便から学ぶ精神分析
サマリー
今回のエピソードでは、便に対する執着とその影響について語られています。特に便秘や下痢に関する患者の経験が紹介され、精神科医としての観点から、執着を手放すことで症状が改善する事例が取り上げられています。また、地道な畑仕事を通じて得られた繋がりも強調されています。執着から解放され、自分自身と向き合う過程が重要であることが説明されています。特に便秘の治療において、患者が自分の状態を記録し、徐々に悟りを開く様子が描かれています。このエピソードでは、便の状態を通じて自己理解や性格の変化について語られ、精神分析的視点から自己愛的な傾向を持つ人が内面的に変わる過程について考察されています。そして、生活のあらゆる面での改善の可能性にも触れられています。
自宅からの生配信
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
いちごさんどうもです。
2025年5月27日火曜日、20時6分。
自宅から生配信です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
ということで、飯も食ってダラダラしてるところです。
昨日到着で、あんまりやっぱりね、到着のベッドがあんまり良くないのか。
早く起きてしまって、なんか一日中ぼーっと眠い感じでした。
まあ、さっさと寝ろっていうことなんでしょう。
先生どうもこんばんはです。2号さんどうも。
ふぅー、疲れた。
なんかついこの間すごい暑くて、いよいよ夏だなとかって言ってたんだけど、急に寒くなりましたね。
えーと、こんばんお疲れ様です。どうも。
3号さん4号さんどうもです。
うーろんちゃおさん子プレゼントどうも。
ほんとそれですね。体調がおかしくなるわ。
夜、まあ少なくとも夜寒いですよね。
今また暖房つけてますもん寒くて。
いやー参りましたね。
えー、くんにちわどうも。
くんにちわです。
えーと、うーろんちゃプレゼントありがとうございます。
くんにちわって。
いつからしみけんが増えたのかな。
まあ確かにね、将来の夢はセックスインストラクターですけど。
それに間違いない。
さあ今日もかなり適当にやっていきます。
こんばんはどうもこんばんはです。
えーと、7号さんどうもです。
なんか今日デイケアの畑の仕事を手伝ったらすんごい疲れた。
別に大したことやってないんだけどね。
なんか草むしりして、で、さつまいもの苗を植えたのかな。
便の問題と患者の経験
うーん、なんかたったそれだけのことなんだけどすごい疲れた。
いかに自分の体がね、いつも怠けてるかっていうのをこういうところで実感します。
はい、いこうっすね。
今日なんかね、病棟は暇ってわけじゃないんだけど、あんまりやることもなくて。
ちょっと久々に畑仕事しよう、土いじりしようと思って。
ちょっとね、若干肌寒かったですけど。
充実した1日だったなあ。
最近かえりがひどくてめっちゃ死燃料が強いんだけどなんかアドバイスをください。
うーん、かえり、死燃料。
ちょっとどういうバックグラウンドの人かわかんないけど。
とりあえずゆっくりしてってください。
楽しそうです。
そうね。楽しいし、畑に出ると立場が逆転するんですよね。
院内では僕が医者でね、で向こうは患者なんで僕の方がある意味偉いわけですけど。
畑に出ると立場が完全に逆転します。
患者さんはだいたい農家の人が多いんで。
僕はもう棒立ちです。
何をしていいのかわからず、ただ畑の真ん中で突っ立ってるカカシみたいになっちゃいます。
そういうのを味わうのも大事かなと思ってね。
いつもなんか偉そうにしてるだけじゃなくて、たまにはちゃんと教わるっていう。
これどうやって植えたらいいですかねって。
収穫したらみんなで召し上がるんですか?
