1. 小江戸バラトの日記 #労働力投入
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kB#529 (続)祖母の思い出in北海道
2026-04-22 36:13

kB#529 (続)祖母の思い出in北海道


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00:00
はい、おはようございます。小江戸バラトでございます。 本日は2026年4月22日、水曜日。時刻は午前の一時を過ごしております。
小江戸バラトの日記、本日も公開収録という形でライブ配信をお届けいたしております。
まずは工作活動報告。 昨日は加藤博之先生のオールナイト大日本に先発担当させていただきましてありがとうございました。
いただいたコメントを読み上げさせていただいて、 忌憚のない質問をさせていただけで、大変幸せな時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
やはり、様々な方々からのお寄せいただいたコメント、私にお寄せいただいたのではなく、加藤先生へのコメントを通じてですね、背景でしたり、加藤先生からコメントに対するエピソードや付属する情報をいただけるというのが大変ありがたいですね。
特に印象的だったのは、やはりラジオを通じて新たな発見があるというのが印象的でございまして、具体的にはモトラ先輩と30年以上会話を続けていて、ラジオでひょんなことから新たな気づきとかですね、新たな思い出話など発生することがあると聞いて、
これはこれぞ続けることの真髄だなと思いました。
あと、うなぎさんの子卒業の話から、プレゼンテーション能力というのが大変、親業では重要に感じるというお言葉、メモを取らせていただきました、私。
おっしゃるとおりだと思いますね。どれほどですね、良い物件があっても、それを相手に伝えてプレゼントなので、与えるというわけじゃないですね、贈り物を届けるようにですね、お話ししなければ宝の持ち腐れだと思いますので、
やはりプレゼンテーション能力が有意な人が多いという、成功してる大家さんは特にそのような傾向にあるというお話を伺いまして、私もできる限りそういった能力を磨き、精進していきたいなと思いますね。
良い話でした。本当に素晴らしいと思いました。
そんなこんなでですね、工作同報告の続きとしましては、物件探しの方はまだ今朝ですね、ポータルサイトの横断的なことをやっていないので、
03:09
2回はですね、朝と夕方あたりをですね、ポータルサイトで、最近新着情報が減っている気がしますし、あとですね、ちょっと弾数が減っている気がするので、ちょっと視野を広げて探していきたいなと思います。
はい、4丁様、どうも初めまして。いつもお世話になっております。
おはようございます。
今朝はですね、早起きでございました、私も。
はい、そんな感じで工作活動ですね。
ちょっと物件探しがですね、去年の今頃に比べるとずいぶんと活動が低下しているので、
カンフル剤的に何か起爆したいと思っているんですけど、どうしてもですね、若干減っている気がしますね、最近は。
はい、そんなこんなでですね、あれですね、今日の本題にそろそろ移りたいと思いますね。
昨日、私の祖母の話を勝手にふと思い出したので、お話しさせていただいたところ、黒服さんから大変ありがたいお言葉をいただきまして、
今日はその続きと言いますか、まとめを、祖母との思い出をですね、エピソードをお話ししますと、
祖母は大正時代にね、学校は小学校、たぶん中退だと思うんですけどね、
あれで、その後ずっと働いて、結婚してからも、出産してからも働いて、
で、あれでしたね、業々、私の祖父ですね、おじいちゃんが漁師だったので、その手伝いをずっとしてですね、
食うや食わずやの積品を経験したってよく聞きますね。
時代が豊かじゃなかったっていうのはあるんでしょうね。昭和の時代に特に入ってからでもですね。
そんなこんなでですね、昨日お話したように戦後ですね、昭和30年代から40年代にかけて景気が上がったのと同時にですね、
商売が当たり始めたらしくてですね、その後漁業や複数の工場とか会社をですね、持って経営をしておりましたね、祖母が。
で、その前は祖父が会社を起こしてですね、大きくしてたんですが、早くに打開してしまったので、
その後祖母がずっと80歳近くまでですね、働いていたんで、私が子供の頃は祖母は働いておりましたね。
