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#367  禅の教え「五観の偈」に学ぶ、迷わない生き方
2026-04-17 18:31

#367 禅の教え「五観の偈」に学ぶ、迷わない生き方

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「好条件なのになぜか気が進まない…」そんな心のモヤモヤを、曹洞宗の食事の作法「五観の偈(ごかんのげ)」の視点から紐解きます。

今回はお悩み相談サイト『ハスノハ』より、キャリアの選択に迷う非常勤講師の方への回答をお届け。メリット・デメリットの「損得勘定」で頭がいっぱいになった時、禅の教えが視点をガラリと変えてくれます。

・その場所に自分は何を貢献できるか
・損得で選ぶことは「貪り(むさぼり)」ではないか
・より良く生きるとはどういうことか

進むべき道に迷い、心に安らぎがなくなった時に聴いてほしい内容です。今日のご飯をいただく前の「5秒間」の習慣で、仕事や人生への向き合い方が少しずつ変わっていくはずですよ。

#副住職 #蓮城院 #禅 #五観の偈 #キャリアの悩み
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サマリー

本エピソードでは、曹洞宗の食事作法「五観の偈」を通して、キャリアの選択に迷う現代人の悩みに寄り添います。非常勤講師の方が、好条件のフルタイム講師の求人に惹かれつつも「なんとなく嫌」という感覚に悩む相談に対し、副住職のコウブンさんが「五観の偈」の五つの視点から解説します。損得勘定ではなく、自分がその場に何を貢献できるか、貪りの心から離れること、そして「より良く生きる」とは何かを問い直すことで、仕事や人生への向き合い方が変わるヒントを提供します。

