麹町中学校を巡る論争と工藤校長の教育改革
こんにちは、おあです。小学生の子どもたちは、ホームエデュケーションを選択しています。 今の学校教育に疑問を持っている方や、今の学校には合わないけれど、代わりとなる教育がなくて困っている方と一緒に、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
今日は、【第209回】工藤勇一先生は量産できない〜、校長ガチャではなく、選べる公教育を〜、というテーマでお話ししていきたいと思います。
みなさん、東京都千代田区立高島市中学校をご存知でしょうか? この中学校を発端とした大激論が今、教育界隈で湧き起こっております。
高島市中学校といえば、工藤勇一元校長先生で有名です。 工藤先生は、高島市中学校を大胆な教育改革を行ったとして知られておりまして、私も過去放送で何度かお話ししていますし、ノートの方にも記事にしております。
工藤先生の本は、おそらく私は全部読んでいると思います。 工藤勇一先生は、教育界の煉獄強二郎なんですよね。めちゃくちゃかっこいい。
なんですが、そんな工藤先生を批判し、工藤校長時代の高島市中を荒れていた、私が立て直して秩序を取り戻したと主張する二代跡釜の堀越元校長が、先月本を出版されたということで、
私も一応、このスタイフ会では、教育系過激派組織の元に身を置くものとして、言っておかないと、乗っておかないといけない話題かなと思いまして、話してみることにします。
工藤勇一元校長先生は、千代田区立高島中学校で宿題の廃止、定期テストの見直し、固定担任制の廃止と、それまでは学校で当たり前とされてきたものを次々と見直しまして、学校の最上位目標は何なのかというところから、対話を通して学校改革を行ったという方なんですね。
対して堀越元校長は、自立と自由を混同していると批判し、時間の厳守、授業の開始と終了時の挨拶、授業の目標設定といった、高島地中スタンダードを策定しまして、定期テストや固定担任制の復活、服装ルールの強化などを進めたということなんですね。
そんな堀越元校長が出版した本の出版社が、イクホウ社って読むんですか。
この会社は、服装社という教科書授業を引き継ぐ日本の伝統文化、国家、公共心を重視する保守的な教育観を明確に掲げて、歴史・公民教科書を出版している、右翼系出版社らしいんですね。
この本を推薦する人として、早々たるメンバーが名を連ねているわけですよ。もうすごいんですよ。これが全員、なんとかなんとか元教授ばっかで、もうキモ!
工藤先生の教育というのは、ルールを外側から押し付けるのではなく、何のためにこのルールがあるのかということを生徒や教師たちと問い続け、宿題や定期テストや固定担任制といったものが、なぜそれが必要なのかというのをみんなで考え直したと。
規律ではなくて、目的についての対話を土台にしたマネージメントだったんですね。対して堀越さんが行われたことは、明文化されたルールと時間割り、評価の型で生徒の行動を外側から揃えていくというやり方なんですね。
時間の厳守、挨拶、目標提示、定期テスト。これは規則と観察と評価を組み合わせて人を秩序立てていく方法。非常に古典的で非常に効率の良いマネージメント方法なんですよね。しかも多くの教師にとっても再現がしやすいんですよ。
誰が校長でもマニュアル通りにやればある程度機能すると。工藤先生は生徒を主体として尊重する代わりに校長の力量に依存するマネージメントだったんですね。堀越さんのやり方というのは校長の力量には依存しない代わりに生徒を管理の対象として扱っていくという。
校長個人の力量に依存する学校の課題
これはね、管理教育か自由教育かとかね、規律か自律か、学校の目的が大人にとって管理しやすい秩序に置くのか。それとも子どもが自分で考え判断し行動できる力を育てることに置くのか。どっちが正しいのかっていうのはね、二元論に陥りがちな論争なんですよね。
あとマネージメント能力ということもそうなんですよ。この点についてはですね、篠原誠さんという方がノートにわかりやすくまとめてくださってますので、リンクを貼っておきますのでぜひ読んでいただきたいんですけれども。
工芸校長についてという記事なんですが、一言で言えば工藤先生のような器の大きなリーダーだからこそ成立するマネージメントなんですよね。という工藤先生のマネージメント能力が素晴らしかったからこそ、後任の校長たちには荷が重かっただろうと。