06:08
で、いい話ばかりがないんですね。漁業お気づきの方がいらっしゃると思うんですけども、1977年から徐々にですね、
200貨入り規制といって、漁師が昔は好き勝手にですね、遠洋漁業に行って取り放題、お魚取るだけ取ってですね、帰ってくるという、なかなかザックリした商売だったので、
当時はですね、サラリーマンの10倍から20倍ぐらいの給料だと言われていたんですよね。
で、もちろんですね、網を持っている人とか船を持っている人というのはだいぶ豊かだったというふうに祖母から聞いておりました。
で、徐々にですね、規制が絡んで、どうしてもですね、立ち行かなくなってしまうんですね、残念ながら。
で、200貨入り規制で遠洋、200貨入りというのは370キロまでしか漁師、遠洋漁業に行けないっていうですね、規制が徐々にきつくなっていて、最終的には船を持っている人は減らしましょうというところまで行ったんですね。
漁獲量を減らすだけじゃなくて、それでですね、メインの稼ぎの漁業が立ち行かなくなるしか、宿題せざるを得なくなってしまったんですね。
それからですね、まるで逆回転が起きて、もちろん安く自分のところでお魚が取れないとですね、食品加工の原材料も高くなってしまうので工場の方も宿題して、最終的にはですね、解散という、解散ではなく終了と言ったらいいんですかね。
売却さえもできず、生産する形になってしまうんですね、会社の方。
ですので手元にはですね、ほとんど、ほとんどですね、資産らしい資産は残らず、どちらかというと支払いばかりに追われて終わったんじゃないかなって、今にして思えばあれですね、気づいておりまして。
それで70過ぎた祖母が、最終的には綺麗に会社を畳むということになったんですよね。
事実上私のおじいが、父の兄ですね、おじいがその後社長と言いますか、専務と言いますか、あれしてたんですけども、残念ながら会社を復活させるというか、規模を拡大するところが、最終的には倒産というか、倒産ですね、早い話がせいざるを得なくなってですね、終わったということなんですよね。
09:11
で、父はそこから一線外れてですね、学校を卒業した後、普通のサラリーマンとして一家、普通に暮らしたいという道を選んだので、私はそれはそれですごいなって思いますね。
ですので私は父がね、ちゃんと働いて、毎月お金がちゃんと入って、で、分操、身分相応の暮らしができれば十分だっていう気持ちが、よくわからなかったんですね、子供の頃は。
なんで両親の手伝いしなかったのかなと、昔は子供の頃は特に思ってましたね。おじいとかは働いてるのか働いてるのか分からずに、好き勝手な、好き勝手というか経営者なんで、ある程度の自由が利くのに、父は朝から晩まで辛い会社員を務めているのはやっぱり浮き沈みがあるのは、
子供の頃から、父が子供の頃から見てきたからそういう商売の危なさというのは身に染みて分かっていった模様ですね。ですので安定した大きな会社に勤められるということをですね、父はものすごく資産だと思っておりました。
財閥系の某大手金融機関に勤めておりまして、今思うと管理職として活躍して40代終わった時にはですね、事実上の定年退職のようなあれだったんですけど、それはそれで充実した人生だったって、何度も父が言ってたんでよかったんだなぁと思う一方でですね、やはりその商売、特に漁師というですね、
若干ギャンブル性の高い商売をですね、牽引したという気持ちがですね、分かった。最近になってですね、祖母のことを言った一言一言をですね、思い出すと父がどうして安定した道を選んだのかなというのも何となく想像がつくようになりましたね。
フォーニス様、どうもありがとうございます。
昨日のですね、私の祖母が北海道で漁業を営んでいてですね、残念ながら200回離帰制で漁業が縮小して、最終的には会社が畳むというところのお話ですね。
祖母がですね、最終的にはその後ですね、90近くで他界したはずなんですけど、結構元気でですね、仕事辞めて10年ちょっとは自由にあれしてたんですよね。
12:07
で、何がすごいって、80過ぎまでですね、実は年金を80くらいまでですね、年金をもらってなかったんですよね。で、病院も実費で、実費というかちゃんとお金を払っていたんですよね。
昨日のサムネイル画像は西北端の町の某有名名所をサムネイル画像にしまして、はい、そうなんですよ。
それでですね、今日はですね、今日の祖母との思い出でですね、偶然写真があったんですよ、私の手元に。