お悩み相談の導入と相談内容の紹介
どうも、コウブンです。 栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で、福住職をしております。
今日はですね、お悩み相談会をお送りしたいと思います。 このお悩み相談会というのは、
ハスノハというお坊さんが答えるお悩み相談のウェブサイトがありまして、 そちらに寄せられたお悩み相談を私、コウブンが答えるというものでございます。
はい、というわけで、早速行きたいと思います。 40代の方より、タイトル、メリットだらけなのになんとなく嫌。
はい、お悩みをお読みいたします。 いつもお世話になっております。
応募しようとしている職について、自分にとってはメリットだらけなのに、 なんとなく嫌という感覚が伸びきれず、この感覚をどうすればいいか悩んでおり、質問させていただきました。
私は大学の非常勤講師の年名に入ったところで、いろいろな大学で教えています。 一般企業や大学の研究室でフルタイムで働いたこともありますが、
同じ職場に長時間いること、毎日同じ時間に行くことが苦痛に感じるタイプなので、現在の立場、
授業をきちんとしていれば後は自由のような立場だと自分はとても合っていると感じております。
しかしながら、どんなに授業を頑張っても給与が上がるわけでもないし、 教授ではないので、授業と両立して行っている研究については全て慈悲で進めています。
気は楽なのですが、この立場にも少し飽きてきた、アンドもっといろいろな面で満足できるような働き方がしたいと感じるようになってきました。
最近、ある大学のフルタイムの講師の求人を見つけたのですが、今より少ないコマ数で、
基本給も上がるばかりか、研究費も出していただけるという夢のような条件でした。
フルタイムなので授業以外は大学内の研究室、他の先生と共同で過ごさなければならず、
授業以外の業務もする必要があるので、その点はちょっと自由が奪われる感じがするのですが、
もしも採用されたら、教員として、研究者としてより成長できる環境が整っていると感じたので、
ここに応募してみようと思い、応募書類の準備を進めているところです。
しかし、なんだかモヤモヤするのです。
今の自分の立場よりももっとよく環境も変わり、レベルアップできる仕事のはずなのに、
なんだか過去のフルタイム勤務で心身が疲弊して、インスピレーションが枯渇していた頃の自分に引き戻されてしまうような、
なんだか嫌な感覚が拭えないのです。
また、まだ採用されてもいないのに、もし採用されたらどうしよう、
嫌だな、自由が奪われる、と今からうつうつとしてしまい、
やっぱり今の気楽な立場で研究を続ける方がいいかな、なんて思い始めて迷路にはまった気分です。
こう条件なのに、なんだか嫌だと思うこの気持ちをどのように捉え、どのように選択していけばいいでしょうか。
もしもヒントがありましたらお聞きしたいと思い投稿しました、という相談文でございました。
「五観の偈」による迷いを解く視点
まあそうですよね、条件はいいのになんとなく嫌、そういう感覚ってありますよね。
これはいい話だ、そんなふうにわかっているんだけど、なんとなく心のどこかでしっくりこない感覚というものですよね。
私ももちろんそういったことを感じることがあるかと思うんですけれども、
私だったらまず考えることがあるんですよ。
どういうことかというと、まずメリットってそもそも何なのかという部分、
あとは生きるって何のためにあるのかという部分、これを割と私は考えるんですね。
もちろんそれはメリット、デメリットというところもありますよ。
だけどそもそもメリットって何なのかというところですよね。
何が自分は大事にしたいのかという部分、そういったことを考えないとなかなか迷いというのは消えないんじゃないかなと
そんなふうに思ったりもします。
そこで、こういった迷うことに関して、メリットとかあとは生きるって何なのかというところに関して、
そういったことを説いているお経というのがあるので、それでちょっとご紹介してと思います。
それは五感の下というお経ですね。
これはご飯の前、食事をいただく前に唱えるお経ですね、曹洞宗の場合は。
その内容というのが食事のことなんですけれども、結局のところ生きるってどういうことかなということを言っているお経なんですよね。
修行中の間、私が永平寺というお寺に行きましたけれども、必ず食事の前でお唱えすると。
そういったお経でございます。
それをちょっと皆さんにご紹介したいなというふうに思います。
五感の下、五感の下の語というのは数字の語。
そして観は観光とかの観ですね。見るという字ですね。
下というのは下樹。下樹というのは歌ですね。
詩って言ったほうがいいかな。
五つの味方の歌ということですね。
五つの味方というのは、要は大事な生き方の話。
生き方のポイントって言ったらいいかな。五つのポイントみたいな。
ちょっとね、うまく言おうと思ったんだけど出ませんでした。すみません。
とにかくね、五つのポイントがあるんですよというところですね。
その辺りを一つずつ解いていきたいと思います。
「五観の偈」第一の視点:縁への感謝
まず一つ目。食事をいただくにあたって、この食事はどれだけの人の働きの上にあるのか、
それをよくよく考えましょうということを言っているんですね。
自分が食べるまでに、例えばお米一粒を考えると、
種をまいた人がいて、そしてそれを田んぼに植えた人がいて、
その田んぼを管理をした人、育てた人、大事にした人がいて、
そして収穫をした人がいて、それを精米した人、運んだ人がいて、
お店に並べた人がいて、それを買った人がいて、
それを買ったものを調理した人がいて、やっと食べられると。
たくさんのご縁がありますよね。
そのご縁があった先に、お茶碗いっぱいのご飯があるというわけですよね。
それは別にご飯に限らず、会社、仕事とかでも一緒ですよね。
例えばこの相談者さんが今行っている非常勤講師という立場。
これは当然ながらこの方一人の力でいるわけではないですよね。
学生さんがいて、事務職の方がいて、
そして同僚の先生がいて、雇ってくれる大学がいて、
そんな形でこの方も相談者さんも非常勤講師という仕事ができているということですよね。
当然ながらこれから応募しようとしているフルタイム講師のポストだって同じですよね。
そんなわけでこれが今一つ目のお話です。
「五観の偈」第二の視点:貢献と貢献
2つ目、自分はその縁に応えるだけのことをしているだろうかと問いなさいという内容ですね。
例えばご飯を食べるんだったら、食べるにふさわしいだけの行いをしてきたんでしょうかと。
それを今一度確認してくださいねということですよね。
これはとても大事なことなんですよね。
メリットがあるとかないとか、損とか得とか、そういったことを考える前に、
自分はその場所にふさわしい自分か、そういったことを先に問うということ。
順番が逆ということですね。
自分はその場所にふさわしい、その後にメリットがあるとかないとか考えるということですよね。
この相談者さんはきっとこう考えていらっしゃいますよね。
