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2026-03-17 12:37

#361 自分のルーツに感謝すると、人生はもっと良くなる

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お彼岸の入りに合わせ、お墓参りの意義や「彼岸」という言葉に込められた仏教の教えについて、副住職のコウブンがお話しします。

今日から春のお彼岸が始まりました。私は一足早く、夫婦で3箇所のお墓参りへ行ってきました。実はこの時期にお墓参りをするのには、仏教的な深い理由があるのをご存知でしょうか。

「彼岸」とは仏教語で「向こう岸」、つまり悟りの世界を指します。太陽が真西に沈むこの時期は、仏様の世界と私たちの住む世界が最も近づき、ご先祖様へ思いが届きやすくなると言われています。

私たちが今ここに生かされているのは、命を繋いでくれたご先祖様がいたからこそ。お墓参りを通じて自分のルーツに感謝することは、今という一瞬を大切に生きることにも繋がります。

手を合わせる際は、ぜひ心の中で「ありがとう」と伝えてみてください。そんな素敵な時間を過ごせる1週間になりますように。

#副住職 #蓮城院 #禅 #お彼岸 #お墓参り
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00:05
どうも、コウブンです。 栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
今日は3月の17日ですね。 17日って言った方がわかりやすいか、17日ですね。
今日はですね、あの実は悲願の入りの日なんですね。 今日から悲願が始まるよーという日です。
悲願というのは1週間ありますから、それの最初の日、第1日目が今日、3月の17日ですね。
思うと言えばお墓参りですが、皆さんどうでしょう?お墓参り行ってきましたか? これからって言う方がほとんどかな。
これから行きますよって、そんな計画を立てている人も多いのかなと思うんですが、 私はもう早速行ってきました。
3箇所ですけど、 3箇所もって思う方もいるかもしれませんね。
なぜかと言いますと、まず私のおじいちゃんおばあちゃん、お父さんのお父さん、お父さんのお母さん、父方のおじいちゃんおばあちゃんということですね。
そちらのお墓が、蓮城院、私のお寺にあるということで、そこに行ってきた。 行ってきたというか、同じ敷地内にあるんですけど、
そこでお墓参りをしてきましたよと、うちの奥さんと一緒に行ってきました。 そして少し移動しまして、
奥さんの妻のお母さんの実家のお墓、 そちらにも行ってきました。
あと、妻のお父さんの方の実家のお墓ですね。
それで合計3箇所というわけでございます。 この3箇所を回るというのは、
私たち夫婦のルーティンになってますね。 お祈願、春祈願と秋祈願、あとお盆の時も回りますから、年間3回お墓参りしますよという感じですね。
で、母方のおじいちゃんおばあちゃんのいるところ、 そちらの
私のね、私のあの母方の
お墓の方はね、行ってないんです。 少し遠いんですね。
なかなかね、やっぱりね遠いと行けないなっていうところがあるんですが、 たまには行きたいなと思うんで、近々、近々というか、
まあ今度の夏か秋かには行きたいなと思います。久々に。
たまにはそういうこともしないとね、よくないですよね。 だって偉そうにいつも語ってるんだから。
まあそれはさておき、そのような形で今日は3箇所行きたいということです。 で、そこでね、今日はそのせっかくお祈願に入ったんで、お祈願とは何だろうという、そういうお話はね、
03:04
していきたいなというふうに思います。 まあそもそもお祈願って
何だろうという部分。 皆さんはね、多くの方はおそらく
お墓参りを行く日がお祈願なのかなぁって。 そんなふうに思っている方も多いんじゃないかなと思うんですが、あってますけども、
まあそのお祈願のメインイベントっていうのはお墓参りですよ。
で、まあお墓参り行くのはいいんです。
でももうちょっと、お祈願って何だろうなぁという部分ね。 深掘ってみると、そのお墓参り自体にね、意義があるんじゃないか。
意義があって、より良いものになるんじゃないかなというふうに思うんですね。 ということで、そのお祈願のお話をしていきたいなと思うんですが、
祈願というのはね、
仏教の言葉ですね。 どういう意味かというと、これは無効儀式って意味なんです。
彼の騎士と書いて祈願ですけども、彼の騎士というふうにも読めるんですよね。 彼のというのはね、向こうのとか、あのとか、そういうふうな意味合いですから。
無効儀式とその意味ですね。 無効儀式って何?って思いますよね。これはね、あの無効儀式を
悟りの世界というふうに例えたんですね。昔の人は。 というのは、
無効儀式って言うぐらいですから、大きな川があって、それを渡った先が無効儀式ということですよね。
これどういうことかというと、川はいわば、なんて言うんでしょうか。 修行の世界みたいなもんですよ。なかなかね、
渡るのが大変なところ。 その渡るのが大変な川を渡り切った先に仏の世界があるんだ。
まあそんなふうに昔の人はね、きっとイメージしたんでしょう。 だから無効儀式と書いて、蚊の騎士と書いて、悲願。
で、その悲願というのは悟りの世界を表す、仏様のいる世界ですね。 それを表現したというところじゃないかなと思うんですよね。
で、一方で、 私たちの住む世界はこちらの騎士ということで、志願と言いますね。
この騎士。 蚊の騎士に対してこの騎士。
ということで志願ですね。 こちらは、やはり苦しみの多い世界ですね。苦しみとか迷いが多い。
これが私たちの世界ですね。 仏教はね、私たちはね、住んでいる世界というのは一切皆苦だと、
苦しみに溢れているんだと、そんなふうに考えますから。 だから苦しみのある世界、私たちの住む世界は苦しみの世界。
