真剣と深刻の違い
こんにちは、AI経理のこむぎこです。
はい、ではですね、今回は前回セッションした時のアウトプットをもう一個の方をしていきたいと思うんですけども、
あの真剣と深刻は違うんだよっていう話をしてて、どういうことかっていうと、何かモヤモヤとしたことあるじゃないですか。
なんかこういうこと言われてすっげー腹立ったなぁとか、なんか自分のしてきたことでこんな失敗になってしまったとか、
なんかあるじゃないですか、なんかこううまくいかなかったこととか、なんかイラッとしたこととか、そういう場面に対して真剣に向き合うのと深刻に向き合うのは全然違ってて、
深刻っていうのは、例えばなんかその、自分ってダメだなもうなんかもうダメだみたいな感じで、本当にあのもう無理だみたいな感じで、自分を責めるっていうのが深刻なんですよね。
で、真剣に考えるというのはどういうことかというと、なんでこの事象が起こったんだろうとか、私ってなんでこれにこう言われてイラッとしたんだろうとか、
どうやったらこういう風にならなかったのかなって考えることが真剣に考えることなんですよね。
で、それは違うんだよっていう風に言ってて、で、これを同じに考えてしまったりとか、むしろ真剣も深刻もなく、
まあいっかみたいな感じで、でももういいかみたいな、何も考えませんみたいな、それより次々みたいな感じで、何も考えない人っていうのもいるんですよね。
で、例えば嫌なこと言われたな、なんかこんなこと言われて腹立つなってなった時に、じゃあもうこの人をやめよ、この人を切ろ、この人ともう話すのやめよって感じでバシッと切っちゃって、
次々みたいな感じでいくのか、でもそうやってると、何もそこに向き合わないと何も解決しないんですよ。
また同じことが繰り返されるんですよ。なので、ある程度真剣に向き合わないと、今度からはこうなった時はこうしようとか、
なんかこういうこと言われた時って、自分ってこういう内面があるんだなとか、自分に向き合ってみるとかっていうのをしないと、いつまでも同じことが繰り返されるんですよね。
おめえまだわかってねーのかよって感じで、神様が同じことをやってくるんですよ。同じハードルをね、与えてくるんですよね。
家族を支えすぎた経験と境界線
で、例えば私で言ったら、まあ離婚したじゃないですか。で、離婚した原因っていうのは、まあ細かく言えばいろいろありますけれども、
そのー、なんか、旦那さんが働けなくなった時に、で、子供たちも不登校になったっていう時で、
私だけ元気っていう状態で、その時にどうしたかっていうと、めちゃくちゃ頑張ったんですよ私。
めちゃくちゃ頑張って、3人をね、自分も含めて4人を養わないとって思って、養うためにはこれをやったらいいかな、あれをやったらいいかな、もうとにかく寝ずに働こうみたいな感じで、まあ頑張ったんですよね。
で、頑張りまくって頑張りまくった結果、どんどん家族が弱々しくなっていったんですよ。
特に旦那さんね、特に旦那さんが、あの俺はもうダメだと、お前がなんとかしてくれるんだから俺はサポートに回るという感じの風になっちゃったんですよ。
だから、何、その絵を考えた時に何が悪かったかなって真剣に考えたら、
多分、私はその人自身を信じてなかったんですよね。
もう私がやらなきゃって、私がやらないと無理だみたいな、私が支えないと、私が助けないともうこの人は無理なんだっていう風に思い込んでしまったことで、どんどん自分で立つ力がなくなっちゃったんですよね。
で、これって結構介護とかでもよく聞く話じゃないですか。
例えば、いいよいいよこっちでやってあげるからって言って、座っていっぱなしでね、
おばあちゃんこれ、ほらほら私が運んであげるからとか、ほらほら私が料理作ってこうやってやってあげるからとかってやっていくうちに、
どんどんおばあちゃんが歩けなくなってしまったっていうことに繋がるっていうのは介護でもよくあることですよね。
その人の可能性を奪う行為は、どんどんその人の自信もなくなっていくし、その能力もなくなっていくっていうことに繋がっていくんですよね。
で、私には、私はそれをなんとなくは分かっていたんだけれども、真剣に向き合ってはいなかったんですよね。
で、気づいた時にはもう弱々しくなってて、私は相手を責めるしかなかったんですよ。
なんで?なんで私はこんなに頑張ってきたのに、あなたは私をそんなに頼るわけ?って。
私が全部奪ってきたのに、なんで私はこんなに頑張ってるのに何もやってくれないの?って。
どうして私の思い通りに動いてくれないの?っていうことに言うようになっちゃったんですよね。
だけど元はといえば、きっと私が全部その機会を奪っていっちゃったんだろうなって思うんですよ。
で、ただ私もめちゃくちゃ頑張ってきたっていう面で、自分自身を褒めてあげたいなとは思うんですよね。
で、今になって離婚してお別れした後で、境界線を引くことができた。
もうあなたはあなた、私は私。
で、境界線を引くことで相手の成長につながるかもしれないから、本当にそれはもう私の感知するところではないので、何もしないんですけれども。
やっと境界線を引くことができたなっていうふうに感じるんですよね。
失敗を次の行動に落とし込む
で、じゃあタイムスリップしました。
この経験を、経験があった状態でタイムスリップしたとして、4年前にタイムスリップしたとして、
じゃあ同じ状況になった時に、あなたはどうするってなった時に、すごい想像すると同じことしちゃう気がするって思っちゃうんですよね。
ということは私はそれに対してちゃんと真剣に向き合ってないということなんですよ。
私は、もっとこの真剣に向き合って、同じことが起こった時に同じことをしないようにしよう、こういうふうにしようっていうふうにちゃんと向き合わないと、
また同じことを起こしてしまうということなんですよね。
だから何か失敗って言ったらあれですけど、なんかうまくいかなかったなっていう時にどうしたら良かったんだろうっていうのをすごい考えて、
自分の内面に何があれだったんだろう、あれって何かダメだったのかなとか、どうすれば相手も自分も成長に繋がったのかなとか、
いろんなことを考えた上で、今度同じようなことが起こったらこういうふうにしようっていうふうにちゃんと落とし込まないと、また同じことを繰り返してしまうんですよね。
それは自分が強かったからダメなんだとかそういう単純な話ではなくて、強いからこそこういうふうにすれば良かったっていうのは絶対あると思うんですよね。
だから何かこうちゃんとこれ真剣に向き合わないと同じことを繰り返してしまうぞと、
何かこう人の機会を奪ってしまうということをやってしまうんだなっていうのを考えたら、
なんかちょっとね、真剣に向き合わないとなーなんて思いました。
なので皆さんも何かこういう人に言われてイラッとしたことって、なんで私はこんなにイラッとしたんだろう、
このイラッとしたことに対して何が自分の中で引っかかってるんだろうって思うことをちゃんと真剣に考えて、
あそっか私ってこういうことを言われるのって、自分の頑張ってきたことを否定されるような気がするから嫌なんだなとか。
でも相手はそういうふうには絶対に思ってないし、相手は相手のフェーズがあるんだから、
私がイラッとすることではなかったななんて思えることもあるかもしれないし、
まあなんかもう、いろいろと考えて成長する機会なんですよね。
モヤっとした時、イラっとした、モヤっとした、失敗した、なんかちょっとダメになってしまったっていう時は成長する機会なので、
今度こそこんなことが起こらないようにどうすればいいかってことを考えるといいかと思います。
はい、ということで最後まで聞いていただきありがとうございました。