夏休みの静けさと受験生の現実
こんにちは、たがけいこです。 今日もコーチング日和、スタートです。
さて、夏休みに入っていまして、近くに学校があるんですけれども、いつもは朝、とても賑やかで、人通りが多いんですが、夏休みということもあり、静かですね。
我が家にも一人息子がおりまして、今年、高校3年生なので受験なんですね。
6月には部活が終わって、いよいよ受験に向かっていくということなんですが、何せ勉強するのが嫌いなものですから、毎日ですね。
今日はどうするの?というふうに、そんな話ばかりしております。
放っておくと、本当にスマホを見て、一日が過ぎてしまうというようなことをやってしまうので、本人は大学に行きたいということでいるんですけれども、
なかなか自分で計画を立てて、その通りに進めるというのが、誰に似たんだかわからないんですけれども、多分私だと思うんですけど、苦手なんですよね。
どうしても目の前の楽しみに飛びついてしまうということなんですが、今もですね、今日はどうするの?ということで、
学校側からは決して家では勉強をしなさいと言わないようにと言われておりまして、ですので、今日はどうするの?というふうに聞いたりしているんですけれども、
何でしょうね、親とのやりとりの中では、それを待っているという雰囲気もあるし、分かっているけど、それを理由にすると自分の責任がちょっと軽くなるというのもあるかもしれませんけれども、
自分でやるという方向になかなか行けないんですね。
疑問形でのコミュニケーションと決断の難しさ
で、ちょっとコーチング的にということで言いますと、やはり来年の夏、どこで誰とどういうふうに過ごしていたいのかということもそうだし、明確に自分から大学に行きたいというふうに言われたことはなくて、大学行くかなとか、ここかなという疑問系で話をするんですね。
仮説の疑問系で話をします。これ最近の若い方の傾向でもあって、これしたいです、これが食べたいというより食べたいかな、じゃあするかという疑問系で終わるということですね、疑問系で終わると。
私たちの日常というのは、問いの連続で今行こうかなとかね、そろそろやった方がいいかなとか、この道順で行ったらどうだろうという、自分に投げかけて進んではいるんですけれども、
その外に発信する時にも、もしくは自分のこれからを決めるということですよね、大きな決断をしていくということであったとしても、疑問系にしたまま進めてしまうというのが、
一つ行動を決めるということや、覚悟を決めるというのかな、ちょっと重いかもしれないけど、覚悟っていうとね、でもやるぞとか、行きたいとかね、そういう気持ちにさせることから遠ざからせてしまっているんじゃないかななんて思っています。
なかなか言い切るというのは、それが正解かどうかわかりませんし、もしかしたら決定したということが誰かを傷つけたり、失敗したということの傷が残ってしまうんじゃないかなど不安があるんですけれども、
どこかにリスク管理ですよね。痛みがあったとしてもちょっと和らげるようなリスク管理も必要だとは思うんですけれども、ただエネルギーになりづらい部分もあるので、
やりたいことをやりたいと言える、行きたいところ、あそこに行きたいというのを自分の欲求として伝える、そういった瞬間もやはり大事だと思っております。
言い切ることの重要性と親の葛藤
ですので、ちょっと今日は無理矢理だったんですけれども、息子に大学に行きたいなら行きたいと言ってみてということでお願いをしてと言って、行きたいと言い切らないと進まないよというふうに伝えたんですが、
なかなかコーチングで人を育てるということが自分の家族ということになると、いろんな役割を演じなければいけないので、どれをどのくらいやらなきゃいけないのかというのは悩むところではありますけれども、
言葉の言い方によってであるとか、それから多少言われることによって動くというのもある意味大事なんだろうなと思いつつ、配分を日々悩んでいるところでもあります。
そうは言ってもね、彼が選ぶ、彼の人生ですから、責任とともに引き受けて、どんな形になったとしてもサポートしたり応援することしかできないわけですからね、私は私のことを同じように頑張っていくということも大事にしながらな月曜日というふうになりました。
今日は午後から一見研修が入っておりますので、もう少ししたら家を出ようと思っております。
では今日はここまでです。高稽古の今日もコーチング日和、また聞いてね。バイバイ。