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湘南大塚の海でご報告しています。浜辺のはなしです。
週末に息子が足の指を怪我してしまいまして、
昨日はそれでやり過ごしていたのですが、
ちゃんと整形外科で見てもらった方がいいかなと思いまして、
自分がお休みを取って行ってきたのですが、
やっぱり休み明けでものすごい尋常じゃない込み方をしていて、
結局何時間かかったんだろう?
3時間かかりましたね、結局ね、全部終わるまで。
大変ですね。
幸い骨折まではいかないかな、ギリギリかなという感じだったんですけど、
結構ぐるぐる巻きに固定することになっちゃって、
ちょっとかわいそうなんですけど、
それでこの辺の病院、やっぱり医療環境というのは、
ちょっとやっぱり病院がどうしても少ないので、
その辺が厳しいですね、ちょっと外れてくるとですね、地域が。
移動にもすごい時間がかかってしまって、
朝から自転車を漕いで漕いで、
ようやく学校に送り届けてきたというところでした。
もう半日終わっちゃいますね、これで。
この間行ってきたポッドキャストエキスポとか、
その周辺の関連のところとかで、
感じたちょっとモヤモヤとした違和感みたいなのを
言った直後にちょっと撮ってたんですけど、
もうちょっと自分の中に出てくる忌避感みたいなものが、
何からくるのかなみたいなのをちょっと深掘りして、
せっかくだから考えてみようかなと思いまして。
それも分解すると、また二つ三つとかあるのかなと思っていて、
まずちょっとその一つとして、
場ですね。
場でも空間でもいいですけど、
場の環境が支配的な感じになって、
それが居心地悪くなるみたいな、
その感じ。
その場が支配的になる発生条件の考察みたいな、
ちょっとそういう分解があっていいのかなと思ったんですけど、
なんかそうですね、
3人とか4人とかすごく、4人ぐらいまでですかね、
少人数で集まって何か話してる時って、
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言ってもめちゃくちゃ喋りたがりの人がいたとしても、
でもその受け答えも含めて結構自分自身が会話に参加するっていうのが、
3人4人だったら通常だと思うんですよね。
もちろん2人だったら2人で会話するわけなので、
基本的にずっと会話の輪の中にいると思うし、
3人とか4人とかそのぐらいだと全然、
よほどの人がいなければそこまで気にかけることってないと思うんですけど、
それが5人6人あるいはもっとたくさんっていう状況になった時に、
場がちょっと支配的な、支配的っていう表現がまたちょっと難しいんですけど、
何というかこう、自分は入り込む余地がない空間みたいな、
そういう場になっていく時って何かあると思うんですよね。
これは絶対誰でもそういう経験はあると思うんですけど、
この場居心地悪いなとか、
自分が会話とかその輪の中に入るのはちょっともう無理そうだなとか、
そういう時ってあると思うんですよね。
どういう状況、条件でそういう状態が発生するのかなってちょっと考えたんですけど、
考えても別にそんな大した話でもないと思うんですけど、
やっぱりその人数が多くなっても全然その場が支配的じゃないというか、
すごく居心地の良い空間であり続けることもまた全然あると思っていて、
本当にその時々の環境で変わるなって思っていて、
その支配的になる時ってどういう時かなっていうと、
状態としては自分自身が会話に入りづらいなとか、
ちょっと居心地が悪いなって感じている状態なんですけど、
そうなるのって、例えば特定の一人がずっと話をしているとか、
もしくは特定の一人だけじゃなくても特定の二人三人だけで、
他の人もいるけど特定の二人三人とか、あるいは一人とか、
少人数だけで会話を続けているような状態って何かあると思うんですよね。
それ以外の人同士で会話ができてばらけていく時もあるし、
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でもなんとなくそれもちょっとしづらいというか、
場がばらけないみたいなという時もやっぱりあるかなと思って、
結果一人二人三人、特定の方だけが主に喋っている状態みたいな、
それをただただ聞いてるしかない状態みたいな、
そういう状況が喋り続けている人による場が支配的な感じがするんですよね。
