サマリー
このエピソードでは、ミスター・チルドレンの歌詞の魅力や、その詩が歌に乗ることで発揮される力について掘り下げています。また、三宅けんとの対話を通じて、自分の強みを認識する重要性が語られています。スタンドFMは自己分析のための強力なツールであり、他者との比較や自分の特性に気づく手助けをします。参加者は自分の強みや弱みを理解し、周囲との相対的な視点を持つ重要性を話し合っています。スタンドFMは多くの人々が自分の特性に気づく手助けをしており、配信者たちは意図しない副産物として、自分自身の偏りを理解し、認識する経験を得ています。
ミスター・チルドレンの歌詞の力
おはようございます。抜粋の精神科リブラです。 今日も思ったことを適当に喋りましょう。
はい、パッとタイトルを見て思ったこと。 きたちゃんの配信が今日上がってました。
朗読していらっしゃった。 何をやってるんだ、あの人はね。
だけどね、こういうことに意外と気づきがありましたね、ああいうものってね。
あれ、僕はあの前に気づいたことなんだけど、 僕の世代はミスター・チルドレンがね、世代なんですよね。
でね、当時ね、僕の世代の人はね、ある程度記憶していると思うんですけどね。
ミス・チルはね、歌詞が良いっていう、そういう評判のバンドだったんですよ。
ミスター・チルドレンはね。この話前もどっかでしたような気がしますがね。
そういうふうにね、言われていたんでね。 歌詞が良いってことでね、一時ね、
ミスター・チルドレンがブーム、フィークを超えたぐらいかな、もうだから、
どうかな、ちょっと忘れましたけど、 歌詞が良いが講じてね、ミスター・チルドレンの
ミス・チル・サクライさんの書く詩が良いってことでね、 確かにそうなんだけど、その詩がね、
なんていうかな、本になったことがあるんですよ。
要は、アルバムについてくるでしょ? アルバム買うとさ、CDをね。
ついてくるんじゃん、歌詞カードが。 歌詞カードだけを立派にしたみたいなものが売ってたんですよ。
1個のアルバムじゃなくて、だからベスト版、 ベスト版、ベスト歌詞カードみたいな。
歌詞カードのベスト版みたいなやつがね、 出たことがあるんですよ。
人気の良い歌詞だけ。 だからあんまりこの歌詞に、
なんていうかな、 思いっきりのない曲はなくて、なんかその聞いて感動するみたいな曲だけ集めて、
それの歌詞カードベスト版ってよく考えたら、 これ単なる歌詞カードだよっていうようなのが発売されたことがあってね。
それが本屋さんに売ってたことがあって、 その本屋さんに売ってるのが、
僕もミスチル世代のね、ミスチルにハマってた世代なんで、 歌聴いて、桜井さんの、あの、
あの辺からだね、そういう風に言う人がいるので、 桜井和俊のことを桜井さんって言うね、ファンはね。
西野明宏のことを西野さんって言うね、我々は。
ということで、そういう風に名前で呼ばれる、 あの、さんづけで呼ばれる人は身近感をアピールしている人たちなんだろうと思いますけど、 今気づいた。
ね、えっと、そうだね、他にどうですか? さんづけしますか?みなさん。
西野明宏って言わないよね。 まあ西野さんって言いますよね。
やっぱり、身近で会う可能性がある人だっていう感覚があるんですよ、西野さんはね。
実際話してますしね。向こうは覚えてはないでしょうけど。
でもちゃんと一応チェックしてるんだと思うんだよね。いつもなんか、 あ、いつもなんか多分その、なんかの会に行くときは多分メンバーチェックして、
記憶し、あの、なんていうかな、常連さんが来てるときは わかってる顔しないといけないからなんじゃないかと思うけど、
あ、先生はいつもありがとうございますみたいな、 先生って僕が医者だっていうことを一応どっかで確認して、
あの、それか周りの人が先生って言った瞬間にあの人、あの、
敏感だからパッとこう、その瞬間のこう空気でハッて、 あの人は先生って呼ぶみたいな、
ふうに把握してるのかもわかりませんけど、 まあなかなかどっちにしろプロですよね。まあそれはいいんですけど、
そういう、さあ、短かんを出す、 出してる人の証拠なんじゃないかな。
他にどうですかね、さんづけしますか皆さん、芸能人を。
えー、桜井さんなんかは桜井和俊に至っては絶対会わないと思って、 あの、
会ったこともないしね、 えー、絶対話す機会とかないんだけど桜井さんですね、あの人はね。