そして向こう岸、悲願の世界は 安らぎの世界と、そんなふうに昔の人は考えたというわけですね。
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なるほど。 悲願とは悟りの世界、よくわかった。でもなんでそれが
俊文の日なんですか? あるいは修文の日。
修文の日と修文の日っていうのはね、 いわゆる中日と呼ばれてまして、
昼間の時間と夜の時間っていうのがね、ほぼ一緒だと。
ちょうど真ん中だよっていう、そんなふうな日なんですよね。 なので、
仏教ではね、中道っていう思想がありますから、 真ん中、偏らないっていうところをね、
すごく仏教的だなっていうふうに、 きっとね、昔の人は思ったんじゃないかなと思います。
あとは、さっき言ったね、悲願。 悲願っていうのは極楽浄土、
仏様の住む世界という、そのようにね、さっき言いましたけども、 その極楽浄土がある世界っていうのはね、
西の方にあるんだっていう、昔の人は考えたんですね。 西方浄土ですね。
西の方にある浄土、清らかな場所っていう意味で、西方浄土ということですね。
そのとにかく、西の方が極楽があって、その極楽がちょうど昼間と夜が真ん中だから、最も近づくんだっていうふうに思ったんですね。
つまり、私たちのご先祖様、ご先祖様たちは亡くなって、仏様なんだというふうにね、 仏教ではそのように考えますから、その仏様たちが最も近づくんだよ。
つまり私たちの思いっていうのは届きやすいんだよ、ということで、 だからお墓参りをして、ご先祖様たちに何かご報告する。
あるいは何かそういった、何でしょうね、思いを馳せる。 あるいはご先祖様たちとの距離が一番近づくから思いが届きやすいんだ、もうそういうことで、
祈願っていう時はね、お墓参りをする。 そんな風になったんじゃないかな、そんな風に私は思っております。
はい、これは諸説ありますから、 もちろんね、そのお坊さんの数だけ、お寺の数だけ、言っていることが違っている可能性はあります。
公文が言っていたから、これが合ってるとは限らないんでね。 皆さんはどう受け止めますか?
それはそれぞれの受け止め方で結構です。 ともかく、旬分の日、週分の日、その中日という、昼間と夜のほぼほぼ一緒の時に、
何か神秘性みたいなものを感じて、その時はね、 どうかその旬分のルーツ、ご先祖様というところに思いを馳せて、届きやすいんだ、
きっと届く、自分の思いが届くんだ、 そんな風に思っていただいてね、手を合わせるっていうのは、きっと素敵な時間の過ごし方なんじゃないかなと、
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まあそんな風に思うわけでございます。 なんかすごく理屈っぽく言っちゃいましたね。
私はね、そんな風に受け止めているという、そういう話ですよ。
やっぱりね、自分が今ここにいるのは何でかなって、 考えたらね、まあ本当に当たり前とは当たり前なんですけど、
親がいたからなんですよね。 親がいるから私という存在が、今生きているというわけですよね。
で、その親の親、おじいちゃんおばあちゃんもいないと、 またやっぱりね、いませんね。
つまりご先祖様たちがいるから、私たちって生きているんだよ。 そういうのは完全なる事実としてあるわけです。
で、そのね、私たちのルーツに対して、時々結構ですね、やっぱりね感謝をする、
思いを馳せるというのは大事かなと思うんですよね。 自分の命はなぜここにあるのか。
生きているというのは、どんな人たちのその恩があって、私たち生きているのか。 その分かりやすい例としてのご先祖様ですよね。
そこに対してね、少し思いを馳せてみれば、何だかとってもありがたいな、 今命があるのは嬉しいな、まあそんな風になるんじゃないかな。
そうやって感謝の心を持てるんじゃないかな、 そんな風に思います。
で、その感謝の心を持てるのであれば、 今生きていることっていうのはありがたい。
あるのが難しいということですね、ありがたいというのは。 だから今、
あるこの命を一生懸命生きる、そういう思考に変わっていくのかな。 この一瞬一瞬を大切にできるのかな、そういうことを繰り返すうちに、
私たちの人生というのは、大事にしている一瞬、 誰だかしない、無駄に過ごさない、そういうふうにできるのであれば、
より良いものに変わってくるのかな、そんな風に思うわけでございます。 そのようにしてね、まあそこまで考えるとは言いませんが、
お墓参りをするというのはこういうことなんだな、そういう風に、 神戸御所はそんな風に言ってたな、今一瞬を大事にするためにお墓参りするんだよ、
そんな風に言ってたな、そんな風にね、思いながらお墓参りをしていただければ嬉しいなというふうに思います。
はい、というわけで今日はね、この辺でお話を終わりたいと思います。
では、今日の一手としまして、
どうかね、お墓参りを行った際は、手を合わせる時にね、心の中でありがとう、 そんな風にね、言ってみてください。
身近な人にありがとうという、なかなか難しいことではあるんですけれども、
そこはね、こういう日だからこそ、ありがとうと言ってみる。
ご先祖様に手を合わせながら、ありがとうと言ってみる。 また、一緒に行ってくれた家族、奥さん、旦那さん、自分のお子さん、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんかもしれません。
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ともかくね、身近な大切な人にね、いつもよりもありがとうと言ってみる。
そんな素敵な過ごし方を過ごしてくださいませ。 よろしくお願いしたいと思います。
はい、というわけで今日はここまでで終わりたいと思います。
では、蓮城院福寿塾の幸文でした。ではでは、またね。
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