学校改革が工藤先生の力量に依存していたので再現性がないと。つまり学校ガチャということですよね。どの学校も校長次第ということが浮き張りになった一件だったわけですよ。
でもね、じゃあ、公教育って何なんですかって思いませんか。公立学校のそういう風土とかが、そんな校長頼みでコロコロ変わっていいんでしょうかって話なんですよね。
だって、あんな工藤雄一先生ほどのリーダーシップがあって、マネージメント能力にも長けた煉獄教授なんて、全国に何人揃えられるんですかって、1000人も量産できるわけないですよ。
カリスマ校長に頼らない教育制度の模索
学校は校長の裁量次第という話で思い出すのがもう一人。大阪市立大空小学校の初代校長だった木村康子先生なんですよ。映画みんなの学校で知られることになった有名な方なんですけれども。
この大空小学校は2006年の開校時から全ての子どもの学習権を保証するという理念のもと、障害の有無や家庭環境にかかわらず地域の子どもたちを誰一人取り残さない学校づくりというのを進めていかれたんですね。
大空小学校では何か問題が起きたとき、この子が悪いではなくて、この子がこうなっているのは学校側に何が足りないからなんだろうと考えるそうなんです。木村先生の功績はその地域の子ども感、学校感を変えたところにあるんですよね。
ところがそんな大空小学校も木村先生が退任した後は普通の小学校に戻ってしまっていると伺っております。
じゃあ校長個人の力量に頼らなくて済むように学校の制度そのものを変えてしまおうと、それを行ったのがあの平川理恵さんなんですよ。
平川理恵さんは2018年から6年間広島県の教育長を務められました。民間出身で真正面から猛烈な教育改革を進めたことで有名です。
学びの変革、不登校の子どもたちのためのスペシャルサポートルーム、高校入試改革、以前の放送回第116回でも私もその平川理恵さんの凄さを語っておりますので、よろしければお聞きいただきたいんですけれども
平川さんは一つの学校を変えるどころか、県という行政単位で学校制度自体を変えた方なんですよ。
平川さんは広島県全体の学校制度設計自体にメスを入れたんです。校長が交代しても維持されていくように行政側からの教育改革を目指したんですね。
平川さんは2024年3月に退任されていまして、今2年以上経っているんですが、今広島県がどうなっているかというのを私も気になって今回調べましたが、少なくとも表向きは制度なんかは一切戻っておりません。
現在の公認の広島県の教育長も、今年の公式メッセージで学びの変革を推進すると述べておりますし、2026年度もスペシャルサポートルームというのは継続されているようなんですね。
不動先生や木村先生に比べれば、平川さんが行った教育改革モデルというのは一段階強度が高いわけですよ。県全体の制度にまで落とし込んでいるからなんですよね。
ただ、私はそれでもまだ危ういなと思うんですね。なぜなら、所詮、県の制度ですから。さらにその上には国があるわけです。国の教育政策によって簡単に変えられてしまう可能性があるんですよ。
広島県の知事が変われば、広島県の教育長が変われば、あっという間に元の木網なのではないかと。県の教育制度もトップ次第ということになるんじゃないかと思うんですね。
70年以上続く子供主体の教育文化:伊那小学校
そこで取り上げたいのが、長野県稲市立稲小学校なんですよ。映画夢見る小学校で有名になった学校なんですけれども、このことについても結構昔の放送界で取り上げております。
大田弁監督のドキュメンタリー映画夢見る小学校なんですが、リンク貼っておきますので、ぜひ見ていただきたいんですが、この稲小学校の何がすごいっていうのは、工藤先生とか木村先生みたいなカリスマ校長がいたわけではないんですよ。しかも長野県のカリスマ教育長が大胆な教育改革を行ったわけでもないと。
昔から続いているごく普通の公立小学校なのにもかかわらず、70年以上も子ども主体の教育を貫いているというところなんですね。一番有名なのが通知表がないということなんですよ。
通知表を廃止したのが1956年。70年以上前からすでに今で言うところの総合学習をメインとして子どもたちが動物を育てたり作物を育てたり地域と関わりながら、そこから教科学習につなげていくというような子ども主体の体験学習というのを実践し続けているんですね。