一方どうですかね、他の歌手。 例えば、
なんだろう、わかんないけど、
あー、わかんないな。 浜崎あゆみお、あゆさん、
なんていうの、あゆってでも呼び捨てにするか。 あー、ちょっと出てこないですね、誰だろう。
出てこないな、あー全然出てこない、残念。 もしかしたら誰でも芸能人はさんづけするのかな。
ね、ちょっとパッと、ごめんなさいね、ピンとこないね。 で、まあいいやこの話はね、で、まあその、
そのね本をね、あの、 立ち読みしたんだけどね、これがね面白いことにね、
全然あの感動しなかったんですよ、それ読んで。 前歌で聞いた時は感動したのにね、その詩をね、詩もね、
歌詞カードを読んだことはあったはずなんだよね。 歌詞カードを見ながら曲聴いたりしてたからね。
なんだけど歌詞カードだけね、その、あれが違うんですよ、 想定、提想、なんていうんだっけ、
本の作りが違うんですよ。そうすると見た感じがね、違うの。 詩集に見えるの。で、詩集なわけで実際にね、
歌詞カードのベスト版なんだけど、 詩集に見えるわけね、ポエムに見えるわけ。
で、ポエムとして読むとね、ねしろさんのポエム、 あの歌詞がね、すごくチャチく見えたんですよ。
ものすごくチャチいわけ、詩が。 全然感動できないわけ。
そこでね、あったと気づいたんですよ。 えっとね、にしろさんの詩っていうのはね、
あの人が書いてるのは詩ではないんですよ。 あの人が書いてるのは歌詞なんですよ、歌の。
で、歌に乗せた時に初めて力が出るんですよ。 それ何でだろうと一生懸命考えたんだけど、
僕が辿り着いた結論というのは、 歌詞っていうのは、
聞く時に、歌に乗せるので、言葉が聞こえるタイミングを 向こうがコントロールすることができるんです。
なので、絶対朗読する歌詞みたいなもんなんですよ。 読み方を向こうが調整できるんです。
あの、
好きなのは君って、好きな唯一は君って言ってるんだったら、 全然なんともないんだけど、
好きな唯一は、ダン、ダン、ダン、ダン、君、 君だけ、みたいな、タイミングとかを調整して、
今のは適当に言ったんで感動しませんけど、 そういう相手に聞かせる、どこで何という言葉を聞かせるかを、
相手がコントロールできるんだよね、相手っていうか、 櫻井さん側が。なぜなら櫻井さんは曲も書いてるから。
ということで、あの櫻井和俊さんのミスチルの、
心にグッとくる素敵な詩というのは、あれは素敵な詩ではなくて、 素敵な歌なんだよね、やっぱりね。
それは歌の歌詞で曲と詩を同時に作ってるからこそ、 それを聞かせるタイミングというのを彼自身が完全にコントロールしながら、
話すことが、歌うことができるからこそ、 ああいう力があるんだろうってことで、
カスカード詩集みたいなやつを見て初めて、 浮足としてチャチェーってなって、
これが非常に衝撃的な思いをしたことがあってですね。 なのでおそらくね、
作詞家みたいな人がいるじゃん。 作詞家の人もそういうタイプの人もいると思うんだけど、
作詞家の人ってさ、詩だけ先に書いたりするじゃん。 だからさ、作詞家の書く詩と、
シンガーソングライターの人が書く詩って、 多分違うんですよ。
これ非常に面白い気づきなんじゃないかと、 自分的に思うんですけど、いかで、どうでしょうかね。
自己認識の重要性
ということで、というお話が一つ思ったこと。 もう一個はね、もう一個お話しましょうね。
昨日ですね、昨日からか一昨日からかね、 また例のチャージグループでいろいろやってますけど、
チャージグループのさ、三宅さんたちを、 多分MCH協会議の中で話されていたんじゃないかと思いますけど、
多分ですけど、ちょっとどの配信だったか忘れましたけど、
客観的に自分たちが見えるのって難しいよね、 の話がありましたね。
力さんも自分が普通だと思ってたって言うじゃないですか。 力さんが普通なわけないじゃん。
自分が持っている能力っていうのが意外とね、 三宅けんさんが言うんだけど、
自分が当たり前にできるっていうことが、 自分が普段当たり前にできること、
その当たり前にできることこそが自分の実は ストロングポイントであるっていうことを三宅けんさんが言っていて、
それに気が付かないと意外と。 自分にできることはみんなでできる。
例えば三宅けんさんの立体の把握の仕方とかすごいんですよね。
三宅けんさんの絵の話を聞いたときにいつも思うんだけど、 そんなこと思ったこともないとか、