で、これはですね、集字、達筆すぎてちょっと私読むことができないんですけど、武者の孔子・サネアツさんの集字で、左側にですね、ため書きって言って、〇〇さんへって私の名字が書いてあって、で、半行がですね、2つ押してあるんですよね。
1つは武者の孔子・サネアツさんの本物ですよっていう意味と、もう1つが私のおじいちゃんの祖父が一緒に書いてるところにいたぞっていう意味らしいんですけど、そこで半行押してあるんですよ。
そういうのがですね、あって、友達だったんですよね。で、どっかで書いてもらったものをですね、祖母の部屋に飾ってあったんですよ。
で、私が写真、そういえばと思ってですね、私が社会人になってからですかね、おじいのところに遊びに行ったときに、たまたま20年以上前なんですけどね、写真撮っておいてよかったなと思いました。
本物ですね、おそらく。
本物の確かに、サムネ、昨日のサムネありますか。あれはですね、有名なんですよね。
あそこはですね、昔は船が上がってきて、水揚げがあった荷物を運ぶ列車がですね、あのところ走ってたらしいです。今は残骸しかないですね。
そんなこんなですね、北の大地の思い出からですね、先週から今週にかけて、明星パンチさんが北海道を満喫された話を伺ってですね、
確かふとですね、祖母のことを思い出したのでですね、お話しさせていただきました。
祖父は私がまだ生まれる前に、ちょうど生まれる前後してですね、互いしてしまったので、顔を見ることなくですね、今に至って、その代わりに祖母とは結構ですね、頻繁に会っていたので、そういった思い出を今お話ししてますね。
15:14
はい、もっとですね、もっともっと、私が20歳過ぎまで、21ぐらいの時、21までですね、祖母健在だったんで、もっと遊びに行ったり、もっといろんな話を聞いておけばよかったなと後悔してますね。
特に戦前の話ですね。戦前とかですね、戦争の話もあんまり聞かなかったんですけども、結構祖父が実際にどこかわかんないですけど、戦争の現地に行った話とかもですね、人々にしか聞いてないですし、もっとですね、
当時どんな暮らしでどれぐらい大変だったかということを聞いておけばよかったなと後悔してますね。
はい、そんなですね、経営者だった祖母の話で今回ですね、残念ながら最終的には会社規模はすることなく閉店ガラガラで終わってしまったんですけれども、今となってはですね、思い出が詰まった、あれですね、祖母との思い出はいろいろありますね。
はい、わらさま、おはようございます。ご無沙汰しております。いつもいいね押していただいてありがとうございます。大変励みになっております。そんなことでですね、私の朝、昨日から続いて、私の祖母がですね、北の大地に漁業を営んでいて、いくつかの会社の経営者だったんですけれども、最終的には、宿題と言いますか、閉店ガラガラになってしまった話で終わるんですけどもね、
で、祖母の思い出とかですね、亡くなった父もですね、よく話はしてたんですけど、あまりですね、覚えてないんですよね、私。
で、今日はですね、このサムネイル画像は武者の工事さんのやつさんと、祖父が、友人と親交があったので、そのため書きと言ってですね、一緒に修辞したものを、あれなんですよ、写真に押さえていたので、ちょっとサムネイルにさせていただきました。
こういうのが結構資産かなと思いますね。
でですね、あとは今もう一個失敗したなと思うのは、昔の亡くなった父がですね、カメラが趣味だったんですね、学生の頃。
で、おじいがですね、私のおじいが多分持ってたと思うんですけども、Leicaのレンズがですね、たくさん揃ってたんですよ、いろんな。
18:05
で、正直価値がわからなかったんですよ、私。
まだ。
で、Leicaのレンズ、カメラって当時高級品だったらしいんですけども、それがですね、大切に温存されていたのを今思えば、もらってくるとよかったなと思いますね。
どこ行っちゃったのかなと思ったりして。
はい。
あ、さらばらば。
こんばんは。
あ、はじめまして。
なんか、昨日もお話したような、そんな気もしますけれどもね。
いやー、あの、最悪やっとるほどの粗暴で。
簡単に言うと、貧乏だったんですけど、両親で頑張ってお金稼いで会社を大きくして、最終的には200回力制で会社。
宿題して、持っていた2、3の工場も閉店、ガラガラにして平成になって、80歳くらいからようやく年金もらって、有意地的な生活10年くらいした後に亡くなったという感じでございましてね。
