1. コウブン和尚の寺子屋ラジオ
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2026-03-13 13:12

#359 生きる価値は、目標の有無で決まらない。

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今回は
「両親を見送った後、生きる目標がない」
という40代男性の切実なお悩みに、禅の視点からお答えします。

「これ以上生きたいと思わない」というほど苦しい心境にある相談者さん。しかし、禅の世界では「目標を持たないこと」こそが安らぎに繋がると考えます。生きる目的は頭が作り出した物語に過ぎず、目標がなくても、息を吸い、顔を洗うといった「命の働き」そのものに価値があるのです。

ご両親のために生きようとするその優しさを、どうか自分自身にも向けてあげてください。人生を終わらせるのではなく、今はただ「休憩」する時。答えを急がず、目の前の日常を粛々と送ることで見えてくる境地についてお話ししました。

一人で抱え込まず、今の思いを誰かに吐き出すきっかけになれば幸いです。

#副住職 #蓮城院 #禅 #人生相談 #ハスノハ
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サマリー

40代男性からの「両親を見送った後、生きる目標がない」という深い悩みに、禅の視点から答える。相談者はオーバードーズの経験もあり、人生に満足し「これ以上生きたいと思わない」と語るが、投稿自体にまだ何かを求めたい心が表れていると指摘。禅では目標を持たないことに安らぎを見出し、目標がなくても「命の働き」そのものに価値があると説く。両親への優しさを自分自身にも向け、今は「休憩」の時と捉え、目の前の日常を粛々と送ることで道が開けると語りかける。一人で抱え込まず、専門家や相談窓口への連絡、投稿などを通じて、溜まった気持ちを吐き出すことの重要性を強調している。

