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2023-09-25 16:03

【ぶっちゃけ】うつ病の存在とうつ病に対する思考

#人生 #生き方 #人 #生きる #YOLO #幸せ #うつ病 #鬱病 #精神疾患 #メンタル #メンタルヘルス #アドラー心理学
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サマリー

杉山けいたは過去のうつ病経験を振り返り、うつ病の存在を考察しています。彼はうつ病は現実から逃げるために自分が作り出すものであり、限界まで向き合った結果として発症すると述べています。また、うつ病は自分が作り出している感情であり、捉え方次第でコントロールできるという感覚になったとしています。

うつ病の存在
どうも杉山けいたです。このラジオでは、日々感じたことや気づいたことなどをシェアしております。
今日のテーマは、【うつ病の存在とうつ病に対する思考】というテーマでお送りしたいと思います。
何回かラジオで言っているので、もし聞いてくださっている方は知っていると思うんですけど、
2,3年前にうつ病になったことがあって、最近それを思い出すというか、そのことについて振り返る機会があったので、
それを振り返りながら思ったことについてお話したいなと思います。
もし、自分ちょっとうつ気味だな、うつ気味というか、ちょっと最近気分が沈んでるなっていう人だったり、
そういう人が周りにいるっていう人は、ぜひ聞いてもらえれば何かプラスになることがあるんじゃないかなと思うので、
よかったら聞いてみてください。
というわけで早速話していきます。
うつ病のまず存在っていうところなんですけど、なぜそもそもうつ病が発生するのかっていうところなんですけど、
実際僕がうつ病になった時とかは、全然そういうの考えてなくて、
今になって思えることになるんですけど、
うつ病っていうのは、アドラー心理学っていう、心理学のアドラーっていう人の考え方かなっていうので、
最近僕が思ううつ病の存在をどう捉えるかっていうところなんですけど、
うつ病っていうのは、要は今ある現実から逃げたかったり、もうその現実に対して向き合えないって自分が判断した、
本当に主観的に判断するっていうより脳だったり体だったりが判断した時に、うつ病っていうのが出てくると思うんですよね。
それまでは必死にその現実に向き合おうとしたり、
頑張って何とか対処しようとして頑張った結果、もう無理だって自分の中の何かが判断して、
うつ病っていうものを発症すると思うんですよね。
別にこれは僕もそんだけ頑張ったんだぜとかっていう話じゃなくて、
ただただ自分の今思ったことだったり客観的に考えたことを話してるだけなんですけど、
なのでうつ病っていうのは、つまりはですね、
その現実、目の前の現実から逃げるために自分が作り出すものなんですよね。
僕の感覚で言えばね、僕の感覚とかアドラー心理学的に言えば、
その現実から逃げるために、逃げる理由を作るためにうつ病になると思うんですよね。
ただこれは、ここは結構間違えずに誤解してほしくないというところなんですけど、
ただ弱いだけじゃねえかとかではなくて、
そのうつ病を作り出す、作り出さないといけないぐらい、
もうやばいっていう状態になった時に、
多分うつ病っていうのを作り出すんだと思うんですよね。
その人なりのキャバシティ、その人なりの力量で対処できる限界まで来た時に、
もうその現実から逃げなきゃいけない。
じゃあ逃げる理由を作らなきゃっていうので、うつ病になる。
っていうのが僕の最近の考えです。
だから別にうつ病になる人は悪いわけでもなくて、
逃げ出すためにうつ病を作るっていう、
そういう感じではあるんですけど、
でもそこまでうつ病を作り出さなければいけないぐらいにはなってしまってるっていう感じかなと、
僕は最近思います。
うつ病の作り出し
うつ病になってしまう人っていうのは、
うつ病になる過程までは多分本人なりに何かすごいもがいて、
何か必死に対処しようとしたけども、
もう限界まで来てしまった時に、
現実から逃げるためにうつ病っていう理由を手に入れて、
必死に逃げようとしてる。
この逃げるっていうのは別に悪い意味ではなくて、
自分を守るために逃げなきゃいけないっていう身体が判断して、
うつ病っていうのになるんじゃないかなというふうに思います。
それでですね、ここからはちょっと、
何ていうか賛否両論っていうほどじゃないと思うんですけど、
ちょっと危険な考え方にもなりうるので、
あくまで僕の考えだっていうふうに思っておいてほしいんですけども、
