1. 黒木瞳の映画ここだけバナシ
  2. 23_2 映画とテレビドラマの脚..

今週と来週のゲストは脚本家の根本ノンジさん!
映画にドラマに舞台にバラエティなどフィールドを越えて大活躍の根本さんですが、今回は「テレビドラマと映画の脚本の違い」についてここだけバナシを伺ってまいりたいと思います。

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サマリー

映画とテレビドラマの脚本の違いについて話し合われています。映画監督である根本ノンジさんが、映画とテレビドラマの脚本作りについて語っています。また、事件物や推理物の脚本についても説明されました。

脚本家 根本ノンジさんの経歴
主婦の方が洗い物をしながらでも内容が分かるように作りなさいよ、というふうに言われたんです。
要はご飯を作りながら、食べながら見ているので、絶対画面を見ていないので、ずっと見ていないんですよ。
いやいや、眼見して見ている方多いと思いますよ。
黒木瞳の映画ここだけバナシ。
黒木瞳の映画ここだけバナシ。
今日も聞いていただいてありがとうございます。
映画に携わる様々なジャンルの方々と、ここだけバナシをしていきます。
今回のゲストは、前回に引き続き脚本家の根本ノンジさんです。よろしくお願いいたします。
根本ノンジです。よろしくお願いします。
根本さん、ノンジというのは珍しいのですが、本名。
これはもうペンネームです。
ペンネームでらっしゃる。
本名はもう普通の地味な名前なんで、これもいつだったかな。いつの間にか小学生ぐらいからこうやって呼ばれていて。
ノンジ、ノンジって。
それでそのまま使いました。
そんな本気で脚本家というか放送作、放送作の時もこの名前だったんですけど、そんなにちゃんとやるつもりがなかったというか。
なので、このあだ名でいいやと思っているうちに、このまま動き出しちゃったんで、今更戻せないと思ってこのままになったんです。
じゃあ子供時代の同級生の皆さん嬉しいんじゃないですか。
そうなんですかね。
そうですね。
皆さんそうやって呼んでくれてたんで。
そうですね。
愛着のあるお名前なんですね。
もともと子供時代からエンタメがお好きだったということですが。
テレビ映画大好きでした。
テレビ映画、漫画ですかね。
もう本当。
作り物というんですかね。
それが好きで、とにかくテレビばっかり見てましたね。
ドリフターズとか氷金属とか大好きだったと。
真似してずいぶんとやってましたね。
中学時代に文化祭でコントを披露したことがきっかけで、自分が書いた台本を他の人に演じてもらう喜びが生まれた。
そうですね。小学校の頃はモノマネとか自分でやってたりしたんですけど、中学の文化祭で出し物で何人かクラスのメンバーが集まってコントをやろうってことになって、
そのときは何かのハロディのようなコントを作ったときに、
自分よりもクラスの面白い人気者にやらせるというか、これやってみてって言ったら意外とうまくいって、それがまた楽しかったんですよね。
ちょっと稽古をするじゃないですか、コントにしろ漫才にしろ。
もっとこうしよう、ああしようっていう、若干演出的なことをそのときもやってて、
ああ、だったらこっちのほうがいいよとか、このセリフに変えようっていうのを結構やってて、それが楽しかったんですよね。
んー、じゃあもう中学時代から脚本家としての才能がもう開花しだしたんですね。
子供時代の映画愛と脚本家の才能
楽しかったのが一番ですね。
でもバラエティーから放送作家からいろんなもの、そして映画、ドラマと幅広いんですけれども、根底にはやっぱり笑いがあると。
基本的にはドリフトアウトで見たときの最初の面白さからずっと同じようなことをやってるような気がしますね。
そこから笑いってなんだろうとか、物語を作るのってなんだろうって考えてるうちに、
結局笑いも悲劇もコンテも同じだなと思って、
笑いがあれば笑いから涙も生まれるなっていうふうになった感じがしますね。
具体的に勉強したって感じでもないんですけどね。
映画を見たりドラマを見たり漫画を読んだり小説を読んだりしてるうちに、
こういうメカニズムなんだなーってなんとなく思って入ってる感じなんですよ。
自分がうまく耐えられないんですよね。
たまにシナリオ学校の講師とかやらせていただくんですけど、
説明できないんですよ、うまくは。どうやって書いたらいいか。
素晴らしい先生たちが一生転結で、ここでこうして、ああしてっていうのを言うんですけど、
同じとこの感覚で書いてるので、ちょっとわかんないですよね。
笑いがコンテにあるって、私今日は、
ジャン!犬神家の一族という、根本さんがおかきになった私を演じました、
松子を演じましたけど、全く笑いがございません。
たしかに。
呪いしかないんですけど、どうしたらいいですか。
やっぱり呪いの中にも笑いがあるんですか。人間のおかしみみたいなものでしょうか。
そうですね。でも松子さんに関しては、ないですよね、一切笑いがね。
近代知事の方にはね、多少であったんですけど、松子さんはもう猛烈なあれですよね。
一筋ですよね。
そうですね。すごいですよね。
子供愛、子供への愛というか、執着というか。
素晴らしかったですね。あれ大変じゃなかったですか、あの回想の。
もうね、本当にね、本書く方はいいですよね、演者としては思いますね。
映画とテレビの脚本の違い
もうね、本当に雪降るね、もうマイナス何度みたいなところでですね。
