就職氷河期の影響
ノート記事にあるサムネイルの写真は、私が客室乗務員の訓練終了時に羽田空港の訓練所にて撮影したものです。
個人情報に配慮し、白黒ぼかし加工をしています。
私は最高列の左端です。幼い頃から夢見た客室乗務員。私が大学生だった頃、1994年から1995年の間に運輸大臣を務めた亀井静香氏のアルバイトスチュアーデス発言に端を発し、航空業界の労働環境や雇用形態に関する議論が巻き起こりました。
スチュアーデスなんて空飛ぶウェイトレス、高い給料を払う必要性はない、といった風潮が広がり、客室乗務員の保安要員としての役割を軽んじるような声も少なくありませんでした。
契約社員導入当時は、CEAの多様な働き方として注目されつつ、若い女性の使い捨て雇用との批判もありました。
時給いくらの世界に押し下げられた現場では、「君、アルバイトなの?」とお客様に声をかけられることもありました。
私が入社した時期も、正社員ではなく契約社員からのスタート。
もし私が四年生大学ではなく短大を選んでいたら、ギリギリ正社員での入社になったはずでした。
でも短大だったら合格していたかどうかは不明。
足られば、ですね。正社員と契約社員では同じ飛行機に乗務しながら、給与体系も送迎の基準も異なります。
給与はざっくり言うと正社員より約2割から3割安い水準で、省与もなしか損失レベル。
福利構成も正社員からかなり引き下げられた状態。
それでも、求められるサービスや安全に対する基準は全く同じ。
当時は3年経過後に適性を判断し、契約社員から正社員投与を検討する、という契約内容でした。
当時のお給料は、手取りで20万円をギリギリ切るくらいでした。
訓練中は乗務手当がないので、手取り15万円ほどだった記憶があります。
勤務先は東京羽田空港。
会社からは空港から半径20から30、50キロだったかもキロ以内に住むこと、という条件があり、家賃の安い郊外には住めませんでした。
契約社員には両の提供はなく、住宅補助もなし。
厳しい、今でいう効率重視のLCC、ローコストキャリアの水準でしょうか。
LCC導入の先駆けのような位置付けですね。
ただ、LCCのように清掃業務や地上勤務を行ったりはしませんでした。
私は大学を卒業して数日後、故郷福岡を後にし、東京砂漠へと歩み出しました。
家賃7万円ほどの小さなアパートでの一人暮らし、夢を叶えたはずのスタートは決して楽ではありませんでしたが、それでも私の胸の中は高揚感でいっぱいでした。
続く。