うん。なんか料理も一応ね、デイケアのプログラムに入ってるんで。
なんかそういうのを作ったりとかね。
さつまいもの天ぷら作ったりとか、なんか例年そういう風にして食べてるみたいです。
売るわけじゃないし、形も悪いですけれども。
味は間違いないよね。
AIに仕事を奪われたらみんなで畑仕事すればいいんじゃないかな。
その効率性とかとは全く無縁のところでね。
腕まくって、でなんか麦わら帽子みんなでかぶってさ。
いいな。
なかなか精神科以外だとこうやって畑仕事する医者はいないだろうね。
精神科医の特権かもしれない。
癒されそう。
体力は使うんだけど、土の感触はなんか久々に良かったね。
ちょっと土ほじけるだけでアリダの虫がたくさん湧いてきたり。
そういうのも家ん中にいると嫌だけどさ。
でも畑に行ったら虫がいるのは当たり前だし、そんなに不快な感じはなかった。
不潔な感じは全然ないね。
さつまいもだけですか。なんか時期によっていろいろですね。
こんばんは、どうもこんばんはです。
今日も短めで行きます。
特段何か話すものもないし。
今日はいろいろ良かったな。
その畑仕事終わった後、一番詳しいね、おばあちゃんがいるんですけれども。
その方の便のね、便秘になったり下位になったりなんかその酸化マグネシウムの量の調節がいつも難しくてさ。
結構プリプリ怒ってるおばあちゃんなんだけど。
ずっとそれだけで多分4、5ヶ月ぐらいずっと記録をつけてさ。
マグネシウム何ミリグラムにするとちょっと多かったねとかって、
なんか僕と週1回ずっとなんかその便の話をするっていうのをずっと続けてるおばあちゃんなんですけどね。
最初認知行動療法やろうと思ったんだけど、なんか全然理解力が乏しいんで。
じゃあちょっと便の硬さの話をしようって言ってすごく具体的に。
とりあえず週1回話をしてる人で。
で、最近はもう緩いと。
もうなんかね、お薬減らしても緩くなってきちゃって、もうどうにもならんっていう感じだったんだけど。
なんかね、で僕としてもどうしたらいいのかなーってこの人、加減ができないんですよね。
もうすぐなんかこう、かつてすごい便秘で便がカチカチになって、それで肛門が切れたのがもう怖くて怖くて。
やっぱりこう、マグネシウムの量を減らすってことが怖いんだと。
下剤の量減らすとまたカチカチになっちゃうかもしれないっていうので、なかなか減らせなくて、でも結局下痢PPでさ。
なんかどうしたもんかな、うまく調節いかないなーなんてずっと思って、1,2ヶ月過ごしてたんですけど。
なんかデイケアの看護師さん、看護師のおばあちゃんがさ、もうなんか、いやあなたなんかまだマシよ。
病棟なんてもっとすごい人いるんだから。
もう便が出なくて口からうんこ臭い人だっているのよとかって話を聞いて。
なんか、あの別に下痢でもいいかなとかさ、別に完璧な硬さを目指さなくても、
まあ毎日下痢だと辛いけども、1日2日下痢が続いたとしても、なんかいいかなって思えたのよねって言ってさ。
なんかそのデイケアの看護師、看護師おばあちゃんのなんか謎のその、もっとあんたなんかマシよって、
もっとひどい人なんかいるんだから世の中にっていう、その一言がなんかすごく救われたみたいだよ。
で、それからね、なんかそれを言われた日から、なんか急に便への執着とかとらわれが減ったせいなのか、
急に下痢が収まったんですよね。マグネシウムの量を一切いじってないのに。
要するに今まで便がどうしようどうしようって悩んでたのを、一旦ちょっとこう、まあまだマシかって言って、
急にその緊張や不安が和らいだせいなのか、急にその下痢が収まったって。
で、今日だからその晴れやかなね、いつもよりもなんか元気そうだなって、晴れやかにそのさつまいものなんかね、こういろいろ作業してて、
あ、よかったなと思って。
結局それってあのモリタ療法で言うところの精神交互作用って言ってね、
気になるから気になる、だから気になるっていう風に、
ある症状に注目するとそこばっかり見ちゃって、さらに症状がひどくなるっていうことがあるんですよね。