それでね、その中であえて風、風を吹かせて、そして雪を回せて、そして雨が降ってきて、
もうどんなに寒かったかも。もういいですよね、書く方は。
いやいやいや。でもあれが、もう聞き迫るシーンですよね。
本当にあの子供をね。
しかもね、愛人の珠江さんに水をかけるじゃないですか。
それがね、もう気の毒で気の毒でね。
もうそれでもみんなでね、もうスタッフからキャスティング、キャストからみんな彼女をかばうというか。
いたわって。
早くもう日のそばにいらっしゃいって。
水かけられてない、私でさえこんなに寒いのに。
もう早く日のそばにいらっしゃいみたいなね。
もう本当に寒かったです。
この犬神家の一族って聞いたら、過酷な、内容も過酷ですけど、過酷な撮影現場を思い出しますね。
しかもね、何県から何県、ちょっと覚えてないんですけど。
もう何県から何県に行って何県に戻ってくるみたいな。
なんかそれは聞きました。もう大変だったってロケが。
だいたいもう睡眠時間2時間ぐらいで。
もう本当にあの。
すみません、本当そうですよね。
まあそういう過酷な撮影もありますけれども。
でも書く人はいいですよね。
いやそうですね、確かに。
もう何回言った、今日私。
気の毒、確かに気の毒だなと思ったら書いてないですよ。
やっぱりその時は物語を面白くしよう。
どうしたら悲しい、悲しい、切ない、ひどいになるかなっていうのしか考えてないんで。
確かにそうですね。
じゃあどうやって撮るんだって怒られると。
怒ってない、怒ってない、怒ってない。
素晴らしいね、横溝聖史さんの素晴らしい作品をやっぱりテレビドラマに書かれるわけですから。
そのご苦労っていうのはもう本当に私なんかがもう想像できないようなご苦労があると思うんですけれども。
どのようなご苦労がありましたか。
でもまあ犬神家は割と原作、いろんな犬神家があるじゃないですか、もう昔からの。
でも割と一番原作に忠実に作ったつもりなんですよ。
特にトリックだとか、いちかわくん先生の省いてるようなやつを割と入れたりとかして、
割とそっちに忠実に作ったので、原作ファンの方は割と喜んでくれたみたいなんですけど、
そこをちゃんといちかわ先生のものじゃないものを作ろうよという意思で作ってた気がします。
それは映画とテレビの違いでもあるんですか。
そうですね。それは基本的にあると思うんです。
映画館で見るものとテレビで見るものの脚本は違うように作っているつもりです。
もちろん映画はそんな経験がないので、あんまり原作のほうで言えないんですけども、
そういうつもりで書いてます。
一番違うのはやっぱり見る環境が全く違うので、
映画館はちゃんともうお金を払って、
その2時間ないし3時間、その空間でずっと見るじゃないですか。
何の遮断もなく。
テレビってやっぱり何かしながら見たりCMも入るし、
あとはやっぱり日常生活の中にあるものなので、
日常生活に邪魔にならないような物語というんですかね。
なので割とセリフ回しも、
昔僕が先輩に教わったのは、
主婦の方が洗い物をしながらでも内容がわかるように作りなさいよというふうに言われてたんですね。
ご飯を作りながら食べながら見てるので、
絶対画面を見てないので、
ずっと見てないんですよ。
いやいや、眼見して見てる方多いと思いますよ。
特に今長らみは多いと思うので、
そうなると絵でわかるものじゃない、やっぱりセリフでわかるものを
説明セリフというんですかね。
それは若干増えてしまいますね、そこの。
絵でわかるものも、
あ、虹だみたいな。
言わなきゃいけないというか、
見てわかるだろうって言うんですけど、
そしたら洗い物して虹が映ってんだってなるんじゃないですか。
こうら辺は意識してますね。
なので終わった人の時は全くそういうの気にせず描いた。
映画とテレビドラマの脚本の違い
でも犬飼い向けの時は特にちゃんと説明しなきゃいけないことが多い。
特に事件物ですかね。
事件物、推理物。
相棒なんかもそうなんですけど、やっぱり説明しなきゃいけない。
そうですよね。
それって役者さん嫌いますよね、説明セリフって。
やっぱり感情ゼリフの方が覚えやすいですよね。
やっぱりそうですよね。
何丁目で誰々が殺されて、
犠牲者はこいつとこいつだってベラベラって説明しなきゃいけない。
でもしなきゃいけない時があるじゃないですか。
それがね、やっぱり申し訳ないなって。
あと名前。
やっぱり名前を言わなきゃいけないじゃないですか。
例えば事件であったりとか弁護士もそうですし、
あと私は総理大臣の役もやったことがあるんですけども。
とにかく名前を言わなきゃいけないから。
やっぱりお客様に名前を想像してもらう。
この加藤さんという人がこの役者さんですよっていう風に分からなきゃいけないので。
それを回想でその絵を入れるっていうだけではなくて、
やはりこの人がこれで、この人がこれでっていう。
そういう説明を分かりやすくお客様に伝えるということも心がけてはいます。
前のシーンで出てきたあの加藤さんを、前のシーンで出てきた人は言えないですね。
事件物や推理物の脚本について
何々の加藤さんって言わなきゃいけないから。
時々これ名前ではなく、例えばおっしゃったようにおととい亡くなったっていうのを入れていいですかとか。
例えばそういうようなことは監督と話をしたりとかはしますけれどもね。
現場でわりとディスカッションは多いですか?説明ゼリフだけではなく。
割と台本であれこれ伝わりづらいんじゃないっていうようなことは割とやりますか?
