Dear Diaryとは安室奈美恵さんの楽曲名 / 最近過去のノートを読み返した / ニーバーの祈りの言葉が書かれていて、今の自分に必要な言葉 / 過去の自分に励まされる / 土門蘭さん「ほんとうのことを書く練習」について / アニメ「違国日記」 / 最初は何を書いていいか悩んだ / 何を書いたか、何を書かなかったか / 兄が亡くなる前後は割とスマホに書かれている。 / 手書きのノートの方が記憶に残る / 安室さんは書いたものを捨てるらしい / 捨てることに憧れがあった時期も
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サマリー
このエピソードでは、パーソナリティが過去のノートを読み返し、過去の自分から励まされる経験について語ります。ニーバーの祈りの言葉や、宇多田ヒカルの歌詞に触れ、書くことの重要性や、書けなかったこと、そして感情の記録について考察します。また、土門蘭氏の著書「ほんとうのことを書く練習」やアニメ「違国日記」にも言及し、書くことによって自分自身や世界を知っていくプロセスを探求します。過去の自分に支えられている実感と、ノートを捨てることへの憧れについても語られます。
年度末の心境と「Dear Diary」
喪失感は突然に、第58回目の配信です。 今回は、Dear Diary 過去の自分に励まされるとき、です。
なんかもう、今日で年度末、3月31日、 最後の日ですね、年度末。
明日から4月ということで、特に変わることって言ったら、私は特にないんだけど、なんかこう、ちょっとザワザワする感じがするのは、
新しい年だからなのか。4月はね、ちょっとお父さんの命日があったりもするから、 それ
ではないなぁ、多分。 昔だと、この時期ぐらいから、なんかこう、ソワソワみたいな。
ソワソワじゃないな。虚無感? なんかこう、何やってもこう、無気力みたいな。 なんだろうなぁ。よくわからない気持ちに、いつもなっていて。
多分、もう今は、 亡くなっている回数がまあ多いから、もう多分大丈夫なんじゃないかなと思っている年度末です。
ということで、 今回は、Dear Diary 過去の自分に励まされるとき、っていう。
Dear Diary っていうのは、2016年に発売された アムロ・ナミエさんの楽曲のタイトルで、
この曲が出た時に、まさに私のための曲じゃんって思ったわけなんです。 それまで結構こう、書くのが好きで、いろいろこう、ノートに書いたり、
日記みたいなことも書いてあるし、トゥーズ的なものもあるし、 本当に今思ったことみたいなことを書き留めるみたいな感じをずっとしていたり。
なんかこう、そのノートがあることによって、自分が生かされている感覚っていうのもこの頃から、2016年くらいからあって。
ここ最近、なんかこう、なんか探そうと、そのきっかけ忘れちゃったんですけども、 探したいものがあって、それでモレスキンってやつを使い始めたのが2005年なんですけど、
過去のノートとニーバーの祈り
2005年の時のやつを読み返したんですね。 一番最初にね、書いてあったのが、
おだやかさの祈りって、ニーバの祈りっていうのが一番有名なのかな。 多分知っている方もいると思うんですけど、これ翻訳がいろいろあるから違うかもしれないけど、
私が書いたのは、神よ私に変えられるものを変える勇気と、 変えるのないものを受け入れるおだやかさと、変えられるものと変えられないものを見極める賢さをお与え下さい。
っていうのが書いてあって、 まさに最近ちょっと自分に必要な言葉だったみたいな、結構無気力というか無関心みたくなっている、
ここ1、2ヶ月があって、なんかこういろんなことがモヤモヤしちゃって、なんかこう停滞してしまっていたんですよ。
この間もちょっとチラッとその話をしたかもしれないんですけども、 まあそれでまさにこうね、
変えられるものを変える勇気と、変えようのないものを受け入れるおだやかさ。 本当そうだよね。それを見極める賢さ。
私はもともとこの言葉を知ったのは、 宇多田ヒカル・ヒッキーの曲の中の歌詞で、
いつ出たんだあれは。ウエイト&シーっていう曲の、 変えられないものを受け入れる力、そして受け入れられないものを変える力を頂戴よって、この歌詞がねなんかすごい、
当時の私には、ピンポイントに入ってきて、
今でも覚えてないけど、その時付き合ってた人となんかすごい喧嘩ばっかりしちゃっていて、
それで、なんか自分が悪いのか相手が悪いのかとか分からなくなっている時に多分この曲を聞いて、
ああ、そっかそっか、みたいになって、それからすごい大切な言葉というか。それでこう調べたら、ニーバの祈りっていうことで有名になっている。