例えばこう、なんとなくこのね、左肘が痒い気がするって言ってなんか書き始めたとするじゃないですか。
そうするともっともっと痒くなってきてまた書くじゃないですか。そうするともっともっと痒くなってきてもっともっともっと書くじゃないですか。
っていう感じでなんか気になれば気になるほど、さらに症状が悪化してまた痒くなるって。
まあそういうのを囚われとかって言ったりするんですけどね。
一旦弁に対する執着とか囚われを、囚われから一旦ね、目をそらしてみると、
意外と症状が治るもんだなって。
僕の意図しないところでね、なんか認知行動療法とは全然別のところで、なんか急に良くなっちゃったっていう話。
執着を手放す重要性
えーこんばんはどうも、うーろん茶ありがとうございます。
なんかいい話題で、うーん、こんばんはどうも。
まあある意味でうんこも汚いものですし、まあそうやって土をいじって手を汚すっていう作業が、
なんかそのうんこの話題を誘ったのか、なんか話しやすくしてくれたのかもしれないね。
そうやってなんか非常に清潔でクリーンな病院という建物の中じゃ、出てこないような話というかね。
場所変えるとまた話の話題も変わってきたり、そういうふうにするもんですよね。
実際不眠とかね、その囚われってやっぱ結構大きい気がしますね。
ちょっと目の上のね、あたり皮膚がピクピクってしただけで、もうそればっかりずっと言い続ける人いますもんね。
このピクピクが収まらないんですとかって言ってさ。
で収まらないなと思ってたら、今度左手の薬指がなんかピリピリしてきましたとかさ。
そういうの不定収束っていうんですけど、ある症状に着目すると、
もうなんかもぐらたたきみたいにどんどん症状がどんどんどんどん増えてくる人がいるんですけど、
でも実際その大元にある症状って何もないんですよね実は。
例えば誰かに脅されたりとかね、あるいはネットとかスマホでたまたま怖い情報を見ちゃったりとか、
大元を正すとただ怖いとか不安っていうその気持ちだけしかなかったりするんですよね。
実際にその皮膚には全く何の問題もないし、どれだけ検査しても何の異常も出てこないんですよね。
不安が不安を呼んで実際に症状になってしまうっていうことは、精神科の世界では結構あるんですよね。
こんばんはどうも。
だからどうしても解決しないなっていう問題があったら、
一旦そこのとらわれから離れてみる。
一旦何の解決にもならないんだよ。
でも一旦ちょっと別のところに視線を送ってみようかなって言うと、
意外と解決しちゃうこともあるんだと思うんですよね。
だから患者さんから教わることもあります。
そうやって僕の意図しないところで下痢が治っちゃったんで、
これはいいことを聞いたなと思って。
ちょうどね、最近その仏教の執着と合宿の話をしましたけど、我に執着する。
自分でこうしたいんだ、ああしたいんだとかね。
執着と解放
弁の固さをもっと固くしたいんだと。
でも今度固くなりすぎると怖いからやっぱり柔らかくしたいんだとかさ。
自分のがをどんどん貫けば貫くほど辛くなってくる。
一旦その執着からね、解放されると突然何も症状がなくなる。
先生こんばんはどうも。こんばんはです。
なんでそのね、今まで不安とか怒りとかでなかなか調節がうまくいかないおばあちゃんが、
なんで突然そんな仏様みたいな悟りを開いたのかわからないけどもね。
でもそれがいつどのタイミングで来るかわからないけど、
でもなんか多分ちょっと振り返ってみると着々とその悟りを開くことに向けてね。
執着から離れることに向けて今まで多分ちょっとずつ準備は進んでたんだと思う。
だから週に1回の面談とか弁の話をし続けて袋工事に入り込んでしまうこと。
結局これどういうふうにいじってもなかなかうまくいかないねっていうふうにお互いさ、
治療者も患者ももうなんか途方にくれる。
そういうのが何週間も続いたんですけど、なんかその体験は大事だった気がしますね。
どれだけ頑張っても結構何もうまくいかないねっていう途方にくれる感じが結構あったんですよね。
