう側の馬鹿の人たちも
卑下する必要はない
馬鹿ではないわけですね
本当のことを言うとね
という風に思います
それが相対的で客観的な見方かなという風に思っておりますね
ということで
今日は簡単な配信をこれでやめましょう
ちょっとチカラさんへの
追加の
聞いて思ったことを配信しました
馬鹿の壁と鈍感の壁についてのお話でした
それでは皆さん
いろいろこのようなことで
議論をやってまいりますので
よろしくお願いします
それでは皆さんさようなり