そんなこと見たこともないとか、見えたことがないというかさ、 そんなふうに三宅けんさん見えてるのって思うわけね。
空間に何ていうか、物を模写するときの話とか、 立体の把握の仕方とかの話のときに、
三宅けんさんそんなふうに見えてるんだって思うわけね。 僕にはそんなふうに見えたことがないし、
僕にはそれ言われても全然見えないし、全くわからない。 何を言ってるかわからないレベル。
さっぱり何言ってるかわからないレベル。 言葉は日本語としてはわかるんだけど、
言ってる内容が何を言ってるのか、何のことなのか、 こういうふうに見たらわかるでしょみたいなのが、
何がわかるのかさえもわからないっていう。 さっぱりちんぷんかんぷんつかめないです、僕には。
三宅けんさんの言ってる話がほとんど。 言ってる言葉はわかります。言葉はわかる、完全に。
言葉はわかるんだけど、その感覚がつかめないっていうことなんですけど。
そのときに、例えば、これは、力さんも僕も実はそう思うと、 三宅けんさんの立体の絵とかその話を聞いたときに、
自分とは全然違うってことに気がついたと。
論理の違和感に気づく
同じく、力さんとか僕とかが、 人の論理の異常というのかな、論理のずれみたいなものに、
一瞬に、今の論理おかしいじゃんって、 一瞬で気がつくことが、誰でもそうだと僕らは思ってしまうが、
でもそうじゃないというのと同じように、 だから、絵とかもそうなんだけど、
僕らっていうのは、僕と力さんなんかでいうところの、 得意なところっていうのは、論理の相互みたいなものとか、
論理の違和感みたいなものに、ふんと感じる力。 今の話おかしいぞってなって詰めていって、
それを抽象化して、例えば、 あなたの言ってる、ガニバの店長さんによって、
あなたの言ってることは、チャーハン定食デザート付きで、 デザートは別料品ですけどって言ってると一緒だぞと、
僕パティシエじゃないんで、何個デザートが来るかは分かりませんけどね、 あんまり来ないことを祈ってきますけどね、
デザート食べたくないんでしょって脅かしてきたのと、 同じだぞっていうのが一瞬のうちに、
分かる僕らと分からない店長さんと、みたいなことで、 僕らは店長さんのことはアホだというふうに思うわけですけど、
そういう意味では、論理アホ、 賢くて論理アホみたいなのがあるわけですけど、
僕は、ところが図形アホなんだよね。 そういうふうに能力っていうのは格差があるわけですよね、一人一人で。
で、そのことに気がつかないと、なかなか、 それはやっぱり三宅さんから力さんから言ったけど、
生まれつきそこの場所に立っていて、 生まれつきそこの視点からしか物を見たことがないわけで、
僕らはそれぞれ一人。一人が。 で、そこで自分の視点で見て、自分ができるものは当然自分が持っていて、
他人が何を持っているかは見えないので、 他人の手札は見えないので、
自分のところに最初からある札というものは、 誰でもが持っている札だというふうに、
僕らはどうしても考えがちで、 カードが配られたシーンを見てないので、トランプでいうところのね、
カードが配られたところは僕らは見てないんですよ。 生まれつき自分の手持ちのカードだけをパッと見てるわけよね。
で、あのつまんないカードだなと思ってるわけよね、自分でね。
で、他の人がジョーカー、なんかパッとカードさ、 ああいいなあって、あんなカードあるんだ。
で、相手のカードの中に自分が持っているポケモンカード、 自分のポケモンしか知らないから、
相手のポケモンが何やるかわからないっていうことで、 いいなあって思ってるんだけど、
相手からすると僕らのいいなあの時もあるだろうし、 まあいらないなあと思う時もあるだろうし、
まあバカだなあと思う時もあるでしょうけど、 とにかく相対的には見えないってことなんですよ。
なかなか簡単には。
で、僕なんかもコメント欄に書きましたけどね、 平凡すぎるね、
僕の自分は平凡すぎる自分が本当に嫌で嫌で、 もう嫌で嫌で仕方がなくて、
平凡じゃないもの、普通じゃないものに憧れて憧れて、 大人になったわけですよね。
なんとか平凡じゃない人になれないものかなと思って、 まあでもなれない。
自己評価の重要性
結局自分としてはですね、なれなかったわけです。
医師免許を取ったから、そんなにみんなが医師免許を持ってないので、
まあギリギリ珍しいっちゃ珍しいんで、 医者であるっていう珍しさを手に入れたので、