そこに来て急に何かパーッと視界が開けるというかね、
突然なんか日の当たる野原に出たような、ずっと出口のない暗いトンネルから抜けたような感覚はありますね。
だからそのトンネルにもきっと意味があったんだと思うんだけどね、今振り返ると。
だから悩んだり、とりあえず無意味だなと思いながらも、
ちょっといろいろ試行錯誤し続けることも大事だったのかなと思いますね。
その上で最後パッとこう潔く手放す。
風呂んちはどうぞどうも。
そういう何かね、いい発見がありました。
執着しない。
執着しないって結論に至るには、徹底的に執着し続けるっていうプロセスも結構必要なんだなとかですね。
だから執着し続けもせず、ただひたすら何かこう、現実逃避をしてね。
見て見ぬふりをするっていうのもやっぱり良くなかったと思うんだよね。
弁の問題はあるんだけど、もうそれはもう先生の下材の調整がおかしいんだからっていうふうに他人のせいにして、
あんまり自分でね、ろくにいじろうともせず、確かめようともしないっていうその多責的で、
他人任せのね、自己愛的な防衛の中に引きこもっちゃうと、
なかなかこの執着を手放すっていうところまでいかないんじゃないかな。
まず徹底的に執着について考え続けるとか、
便秘症の患者の体験
その何か自分の執着と向き合う期間が何か必要な準備期間だったのかもしれないね。
これはまだ本当に手探りというか、何となく今日のインスピレーションでね、話してるだけですけど。
先生こんばんは、どうもです。あともう5分ぐらいで終わります、この配信は。
今日はさすがにちょっともう体が疲れてるんで。
執着から解放、無意味だと思っていても試行錯誤。
すごく悪いまずパターンを言うと、その患者さんが便秘症の方の、結構怒りっぽいね。
なんかこうカリカリするおばあちゃんなんですけども。
だから便秘以外にも本当にいろんな問題があって、
しょっちゅうスタッフにね、あれが足りない、これが足りないって文句を言ってスタッフから反感をくらうみたいな、
ちょっとそうやって揉め事が多い感じの方だったんですけども、すぐなんかこうね、強く言い過ぎて、
なんか支援者側がなんか陰性感情を持っちゃうような感じだったんですけど。
そうやって今まではね、僕と出会って便について語り合うまでは、
その方はもう酸化マグネシウムの量なんてね、処方料なんて私わからないから、
もうあの主治医の先生に全部お任せします。
看護師さんに全部もう丸投げみたいなさ、医者と看護師にポイって丸投げして、
もうなんかとにかくいい感じの量出してください。
それ飲みますからって言って飲んでみたら、なんかお腹下しちゃうし、
それを言って調整してもらったら今度便秘になっちゃうし、どうなってるんですかっていう多責的な態度で、
多分この人はずっと今までの人生やってきたんですよね。
私わからないんで、先生お願いしますとかって言って一見なんかこうね、
仕立てに出てなんか聞き分けがいいような風にするんだけど、後々文句言ってくるっていうね。
なんかいざうまくいかなくなると、なんか任せたのにうまくいかないじゃないですか先生っていう感じで、
主治医を詰めたり看護師さんに当たったりっていう感じでこの人は多分ね、
そうやって回避してきた人なんですよね。
僕がやったことっていうのは非常にシンプルで、
まあ認知行動療法そのまま導入したら失敗したんで、
その人に記録をつけてもらったんですよね。
便の固さを1から7の数字が評価尺度があるんですけれども、
それをまず本人に教えて、
まずそれで評価してくださいと。
要するにまず固さを数字で表してくださいと。
あなたはね、紙に今日の日付と曜日と便の回数と固さそれぞれ、
あとその日に飲んだ下剤の量を全部書いてくださいと。
あと他にね、例えば飲水量とか食事の量とか、
何項目か毎日付けさせたんですよ。
本人ももうどうしようもないからじゃあやりますっていう感じでさ、
このまま医者に任せてもしょうがないしっていうところまで行ってたんで、
じゃあやりましょうっていう感じですんなり始まって、