もともとは、アルコール依存症のグループの十二のステップの中で、書かれているので有名になったというふうにwikipediaに書いてあった。
というので、この言葉がちょいちょいちょいちょい出てくるんですよ。私のノートの中に。
過去の自分を振り返る
なんかあったんでしょうね、きっとね。それで、自分の日記を読んでいると、
書いてあることはそのままなんだけども、書いていないことまでもいろいろ思い出すんですよね。
書かれていないことまでよみがえってくる。多分この時こういうことがあったのに書いてないなとか、
書いてある言葉に励まされながら、書いていないことの部分も私を形作っているというか。
というので、こういうのを書いているのって、その時なんで書こうと思ったのかっていう動機は、
書くことが好きなのは確かにそうで、何かやりたいこととか、自分がダメなところとかも書いてある時があるんですよ。
私はこういうことをすることで、これはやれない、あれはやらないみたいな。これをやっていくみたいな。
いろんなことが書いてあって、ものすごいポジティブなものもたくさんありながらも、ところどころで辛さだったりするのも書いてあって、
全体に感じるのは、すごい頑張って生きてた私みたいなのが、すごいところどころわかるんですよね。
2010年、2011年、2012年あたりっていうのが、今の関わっている仕事、活動だったりすると似たようなことをやってた時があるから、
その時の当時のことを見ると、今とは全然違うことを思ってて、事情グループ、当事者の人たちが集まって話をするっていう分かち合いの会に、
一体何の意味があるんだっていうふうに書いてあって、確かに私は多分その頃思ってたのは覚えてる。
何の意味があるのか全くわかんないって、話すとか聞くっていう自分の変化をいつでも味わってないから、
いろいろ講演会とかに行って、セミナーとかに行って、もう父ちゃんの話を聞いて、私はそういうふうに聞いていたわけじゃないのにって書いてあって、
なんでこんなことを思ったんだろうか、自分でもあんま覚えてはいないんですけども、
多分当事者としての自分っていうのを、すごいなんかね、一人でわかった気になってたんじゃないかなっていうのが、文章を読むと思う。
たぶん他の人の話を分かち合いとかそういう場で聞いていないし、
あとはそのグリーフってものに関しての知識もたぶんこの頃そんなの持ってなかったから、
自殺に関しての本はそれなりに読んでたりはしてたけども、
自身に関してのグリーフケアとかサポートとかそういうことに関しての知識を全然なかったっていうのをすごい自分の過去の日記読んで感じたんですよね。
自分的には当時そういった活動をすることによって、
なんかもう、たぶん自分大丈夫と思ってたんじゃないか、すごい大丈夫って思ってる感がね、文章を読んですごい思うの。
でも、ここから数年後にね、突然みんなと連絡を立ち、
温身不通になるっていう期間を5、6で過ごすぐらいに、何か崩れてしまったから何も大丈夫じゃなかったというか。
だから、その時の昔の日記とかノートとかって、全部じゃないけども雰囲気が、私はこの時々を過ごしてきているわけだから、
全部覚えてないけども気持ちだったりとか雰囲気とかっていうのはなんとなく理解できる。
自分が足りなかったものもこの時はこうだったのかなっていうので、今はそういうのを少し手に入れていられるから分かることもあるのし。
あと何か書いてあることに、確かにそうだなみたいな、その視点大事みたいなことも教わったりとかもするから、
なんかこうね、昔の自分にものすごい励まされる。こんなにも自分の味方っていないんじゃないかなっていうぐらいに、今こう読んでて思える。
「ほんとうのことを書く練習」との出会い
もちろんちょっとこう、すごいやばい、すごい辛かった時期のノートもあるから、それはそれで読むのは辛くて、今でもぶっ刺さる言葉とかすごいあるから、
不容易に見ることはないというか、何か用がない限り引っ張り出さないです。
日記をちょっと引っ張り出した一つのきっかけは、この間読んだドモン・ランさんという方が書かれた本当のことを書く練習っていう本を読み終えたわけで、
もうなんか本当こう、自分が今まで日記を書いたりノート書いたりブログ書いたりとかしているものがギュッと詰まって言語化されているっていうので、
それで少しここ最近、無関心無気力みたいな感じで停滞している自分がいたから、ちょっとSNSで写真アップするとか、文章を書くとかっていうのをちょっとずつやったりとかしているんですね。
それでね、本当読んでいただくのが一番いいんですけども、一番最初にこう書いてあることが本当によくて、ここで言う本当のことについてなんですけど、
