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2021-03-10 12:05

【おはなし回】『わたしはひろがる』

Kon
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Host
『わたしはひろがる』
出版:子どもの未来社
作:岸 武雄
絵:長谷川 知子

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わたしが世界のすべてであった
けど、弟や母、それから友達…
様々な出会いがわたしの中に入っていき
わたしの世界がどんどんひろがっていく…

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00:05
みなさん、おはようございます。
こんのゆるラジチアプップへようこそ。
この放送は、子どもも大人もゆったり過ごせるよう、
絵本とともに朝のほんのひとときをお届けします。
今日のお話は、出版【子どもの未来者】作、岸武雄さん、絵、長川智子さんの
【わたしはひろがる】です。
では、さっそくお話ししますね。
【わたしはひろがる】 岸武雄作 長川智子 絵
わたしは小さいとき、おやつのお菓子が弟より大きくないと怒った。
ときにはひっくり返り、足をバタバタさせてわめいたこともある。
わたしが世界のすべてであった。
やがてわたしは弟もわたしと同じように大きいお菓子を欲しがっていることがわかってきた。
わたしはけんかしながらも同じように分けることをおぼえた。
ときには弟があまりにうまそうに食べているので、わたしの分も分けてやった。
弟と一緒におやつを食べると、分量の減ることもあるが、なんとなく楽しい。
こうしていつのまにか、わたしの中へ弟が入ってきた。
わたしはお母さんが忙しそうに働いていても、一向平気だった。
うちのことはみんなお母さんの仕事さと思っていた。
やがてわたしは大きくなり、うちの仕事を分担させられた。
わたしはほっぺたをふくらませ、ぶつぶつ言ってはやっていた。
ある日、お母さんがあまりつらそうだったので、わたしも手伝おうかと声をかけた。
まあ、お前が助かるわ。
お母さんは目を輝かせた。
お母さんと一緒に仕事をすると、わたしも楽しくなる。
こうしていつのまにか、わたしの中へお母さんが入ってきた。
わたしは勉強しながらいつもテストのことが気になった。
いい点をとって友達に勝つことが何よりの目標だった。
03:00
だからテストになると仲のいい友達も敵のように思えた。
あの子、間違えてくれないかなとひそかに祈ったこともある。
テストが勉強のすべてであった。
やがて、わたしは小さいグループを作り、助け合い教え合って勉強することを覚えた。
こんな勉強を続けていると、友達についての考え方がだんだんと変わってきた。
今までわかっているつもりの問題も改めて尋ねられると、
なんと答えてよいかわからないことがいくつも見つかってきた。
できないと思って内心ばかにしていた友達が次第に偉く思えてきた。
こうしていつの間にか、わたしの中へ友達が入ってきた。
わたしは、養護学級の子が変なことを言うとよく声を上げて笑った。
わたしとは生まれの違う、哀れな子だと考えていた。
しかし先生にいろいろ言われるので我慢して付き合っていた。
ところがこのごろ、登校の道でわたしを見つけると、
みるみる花の開くように顔をほころばせ、
おはよ!と飛んでくる。
まったく、こんな素直な気持ちにはかなわない。
わたしは今までの自分が恥ずかしくなり、手をつないで学校へ行く。
こうしていつの間にか、わたしの中へ養護の子が入ってきた。
わたしは理科の勉強しながら、大きくなったら素晴らしい発見や発明をして
テレビにも出る有名な人になり、お金もどっさり儲けようと密かに夢見ていた。
しかし科学者たちの勉強を読み、先生に科学の歴史を教えられてから、
わたしの考えはだんだん変わってきた。
どんなに素晴らしい発見や発明をしても、
それが人類の幸せに役立たねば、何にもならないのではないか。
かのノーベル博士が、自分の発明したダイナマイトが戦争に使われるのを悲しんで、
