日本の夜は、王将の煙によって守られてるし、見えなくぼんやり、不景気も忘れさせてくれる。
疲れ果てた仕事帰りの人々が、隣の店がスカスカであろうとも我先にと列をなすのは、あの赤いテーブルとニンニクの匂いにしか救えない「脳の飢え」と餃子の王将でしか満たされない不思議な栄養分と、赤の机の刺激を目に入れたいからだ。
ディズニーの行列設計すら超える王将の凄みは、並んでいる間に強制的に「仕事の話」をさせることにある。
お酒が入る前のシラフの会議、これこそが日本経済を回す隠れた原動力なのだ。
そして、その頂点に君臨するのが、あの「底」である。
王将の餃子の底は、分厚さや焼き加減の問題ではない。あれは、北海道の雪道を歩くための重厚なスノーブーツのような、肉だねのすべてを受け止める「覚悟」の現れだ。数時間経っても、テイクアウトの箱の中でも、決して中身を裏切らない。
ちなみに、そもそも、お持ち帰りのパックではなく「箱」ってところもこだわりで素晴らしい。結婚式の引き出物のような立派な箱、これに餃子入れていいの?といつも思う。
もし私が王将の偉い人と結婚できたなら、まず真っ先に、あのスノーブーツのような「底面インソール」だけをくり抜いて、水を並々と注いだピッチャーを横に、バリバリと食べ続けたい。「底」のかすかなジャリジャリに歯を喜ばせる、食教授としての最高の贅沢なのだ。
【カステラ執刀医の密かな報酬!ざらめ団子!!】
長崎県民にとって、『底フード』といえば、カステラ。
カステラは単なる菓子ではない。それは「ザラメ」という宝石をいかにして掠め取るかという、静かなるオーディション会場だ。小学校の時のプールの宝探し。
私は子どもの頃から、スポンジ部分はあくまで「ザラメ」という本体を輝かせるための前座、あるいは言い訳に過ぎないと考えていた。
大人になった今、私は「カステラを切る」という重労働を買って出る。牛乳パックほどもある巨大な塊を、手がベタベタになるのも厭わず切り分けるのは、ひとえに執刀医だけに与えられる「紙フィルムの利権」のためだ。
スプーンではなく、フォークの一直線のエッジを使い、紙フィルムに残ったザラメの残像と茶色のカスを執念深くこそげ取る。それをラップでギュッと固めたとき、手元には「遊びすぎて乾いた泥団子」のような、醜くも愛おしい至宝が現れる。
食べ物の魂は、すべてその「底」に沈殿している。ザラメを奥歯の溝(十字架の真ん中)で粉砕し、忠誠を誓う^^
牛乳で流し込む瞬間の全能感。この「底」に詰まった権威と覚悟を研究し続けることこそが、肉まん顔から脱却し、いつか「王将の偉い人」へと近づく唯一の道なのかもしれない。
【食い意地ラジオについて】
9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。
自我強くてごめん。
食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。
自我強くてごめん。
食い意地ラジオみてね↓
https://lit.link/kuiizi
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!