ちょっと続かせて、焼きそば話。
台湾の「焼きそばロール」という名の焼きそばを米粉で包む食べ物ゆえの胃袋拡張体験。台湾の漢方で相殺!わーい。
台湾の夜市は、食い意地の極限を試される場所だ。屋台の熱気に浮かされ、あれこれ食べ歩いた末の「締め」に選んだのは、米粉で作った分厚いクレープ生地で焼きそばを巻いた「炒麺餅(チャオミェンビン)」だった。
太巻きほどのサイズにカットされたそれは、一見軽そうに見えて、実は恐ろしい密度を誇っている。一口食べれば、もっちもちの皮とソースを吸った麺が、おにぎり一個分、いや焼きそばパン一個分の満足感で胃を蹂躙してくる。すでに満腹だったはずの私の胃は、その圧倒的な炭水化物の物量に、自らの限界を超えて新たな「余白」を拡張させられた。
不思議なことに、その直後にはもう餅を食べていた。台湾という場所は、薬膳茶ですべてのカロリーを相殺し、プラマイゼロにしてくれる魔法の地なのだ。もし胃の小ささに悩んでいる人がいるなら、私は迷わず台湾を勧めたい。そこには、自分の限界の向こう側へと連れていってくれる、力強い「餅」と「麺」の抱擁が待っているから。
おばあちゃんの意地!サバ味噌を洗う儀式
私の祖母は、カップラーメンもレトルト食品も、「今のこういうのは凄いんだよ」という私の説得も、彼女の鉄壁のプライドの前には無力である。おばあちゃんにとって、レンジでチンするパスタは「嬉しい食べ物」ではなく、どこか得体の知れない「手抜き・衰え」の象徴。
そんな祖母との冷戦に終止符を打ったのは、意外にも「生協(ララコープ)」だった。祖母が「サバの味噌煮を頼んでいる」と聞いた瞬間、私は歓喜した。生協のサバ味噌は、日本の定食界の頂点に君臨する、企業努力の結晶だ。確かに、概念としてのレトルトデビューは生協がピッタリ!!!!
ニコニコ笑顔の私の口角を祖母は一気に下げまくった。
やっぱり、おばあちゃんは変わらない。
「味が濃すぎるから、一度洗ってから食べている」
と言っていた。
洗う。あの完成された味噌だれを、水で流す。絶叫しそうになったが、それが彼女なりの「ひと手間」であり、市販のものは全て味が濃いと仮定している。企業に屈服しないための最後の抵抗なのだ。生協様でもダメですか・・。
祖母は、ポムの木に行けば「メニューが多すぎる」とブチ切れながらも、結局は私の頼んだ変わり種オムライスを「アボカドいいね」と横取りし、最後には厨房の奥へ「美味しかったです!」とプロ同士の挨拶のように叫びに行く。紙コップのスープさえも「勉強になるね」とプラスに変える、その小学生男子のような負けず嫌いさと好奇心。
祖母が「もう面倒くさいから作りたくない」と言いながら作ってくれたロールキャベツは、生協の既製品を一度洗い、改めて生協のトマト缶とコンソメで煮直したものだった。その余計な、けれど愛おしい手間の分だけ、スープは深い味がした。むしろ濃すぎたのでパスタソースと化した。
祖母がサバ味噌を洗わずに食べる日は来るのだろうか。いやこないだろうな。『薄味!』の鯖の味噌煮がたとえ新商品で出たとしても・・・。
祖母にとって『薄味』はどんな色でも全ての褒め言葉であり、オムライスの時もそう言っていた。ケチャップビシャがけなのに。でも、それまでは彼女の「薄味こそが正義」という、世界で一番頑固な美食家としての矜持を、私は隣で味わい続けていたいと思し、食体験は自由でいいし『美味しい』はある意味思い込みでもある。
【食い意地ラジオについて】
9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。
自我強くてごめん。
食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。
自我強くてごめん。
食い意地ラジオみてね↓
https://lit.link/kuiizi
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!