そういう時はちゃんと監督やプロデューサーの方とミーティングします。
必ずおっしゃるのは、脚本家に確認します。
やっぱりそうですか。オッケーオッケーってやらないんですね、やっぱり。
必ず脚本家に確認いたしますっておっしゃいます。
それにされたことはあんまりないですけど。
される時もあるんでしょうけど。
でも時間との戦いみたいな時もありますのでね、テレビドラマだとね。
ですからそれは監督判断、ディレクター判断ということになりますけれどもね。
物語自体を変えてるわけではないので、大きく変える場合はやはりちゃんと膝を付き合わせて話をしなきゃいけないんですけど。
よっぽどそういうことはたまにありますけど。
これは言えないみたいなことあるんです。これ絶対無理じゃない。
このセリフ全く繋がってないじゃんみたいなことって。
ありました。
どうされるんですか。
まず書かれてある脚本を、このセリフをどういう意味ですかと。
私はこういうふうに理解しているのですが、どういうことですかって言って、こういうことですっておっしゃるじゃない。
そうすると、じゃあその今伝えたいセリフがこのセリフに活かされていないので、ここを考えていただけますかっていうこともあるし、
自分が演じてきているので、自分がどんどんどんどん役に近いわけですよね。
そうすると、その役の人なら何て言うんだろうって考えて、ある程度叩き台のセリフもアイディアとして用意させていただいて、そこからミーティングします。
例えばこういうことどうですかと。
まあそうですよね。それでも言わなきゃいけないシチュエーションってありましたか。
全然わかんないけど、でもこのまま言ってくれと。
それはないです。
やっぱりないんですね。そこはちゃんとミーティングして、じゃあこうしましょうってなる。
やっぱりみなさん柔軟でらっしゃるし、もちろん頭もいいですから、
私なんかが考えるよりかは本当にいい正解を持ってらっしゃるんだろう。
若い俳優さんと話すと、もうそんなことも言えないと。
自分に与えられたセリフでむちゃくちゃだなと思っても、たとえば2つ3つしかないと、
こんなディスカッションもできないと言うしかないっていうようなことは聞いたんですね。
そうするともう、それが伝わってるか伝わらないかなんとか。
でもそれはね、演じてて顔に出てるから。
なるほど。
なので、変えちゃえばとか言っちゃいますね。
言っちゃえばとかその監督に。
なるほど。
逆に年配の我々がアドバイスしたりとかするときもあります。
そうですよね。みんなで作ってるものですからね。
だって意味が通じないもん。
確かに。
僕もそれは常々思ってて、昔の先生方は別でしょうけど、
結局脚本ってそこの現場で入るとまた変わるものだし、
どんどん変わっていくものじゃないですか。
舞台なんかは稽古で変わってきますけど、
舞台やってたからかもしれないんですけど、
その変わることにあんまり抵抗はなくて、むしろより良くしてもらって、
じゃあこれもっと違うパターン考えてよって言われたら考えますし、
そこはわりと柔軟なんです。
絶対こうでなきゃいけないっていう先生もいらっしゃるんでしょうけど、
そこはあんまりないんですよね。人によるんですね。
やっぱり立ってセリフを言うとまた変わってきたりとか、
やっぱりどうしても自分もセリフを覚えるときに、
立ってみて相手の方と一緒にやると、あれこれ言えないみたいなときもあるから、
やっぱり気上の空論でしかないみたいなときもあるんですよね。
そうですよね、やっぱりね。
話がいろいろ飛びましたけれども、いろんな話をしておりますけれども、
脚本作り、いろいろなことを根本さんに伺いたいと思います。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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