人類の平和と文化に尽くした人々にノーベル賞を贈る気持ちが、わたしにもわかってきた。
こうしていつの間にか、わたしの中へ勉強の目標が入ってきた。
わたしの中へ勉強の目標が入ってきた。
06:01
わたしは社会科を勉強しながら、数字やグラフを一生懸命暗記した。
日本が世界第何位と知ると、ただそのことだけで喜んでいた。
やがて数字やグラフの背後には、額に汗して働く大勢の人たちのいることに気がつくようになった。
この人たちがすべて幸せにならねば、日本の国は胸を張れないのではないか。
こうしていつの間にか、わたしの中へすべての人々の幸せを願う心が入ってきた。
わたしの中へすべての人々の幸せを願う心が入ってきた。
わたしは広島や長崎に原爆が落とされた話を聞いても気の毒だと思ったが、それほど強くは感じなかった。
なんだか遠い昔の自分には関係の薄い出来事のような気がした。
しかしそのうち原爆の本を読み、映画を観て、また広島へ家族旅行をして、わたしの思いはぐんと深まってきた。
あの運命の日、一瞬のうちに草木は燃え、建物は倒れ、人間は傷つき死んだ。
生き残った何万という人たちは、やけただれた皮膚を引きずりながら、
水!水!と叫んで当てもなくさまよったという。
まるでこの世の地獄だ!
原爆のような恐ろしい魔物は、この地球から絶対になくさねばならぬ。
それなのに今も核の開発はいよいよ進み、核兵器のない世界への道のりは険しいという。
こんなニュースを聞くたび、わたしの心はうずき、胸は痛む。
こうしていつの間にか、わたしの中へ平和の願いが入ってきた。
わたしの中へ平和への願いが入ってきた。
わたしはアフリカの地図を見るたび、砂漠や森の中に住むライオンやゾウの群れを想像し、
ひとり心をはずませていた。
しかしこの頃、アフリカのニュース写真にはガリガリに痩せた子供たちが大きな目でじっと何かを見つめている寂しい姿をよく見る。
飢えているアフリカの子供たちなのだ。
さらにまた、皮膚の色が違うことでひどい差別を受けている黒人のいる話も知った。
同じ仲間の人間なのに、どうしてこんなことが許されているのだろうか。
09:01
こんなことを考えているうちに、いつの間にか、わたしの中へ黒人が入ってきた。
わたしの中へ黒人が入ってきた。
山の村のおじいさんの家へ行くと、この頃猿が村へ出るという。
オーラの子供の頃はこんなことはなかったとため息をつく。
山の雑木林を切り払って、カネになるスギやヒノキを植えるからじゃ。
植林はええことかもしれんが、土地、栗、シンなどの木の実がなくなり、
獣たちも仕方なく畑を荒らすのさ。
おじいさんについて、奥山の雑木林へ入るとカラッと明るい。
小鳥がさえずり、リスがすばしこく走り、猿が群れになって遊んでいる。
まさに雑木林は山の動物の天国だ。
おじいさんは湧き水を手ですくい、
ブナの林など雨水を落ち葉にためて、山のダムといわれとると目を細める。
こうなると雑木林は人間にも天国になる。
こうして山でしばらく暮らしているうちに、
わたしの中へ動物たちが入ってきた。
わたしは戦争の悲しい写真を見ても、
飢えのため困っている人々の写真を見ても、
海面の上昇で沈んでいく島の人々の話をニュースで聞いても、
遠い国の出来事のように思って平気だった。
でもこの頃はこのような人々もわたしの仲間のように考える。
戦争で苦しんでいる人々や子どもたちや、
飢えのため困っている人々の写真を見たり、
沈んでいく島の人々の話を聞くと、
心がうずき、胸が痛む。
こうしてわたしの中へ遠い国の人々が入ってきた。
わたしの中へ遠い国の人々が入ってきた。
ああ、わたしはたった一人なのに、
胸の中のわたしは、
弟も母も養護の子も、原爆で倒れた子も、
アフリカの子も、山の獣たちまで含めて、
広がる、広がる。
おしまい。
いかがでしたでしょうか。
結構長いお話なんですけども、
聞いていても読んでいても、すごく素敵なお話だと思います。
それでは、きょうもお聞きくださりありがとうございました。
こんでした。ではまた。
12:05

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