自分は何を感じているのか、何を考えているのか、何を通っていて、何を知りたくて、何に惹かれているのか、世界をどう捉えて、今後どう捉えようとしているのか、自分の内側でどんな変化が起き続けているのか、つまり世界に触れている自分自身を感じること、そこで得た言葉こそ本当のことだ。
一つ一つの本当のことはきっとささやかなものだろう。だけど確実にわかるものだ。そのわかるを紡いで命綱にしながら、わからないのを大海原を探索していく。私はその一連の活動を書くことだと認識している。
本当のこととは私の一部だ。本当のことを書くとは私を知っていくことだ。私は世界の一部だから、つまり世界を知っていくことだ。ということが前書に書いてあって、本当すごい力強いというか励まされる本でもあって、この方の本私結構好きで今日貼っているんです。
最初買ったのが100年後あなたも私もいない日にっていう単価と絵がイラストが書かれているやつで、もう一つは死ぬまで生きる日記っていうエッセイで、死にたい自分、小学校4年生かなに初めて、その頃にからずっと死にたいという気持ちが消えなくて、何年間かカウンセリングをした時のエッセイなんですけど、
これもすごいね、読みやすい文章で、なぜ死にたくなってしまうのかっていう自分と向き合ってカウンセラーさんの言葉だったりということで色々見つけていく。
どれを読んでも、とても誠実さみたいなのがすごく感じられる文章で、大げさな誇張がなく淡々と進んでいくんですよね。
本当のことを書く練習の中に、エクニカオリさんの話が出てきて、私もすごい読んでいるから、好きな作家が同じ方っていうのは、すんなり入ってくる文章になるのかもしれないなと思ったりしました。
ご興味があったら検索などしてみてください。
アニメ「違国日記」と書くことの難しさ
あとこの日記つながりで言うと、だいぶ前になるんですけども、ポッドキャストで紹介した異国日記という、ちょっと前にアニメがやってたんですけど、これで終わってしまったんですよ。
すっごい楽しかった。めちゃくちゃアニメ良かった。
映像だからこそ表現できた箇所とかもいくつもあって、特に砂漠のシーンが良くて、彼女が孤独を感じるときに、砂漠のシーンに一人ぽつんと佇んでるシーンになるんですけども、
映像だと日記の経線があるじゃないですか。あの経線がだんだんだんだん時間経つにつれて波打ってくる。そこに砂漠になっていくっていうのがすごい良かった。
これも両親が突然事故で亡くしてしまう女の子、15歳の子が主人公なんですけども、小説家のおばが引き取って一緒に暮らしていくっていうお話で、
突然お父さんお母さんを目の前で亡くして、全然現実感がない感じに彼女はなっていて、そしたら小説家のおば、マキオちゃんが日記書くのが良いかもしれないっていうふうに提案するんですよ。
それでマキオちゃんが誰が何を言ったか言わなかったかとか、本当のことを書かなくていいとかっていうふうに言って、主人公の朝は何言ってかわかんないみたいなことになるんだけども、
でも彼女は彼女なりにいろいろ日記にどんどん絵を書いていったりとか、マキオちゃんがこれは日記なのかっていうぐらいにキョトンとするような、全然思いつかないようなものを書くようになってたりとかしてて。
書くっていうことが、小説家のマキオちゃん、マキオもやっぱりそこで救われている。
ドモンさんの本の帯のところに、まず誰にも見せない文をノートにっていうふうな文章があって、皆さんによく聞かれるんですって、何を書けばいいんですかとか、どう書けばいいんですかって。
書くのって、自分も最初そうだったんですけど、さあ書こうって言うと、何書いていいか全くわかんなくて、さっきまで書こうと思ってたのに、なんか頭の中がシーンってなっちゃう。
異国日記の朝ちゃんもそうで、シーンってなって、経鮮をずっと見てたら砂漠になるんですけど。
だからこう、書けなかったんです。だから多分最初に私書けなかったから、ニーバの祈りの知ってる文章を書き写して始めてるんですよ。
その後もやっぱり書けなくて、欲しいものをちょきちょき切って貼ってってるんですよね。
異国日記の主人公の朝ちゃんも絵描いたりとかしてたから、多分なんか書こうと思って書けなくて絵描いたりとかしたんだと思うんですよ。
練習していかないと書けなくて、本当最近はもう普通に眠いとかお腹痛いとかお腹空いたとか、本当そういうのは普通に書けるようになった。
最初の頃はそんなの書いても何の意味ないよなって、何の意味があるのかって考えてしまってたのをすごいなんか思えてて。
でも意味なんてなくていいんだなとか、今思うとこの時お腹痛かったんだ、こういう文章の前と後にお腹痛いとか書いてあるとか関係してるのかなとか、
全く思い出せないけど、でもいくつかはね、この時こうだったからこうだろうなんて思い出せるから、読み返ってくるし。
