肉じゃがは、崩れれていれば崩れているほどいい。
じゃがいもは形を失い、煮汁と一体化し、もはや粕汁、濁り酒みたいになってるくらいが理想。
玉ねぎは箸ですくえないほどトロトロで、人参は流石に煮崩れは外部の力がないと難しいので、縁がふわふわしている感じ、肉はトロトロまたはカチカチ、肉かすも煮汁に溶けまくる(日高屋の野菜炒めみたいに)。糸こんにゃくをすくえば、まわりにじゃがいもの粒と玉ねぎの残骸がまとわりついてくる。あれがいい。
だから私は、人生で唯一行った料理教室の初回体験を、いまだに忘れられない。
体験メニューは体験オブ体験の肉じゃがだった。
そこでは「煮崩れないこと」が美徳とされ、じゃがいもは角切り、油でコーティングされ、ピッシリと形を保っていた。丁寧に作られた、あまりにも整った肉じゃが。
火は通っているはずなのに、口に入れるとシャーっと音がする。包丁を食べているような錯覚。飲み込むと痛ささえ感じる。
煮汁も、醤油・みりん・砂糖がそれぞれ別行動をしていて、全然手をつないでいない。馴染んでない。とても気まずい飲み会みたいになってる。現場も実際にそうだったから、この空気感を感じて調味料たちがこんな風になってたんだろうね。
「これは肉じゃがじゃない」と泣きそうになりながらも、エプロンを着ること、手を洗うこと、計量すること、みんなで作って一息つきながら食べること、その空間自体はとても素敵だとも思っていた。料理って素敵!愛おしい!めんどくさいものじゃないし、手際良くする必要もない!
でも、私が再び料理教室に行くことはなかった。
今日、祖母が持ってきてくれた肉じゃがは、最高だった。
煮崩れまくり、じゃがいもは煮汁に溶け、家だから視線気にせず、汁を冷めたご飯にかけてジュルジュル言わせながらスプーンで味噌汁ご飯のように食べる。
料理教室日はみんなの視線が逸れたタイミングで急いでツヤツヤのご飯にかけて煮汁を飲み干したことを思い出していた。
肉じゃがの肉は、関東は豚、関西は牛だと言う。「ケンミンショー」はすぐ県民性で分けたがるけれど、私の家にはその前に「選択肢が豚しかない」という現実があった。
牛か豚かで語れるのは、それだけで豊かなことだ。ぎゅうもあるんだ・・・!と知った時の絶望と現実。漫画ならトーンだいぶつけられてる。
牛肉の肉じゃがは、きっとすき焼きみたいで、ちょっとリッチで、卵を落としても美味しいんだろう。
でも私にとって肉じゃがは、ぐちゃぐちゃで、混ざり合っていて、豚の白い油があって、境界線が溶けているものだ。
きれいに作られた料理が、美味しくて、必ずしも正解じゃない!煮崩れは褒め言葉である。
【食い意地ラジオについて】
9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。
自我強くてごめん。
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