そんな祖父母の思い出の品がですね。
はい。
おばあさんもすごかったね。
あれなんですけど、祖父ですね、やはり一番。
で、祖父母がですね、武者の工事さんのやつさんと友達だったんで、ため書きっていうのが、なんか結構あれで、一緒にですね、就寺したときのため書きっていうらしいんですけどね。
左側に判子と名前が書いてるんですけど、ちょっと実名なので、すぐ私のあれがバレてしまうので、ちょっとサネアツさんのところだけで抑えてまして。
達筆すぎて何書いてるか私わかんないんですけども。
大したあれなんですけど、このね、実物は多分私の親戚のね、いとこの家にあるはずなんで捨ててなければですね。
あ、あ、おばあさん。
おばあゆうじさま。
初めまして。
いえいえ、御沙汰しておりますというか、先日ありがとうございました。
あのね、あれがあれして、で私の北の大地の祖父母の思い出ということで、勝手にダラダラと話をさせていただいて。
昨日ラバールさんのおじいさまのお話ですごく心を打たれたというかですね、感動いたしまして。
やはり何かしらの形で残しておかなければですね、本当に浮かばれないと言いますか、私もいずれは20年とか40年後とかにこうなった時に存在がなくなるっていうのが一番寂しいんで。
村上春樹さんが、人は2回死亡するって言って、1回目は物理的に、肉体的に生命が終わった時で、2回目はその亡くなった方のことをですね、誰しもが忘れ去ってしまう時が本当の死亡だって、亡くなる時だって言ってましたんで。
21:09
なので加藤先生がパンキーさんのことをね、ずっと語り継ぐ間はパンキーさんはまだね、存命だと私は思ってますね。
なので、やはりですね、亡くなった祖父母も語り継ぐことで、まだまだ存命してるのと同じような形かなと思ってますね。
はい、そんな感じで。
これね、嘘が本当かは、あれとして本物なんですよね、むしろの小路さんであったと。
確か私、なんかですね、8ミリとかですね、白黒の写真は見た記憶がありますね。
あ、地元ですね。
地元と言えば限られた地元なんですけど。
北の第一のさらに北の方の、結構太くないですね。
どちらかというと、細長いって感じですね。
突如現れた感じですね。
ですね、ただ祖父は結構一身高が、太くはないですけど、やはり人脈が多かったですね。
政治家の、有生民営家で大暴れしていた方のお父さんですね。
有名な広島の方かな。
広島の方で有名な政治家の方とも親交があったという兄から聞いたことがあったりという方ですね。
確かになんかですね、いろんな人脈がとにかくあったからなんですかね。
結構な活動的な方だったって聞いてはいるんですけど、実際に残念ながら私はですね、せいぜいに会うことができなかった祖父なんで、
仮に祖母とですね、まあまあ仲良く、あまり可愛がられなかったんですけども、
話は聞けて思い出がありましたね。
思い出があったんで、こんなことをですね、語り継ぎたいと思いました。
で、ため書きですね。今度ラバールさんをお会いしたとき、写真しかないんですけれども、
何書いてるか私が読めないんですけど、きっとラバールさんならわかるかと思います。
そんな形でですね、30分くらい渡ってですね、まとまりのない話なんですけども、
また何か機会があったら今度ですね、母方の祖母のことをですね、ダイジェスト版でお伝えしたいんですけど、
24:01
母方の祖母、母方の父っていうか、母方の祖父ですね。
普通のサラリーマンというか公務員だったんで、ネタらしいネタがあまりあれがあれなんですけれども、
ちょっと思い出しながらですね、今度実家帰った時とか、詳しく聞いて何か面白いエピソードをお話しできたらなと思います。
えー!そうだ昨日そういえば、
え?え?すごい?金庫破りですか?ラバールさんの。あらーよかったっすが。
いやーいいですね。金庫開きましたか?すごいっすすごいっす。
それより昨日、夜ですね、私お風呂入る。
先に駐車してしまって失礼したんですけども、
なんとなくですね、音とですね、動きからライブ配信ですね。
ラバールさんの夜の方のライブ配信を配置をしていて、
もしかしたらと思ってですね、あれだったんですよ。
なんかそのタイプが似てるなぁと思って。
お!え!?ましたね。
金庫開いて、今度また詳しく後でアーカイブ配置をできたらなと思うんですが、はい。
いやー、はい。小田さん、小田祐治様。
はい、以前、あ!お話ししてた方と、お!
