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葬儀の場で出会った「未来の自分」と「過去の自分」の姿から、今をどう生きるべきかを考えました。
先日お手伝いしたお葬式で、二人の僧侶の姿が心に深く残りました。
一人は、亡き友を静かに、静かに見送るご高齢のお師匠さん。
もう一人は、右も左も分からず不安そうに立ち振る舞う若いお弟子さんです。
その姿に、いつか来る別れという「未来」と、修行明けの未熟だった「過去」を重ねたとき、今の自分に課せられた役割や覚悟が見えてきました。
未来を憂うのでもなく、過去を悔やむのでもなく、そこから何を学び、今の自分にどう活かしていくのか。大切な人を見送り、後輩を見守る中で見つけた「今を生きる」ための大切な気づきをお話しします。
#副住職 #蓮城院 #禅 #葬儀 #今を生きる
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先日お手伝いしたお葬式で、二人の僧侶の姿が心に深く残りました。
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もう一人は、右も左も分からず不安そうに立ち振る舞う若いお弟子さんです。
その姿に、いつか来る別れという「未来」と、修行明けの未熟だった「過去」を重ねたとき、今の自分に課せられた役割や覚悟が見えてきました。
未来を憂うのでもなく、過去を悔やむのでもなく、そこから何を学び、今の自分にどう活かしていくのか。大切な人を見送り、後輩を見守る中で見つけた「今を生きる」ための大切な気づきをお話しします。
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感想
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00:05
どうも、コウブンです。 栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
今日はですね、実は私が参列した、参列したというか参加したお葬式、そこで感じたことをね、皆さんにお話をしたいなというふうに思います。
タイトルとしては、見送ること、見守ることというところでございます。
ちょっとね、抽象的なタイトルで何だろうと思ったかもしれませんが、実は私、同じ宗派のお寺さんのお葬式、密葬という形なんですけども、
そういったお葬式のお手伝いに行ってきたんですよね。
お寺のお葬式、お坊さんのお葬式というのは、ちょっとね、他の宗派はわからないんですけども、総統宗の場合はね、
まず亡くなったら、近隣の人、近しい人ですね、親戚とか近くのお寺さん、お付き合いのある近くのお寺さんとかだけでやる、
そういった密葬という形、秘密の密に葬儀の葬で密葬ですね、そういったものを行うんです。
その後、1年とか半年とか、それぐらいの時間を経て準備をしてから、本葬という、大々的にね、お団家さんとか、あるいはもっと広いお付き合いのある方々にもお知らせをして、
しっかりと儀式として行うという、そういった2段階で行うことが、総統宗の場合は多いんですね。
その中で、今日はその密葬というものに行ってきたよ、というところなんです。
その密葬の中で感じたことなんですが、
その亡くなった方、実は95歳の、大変ご高齢のお嬢さんだったんですけども、その方が亡くなりましたということなんです。
年齢で言ったら、大王女と言われるようなことですので、特段そこに何か違和感を感じるとか、そういう感じたことというのは特にないんです。
私自身がね、そのお嬢さんとお付き合いがあるかと言ったら、そうではなかったんで、亡くなってしまったんだなとは思いましたけども、
その特別な思いというのはなかったんですが、実はおそらく近い人、近隣のお嬢さんですね、お手伝いに行ったお寺の近隣のお嬢さんの特にご高齢の方もいらっしゃってたんですね。
03:05
おそらく年の頃で言うと90歳ぐらいの方だと思います。大変ご高齢のお嬢さんが亡くなった方のご遺体の入った空き棺の前で静かに合掌して佇んでいた、そういった姿を見たんですね。
私もその合掌していた方のお嬢さん、90歳前後のお嬢さんの方もよく知らなかったんで、その様子を見ただけで話しかけたとかそういうことはなかったんですけども、
おそらくその静かな合掌、そして1分ほどしばらく静かに合掌しておられましたから、いろんな思いが頭の中に巡ったんだろうなというふうに思ったんですよね。
特によく話を聞くことなんですけども、ご高齢になるとどうしても同世代の方がだんだんといなくなってしまって寂しいなという、そういう気持ちになるんだというような思いがあるんだということを聞いたことがあります。
おそらくその方も長年一生懸命一緒に共にお寺を守ってきた仲間がまた一人いなくなってしまった。