実際うつ病になった人はうつ病を回復する、完全に治ることはないっていうふうによく言われています。
僕自身も、最近はあんまりないんですけど、
うつ病になってずっと家、部屋、布団から出れなくなった時に比べて、
ちょっと外に出たりとか、こうやって働けるようになったりとか、
人と関われるようになってからも、
時々すごく気分が沈むようなことっていうのは全然あったんですよね。
またうつになるんじゃないかって思うぐらいすごい気が沈んでしまったりとか、
すごく物事を考え込んでしまって、
ちょっとまたうつっぽい症状が出たりとかして、
何もやる気が出ない日みたいなのがあったんですよね。
以前までの僕は、それが出た時は、
そういう時は思い切って休もうっていう、
これはもう仕方ない、これにはもう付き合っていくしかないんだ。
自分はこの症状と付き合っていくしかないから、
もうそこは割り切って、自分の体とか自分のことをいたわるということも
しなきゃいけないっていうふうに思って、いろいろしてたんですけど、
で、ちょっとアドラー心理学の話に戻るんですけど、
僕は以前、このうつ病になる前にもアドラー心理学のことはちょっと勉強、
勉強というか、大昔ではないんですけど、
昔、嫌われる勇気っていう本が流行ったのを覚えてますかね。
実は嫌われる勇気っていう本の中で、
アドラー心理学についてすごく語られてるんですけど、
僕はうつ病になる以前にも、嫌われる勇気を読んだことがあるんですね。
で、うつ病になってからも改めて読み直したことがあって、
そっから改めてアドラー心理学っていう目線でうつ病を捉えた時に、
そのうつ病を自分は都合、そのうつ病から回復した後、
自分はうつ病を都合よく使ってんじゃないかっていう風に思ったんですよね。
別にこれは今うつ病で悩んでるとか、うつ病から回復してたまに気分が沈む人がいたとして、
別にその人のことを責めてるわけでも、その人がダメだとか言ってるわけでもなく、
ただ自分としては、そのうつ病、さっき、
まあそうですね、そのうつ病を自分は自分で作り出してるんじゃないかっていう、
その現実から頑張って逃れようとして、
本当にたぶんまあしんどくなったりとかはあると思うんですけど、
そのうつ病っていう症状は自分が作り出しているもの。
逆に言えば、うつ病を作り出してるっていうことさえ、
ことさえって言ったらみんながそうっていう感じになっちゃうかもしれないんですけど、
自分の中では、そのうつ病っぽい感覚っていうのを自分が作り出してるって思い始めれたことで、
うつ病の回復
なんかちょっとコントロールできるようになった気がしたんですよね。
これはまあさっき言った、そのうつ病は自分が作り出しているものっていうところになってくるんですけど、
これを改めてちょっとわかりやすく説明すると、
そのアドラー心理学について話すと、
その嫌われる勇気の中、本の中でも語られている具体例があるんですね。
それをちょっと先にわかりやすくなるためにお話ししたいなと思うんですけど、
赤面症の女の子がいます。赤面症っていうのはすぐ顔が赤くなっちゃう子ですね。
で、その子は好きな子がいるんですけど、
私は赤面症があるからその子に告白はできないし、
その子とは付き合えないっていう子がいたとしたら、
アドラー心理学で言えば、その子は告白しない理由を作るために
赤面症になっているっていう考え方なんですね。
結構まあ極端な考え方だなと思うかもしれないんですけど、
僕はこれを繰り返し繰り返し読むことで何となく理解できてきて、
赤面症だから告白できないのではなくて、
告白して振られて友達関係が終わってしまうとか、
告白して振られるっていう現実が怖くて、
その現実に立ち向かわないために
赤面症であるっていう理由を作ることで自分を守っているっていう話があったんですね。
僕も最初読んだ時もそうだったし、
実は嫌われる勇気っていうのは、
主人公、アドラー心理学を学ぶ立場の主人公と
アドラー心理学を悟してくれる方との対話形式へ進むんですけど、
この話が出た時にその主人公はすごく反論してました。
そんなむちゃくちゃだわみたいな言ってたんですけど、
僕はその自分、ちょうどまあそういう内容を読み返してた時と
自分がたまにまたうつ病の症状が出始めた時とかとの自分が重なった時に、
自分はわざわざ自分でうつ病を作り出してるのかっていう風な考え方になったんですよね。
うつ病の存在
ってなった時に、うつ病になって何もしない日とかあるともったいないなと思っちゃって、
そこから逃げたい現実がある、目を向けたくない現実があるってなった時に、
自分は今これに立ち向かうのが怖くてうつ病っぽい症状が出るんだな。