この仕事は自分に何をくれるのかというふうに考えていると思うんですけれども、
でも五感の下を照らしてみると逆なんですよね。
あなたはその仕事に何を差し出せるのか。
あなたはその場所にどういう貢献ができるかというところですよね。
そのように視点を変える。これが2つ目の言葉ですね。
「五観の偈」第三の視点:貪りの心
3つ目、ここがもしかして一番確信の部分かもしれませんね。
心をよく見張ってむさぼる気持ちから離れましょうというのが五感の下の3つ目でございます。
むさぼるという言葉、ちょっと難しい言葉ですよね。
これは仏教ではとても大事な一つ、大事な教えの一つですね。
人間が苦しむこと、苦しいなと思う原因の人、これがむさぼりなんですよね。
誤解しないでほしいのは、給料が上がってうれしいとそういうふうに思うんじゃないよと言っていることを言っているのではなくて、
給料が上がったらうれしいですよ、それは。私だってうれしいですよ。
そうではなくて、この相談者さんが今頭の中でやっていること、
給料が上がる、これはプラス。研究費が出る、これもプラス。自由が減る、これはマイナス。
同じ場所に長くいなきゃいけない、これもマイナス。
こんなふうに心の中で計りに乗せて足し算引き算をしている状態、これはむさぼりだというふうに仏教では言っているということなんですよね。
もっと得したいとか損はしたくない、そういう心の働きそのものをむさぼりだということなんですよね。
このむさぼりの状態に心があるというのは、いつまでたっても安らぎというものが得られないということですね。
心が落ち着かないということですね。
なぜかというと、どれだけプラスに積み上げても、心のどこかで本当にそれでいいのかというふうに思っちゃいますし、
どれだけマイナスを恐れても、でも飛び込んでみたら違うかもしれない、そういうふうに思いというのはいつまでも消えないんですよね。
だからこの相談者さんがおっしゃる何となく嫌という感覚は、きっと心の奥底で何か気づいているんじゃないかなと思うんですよね。
こういった足し算引き算ばっかりしていても、きっと答えは出ないだろう。
そんなふうにどこかでわかっているんじゃないかなと思うんですよね。
私だってもちろんこういった計りにかけること、プラスマイナスで考えることは多々あります。
前の仕事も、お坊さんをやる前は会社員でやっていたんですけれども、
そこでね、仕事、給料のこととか、勤務地のこととか、やりがいとか、将来性とか、そんなことばっかり考えていたんですけれども、
いくら考えたって納得ってできないですよね。負に落ちるということはないですよ。
そういう意味ではこの相談者さんと全く一緒でした。
だからこの何となく嫌という感覚は理解はできます。
ちょっと脱線しました。続きますね。
「五観の偈」第四の視点:食事は命の薬
4つ目。食事は良い薬のようなものだと思いなさい。というようなことが言っております。
これ股間抜け4番目ですね。
これは面白い表現ですけれども、よくよく考えたら、私たち人間の命というのは、食べなきゃいつか尽きちゃうんですよね。
命を続けるということは食べ続けるということとイコールなんですよね。
つまり食べないと死んでしまう病にかかっていると、そんなふうにも言えるんじゃないかなと思います。
なのでその病を癒すための薬、それが食事なんだと、そんなような考え方というわけなんですよね。
これは命を保つために食べるんだから、おいしいとかまずいとか、好きとか嫌いとか、そういうものを基準にしちゃダメですよというふうに言ってるんですよね。
これはそのままそっくり仕事にも置き換えられると思うんですよね。
仕事というのは、自分自身を養うためにあるんだというところで、楽しいとか楽しくないとか、気悪とか面倒とか、そういった物差しだけで選んではいけないということですよね。
そうなんですよ。これはそういう考え方はとても大事ですよね。
「五観の偈」第五の視点:より良く生きる
最後、5つ目です。
自分がより良く生きるために今この食事をいただきますというのが、この五感の剣の最後の使命ですね。
何のために生きるのか、そういう問いに返ってくるということなんですよね。
食事も仕事も洗濯も全部そこに持ってくるということなんですよね。
これはよくよく考えるべきことだと思います。
自分にとってより良く生きるとはどういうことか。
この相談者においては気楽に過ごせることなのか、それとも自由な時間があるということなのか、それとも誰かと不可があることなのか、
そういったことをよくよく考えましょう。よくよく観察しましょうと言ったらいいのかな。
どれが正解というわけではないと思うんですけれども、その問いを自分に投げかけずに条件だけ見て迷っていても答えは出ないということなんですよね。
なので私からこの相談者さんに伝えたいのはこういうことなんですけれども、応募しても応募しなくてもどっちでもいいと思います。
でもどちらに選ぶにしてもその選択がよりよく生きるためのものであってほしいなということなんですよね。
自由が奪われるのが嫌だという感覚はわかるんですけれども、その感覚の奥に何があるのか。
ただの怠け心があるのかもしれないし大切な直感かもしれない。
そういったことというのは天秤の上でいかに悩んでいてもその正体は見えてこないということですよね。
もしよろしければ今日の食事の前にほんの5秒だけでもいいので一口目を口に吐く前にこのように考えてみてほしいと思うんです。
このご飯はどれだけ縁の上にあるんだろうか。たくさんのご縁があったんだろうか。このご飯が自分がいただくまでにどれだけたくさんのご縁があったんだろうかということ。
そして自分はそのご縁に応えられるような行いをしてきたんだろうかということ。
そして自分は何のために生きているんだろうかということ。
たった5秒でいいのでこれを続けると不思議なもので、自分の仕事、キャリアという部分、そういうところに向き合う目が少しずつ変わってくると思います。
生きるということは結局むさぼるためにあるというわけではないということですよね。
自分の人生を、そして縁のある人との人生をより良くするためにあるということですよね。
そういったことを相当種のお坊さんは毎日、毎食、このことを確かめながらご飯をいただいているということなんですよね。
迷ったときに何度でも帰ってくれる、そういった静かな灯り、自分を照らしてくれる明かりみたいな、そういう言葉だと私は思っております。
この相談者さんが自分にとって答えに出られることを心からお祈り申し上げて、今日はこれで終わりたいと思います。
まとめとエンディング
本日も聞いてくださりありがとうございました。
このようなお悩み相談、皆さんもございましたらぜひともリクエストしていただければと思います。
というわけで、今日の放送はここで終わりたいと思います。
連常院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
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