はじめに:お悩み相談の形式と相談内容の紹介
どうも、コウブンです。 栃木県の片田川にある蓮城院というお寺屋で、福寿食をしております。
はい、今日はですね、久しぶりにお悩み相談会をお送りしたいと思います。 このお悩み相談会というのは、ハスノハというお坊さんが答える
お悩み相談のウェブサイトというものがありまして、そちらに寄せられたお悩み相談を 私、コウブンが答えるというものでございます。
はい、というわけで早速行きたいと思います。 40代の男性の方より、タイトル
両親の死を、自然の流れで両親を見送ったとして、 その後どう生きるべきか、何年にもわたりずっと考え続けてきました。
しかし、これをするまではどうしても死にたくないという目標がありません。 今の人生の目標は、両親より長生きすることです。
無理やりその後を生きる理由を探して、 これだと思う時もあるのですが、正直他の目標はそこまで深く望んでいません。
どんなに考えても、 いつも同じ考えに至ります。
両親が亡くなったら、本当に いつ死んでもいいです。
オーバードーズして入院したことがあるので、 寮を増やし、またそうしてみようかなと思います。
全く悲観的に考えているのではなく、 本当にもう自分の人生に満足しています。
十分に生きました。 無理に生きたいとも思わないです。
という相談文でございました。
相談者の苦しみとオーバードーズへの懸念
これを聞いて、この文章を読んで、 率直に思ったのは、大変な苦しみの中にいるんだなというようなところですよね。
ちょっと気になるキーワードが出てきましたね。 オーバードーズというキーワード。
オーバードーズというものは、私も専門家ではありませんので、 お医者さんではありませんので、詳しいことはわかりませんし、
それがどういう結果をもたらすのかということを はっきり理解しているわけでもありません。
なので、こうした方がいいとか、 ああした方がいいとかということを言えないのですが、
ただ一つ言えるのは、このオーバードーズというもの。
おそらくやはり体には良くないであろうというふうに思います。
オーバーってついてますからね。
だからそのオーバードーズをしてみようかなということを考えているこの相談者さん。
シンプルに心配ですね。
そのような心境に至るまで何があったか、詳しくはわかりませんが、
ただそのオーバードーズという手段を考えている。
それぐらいつらいんだということだけは伝わってきました。
そのオーバードーズに関してはどうしたらいいのか、
というのはやはり専門家の方に聞くしかありませんので、
もしこの相談者さんが私の声を聞いて、
やはりオーバードーズという考えがあるのであれば、
すぐにでもお医者さんに相談していただきたいなと、
そんなふうに最初に思いました。
投稿の意図と仏教・禅における生きる価値
さて、この相談者さんは最後の方に悲観しているわけではないとか、
あとは人生に満足している、そんなふうに書かれておりました。
きっとその言葉自体は嘘ではないとは思うんですが、
ただ私が思ったのは、本当に満足して何も求めていない。
そういう人はこういう発の葉に投稿したりはしないんじゃないかなと思うんですよね。
この発の葉に投稿したということは、
それはまだ何かを聞きたいとか、自分の思いを届けたいとか、
そういう心がきっとこの相談者さんの中にあるんじゃないかなと思うんですよね。
だからそういう思いがあるんだというところを素直に認めていただきたいなというふうに思うんですよね。
仏教では、生きる目的があるから生きる価値がある、そんなふうには考えないんですよね。
目標とか目的というのは、いわば頭が作り出した物語みたいなもんですからね。
だからそれが人生において必ず大切だというわけではないと思います。
自分が生きるというそれだけに対してはね。
だって朝目が覚めて、息を吸って、顔を洗って、
そういった一つ一つの行いというのは別に目標があるからやるわけじゃないんですよね。
自分の体がお腹が空いたらお腹になったりとか、
時には模様をしたりとか、そういった生命活動を体がしてますよね。
つまり命の働きがあるということなんですね。
それは目標とか何も関係なく、そういった体自身がね、命の働きというのは確実にある。
だから生きる目標がないから死ぬべきだということはないですね。
体は生きようとしますから、食べ物を食べたらその分だけ命がつながる。
それだけのシンプルな構造なんですよね。
別に必ずも目標がなければならないというわけではないと私は思います。
むしろ仏教では、いや禅ではと言った方がいいかな。
座禅というのは何も目標を持たないというのが座禅なんですよ。
座禅をしたって何にもならない。人生の役に立たない。
でもそれでいいんです。何にも目標がない、何にも役に立たないからこそそこに安心があるんですね。
目標とか目的というのは時には自分自身の活動の根源になる、元気の源になったりもするんですが、
そうじゃないことでもありますよね。やっぱりうまくいかなかったときは落ち込むしつらい。そういう気持ちになります。
でも目的も目標もなければ、確かに生きる上でのエネルギーというよりは少なくなるかもしれませんが、
でも逆に傷ついて力を失うということもなくなるんです。
だから何もないからこそそこに安らぎがある、そんなふうに禅は考えるんですね。
でも目標がないことがいいんだ、そういうことを言ってるわけではないんですが、
ただ目標がなくたって生きれるんだということだけは覚えていただきたいなというふうに思いました。
他者のためから自分自身へ、そして休息の勧め
あとご両親より長く生きるということを自分に課しているというようなところがありましたけれども、
それはすごく優しい思いだなと思いました。つまりご両親をすごく大事にしているんだなとそんなふうに思いました。
つまり他人のために生きているとも言い換えられますよね。
でも他人のために生きる、とても立派ですし尊いことですが、その優しさをどうか自分にも向けていただきたいなというものですね。
自分のために生きるというふうにしてもいいじゃないですか。
もちろん他人のために生きるのは尊いことですよ。
でも他人がいなくなってしまったら自分は生きる価値がない。そんなことはないと思います。
今度は自分のために生きたらいいじゃないですか。
それだけが人生じゃないんだというところだけ理解していただきたいなと思います。
他にも十分に来たという感覚があるんだというふうにおっしゃっていましたけど、それはもしかしたらもう疲れたというような思いかもしれませんね。
そういうサインかもしれません。
だから人生を終えたいんじゃなくてちょっと休息するぐらいの感覚でいいんじゃないかなと思うんですよ。
ちょっと休んでみる。歩き疲れたから座ってみる。立ち止まってみる。
そういう時があってもいいと思います。
そういう時こそもしかしたら座禅は役に立つかもしれませんね。
座禅というのは座るだけですから基本的には。
だから何か目標に向かってガシガシ進む必要もないし、ただただ座る。じっと座る。
体を整えて息を整えて心を整える。それだけですから。
そういったことがもしかしたらこの相談者さんにとっての休息につながってくるのかなというふうに思います。
なので答えを焦らないでゆっくり着実にその日その日を目の前のことを粛々と行う。
それで十分じゃないかなと思います。
無理に生きる目標を探すという人はなくて、何かを行っているうちにもしかしたらもうちょっとこれを深掘りしたいというのが出会うかもしれません。
その時はそれを深掘りしていけばいいと思うんですよ。
なので特に何もないのであればその日々を目の前に今やるべきことを粛々と行う。
それで十分だというふうに思いました。
相談窓口の活用と気持ちを吐き出すことの重要性
あと最後に現在通院されているのであれば、今の思いというのは正直にお医者さんに先生に話してみるというのも手かもしれませんね。
それがちょっとやっぱり面と面を合わせて語るのが難しい点であれば電話ありますよね。
命の電話とか寄り添いのホットラインとかそういったものもありますし、それもまだ難しいなというときはまたこのハスの葉に投稿していただく。
それでもいいです。
とにかく何か自分の中に溜まってきた気持ちというのを時々吐き出してみる。
それが大事ですので。
できればやっぱり面と面で話すお医者さんであったり何かそういう方が出会えるのが一番いいんですが、なかなかそれは難しいというときはどうぞ。
いろんな手段が今はインターネットのおかげですぐに探せますからそれを活用しながら自分の人生を大切にしてみてください。
というわけで今日のお話はここで終わりたいと思います。
今日のような人生相談、お悩み相談などあればどうか、私の本人までコメントやレターなどを使って届けていただければ必ずお答えいたしますのでどうぞよろしくお願いいたします。
では、連常院副住職の幸文でした。
ではまたね。
13:12

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