まあそれは頑張って一つ手に入れたかなと思いますけど、
医師免許なんて別に頑張りゃ誰でも取れるわけで、 これもこう思ってますよね。
これもこう思うんだよ。力さん多分そう思ってる。
そんなあれな点数なんか、みんなそう言うんだよ。
ある一定の学力より高い人、みんなこれ言いますよ。
まあ学力が高いって言っても、偏差値が高いってすごいですねみたいな、
まあ偏差値が高いって言っても、 こんなにやれば誰でも取れるから点数って。
あれね謙遜じゃなくて、みんな本気で思ってるんだよ。
僕はどうも最近そう思った。僕も思ってるし。
僕に関しては僕のレベルまでは誰がやったって取れるじゃんって思ってた。
このぐらいの、偏差値8周とかかわいじくの越しでね、
コンスタントに70を起こすとか、それ超人的な能力だからあいつらは特殊な力だけど、
僕が取ったぐらいの偏差値60台の話。
偏差値60台の話は、誰がやったって、
その気になれば誰がやったって偏差値60なんか超えてくるから、
70超えてくるのは、僕もたまにしか、
すごい調子がいいときにしか超えたことがないし、70は取ったことがないし、人生で。
80は出したことがないですね、僕は偏差値はね、実際。
得意な科目で調子がいいときに70台に入るっていう感じでね。
60台ですね、基本。
悪いと50と偏差値を出すことがあった、多分。
英語とか50台の偏差値を出してるときもあると思う、低いと。
もちろん、高校生のときめっちゃ低いし、みたいな。
こういうふうに言って、これ多くの、
前の大学に行ってる人の多くがこういうふうに言うと思うんですよ。
みんなそう思ってると思うんだけど、多分だけどそれ違うんだよ。
みんなが偏差値65を出せるわけじゃ多分ないですね。
最近そう思うようになった。
もう50になってようやくそう思うようになった。
これ誰でもできることじゃないんじゃないかって、ようやく思うようになった。
すっごく最近。
こんなことも気づかないわけですけど、
それ皆さんも気づいたほうがいいよ。
皆さんの中にも気づいてない人いると思うんだよ、多分。
川口社長のところに、川口社長って頭クレイジーなんですけど、
あの人ね、やっぱすごいなと思うんだけどさ、
なんて言ったかな、
あの人京都の人なんですよ。
京都生まれ京都育ち。
渦政をタイソンって呼んだんだよ、あの人。
わざとだと思うじゃん、もはや。
渦政をタイソンって呼ぶやつ、わざとだろ、完全に。
だけど一生懸命言い訳してたから、
いや、これは初見で、
自分がたまたま渦政っていう言葉を、
渦政という言葉を知らなかったから、
こんなもん知らなくて読める感じじゃないと。
いや、わざとじゃない、わざとではないし、みたいな。
いや、これはわざとというか意外と、
人口の結構の割には読めないと思うよ、みたいな。
こんな初見で、タイソンが、
渦政ってわかるやついねえだろって、
自分の正当性を主張してたけど、
違うんだよと思った、川口社長。
違うんだよ。
京都に住んでいて、渦政を40代近くまで、30代の後半まで、
見たことがない、聞いたことがない、
渦政を京都に住んでる人が35歳、6歳で、
初見であるってことが、あなた特殊なんだよってことだ。
あの人気がついてないよね。
あの人、やっぱりすっごい偏りが強い人だなと思ったんですけどね。
で、そこにね、ファンダさんっていうね、
自分はね、ダメだって思いがちなね、
思いがちっていうか、自信がない女の子みたいなのがいてね、
派手に、クレイジーに振る舞ってるんだけど、
なんかこうちょっと、
なんていうかな、頑張ってるっていう感じのね、
そういう人はいるんだけど、
その人なんかは、もう、
自分がなかなかダメだなと、割と傷ついてるタイプなんですけど、
あの人なんかも、気がついてないタイプだよねと思うね。
自分のストロングポイントに、まだ完全に自分が気づけてない。
まあ、そういうのは周りも自分を気づけてないタイミングはありますけどね。
っていうことでね、
このスタイフをやってると、そんなことがわかりますけどね。
でね、そういうことに気がつかないでしょ、みなさん。
僕も気づかなかったわけだしね。
みなさん、これで、このね、
スタンドFMっていうのがそれに気づかせてくれてる面ありませんか?
チカラさんが言うように。
このスタンドFMを始めた時って、
みなさんさ、これ何のために始めた?