そんな風に思ったんじゃないかな、そういう寂しさ。また一人自分の知っている人、仲間がいなくなってしまった。そういう寂しさを感じたのかなという風に思ったんですよね。
あともう一つ、また自分もそういった立場になり得るんだというような覚悟みたいなものも感じられました。
きっと自分が亡くなった時はどうなのかな、そういった今のことを考えていたんじゃないかな、そんな風に思いました。
とにかくいろんな思いを馳せながらただただ静かに合唱していた、そういう姿だったんですよね。
私はその和尚さんの亡くなった95歳の和尚さんに静かに合唱する90歳ほどの高齢の和尚さん、老僧の方がそういう静かな合唱の行いを見ていて思ったんですね。
これはきっと自分の未来の姿なんだなという風に思ったんです。
それは見送られる側なのか見送られる側なのかそれは分かりませんが、ともかく今というか今日ともに一生懸命儀式を務めている同世代の仲間がたくさんおります。
06:12
50手前の仲間がいて、私もその方々と20年以上のお付き合いがあって大変親しく付き合わせていただいているんですが、その仲間たちもいつかこのようにお別れをしなくちゃならない。
そういう瞬間が来るんだろうな、未来の自分の姿そのものなんだなという風に思いました。
そんなことを考えていたら、自分がそこに至るまで自分の命が尽きるのか、それとも見送るのかそれは分かりませんが、その瞬間まで自分はこの仲間とともに何ができるんだろうか、そんなことを考えました。
やっぱりお寺を守る、自分のお寺を守る、それはもともと大事なんですが、共に協力して創投宗というもの、あるいは仏教というもの、そういったものをどうやったらこれからも続けることができるか、そういったことに力を尽くすということ。
そういったことが自分にはどれくらいできるのかな、そんな風に思いました。
そしてそういったことを、やっぱりこれからは担っていく立場なんだろうな、そんなことを覚悟を感じたというところでございます。
これが最初に思ったことですね。
その後というか、今回の95歳の和尚さんのお寺、実はお弟子さんがいたんですね。
従職さんが亡くなったわけですから、そのお弟子さんが引き継ぐんですが、ただそのお弟子さん、実はまだ若いんですね、20代の方でした。
まだ修行、お坊さんになるための修行に創投宗の場へ行くんですけど、その修行から帰ってきたばかりの方で、まだ僧侶としての資格、創投宗の中でそういった資格があるんですが、僧侶としての資格、従職になるための資格というのがまだ十分に得られていない状態なんですね。
まだやることがいろいろとあると、そのような状態で、そのような状態でもうお寺を任されている立場で、すごく不安そうでしたね。
不安で右も左もわからず、ともかく何か今自分できることがないのかということを右往左往しながら、おそらくその方にとっては知らない人がいっぱいいるし、
この時ときはどういうふうにしたらいいか全くわからない。頼れる人は身内であるんだけども、肝心のお寺に詳しい方というのが身内にいなくなってしまった、そういう状態ですので。
09:05
それで不安だったんだろうなと、そんなふうに見えたんです。私はその時、この不安というのは過去の私もそうだったなと、そんなふうに思ったんですよね。
私もお坊さんとして修行を終えて帰ってきて、いろんなところにお手伝いとか行ったんですけども、全く周りの人は知らないし、儀式もよくわからない。
どうしたらいいのかな、わからない。一生懸命やってたんですけども、そういう不安があったんだなと思いました。
その時にやっぱりその不安の中でも頼れる人っていたんですよね。この人の言葉はすごく嬉しいな、優しいな、そういった人がいたなと思って。
自分は果たしてそのような不安の時に救ってくれたようなお坊さんなのかな、そんなふうに思ったわけです。
つまり未来の自分と過去の自分を見ながら、今の自分というのをいろいろと考えたというわけなんですよね。
このお話、お坊さんという立場じゃないとなかなか味わえないようなお話ではあったんですけど、皆さんにとっても、どこかで自分の大切な人がいなくなってしまう瞬間もあるでしょうし、
また自分と同じ道をこれから歩むであろう後輩を見ることもあるであろうし、そういった時はぜひとも先輩とか後輩を見ながら、その様子を見ながら今の自分はどうなんだろうかというところまで振り返っていただけるとすごくいいんじゃないかな、そんなふうに思います。
結局、未来を憂いてもしょうがないし、過去を悔やんでもしょうがないというところなんですよね。
そこから私たちは何を学ぶのかというか、何に気がつくのか、どういうふうに今の自分というものを今の自分に活かすのかというところをそこにつなげていくのが大事なんじゃないかな、そんなふうに思ったわけでございます。
話はあまりまとまってはおりませんが、今日はこの辺で終わりたいと思います。
というわけで、連常院副住職の幸文でした。ではではまたね。
11:43
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