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しばらくぶりの配信です!今回は、妻の両親の喜寿(77歳)祝いで訪れた島根県・出雲大社での旅のお話です。
結婚してから17年。久しぶりに長い時間を共にした両親の姿に、足腰の衰えや耳が遠くなったことなど、時の流れを実感しました。会話がちぐはぐになってしまうことも…。
しかし、それは決して悲しいだけではなく、「これが年を重ねるということなんだ」という深い学びと、自分自身の未来への思索にも繋がりました。
この旅を通して改めて感じた、お金や物では決して得られない「共に時間を過ごすこと」の価値。人生の思い出を重ねることの大切さについてお話ししています。
皆さんも、大切なご家族との時間について、少しだけ考えてみるきっかけになれば嬉しいです。
#喜寿祝い #家族旅行 #出雲大社 #島根県 #両親へのプレゼント #老いと向き合う #人生の思い出 #コミュニケーション #大切な時間 #家族孝行 #スタエフ #standfm
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e
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しばらくぶりの配信です!今回は、妻の両親の喜寿(77歳)祝いで訪れた島根県・出雲大社での旅のお話です。
結婚してから17年。久しぶりに長い時間を共にした両親の姿に、足腰の衰えや耳が遠くなったことなど、時の流れを実感しました。会話がちぐはぐになってしまうことも…。
しかし、それは決して悲しいだけではなく、「これが年を重ねるということなんだ」という深い学びと、自分自身の未来への思索にも繋がりました。
この旅を通して改めて感じた、お金や物では決して得られない「共に時間を過ごすこと」の価値。人生の思い出を重ねることの大切さについてお話ししています。
皆さんも、大切なご家族との時間について、少しだけ考えてみるきっかけになれば嬉しいです。
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サマリー
今回のエピソードでは、島根県出雲での喜寿祝いを通して、家族の老いを実感し、今後できることを考えています。特に、妻の両親の体力の衰えに触れ、家族との時間の大切さを再認識しています。
出雲での喜寿祝い
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で福寿食をしております。
はい、ちょっとね、しばらくぶりの放送となってしまいました。
なんでかと言いますと、また旅行に行ったんですよね。
私のこの放送をね、もし連続で聞いてくださっている方がいるのであれば、
またこいつ出かけてるなってね、この和尚。
修行もしないで遊んでばっかりいるなって思った方、いらっしゃるかなと思います。
その通り。
はい、心のところね、5月からほぼ毎週のようにね、どっかしら出かけております。
当然ながら、その間はね、ただ申し訳れば今日も呼ばない。
あの食べ物、美味しい食べ物は食べる。お酒も飲む。
うーんってね、遊んでます。
はい、すいません。
6月はちゃんとしようと思うんですが、6月もまたちょっとね、
いろいろと出かけなくちゃならない予定が立て込んでおりまして、
うーん、なんでこんなに忙しいのかな。
あまり良くないですよね、予定を詰め込みすぎるというのはね。
はい、とはいえ、まあそのいろんな事情により出かけることが多かったと。
で、今回はどこに行っていたかと言いますと、
島根県出雲っていうところに行ってきました。島根県ね。
出雲大社のあるあの出雲ですね。そこに行ってきたんです。
で、なんで行ってきたかというと、観光はもちろんなんですけども、
私の妻の両親、つまり義理のお父さんとお母さんがね、
77歳を迎えたということで、喜寿祝い。喜ぶことぶきと書いて喜寿。
喜寿というのは77歳を指すですね。
はい、なので喜寿祝いとして旅行をプレゼントしたと。
プレゼントしたと言っても私たちも行くんですけどね。
まあいろんなサポートをしながら一緒に楽しんできたよというところですね。
両親の老いを実感
みなさんは出雲って言ったことありますか?出雲大社か。出雲大社。
すごいですね。やっぱり、私はお坊さんですから仏教ですよね。
当然ながらお寺というのがたくさん行きますけど、
神社は近くの地域の神社に和歌参りとか観光で時々行ったりとかします。
けどそれぐらいなんであんまりよく知らないんですよね。
ただ今回出雲大社行ってみて、日本の古来からある伝統的な宗教、神道ですよね。
神道の中心地。なんかその凄さというか凄みというか、そういったものを感じました。
出雲大社というのが中心ではないのかな?ちょっとよく分かりませんが。
どうもなく数ある神社の中でも相当古くからあって、
昔から古来からたくさんの人の参りが来た、そういった場所であったというのはよく分かりました。
境内の造りも本当にどこも綺麗なんですよね。
やっぱり神聖な感じというのは、神域というのをよく感じました。
そんな出雲大社を妻の両親と共に行ってきたんですけども、
その中で感じたことがあります。
それは何かというと、私は結婚してから今17年経ったんですね。
17年前は両親がまだ60歳だったんですね。
元気ですよ、すごく。体力もあってね。
それがやっぱり17年の月日によって、80代目前になって、だんだん体が衰えてきてるんですよね。
それをよく感じました。
基本的には妻の両親なので、近くには住んでるんですね。
とてもすごく近くには住んでるんですけども、
そんなにしょっちゅういろんな時間を共に過ごすわけではないんで、
特に体が衰えたなという部分、今回の旅行でよく感じたんですよね。
義理の父のお父さんの方は、まず足腰が弱ったのかな。
歩き方が昔と比べて少し衰えを感じましたね。
坂道とか階段とかね、ちょっと辛そうだなって。