28日ライフルテーブルに対談になりました。
えー!そんな、あの、超機密事項大丈夫ですか?私喋っちゃいましたけど。
うわーおめでとうございます。すごく楽しみでございます。
いやー何かこうねー、もう。
有名、動員の方々が、素晴らしいですね。
有名な、著名な活動をされて。
いやー、楽しみにしておりますよ。
もうね、この間はアンマさんに続いて、アンマさんが一大スターに輝き、
また小田さんがより一層、著名になられて、
あの、あれですかね。顔はもう前回と同様にあれですか。
お写真も掲載されるんですかね。すごく楽しみでございます。
はい。いやー、そんなこんなですね。いいですね、朝のダラダラですね。
ゆるゆるする気持ちを、朝のライブ配信。
いいなと思いました。
はい、それでですね。
最後、終わりの雑談で、忘れていないぞ、脱研誌ということでですね。
27:01
ちゃんとのどれ、昨日も2問解きました。過去問はですね。
1日25問はですね、問題解くのと、1問は最低過去問を解くという目標に向かって、
日々取り組んでおります。
はい、コツコツと。
はい、そろそろあと179日なので、理論上ですね。
実際に開催日が変わったら、1週間前後しちゃうと思うんですけども、
多分ですね、10月の第3日曜日は、だと思うので、
はい、そうですね。
頑張りたいなと思いますね。
あと3ヶ月後くらいまでに、あれですよね。
受験の申し込みだと思うので、頑張りたいと思います。
はい。
ああ、脱研頑張ってください。あまりプレッシャーかけないでください。
ねえ、バラードブログ開きたいですね。
はい、ただ、ちょっと過渡競争気味に感じておりますが、
ちょっとね、頑張りたいですよ、本当に。
めちゃめちゃ楽しいですね。
そんなこんなですね。
実は私、現実逃避していた30分間、そろそろですね、
こんなにたくさんの方がお見えになっているところ恐縮でございますが、
私、いい加減ですね、現実逃避から戻って現実を見せたいと思い、
ちょっとだけ本気で本気をやります。
本気でやらないと、あれかあれなんでね。
厳しい現実が待ち受けております。
あ、小田さん応援して、バラードさん応援しております。
ありがとうございます。
いやー、お言葉。
ご支援ご目立つのほどよろしくお願いしますと言いますが、
本当にですね、頑張りたいと思って、頑張りたいんじゃなくて、頑張るしかないですね。
本当ね、楽しいですね、このノートレが。
ようやくですね、最初、宅勤業とかからやってたんですよね。
去年ちょっと突然的に、2ヶ月半ぐらいしかあれだったんですけど、
去年はですね、廃院は何かだなと思ったんですね。
まずそこからですね、めちゃめちゃ長くなりそうなんで、
コンパクトにお話まとめますと、3分以内で。
まずですね、去年は申し込みの前々日ぐらいにですね、
締め切りの前々日ぐらいに勉強を開始してるんですね。
宅勤士の申し込みがまだ間に合うというところからですね。
どこまで伸びるかやってみたいというのがあったんですけども、
途中でですね、息切れしてしまったんですよね、正直なところ。
で、民放は全滅に近いですね。
去年のあれでですね。
30:01
宅勤業法の暗記合戦にまず入ってですね、
行ったんですけど、点を伸ばすためにですね、
悪い方向に行ったのは、悪いって言っちゃいけないですね。
思わぬ方向に行っちゃったのは、問題を暗記して答えも暗記すればどうにかなると思ったんですよ。
で、実際にどうにかなるんですよ。ギリギリになればなるほど。
ただですね、それで点取れるものはほとんどの人が点取れんで、意味がないんですよね。
で、宅勤業法でも細かいところとか時間かかるんですよ、暗記するのに。
そこにですね、注力してしまい、結局はですね、民放が捨てたんですよね。
ですので、そこがまず敗因の一つで。
で、その後ですね、行政の方とかも手が回らなかったんですよね。
で、応用問題を解くというかですね、実質上の過顧問ですね。
過顧問の慣れることに至らずですね、