いろいろうまくいく時期もあれば突然急に大雨が降ったり、
大風が吹いて暴風みたいになっちゃって、
その日はお腹くだしちゃったりとか、
なかなかうまくいかない期間もあったり、
行く期間もあったりっていうので一心一体を続けて、
ここ最近もう全然ダメになっちゃったんですよね。
なんか尿炉感染か何かで抗生剤飲んだ後、
抗生剤のせいなのか腸内環境が腫れて、
もうずーっと下痢です先生みたいなこの1ヶ月間、
毎週その人と会うたんびにもう下痢です、
お尻が緩くてもうね、お尻の穴もヒリヒリするし、
もう本当に最悪ですみたいなのをずっとひたすら聞き続けてさ、
それでも記録をつけて、
もしこの2日連続で下痢が続いたらじゃあ0.5ミリ少なくしてくださいとかさ、
本人に調節方法も全部伝授してね、
僕が量を指示するんじゃなくてあなたが考えてください。
記録表を見て2日連続でこうやって続いてたらじゃあ下痢の量が多いから減らしてとか、
逆に2日連続で固くなってたら下痢の量をこれだけ増やしていいよっていう風にルールを決めて、
もうずーっとこの5ヶ月間かな、やってきたんですよね。
ここ最近それでもうまくいかないんだ、うまくいかないんだ、
先生の言う通りそのルール通りやってんだけどうまくいかないんだ、どうしようどうしよう、
でさっきの看護師さんからのおばさんからの一言、
いやあなたなんかまだ良い方よ、まだマシな方よ、
精神科の病棟に行ったらもう平気でなんか1週間ぐらいうんこ出てない人いるから、
口からうんこの匂いするんだからとかって言われて、
なんかそこで急に肩の荷が下りたみたいなんですよね、
あそっか、
私なんかこうね自分の理想の便の形にするためにすっごい毎日悩んで記録しつけてたけど、
でも結構マシな方なんだなってなって、
確かに考えてみると自分よりもっとひどい人周りにいるんだわ、
だったらまあ100点満点じゃなくてもまあ50点60点ぐらいでいいかな、
自己管理と悟りの開き方
なんか急にこう肩の荷が下りたみたいなんですよね、
そうしたらその結局いい感じのね硬さと量になったっていう、
もちろんその下剤の量を一切調整せずにね、
なんか気持ちの心がけだけで便の量と硬さがすべて調整され、
なんか結果往来みたいな、
今日笑顔で畑仕事してるおばあちゃんがいてさ、
ああなんか不思議なもんだなって、
なんかあの岡田斗司夫のレコーディングダイエットじゃないけどさ、
結局他人任せで他人に言われた通りやってもうまくいかないじゃないってプリプリしてる間は、
なんかね自分事じゃないんだよね、
本当にこれ私がやんないとまずいんだなっていう風に、
自分事になった時に何かこの悟りを開くんじゃないかなって思いましたね、
人に任せて人の悪口言ってね、
全部日本が悪いのは政治家のせいだとかって言ってね、
政治のせいにしたりだとかさ、
まぁわかんない、
政治はちょっとごめんなさい、
言い過ぎかもしれないけど、
とにかくなんか自分事として捉えずに、
常に誰かを責めてね、
誰かの誰の首を切ったらいいかみたいなことばっかり考えてる人っていうのは良くならないんですよね、
全然まだ自分の問題に本当に本当の意味では向き合ってないんですよね、
これが誰にも言い訳ができない、
自分の調節の結果は上手くいかないんだっていう風になった時に、
何かこうパーッと開けてくるんだと思う、
だから悟りの開き方っていうのも色々あるんでしょうけど、
まずは人に任せにするんじゃなくて、
自分で色々もう色んなやり方をやって、
しかも先生に言われた通りやって、
科学的に正しい方法をやった、
だけど上手くいかないじゃないっていう、
この途方にくれる感じがまず必要なんだと思う、
そうするとさ、もう今までみたいに、
医者のせいとか看護師のせいにできないんですよね、
だって自分が管理した結果はこれなんだから、
そうやってある種の底つき体験というか、
これ本当にヤバいやつじゃないっていう本人が納得するんですよね、
今まで医者に言われて、
あの医者のやり方がおかしいんだとかって言ってたんだけど、