あとは膝が悪くなったのかな。
ちょっと真っ直ぐ歩けないんですよね。
肩足を若干引きずるような歩き方をしておりました。
それと耳が遠くなってしまったんですよね。
なかなかこちらの言ってること聞こえないんですよね、おそらく。
多分イメージで言うと水中の中で音を聞いてるような、
わわわってしてるような感じなんでしょう。
なんか聞き取れないんですよね、こちらの喋ってることをあまりね。
もちろん全く聞こえないわけではないから、ある程度は理解できるんですけども、
やっぱりそれでも会話のうち何割か、もしかしたら10%ぐらいかもしれません。
1割とか2割ぐらいかもしれません。
ともかくね、あまり聞こえてなくて、よくわかってなくて、
だから会話がちぐはぐになっちゃうんですよね。
例えば、出雲大社ですごいですね、締め縄が大きくてみたいな話をしたんですけど、
なんかアイスが美味しかったみたいな返答があってね。
その直前にアイス食べてたから、多分その流れでそう思っちゃったのかな。
それとも何かキーワード、私の喋った中のキーワードの一部が、
何かやっぱりアイスに関することに聞こえたのか、それはわかりませんが、
ともかく会話がちぐはぐな状態になってたんですよね。
もちろん私は耳が遠いっていうのはある程度、この2日間のやりとりの中でわかってたんで、
そんなことで腹を立てるとかそういうことはないんですけども、
これが年を取るということなのかというのは強く感じました。
悲しいというよりかは、こういうものなんだなというような理解でしたね。
もちろん元気でいては欲しいんですけども、
やっぱりいつまでも元気でいられるというか健康でいられるというわけではない。
いつか病気にもなるし、年も取るし、命もなくなるしというところが着実に進んでるんだなというところを感じたわけですね。
もちろんそれは自分も例外じゃなくて、自分もいつか30年後は同じ立場だなと思ったんですね。
そんなことを思いながらね。
もちろんお母さんの方も17年前に結婚した当初はとても元気だし、チャキチャキしてました。
しゃべりもハツラツとしてたんですけども、
やっぱり遠慮もあったと思うんですが、あまりしゃべらなくなりましたし、
なんか食も細くなっちゃったかなというね、いろいろあって。
あとはすごく旅行が終わって帰ってきた時に感謝してくれたんですね。
お母さんが特にありがとうと。
そういったところからどことなく少しお母さんが自分の体の衰えというものを感じていて、
こういった旅行というのもすごく貴重なんだという思いと同時に、
めったにそういうことをしてくれない私たちに対する思いもあったのかなという部分。
いろんな感情が重なって、ありがとうってすごく言ってくれたんだと思うんですけども、
ともかくご両親、うちの妻の両親の体の衰えを感じました。
ちなみにですが、去年は私の方の両親ですね。
私の父と妻と一緒に旅行に行ってきたんですね。
やっぱりその時も自分の両親ながら、昔と比べて歩き方がおかしくなってたりとか、
やっぱり妙に食が細かくなってたりとか、いろんな年をとったんだなというところを感じたりありましたね。
そんなことを感じました。
家族との時間の大切さ
でもね、そういう両親に対して自分たちが今できること、
その記事祝いという名目ではありましたけども、
自分たちが今その両親にしてあげられることをできてよかったなと思いました。
人生の思い出作り、サムネイル作りみたいなところができたからよかったな。
これはもちろん自分たちにとってもよかったし、両親にとってもよかった。
つまり自分たちの人生、両親の人生、妻の人生、みんなの人生がすごく良い方向に向かった瞬間だなと思ったわけですよね。
もちろんお金はかかりましたけども、
お互いの普段だとなかなか得られないような状況というのは、
一緒に時を過ごすことでいろいろ感じられましたし、会話もいろいろしながら感じることもできましたし、
そうして自分たちのことも、自分たちが将来こうなるんだろうかというような思いも巡らすこともできたし、
また両親が自分たちにどういうふうに思いを持っているのかなというところも感じられましたし、
ともかくコミュニケーションの質がいつもよりは高かったので、
より両親のことを理解することができた。
その理解し合えるということ、思いが通じる部分といったらいいのかな、
やっぱりそれだけで嬉しいんですよね。
その嬉しさというものをみんなで共有できた。
それが自分の人生にとってきっといいことなんだなと思いました。
そういう時間を増やすことこそが、より良い人生、後悔のない人生、納得感のある人生なのかなと思ったんですよね。
だからこれからもこういうことをもうちょっと意識的に増やしていけたらいいなというふうに思いました。
きっとこれを聞いている方、もしかしたらそんなことはもう当たり前だ。
みんな毎年やっているよ。毎年どころか何ヶ月間に一遍やっているよという人もいるかもしれませんよね。
その人からすれば、まだまだだな、お昭和というふうに思うかもしれませんが、
私は私のペースでそのように感じたわけで次第でございます。
みなさんもどうぞこれを聞いて、うちは両親に対して何もやってないなという部分が、
もし思ったのであればちょっと意識してみて、一緒に時間を過ごす何か計画してみるのもいいかもしれません。
はい、ということで今日の話はここで終わりたいと思います。
今日の話を聞いていいねと思った方どうぞいいねボタンよろしくお願いいたします。
それと、概要欄の方にお悩み相談とリクエストのフォームがありますので、
そちらをご利用していただいてリクエストや何かお悩みがあったら、
私の方までそのフォームを通じてご連絡いただければお答えをいたしますのでよろしくお願いいたします。
はい、では年上院副住職の幸文でした。ではではまたね。
14:23
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