これってさ、自分が特殊な、
自分がさ、みんなと同じ、なんていうかな、
自分の持ってる特性がみんなと同じではない、なんていうかな、
自分にはある程度のストロングポイントがあるんだとかさ、
えっと、自分に、あるいはマイナスの方向もありますよ。
チカラさんなんかはそうだよ。
スタンドFMの副産物
自分には普通の人が分かることが、
自分には分からないんだっていうことに気がつけたり、
自分には、たとえば宮剣さんなんかはこっちよ、
自分に当たり前だとできると思ってることは、
みんなに当たり前にできることじゃないというふうに。
要は自分を小さく見積もっている人が世の中にいたり、
これだから、パンダさんなんかもそうだよ。
自分を大きく見積もっている人がいたり、
チカラさんとか川口社長だよね。
え、俺こんなことできないんだっていうことに気がつかされたり、
川口社長まだ気づいてない。
いや気づいてるからな、まあそういうふうにね。
だからその、適正に自分を評価できてないんですよね。
それってさ、スタンドFMの副産物、
スタンドFMの副産物
めちゃくちゃ大きな副産物だと思うんですよね。
多分だけどパンさんとかも自分が少し変わってるって、
言われたことあんまないんじゃない?
でもどうですかみなさん?
すんげえ変わってるよね、あの人。
宇多谷さんなんか代表だよね。
宇多谷さん、自分が変わってるって一回も思ったことないんじゃない?
未だに思ってないんじゃない、あの人。
なかなかのずれっぷりだからさ。
宇多谷さんのずれっぷり激しいですよね。
力さんを超えるレベルですよね。
で、あの人だからちゃんとその辺分かってないから、
言うと傷ついたり怒ったりする可能性あるから、
みんな言わないでしょ、全然。
力さんは受け入れてるところがあるから、自分の偏りを。
力さんにはお前変わってるぞって。
ほら、チャージあんた変わってるぞって。
これみんな結構平気でもう言えるようになったけど、
宇多谷さんにはあんまり言いにくかったりするでしょ。
あれは宇多谷さんがそれをまだしっくり、
なんか自分で認められてない雰囲気があるからですよね。
え、僕そんなことない、普通ですけど、みたいな顔してるじゃん、あの人。
だからみんな言えないだけで、
本当のところ言うと、力さんたまに言ってるよね。
宇多谷さんは僕よりも変わってるよね、みたいなこと。
僕よりもロボじゃないですか、みたいなこと。
力さんと僕ぐらいは言ってますけど、みんなあまり言わないで。
あれは言いにくいからですよね。
っていうことでさ、認めてる人も認めてない人も自分で
気づき始めてる人も気づいてる人も気づいてない人も
いろんなレベルがいますけど、
これ、すごい副産物ですね、スタンドFMの。
自分が始めるときにこんなことが起こるとは思って始めてないと思うんだよね。
MCHうまいことやってやるぞとかさ、
なんか一発なんかさ、金儲けにならねえかなとかさ、
いろいろ思ったでしょ、やっぱり今はSN…
で、途中からこれSNSだなって気がつき始めてさ、
SNSして始めたりしましたけど、
これさ、まさかまさか自分の偏りを知る
ものになると思って始めた人はいないと思うんですよね。
これはものすごい副産物だということに
チカラさんに言われて気がついたっていう話ね。
そしてこれに代表されるように、
やっぱり最初から見込んだことが達成されるというか、
見込んだ結果ってやっぱりできない。
やっぱ知らないことって自分は知らないので当たり前ですけど、
知らないことっていうのは知るまで知らないんですよ。
だから、やっぱり何事もやってみないとわかんないなっていうね。
スタンドFMもそんなことやって何のためになるの?
何の利益があるのよって言ってる人は、
スタンドFMをやったときに、
こうして自分の特性をグッと掴むことができるという、
そういう面白いことが起こるってことを知らないし、
なんなら世界中の誰も知らなかった可能性があるんだよね、
やってみるまで。
ということで、スタンドFM側も知らないだろうし、
どの配信者も知らないし、
やってみないと一部の人は知ってるとかじゃなくて、
誰も知らないなんてことがあるわけで、
そのつもりで始めたプラットフォームじゃないだろうし、
こうなるなんて誰も予想してないし、
そこがすっごく面白い。
未知の気づき
だから気づきは何点かある。
これに気づいてない人はスタンドFMになる。
そういうのを気づくことができるよという気づきが一つあるのと、
やっぱりここに代表されるように、
物事っていうのは人を見通せてる人はそんなにいなくてもなかった。
物事っていうのは知らないことは知るまで知れないので、
そっちに行ったら知ることができるということに気がつかないので、
知ることできないから、
やっぱりいろいろあんまりそんとく考えずに、
やってみるっていうのはめちゃくちゃ大事だなと思ったというお話でした。
それでは皆さん、今日も元気にやって参りましょう。
さよなら。
22:38
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