そうじゃなくて自分がそのやり方でやったら自分で上手くいかなかったんですよね、
そこがずっと1ヶ月間続いて、
ある種のこういう行き止まりというかね、
袋工事に入り込んだおかげで、
便と自己理解の変化
まあいっか、まあ別に100点満点の便じゃなくても、
まあ毎日下痢は辛いけど、
まあ1日2日下痢が続いてもまあいっか、
っていう風になんか急に思えるようになったみたいなんですよね、
これってすごい急な変化で、
本当にこの1週間ぐらいの変化なんですけど、
今までこの半年間ずっとこうね、
あれでもない、これでもない、
自分の理想は全然こんなんじゃないとかって言って他人を責めてた人が、
この悟りの開き方ほんと一瞬ですね、
この1週間ぐらいで、
あれってこの土日を挟んでなんか別の人になってたみたいな、
まあ準備期間はあったんでしょうけど、
急になんか便が良くなっちゃったんですよって、
って言ってその方が、
先生いろいろお騒がせしましたって言って僕に頭を下げたんですよね、
いやこれはなかなか大したもんだなって、
今までだったらこの人は自分からありがとうなんて言わないからね、
それがなんか僕に対してね、
なんかありがとうございますって感謝できたのは素晴らしいなと思って、
これはだからちょっと抽象化して言うならば、
自己愛的な性格の人が、
その自己愛的なね、
引きこもりの防衛の中からちゃんと現実と接触して、
自分自身の行いを変えたって、
だから内側から自分を変えたっていう話ですね。
自己愛的に人のせいにしたりして、
まあ自分は被害者なんだっていうポジションでね、
満足してずっと被害者ポジションでなお逃れてきた人が、
自らその自分の殻を破って、
自分自身の性格を変えつつあるっていう、
そういうふうに精神分析的には捉えられるよね。
たかが弁の話なんだけど、
結構これは性格改善とか、
生き方の抜本的な軌道修正とか、
そういう根本的な話にもつながってくるのかなと思う。
これを機に、この方はもしかしたら弁以外の、
さまざまな生活に不満があるかもしれないし、
いろんな人に文句を言ってきたかもしれないけど、
そういったところにもこの方法論を応用できるかもしれない。
そうすると自分の誤りに気づいたり、
自分の優遇の効かなさとかね、
下痢かカチカチ弁かじゃなくて、
そのうまい中間具合をうまく融通を利かせて、
矯正していけるようになっていくんじゃないかなって。
100点か0点かとかね、白か黒かではなくて、
ちょうどいい塩梅の灰色をこの人は見つけつつあるなっていうふうに。
僕もなんか勉強になりましたね。
ちょうど僕の関心領域とぴったり当てはまる患者さんでさ、
弟のこの自己愛的な話とも、
ちょうどこの患者さんがリンクするなと思って、
非常に興味深く今日は感じましたね。
なので弟もね、自分の弁は自分で何とかするじゃないけど、
自分の就活はやっぱり自分で何とかしてもらいたいもんですね。
それでうまくいかないっていう体験も、
ある種の底つき体験も大事だと思うんで、
そこからね、自分自身の性格を内側から変えようとか内発的に、
自分の手で壊してみようっていうふうにつながると、
いいなというふうに思いますね。
人から言われてね、お前こうしろあしろって言われると、
人は変わらないですからね、かたくなに。
非常に今日はなんかいいヒントをもらいました。
精神分析的視点
下際のところから実はなんかそういう精神分析の話につながってくんだなっていう。
僕がそういうね、精神分析的なものの見方をする人間なんで、
僕がそういうふうに感じたっていう話ですけども。
はい、ということで終わります。
脳と腸のリンクとかもね、そうですね。
腸の話をすることも結構精神科ではよくあります。
あと精神科の薬自体がね、かなり重度の副作用で便秘をもたらすんで、
よくある主題なんですけども。
お疲れ様でした。
お送りしましたのはさしみちゃんでした。
はい、失礼します。
29:50
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