もちろんこの70年間、校長も教育長も何世代も入れ替わってきているわけです。にもかかわらず受け継がれてきたその子ども主体の教育文化。きっかけは一応幼稚園とか保育園と小学校の教育をつなげるというような研究が始まったことだったそうなんですよ。
当時の小学校の先生たちが幼稚園や保育園に行ってみたところ、子どもたちは虫を見つけたら夢中で追いかけたり、ドル団子を作ろうと思ったらどうしたらもっと固くなるのかって何度も試していたり、友達と揉めたら自分たちで何とかしようとしていたり。
子どもたちは大人が何かを教え込もうとしなくても日々遊びの中から様々なことを学んでいる姿を見たんですよね。
あれ、じゃあなんで小学校に入った瞬間、はい今から国語です算数です先生の話を聞きましょう。はい前を向いて教科書を開いて45分経ったので次の社会の時間になりますとなっちゃうんでしょうと。
もちろん最初から伊那小学校の先生方が全員ね素晴らしい体験型総合学習やっていきましょうってなったわけじゃないみたいなんですよね。いやいやちゃんとかもつ区別教科学習をやるべきだという先生もいたようなんですよ。
でも、そういうことも全部先生方みんなでとことん議論したそうなんですね。つまり伊那小独自の教育文化っていうのは全員が同じ思想を最初から持っていたわけではなかったと。
従来のカリキュラム中心主義の教師主導の教育館を持つ先生が移動してきたとしても、目の前の子どもを見るという現態に立ち戻って話し合ってきたんだと。伊那小では子どもを自ら求め考え動き出す力を持っている存在だと捉えて、教師たちも目の前の子どもの事実から出発する教育館というのを共有していったっていうことなんですね。
つまり伊那小式教育マニュアルだとか、伊那小スタンダードみたいなのがあって、それを新しく入ってきた先生たちに渡して、この学校ではこれに沿って教育してくださいなんてやってたわけじゃないと。
先生自身が目の前の子どもを見る、考える、やってみる、うまくいけなければ帰る、先生同士で議論する、授業を公開するということを何十年も繰り返してきたそうなんです。
伊那小が継承しているのは正しい教育方法ではなくて、目の前にいる子どもの姿から教育を問い直し続ける姿勢だったということなんですよね。
多様な学びを選択できる公教育の必要性
乱暴にこれまでの話を整理すれば、工藤先生というのは優れたリーダーで、そのマネージメント力で学校を変えていったわけです。
木村先生も優れたリーダーで、地域の子ども感、学校感をいろんな人を巻き込みながら変えていった。
平川理恵さんという、この方も素晴らしい優れたリーダーでしたが、教育改革を学校制度のそのものに行政側から埋め込んでいった。
伊那小では何世代にもわたって子ども主体の教育という文化を継承していった。
そうやって並べてみると、なるほど、全国の学校を伊那小みたいにすればいいんじゃないって思う方いらっしゃると思うんですよ。
でも、じゃあ全国の小学校を全部伊那小スタンダードにしてしまえば、今学校でいろいろ起きている問題というのはすべてすっきり解決するんでしょうか。
伊那小と同じようにすべての学校で動物を飼って、作物を育てて、座学での教科学習よりも自然の中での体験学習を大切にするって。
そりゃあそうなったら今の座学、中心のカリキュラム、中心主義の教師、主導の学校教育なんかよりは1億倍素晴らしいと思いますよ。
間違いなく不登校も劇的に得ると思います。
でも、そんな伊那小に全部の学校をしたところで、それでもその教育に合わない子っていうのは必ず出てくると思うんですよ。
従来通り座学で先生から教科書を使って順番に体系的に教わる方が分かりやすくて安心する子だっているはずなんですね。
もしくはそもそも集団の中で学ぶこと、そのこと自体がしんどい子もいると思います。
一人で静かに自分のペースで好きなオンライン教材で学習を進めていくのが合っている子もいると思います。
前々回の放送会でフリースクールのリアル、光と闇というところで散々お話ししてきたと思うんですけれども、本当に子どもって一人一人違うんですよね。
管理か自由か、一斉教育か、探究学習か、座学か体験か、集団か個別か、教科書かオンラインか、みたいに。
公教育の本来あるべき姿と海外の事例