じゃあここ頑張ってもう一回、頑張ってって言うと僕ちょっと頑張るって言葉が嫌いなのであれなんですけど、
なんか踏ん張って現実にもう一度向き合ってみようと。
うつ病っていうのは自分が作り出してるものなのだから別に仕方ないわけではなく、
自分次第で捉え方はどうにでもできるんだなみたいな感覚になったんですよね。
そうなってから、時々来る感情の波みたいなのはすっごいなくなったっていうか、
でも最近はほぼ感じてなくて、ある意味自分を客観的に見れるようになったというか、
うつ病とかそういうのが自分が作り出している感情なんだっていうのをすごく思ってからは、
コントロールできるようになったっていう感じなんですよね。
すごい長々と話してしまって申し訳ないんですけど、まとめに入りますと、
そもそもうつ病っていうのは僕の感覚、アドラシヌ学とかを学んだ僕の感覚で言えば、
自分が作り出しているものだと。
ただし、それはうつ病を作り出さなければいけないぐらいの環境にいる人がそうなるんだよねっていう感じなんですよね。
なので、うつ病の人に対する接し方だったり、
今現在うつ病っぽいとか過去にうつ病だった人に対してっていうのは、
うつ病発症したての人とかずっとうつで悩んでいる人っていうのは、
本当に今逃げなきゃいけない状況だと思うので、
僕は別にそれはそれでいいんじゃないかなと。
逃げるが悪い意味じゃなくて、もう一度回復できる状態になるために、
必要な手段として逃げる、休むっていうのがあると思うので、
そこは別に悪い捉え方はしなくていいんじゃないかなと。
これはちょっとうつっぽい症状だったり、うつ病になっている人自身もそうだし、
その周りにいる人も無理に早く何とかしてあげなきゃって思わずに、
ゆっくり様子を見てあげればいいんじゃないかなと。
待つっていう行為が一番怖いとは思うんですけど、
そこは待ってあげるっていう手段でもいいんじゃないかなと思います。
で、だんだんうつ病から徐々に社会に出れるようになったりとか、
っていう段階まで来た時に時々来るもの。
それも本当に現実界に入れたくてもう一度、
うつ病っていうものを作り出す必要があるのかもしれないし、
そしたら若干自分を客観視できるような余裕ができたのであれば、
うつ病っぽいこのまた症状、また繰り返すこの症状っていうのは、
自分が作り出してるんだなって思えるようになるのは、
すごくいいことなんじゃないかなというふうに思います。
だからって言って作り出しちゃいけないわけじゃなくて、
自分が作り出してる感情なんだなって思えれば、
じゃあ今また自分はこの現実と戦っちゃいけないんだとか、
この現実から逃げる必要があるんだってわかるかもしれないし、
僕みたいに、感情って自分次第なんだって思って
捉え方を変えれるようになるかもしれないし、
これは別にどっちが良いとか悪いとかじゃなくて、
客観的に見るというか、捉え方を変えたりとか、自分のことを
客観的って言葉が一番合ってるのかな、見れるようになると、
色々その後の判断っていうのがしやすくなってくるんじゃないかなと思います。
ただ本当にうつ病の時とか、うつ病にもうなりかけてる人っていうのは、
客観的に見るっていう余裕すらないと思うので、
そういう人たちは本当にただただ今は休むっていうことを
してもらえればいいんじゃないかなと僕は思います。
僕はただ別に精神科医でもないし、
診療内科の先生でもないので、全然僕の意見は
ただ1経験者の意見でしかないので、絶対正解っていうのはないんですけど、
ただ経験者とかこういう考えっていうのがある程度広まったりとかして、
議論されて認知されて、うつ病に対する捉え方だったり周りの見方っていうのが、
正解っていうのはないと思うんですけど、
議論されながらいい方向に向かっていくのが一番いいのかなと思うので、
改めて自分のことを振り返る機会があったので、
今回ちょっと久々に自分のことについて話してみました。
はい、というわけで今日かなり長く話してしまったんですけど、
2倍速とかにすればすぐ聞けると思うので、よかったらぜひ聞いてみてください。
それで、もし意見とかうつ病について聞いてみたいとかあれば、
僕全然そういうの閉ざしてるつもりないので、
オープンに聞いてもらえればと思います。
コメントでもレターでも、ぜひ連絡聞いてください。
というわけで、今日のテーマは
うつ病の存在とうつ病に対する思考というテーマでお送りしました。
今日も最高の1日にしましょう。
杉山啓太でした。
またねー。
16:03

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