書かれていないことと感情の記録
あと、まざまざとわかるのが、書いてないことがわかる。
なんかこう昔のやつって、つらいことが書いてないことが多いんですよ。
つらいことっていうのは、夜寝れなかったこととか、朝起きれなかったこととか、大泣きしたこととか、なんかこういろいろ思い出してとか、
例えば誰かと喧嘩して嫌なことがあったとか、そういうことが最初の頃って本当に書いてない。
だから一見、それだけ読むと、昔の私自身なんだけども、何がダメだったな、わかってはいるけど、
こんだけポジティブなことをすごい書いてあって、それでもあなたはダメだったんだねっていうような感想になる。
それが、お兄ちゃんが亡くなるまで続いている感じ。
そのつらいことがそんなに書いていない。
お兄ちゃんが事故にあった、怪我しちゃった時ぐらいからはちょっと書いていたりはするんですけど、
お兄ちゃんが亡くなる前、亡くなった後からですね、
いろいろ細かくつらかったことを、どうつらかったとか、どう考えたとか、そういうことを書き始めたの。
あとスマホでいろいろ書くようになったら、そっちの方が今この瞬間の感情を記録しやすかったんですね、私は。
フリック入力の方が全然脳と直結する感じがあって、たった今のことを書ける。
よし書くぞっていう手書きよりも。
だから、ほんとに生々しい感情はどちらかというとスマホに書いてある。
でも、読み返すのはスマホはほとんど読み返さないんですよね。
タグ付け、例えばお兄ちゃんのこと書いたらお兄ちゃんっていうタグが付いてるから、
お兄ちゃんっていうタグを見ればお兄ちゃんがバーって出てくる。
お父さんっていうタグを見ればお父さんがバーって出てくるんですけど、
その整理はしているんだけども、ほとんど読み返さないというか。
あと覚えてない、ノートに書いたものはなんとなく覚えてる。
あの時すればこういうこと書いたなとか。
なんかこうね、映像で覚えていることが割と多くて、多分何回も見返してるからと思うんですよね。
だからあの時のペンの色とかなんかそういうのを覚えたりとかするけど、
スマホで書いたものっていうのはほとんど覚えてなくて、
だから何かのキーワードで探そうっていう風になった時に何か探したりはするけど、
安室奈美恵とノートを捨てること
以前になんかこう簡単なことばっかりブログに書いてしまうのがすごい嫌だみたいなこと書いたことがノートに覚えてて、
その時にだったら自分のためだけに書けばいいじゃないかっていうのを書いたことを覚えてるんですよ。
でもただ何月何日か分かんないとか何年だったろう。
ノートを引っ張り出して何年か分読むみたいな。
そういうことを毎回やるから覚えてるのかもしれない。
そうやって目的のものを探すことによって他のことも読んで、
自分こうだったあだったって言って、ちょっと活力が湧いてくる。
今回タイトルにしたDear Diaryって、さっきも話したけどアムロナミエさんの曲なんですけど、
アムロさんは書いたものはすぐ捨てるんですって。
すぐじゃないかな。何年かしたらまとめて捨てちゃうんらしいんですよ。
インタビューで言ってた。
それでDear Diaryって歌うのどういうことなのってちょっと思ったけど、
確かアムロさんが海外ドラマハマってて、
ヴァンパイアダイアリーズにハマってて、
そこで何か多分それ繋がりなのか、
何かそんな話をちらっと読んだような、読んでないような。
だからちょっと私と真逆なんですよね。
捨ててしまうっていうのにちょっと憧れもあったの。
過去のものを見ると過去を引きずってるとか、過去しか見てないみたいな自分も落ち込む時もあったんですよ。
結局私は今を生きないんじゃないかと思って。
だから捨てられる人が羨ましいって思った時もあったけど、
今は別にそれを読んで過去に戻りたいと思うわけでもないし、思っても別にいいし、
ただものすごく過去の自分に支えられてるっていう実感はすごくあるので、
おそらく私はこういうヘラのノートはいつ捨て、自分が死ぬ前にとかに燃やして捨てたりするのかもしれないけど、
とりあえず今のところは捨てる気が全くないので。
ただ問題はね、超ボロボロしてきてしまって、
触るたんびになんかね、手になんかすごいなんかね、
表紙のなんかボロボロが手にくっついてきて、
もうそれをどうしたものか、保存をねどうにかしなきゃと考える今日この頃です。
過去の自分への感謝と今後の展望
今日はなんかいつもよりちょっと長くなってしまいましたが、
今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。
またねー。
22:30
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