結局のとこ、基本問題と誰でもできそうな問題に終始してしまい、
残念な結果になったなと思ってますね。
で、去年の事故採点ですね、24点でしたね。
ですので、まったくですね、惜しくもなんともないんですよね。
たぶん鉛筆転がしても10点か15点くらいいくと思うので。
ですので、そういったことは一切忘れてですね、
今年はゼロからのスタートということで取り組んでおります。
過去は振り返らない主義なので、
去年使っていたものとかですね、すべて売りに出して勝負にしましたね。
ですので、今年はですね、盲目的に目の前の脳トレだけに励んでおります。
というところでございます。
いや、落ち込みます。
ラバラさんコメントありがとうございます。
なかなかメンタル的に次の努力を受けられる人はいないです。
いやー、わかります。
あの落ちた時のね、
そしてまた私もですね、恥ずかしさをですね、
堪えて言いますけども、結構自信あったんですね。
なんかですね、うかる気が起きたんですよ。
こう勉強してですね、問題解いてですね、
鉛筆持って問題解いてると結構点伸びるんで、
いけるなとも一瞬思っていたんですが、記憶されましたね。
あ、加藤先生どうもおはようございます。
まず今朝ですね、
昨日の私のライブ配信でまた自分の祖母の話、
ラバラさんに刺激を受けて思い出をお話ししました。
それで、拓見して頑張りますということとですね、
33:00
今ラバラさんからコメントいただきましたように、
メンタル的にだいぶへこみましたね、落ちた瞬間。
うかるかもって一瞬、変な期待もあったんですけども。
あとですね、しばらくはですね、忘れたかったというか、
あれだったんですけれども、
意を消して1月1日にですね、
厳密には11月の終わりですね、
吉山さんにまずは忘れて、それから考えようというアドバイスをいただいて、
やはり悔しくてですね、拓見しリトライ入りました。
はい、ありがとうございます。
ラバラさん、電気工事…
私もですね、電気工事士、業臭いですね。
業臭い。
去年の資格試験、結構業臭い続きでしたね。
電気工事士は業臭いしました。
理由がですね、完全に勉強不足というか、
あれ落ちる人いるの?っていうなかなかですね、厳しいコメントも数多く、
私のですね、学生時代の仲間から言われまして、
はい、落ちました。
しかも実技で落ちたというですね、なかなか珍しいタイプでございますね。
今度練習一緒に頑張りましょう。
はい、学科はさすがに…
学科の方はですね、大丈夫ですね。
はい、多分大丈夫ですね。
何度受けても大丈夫だと思います。
ラバラさんもおそらくね、理論の方は得意…
むしろそっちの方が得意かな、得意ですよね。
はい、こんな感じでですね。
はい、ちょっとですね、だらだらといろんな資格試験のお話とかさせていただきましたようにですね、
今日も1日、勤め人の仕事、頑張りたいと思います。
またですね、夜、卓研室に向けての脳トレを行いまして、
はい、加藤先生のオールナイトダイヤル日本語を聞きながら、
もしかするとちょっと今日ですね、早く休ませていただくかもしれないんですけれども、
本業、頑張りたいと思います。
はい、そしてですね、今日多くのリスナーの方にお越しいただきましてありがとうございました。
はい、本日さま加藤先生…
あ、よんじょうさま、ありがとうございます。
わらさま、さらばラバルカンパニーさま、はい、ありがとうございます。
私ですね、はい、そろそろ現実に戻りたいと思います。
あ、ありがとうございます。
はい、コメントいただきました。
はい、またですね、いいねとかコメントを数多くお寄せいただきまして、
大変励みになっております。
本当にこの場をお借りして感謝申し上げます。
36:01
それではですね、また次の次回の放送でお会いできますことを楽しみにいたしております。
それではありがとうございました。失礼いたします。
はーい。
36:13

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