そこにうまく入っていける人はもちろんいるだろうけど、
入っていく条件もいろいろあると思っていて、
もともと親しいとか、共通の話題を重ねているとかいうんだったらどんどん入っていけると思うんですけど、
全然そうでもないという状況下だと、
もうただただ聞いてるしかないという状態に陥りがちかなと思って、
そういうのが発生条件みたいな、場が支配的になっちゃうかなというのが一つですかね。
それはすごいわかりやすい例かなというところで、
もう一つ思ったのは、話しているのが少人数だけという場合もあるし、
もしくは自分以外みんな喋っていてという状態でも、
例えば会話の内容が、自分は知らない人のことだけど他のみんなは知っていて、
かつその場にいない人の話で盛り上がっているみたいな状況とかですかね。
これは人の話に限らないかなとは思ったんですけど、
他の人同士は共通で知っていたり共通の認識があったりして、そういう話題で楽しんでいるけど、
自分はその話題に上がっている人のことを知らないし、話題に上っているトピックのことを全然知らないしみたいな状態の時に、
みんなで話しているんだけど、自分だけは入っていきようがないみたいな。
それって誰ですかとか、それって何ですかみたいなところからゼロから入っていかないといけないので、
なかなかそこでまた敷居が高くなっちゃって、
そういう状況で支配的な場かもみたいな感じてしまうっていうことがあるのかなと思いましたね。
特に自分も気をつけないとなと思いますけど、
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その場にいない人の話で盛り上がるってすごくよくあると思うんですけど、
それはその場にいて話している人がみんなその人のことを知っていて、
同じように面白がれるっていうか、人の話をネタにして話したりすると思うんですけど、
それはみんなが知っている場だったら全然いいんですけど、
全然直接関係ない人とか知らない人が複数他にも結構いるぞみたいなところで、
特定の人とかトピックとか、かつその場にいないから何の話をしているんだろうみたいな感じになっちゃったりもするみたいな。
そういう話の仕方は集団で集まって何かをするみたいなときには、
ちょっと気をつけたほうがいいのかなと思ったりしましたね。
全く予期せずしてその場が楽しく話していたはずだけど、
一方ではその場を支配的に感じてしまったり、
なんかちょっと居心地悪いななんて思ってしまうことってあるなと、そんなことを考えたりしましたね。
そんな場なんていうのは無限にいくらでも生活の中であるでしょうから、
一個一個取り上げて、一個一個が悪いなんて、そんなことは言ってられないんですけど、
ただこう複数人で集まったり、知らない人同士で会話したりみたいなことって自分もただ、
仕事とかでも全然あるんであれですけど、
内輪でわかる話だけをしないようにはちょっとしたほうがいいのかななんて、
なんかそんなことを思いましたね。
もちろんその場に他にも人がいるんだったら、
みんなで話すもそうだけど、みんなで話すっていうのもあんまり人数多いと現実的じゃないから、
ちょっと別れて話しやすいようになるとか、
自分もそういう話の仕方ができたら、
誰かにとってはこの人はプラットに話してくれるんだなとか、
そんなふうに思ってもらえると自分も嬉しいかななんて、そんなことを思いましたね。
でも本当に一人一人いろんな人がどっかに集まって、
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全然一人一人のことは決して嫌だと思ってないし、むしろ好きだったとしても、
集合になったときに自分が疎外感を感じてしまうときってあると思うんだよね。
それは自分の知らないことで話が続いているとか、
特定の人だけで会話が続いているとか、
そんな状況でそういうふうになったりするのかなと思ったりしました。
はい、ちょっと考えが浅いですね。
考えが浅いんですけど、そんなことを地道に考えながら生きていこうかなという感じですね。
今日天気良いですね。
なんかヨットみたいなのが、なんて言ったら、釣りなのかな。
釣りで釣れるんですかね、この辺の魚は。
ちょうど波の目の前を歩いている親子もいますね。
お休みなのかな。いいね。
はい、こんな感じで終わります。ありがとうございました。