① 「美味しい牛乳」の自己暗示と、白に染まれない自意識
世の中には「美味しい牛乳」という、あまりにも堂々とした商品名がある。あれはもはや食品ではなく、威厳に満ちた「洗脳」だ。自分から「私は美味しい」と名乗ることで、飲む側の味覚を強引に正解へと導いていく。その潔さに倣い、私も「賢い中村です」と名乗り続ければ、いつか美味しい牛乳現象が起きて、脳の語彙力不足も解決されるのではないかと夢想している。
けれど、そんな強気な私にも、朝食バイキングという名の「牛乳の結界」がある。
五島列島で育った私は、牛のミルク感を全身で受け止める「後藤牛乳」という野生の味を知っている。牛乳への愛は人一倍なのに、なぜか人前で牛乳を手に取るのは恥ずかしい。それは私が「牛乳を飲みそうなキャラ」すぎて、その期待を裏切ることも、全うすることもできない、中途半端な自意識の現れなのかもしれない。他の誰が飲んでいても気にならないのに、私が白い液体を飲むときだけ、世界が私のキャラを見定めているような気がして、結局コーヒーを手に取ってしまうのだ。
② コーヒーの「頑張りメーター」と、茶色い不穏な予感
最近、あんなに好きだったコーヒーが飲めなくなった。一口で「うぇっ」となってしまうのだ。かつて大学の課題に追われ、パソコンをパチパチと叩いていた「パチパチ族」の頃は、1日4杯は平気だったのに。
今の私は、いい意味で人生を諦め、頑張る体力を使い果たしてしまった。すると体の中の「コーヒー受容体」がこう告げてくるのだ。「お前、最近頑張ってないだろ? コーヒーを飲む資格はないぞ」と。
コーヒーからカフェオレ、そしてココアまでもが喉を通らなくなりつつある今、私は恐怖に震えている。もしこの「茶色いもの拒否」が食の方へ侵食してきたら、私の愛するハンバーグや唐揚げはどうなってしまうのか。
巷では「油っぽくない」「使い回していない油」が高級とされるけれど、私は断固として「使い回しの油」派だ。スーパーのしなびた惣菜に宿る、あらゆるエキスが溶け込んだ複雑な旨味こそ、揚げ物の真髄ではないか。もし茶色いものが食べられなくなったら、私はカキフライの衣を剥いで、その中のブルブルした身の部分だけをスプーンですくって食べる、孤独な富豪になるしかない。
③ 栄養ドリンクは「複雑怪奇なカクテル」である
最後に、栄養ドリンクという名の「甘すぎる聖域」について提言したい。
あれを薬コーナーに置くのは、もはや欺瞞ではないか。あの瓶の、戦時中の防空壕のような頑丈さは何なんだ。喉が乾き、栄養を欲している人間に、あんな硬い蓋を強いるのは拷問に近い。鞄の中でカンカンと音を立てるあの重み。
けれど、冷静に味わってみると、栄養ドリンクはこの世で最も「複雑でミステリアスな味わい」を持っている。裏ラベルを見ても呪文のような言葉しか書いていないのに、柑橘、バニラ、スパイスが絡み合ったあの濃厚なスイーティーさは、もはや「スペシャル・ブレンド・ドリンク」だ。
いつか、シャンパングラスに注ぎ、氷を浮かべて香りを愛でながら飲んでみたい。流し込むのではなく、舌の上の全細胞でその複雑な幸せを受け止めたいのだ。栄養ドリンクを「元気が出るおまじない」としてではなく、純粋な「嗜好品」として楽しむ。それが、頑張ることをやめた私が辿り着いた、新しい食の境地なのかもしれない。
【食い意地ラジオについて】
9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。
自我強くてごめん。
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