二択ではなくて、私たちが問うべきはどの教育が正しいのかではなくて、どうやったら多様な学校から自分に合った教育を選べるようにできるのかということなんじゃないかなと思うんですよ。
日本では公教育というと、どうしても地域のみんなが同じ学校に行って同じカリキュラムで同じ年齢の子と同じペースで同じ方法で学ぶということをイメージされがちなんですが、
でもね、公教育っていうのは以前ノートの方でもね、やばいよ学校シリーズということで5回に分けて深掘って書いておりますので、そちらねぜひ読んでいただきたいんですが、
私が思う公教育っていうのは、どんな家庭に生まれた子どもでも自分に合った教育を受けることができることじゃないかなと思っているんですね。
福島先生の校長先生を全国に1000人量産することはできません。
平川さんのような教育長をね、47都道府県に現れることを祈るのも現実的ではありません。
稲生を全国にコピーして配って歩くこともできません。
工藤先生の自主自立を重んじたような学校が好きな子は、神島地中へ行けばいいし、従来型の一斉一律集団教育が合う子は堀越さんのような学校へ行けばいいし、稲生のような体験型の総合学習が合う子は稲生へ行けばいいし、
モンテス総理の思想に合う子はモンテス総理学校へ行けばいいし、イエナプラン教室学が合う子はイエナプラン学校へ行けばいいし、シュタイナーがいいと思う子はシュタイナー学園へ行けばいいし、ホームエディケーションでもオンラインでも自分に子供自身が自分に合う、自分が子がいいなって思える学校を選べるのが一番いいと思いませんか?
子どもは一人一人違うんですから、学校だってそれぞれ違っていいはずなんですよ。
大事なことはどの学校を選んでも公教育として保障されているっていうことだと思うんですね。
例えばオランダでは一定の法律の要件を満たせば公立だろうと私立だろうとどこでも公教育ということで保障されています。
モンテス・ソウリ教育、ドルトン教育、フレネ、イエナプラン、シュタイナーなどのさまざまな教育思想に基づく学校が公教育として認められているわけです。
日本のようにあなたはこの地域に住む子だからこの学校に行ってこの教育を受けなさいではなくて、子どもが自分はどの学校に行きたいかで教育を選べる制度が整えられているんですね。
前々回のフリースクールのリアルで話した台湾も同じです。台湾でも20年30年前から多様な学校を子どもが選択できる制度になっているんですね。
日本ではまず国が認めた位置条項があってそこに適用できない子は特別支援学校がありますよ。教室に入れない子は校内フリースクールを用意しますよ。
学校に行けない子には教育支援センターに行ってもらいましょう。お金さえ払えばオルタネティブスクールやフリースクールも認めてあげてもいいですよってなってるんですね。
まず標準の規格の箱ありきそこに入り入らない子そこからはみ出した子には例外として別の箱を許可してあげようと私はその発想からしてもおかしいということをずっとこのチャンネルを通して訴え続けております。
いつまでもかわいそうな不登校の子たちを支援してあげましょうなんて言って無駄にお金を人手を学校ありきの昭和な教育家に基づいた不登校支援に注ぐのではなくて多様な教育を選択できるように学校制度側を変えればいいだけなんですよ。
子供を学校に合わせるようとするのではなくて子供に合わせて学校側を多様にしていくことそれが英雄不要の本当の教育改革だと私は思ってるんですね。
まとめとリスナーへの問いかけ
というわけで今回は校長ガチャな現状を炙り出した一連の騒動からですね、公教育のあり方について語ってみました。
とはいえ私はね、やっぱり工藤先生推しですから、工藤先生本当に実物にね、私会ったことありますし、電車の中でちょこっと会話も交わしたことありますし、一回だけですけどメールのやり取りもさせていただくことがありまして、本当にかっこいいんですよ。
本当に歩く立広し。というわけで堀口校長はちょっとね、その暴露本はね、ちょっと私はどうかと思っておりますが、皆様はどう思われたでしょうか。
皆様のご意見やご感想、こうなったらいいんじゃないみたいなアイディアなんかあれば、ぜひコメントやレターで教えていただけたら嬉しいです。
お聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいね、コメント、フォローお待ちしています。